1章 SideN 1-3
「こんな所に行って、首と体が繋がって帰ってこれる保証が無いぞ!!」
「なんだ、行く気なんじゃないか」
「そういう意味ではない!! お前の計算が間違っているか、合っていてもとんでもない愚行という意味だ!!」
「いや、南側のこの地域はいくらジリールの隣とはいえかなりマシな方だぞ。本当にヤバいのは東側だし、確かこのあたりに住む《プラズマガンマ》の猟も、この前休止になった筈だ」
「知らぬわ!! とにかく、ワタシは行かないぞ……たとえパパがそこに何を残したとしても、ワタシは絶ッッッ対、そんなモンスターハウスみたいな場所には行かないからな!!」
――確かに、ブランの言うことも一理、いや万理ある。
ジリール帝国は、ガレットピアの中で最も危険な国とされ、人間からも魔族からも恐れられている非道の国家だ。
国民は皆ゴロツキかマフィアみたいな連中で、世界連合にも加入していない。
基本的な交易活動は麻薬と奴隷売買。それから、モンスターを狩ることによって得た様々な貴重部位を、原料として売りさばく事で何とか生計を立てている貧乏な国家である。
これといった資源もなく、貿易に不便な内陸に位置しているがゆえに、昔から力が弱かったが、およそ150年前から国相手の身代金取引を開始。他国を兵器で脅しては金を略奪する悪質な対外政策により、何とか世界で存在感を示している状態だ。
とはいえ、そのアウトローな性質上、裏社会の人間のたまり場としても有名であり、個人資産の合計金は準超大国にも及ぶとされている……なんとも厄介なトコロである。
だが。
「……そうか。折角一緒に夜遊びにでも行こうと思ったのになぁ。危なっかしくて絶好のスポットだと思ったんだけど」
カラフルな人形に埋もれつつ、俺はタバコの煙でも吹くみたいにぼやいた。
「バカを言うな。こんな夜遅くに出て行ったら、サリ……メイドに、怒られてしまう」
冗談めかす俺の誘惑に、はにかんだブランが言葉を返す。
――弱い。
彼女の言い訳は、俺の意志を覆すには、あまりにも脆すぎる。
ゆえに、俺はわかりやすい言葉で、彼女の心を抉ってやろうと考えた。
「でもキミは、ここから、逃げ出したかったんだろう?」
――なぜなら俺はキミを、《混沌の皇女》に仕立て上げなければならないのだから。
「なっ……。お前、どうして」
取り乱す。
図星を突かれ、ブランの表情が一気に崩れた。
わかりやすく耳まで真っ赤に染まった顔が、取り繕おうとド下手に歪む。
震えた唇が何やら言葉を紡ごうとするも、うまく声が発せていない。
――どうして、か。
確信は無かったが、理由は存在する。
1つ目は、彼女が『絶対に当たる』啓示を、わざわざ自分から待っていたこと。
「ぬいぐるみっていうのは、女の子の気持ちがわかるように設計されているのさ」
2つ目は、この古ぼけた地球儀。それも、自分の寝床にまで転がしてあるおあつらえっぷり。《ジャンバラボッシュ》という地名を知っていたのも、《ガレットピア》そのものに憧れを感じていたのなら不自然ではない。
「お付きのメイドさん、今日は居ないんだろう? キミがあそこに行くことを許してくれるような人じゃないなら、今行かなきゃキミは、おばあちゃんになるまでパパからの大事なプレゼントを見ることもなく生きてくハメになるんだぜ」
そして、極めつけにあの扉。外側から鍵を閉められると、内側からは開かない仕掛けになっている。
10歳以下の皇族についての情報は伏せられているから確実ではないが、あれは、そう。多分……そういう事だ。
追い詰めるような俺の言葉に、彼女は天井を向いて唸った。
角の付け根を握りしめ、恐怖と刺激のはざまを行き来する心を、何とか傾けようとしている。
あと、一押し。彼女を動かす為に何かが欲しいと願った俺の目に飛び込んできたのは、窓に打ち付ける激しい雨で。
「生憎こっちは大雨だが、今の時間、向こうは快晴なんだ」
やはり、女を誘うにはロマンチックにいかなくちゃな。
「――俺と一緒に、星空を見に行かないか?」
飛び上がり、ぷにっ。と額を近づけた。
呆気にとられたブランの、皺一つ無い滑らかな肌に、丸い形の影が重なる。
