1章 SideN 1-1 Good Morning, My Little Princess
無限に広がる大宇宙。
≪ガレットピア≫という単語が世界全てを指すのと同時に球状の天体を示すゆえに、その実体は我々の住むのとは別次元の宇宙に存在する。
そして、地球に月という衛星があるように、ガレットピアにも衛星が存在している。
――≪重い月≫。
直径3.5万km、質量およそ6000×10^24kg。ガレットピアの約1/4の直径ながら、同等の重力と大気を持つこの星の上を、小さな翼でふよふよ飛び回る子猫が一匹。
「すげぇ街並みだ……]
――俺、藤宮寿人は現在、コウモリの羽が生えたネコのぬいぐるみの姿で、ここ、≪重い月≫を飛行している。
普段のウサギの姿でないのは、そういう仕様だと納得して欲しい。藤宮寿人Ver.≪重い月≫だな。
≪重い月≫は大宮殿《玉髄塔》を中心に、放射線状に広がる無数の豪邸の集まりと、それを取り囲む私兵の住居……一種の『国』を擁している。存在する邸宅はその全てがエメラルドグリーンと金を基調とした透明感のある素材で建てられており、同様の造りの商店を計算に加えると、およそ600,000戸の家々が荘厳に立ち並んでいる。
気温はガレットピアよりやや涼しく、普段は空気も澄んでいるのだが、今日は生憎の雨模様だ。
「資料で読んだのと来てみるのじゃ、やっぱり全然違うな。自然が無いと聞いていたからもう少し張りつめた雰囲気かと思ってたんだが……うおっと!!」
俺の真横を通り過ぎる、羽の生えた三つ首八つ足のタコ――《トライポウンイカノボリ》
間抜けな見た目ではあるが、今俺が居る中心街で生活できるという事は、魔族――(厳密には違うのだが)彼らが自らを指して『アッシュ』と呼称している集団の中でも爵位持ちか、その二親等以内の親族。つまり貴族である。
確か彼は海王目の中でもとりわけ焼き物について造詣が深い事で有名な、フィルファファイノレス子爵……だったか。何かの文化誌で、特集を組まれていた筈だ。
「ああ、申し訳ない。しかし、酷い雨ですな。そんな小さな姿で大変でしょう」
「いやホントに、毛が重くて飛びづらいんですよね……」
……俺が喋っても驚かない。流石、この地位に何年も居座ってる名家の柱だけあるぜ。
しかし、すれ違う連中みなビッグネームばかりだ。しかも人柄が良い。金持ち喧嘩せずというのも頷ける――が。
(ま、体面が良いだけなんだろうなぁ)
などと、俺は下衆な勘ぐりを入れていた。
人は石垣人は堀というのは、どこに行っても同じである。コミュニケーション能力、世渡り上手、そういう事が出来ないと穏便な集団を築く事が出来ないゆえ、仕方がない。
実際アッシュの上層部はその殆どが交流の盛んな貴族で構成されており、他種族の付け入るスキが無いほど強固なブロックを構成していると聞く。
「雨の夜に、街を歩くは使用人ばかり、か」
アッシュの貴族階級の殆どが生活しているにもかかわらず、ここの警備は非常にゆるい。
そうでなければ魔族ですらない俺がフラフラ侵入出来る訳がないのだが、その理由は大きく分けて3つある。
1つ目は敵対種族、及び非認可者の侵入が有り得ない事。
これは、≪重い月≫とガレットピアとを繋ぐゲートを通過出来る者が《アッシュ統一機構》によって制限されている為であり、認可の無い者が――さながら改札をすり抜けする不正通過客の如く、他人に便乗して通ろうとしても拒絶される造りになっている。
2つ目が、この≪重い月≫自体の、過剰すぎる戦力。
アッシュは基本的に、種の中でも能力的に高い者が貴族として登用される。ゆえに上級貴族の専用住居であるこの≪重い月≫そのものが事実上の最大戦力拠点となっており、それに加え《アッシュ統一機構本部専属衛士部隊》及び《玉髄塔》の私兵の存在そのものが、反乱や犯罪等の抑止力として機能するため、ココでのいさかいが極端に抑えられている事が挙げられる。
3つ目が――平和ボケ。間違いない。
生活、娯楽、教養、欲しいモノはなーんでも手に入り、何かあれば部下を使わせれば良いだけの半お役所勤務。最大仮想敵の人間からは安全圏。こんな生活でたるまない訳が無い……なんて事、大声で言っても処罰されないくらいに彼らはのほほんとしているのだ。
そもそも人間とアッシュでは単体戦力としての差が有り過ぎて、本来なら相手にもなりはしない。高精度化学兵器が存在しないこの世界において、100人のアッシュを殺せる人間と、100人の人間を殺せるアッシュ。どちらが多いかなんて自明の理である。
……とか言ってる間に。
「着いたな、玉髄塔」
全高