開かれたまぶたの内側にある、逃げない緋色の輝きが、微笑みを浮かべる俺をその水晶の中に収めて。
直後。
――――彼女は、前触れもなく立ち上がった。
◆
冷たい風が頬をかすめ、輝く町並みを吹き抜けていく。
「あーあ。抜け出して来ちゃった」
「お前が連れ出したんだろうが」
俺はブランの肩に腰を下ろし、雨傘を差して夜道を歩いていた。
正装の上にレインコートを羽織った彼女は、カラフルなフードで目元を隠してもわかるぐらいに上機嫌な様子で、キャンプの夜にテントを抜け出す子供の姿を連想させる。
メインストリートを進むのはバレやすいからと、少し狭い裏道を選んでいるのも、本人にとっては新鮮らしい。
――正直、俺もこの街に憧れていただけあって、かなりワクワクしている。
「ほら、ゲートに着くぞ」
「うむ」
《ゲート》とは、ガレットピアと重い月とを繋ぐ、瞬間移動装置の事である。
巨大な魔法陣の中に入り、行きたい場所を思い浮かべるだけで、そこまで瞬時に飛ばして貰えるスグレモノ。
天体の公転を支える、マナのレイラインを利用している以上、帰還の座標が整うまで一度飛んだら一時間は帰ってこれないが、それでも十分すぎる発明である事には違いない。
重い月に存在するゲートは全部で99箇所。今回使うのは、玉髄塔から少し北に離れた所にある、第41番ゲートだ。
紫色に光り輝く、文様が描かれた床に立ち、まぶたを閉じてイメージすると、体が一瞬軽くなった感覚になって。
――気がつくと、湿った空気の中に、俺達はぽつんと取り残されていた。
◆
「ん……着いた、のかぁ?」
「ああ。見ろ、ジャンバラボッシュにしか原生してない、《オルーホマイヅルソウ》が生えてる。間違いなくここはジリールの南隣だ」
獣道の脇に生えた、薄茶色の葉を手に取って俺は答えた。
そのまま二人……いや、一人と一匹、木の生い茂る褐色森林土をひたすら分け進む。
目標は、このあたりの湖畔を生息地とする《プラズマガンマ》の集落。彼らは一応、それなりの知能を有する生物だから、簡単なコミュニケーションを取るくらいなら可能の筈――。
ガサッ。
周囲に気を配る俺の耳に、何かが動く音が聞こえた。
「何だ……」
「落ち着けブラン。……ゆっくり、フードを外すんだ。皇族の角を見せさえすれば、大抵のアッシュは上下関係を理解する」
不安げにたじろぐブランに指示を出し。俺は少しずつ、音のする方へと近づいていく。
一歩、二歩。苔の生えた地面を踏みしめ、目先の藪に存在を示すと。
『ガビィィィっ!!!』
「うぉわああ!!!」
――大きな1つ目の化物が、転がるように飛び出してきた。
《プラズマガンマ》……不定目に属するアッシュの一種族で、全長1mから1.2m。サーモンピンクでゼラチン質の球体に、骨のない腕が上下四本ずつ付いている。
球状をした体の中心には、大きな瞳が一つずつ、“前後”で埋め込まれており。移動する時は接地している四本の腕をせこせこ動かして、疲れたら上を向いていた腕をでんぐり返して下にして歩くという、上下自在な構造をしている。
正直、こんな夜中に出くわしたら驚かれて当然のフォルムだ。俺の背後で控えていたブランだって、きっとビビって……
「ふぉぉっ!? 何だこのカワイイ生物は!!」
――まぁ、美的センスは人それぞれ、か。
俺は少々たじろぎながら、目を輝かせしゃがみ込むブランの元へと戻り、正面で倒れている丸い塊を指さした。
「こいつがプラズマガンマだ。丁度いい。彼……、指先の形状的に女の子ではないな。とにかく彼に、村まで案内して貰お……う?」
改めて全体を眺める俺に、一筋の違和感が走った。
「どうした?デュオ。」
「……怪我を、しているな。いや、そんなんで済まされるレベルじゃないが」
体に2つの眼球を収めている関係上、健康なプラズマガンマは縦長の楕円体をしている。しかし、この個体は明らかにその体が球に近すぎる。
まるで……。
「キミ、俺の話がわかるか」
「……」
「俺は味方だ。キミを虐めるような、悪い奴じゃない」
「ビ。わかル」
彼は人間の肉を食らうために発達した、目の下の大きな口を開き、低く掠れた声で話した。
良し。ファーストコンタクトは成功だ。こう見えてガンマ属は耳が良いからな。
俺は空を見つめて仰向けになる彼の隣に立ち、ゆっくりと事情を聞くことにした。
「君、前は見えているのか」
「視え、ル」
「後ろは」
「……」
「少しだけ、見せて貰っていいか」
立ち上がろうとする彼に肩を貸すと、“後ろの目”の様子がはっきりと見えた。顔を青ざめさせたブランの「ひぃっ」という短い悲鳴が聞こえる。
――瞳が、完全に潰されていた。
本来であれば半球状に膨らみ、瞼が覆うべき部位。その裏の眼球の部分が、神経まるごとくり抜かれ、ぶかぶかの空洞になっている。
その内側では、黄土色の“うみ”が粘つき、塩をふった生ゴミのような異臭を発していた。
――プラズマガンマの眼球は、光を集めやすくしマナを増幅させる、特殊な水晶体を内部に保有している。
ゆえに彼らは目から熱光線のような物を出し、敵生物に対する対抗手段とするのだが、この眼球は人間にとってはマジックアイテムの原料もしくはインテリアとしての価値を持ち、密漁の対象となっているのだ。
おそらく、彼もその被害者の一人……。
「お前……どうしてそんな姿に!! ……すぐに城から優秀な医療団を呼んでやる」
「待て。そんな事ジリールの隣でやって、バレたら大変な事になる。それに、混沌の皇女でない今のキミにはそんな権限は無いはずだ」
叫びたくなるブランの気持ちも理解できる。
彼女にとってはこの異型の生き物も、自らの臣下に他ならないのだ。
アッシュは人間のように国の概念を持たない。ただ、全く違う形の種族が統一機構の下、食物連鎖システムを上手に組み込みながら生活しているだけなのだ。
「そんな、だって彼は怪我をして……」
「怪我じゃなくて、密漁による略奪だよ。片目だけ残されているのは、生殖機能を保持させて次世代の子を狩る為さ」
「より酷いじゃないか!」
「酷いさ。だが、回復系の術を使えない俺たちに出来ることは、肩を貸してやる事ぐらいだ」
――俺が人間の姿のままなら、別だったんだがな。
体を支えるプラズマガンマの黒目が彼女の方へと動き、苦しそうに見開く。
「つ……ツノ!!! アカい……。あナた。サマは」
「ああ、ワタシは、先代《混沌の帝》、ガトー・レジナルドの娘。ブラン・レジナルドです」
――他の種族に対しては敬語……って、当たり前か。
「!!!!」
名を聞いた途端、彼はびょこんと背を伸ばして、自分の力でだけで起立した。
そのまま上側の手をパタパタと二度振って、地面と平行な位置で止める。
「にゃ、何だ……」
「彼らの種族における最敬礼の証だ。好意的に返すには、向かって右側の手を握るといい」
「こ……こうか……」
闇夜に白く映えるブランの両手が、ピンクの指を優しく掴む。
すると彼は頬……に当たる部分を嬉しそうに染めながら、目の下部から随喜の涙を壊れた蛇口みたいに流した。
――ガレットピアの一部アッシュからすれば、帝の家系というのは神にも近い存在なのだろう。
「とりあえず、今は彼の村の現状確認が先決だ。キミ。辛いかもしれないが、その体で何ヶ月も生活してきたんだろう? もう少しだけ、案内を頼めるか?」
「そうだった。村まで行けば写真の場所の事も少しは判るかもしれないしな。お願い、出来ますか?」
「ビ。ハい。もちロんでゴざラます」
こうべを垂れ、四本脚で歩く彼の後ろを、ピッタリ着いて歩いていく。
潰れた目から、ぽたりぽたりと体液が溢れているのを見て、ブランも顔を深妙に歪めていた。
多分、一人でこういった場面に遭遇すること自体、初めてなのだろう。
俺は少しでも彼女を安心させる為羽ばたくと、再びその肩の上にちょこんと腰を下ろした。
彼と出会った場所から10分ほど歩くと、空気の冷たい山道に出た。
もちもちと歩く彼の正面に、鳥や哺乳類以外の生き物の生気を感じる。
木と木の間を抜け、いくつかの足跡が残った土を踏みしめた俺とブランは、水の音の近くに開けた場所を見つけ、案内する彼と共に、そこで、立ち止まった。
――村を行き来する全てのガンマが、片方の目をくり抜かれていた。




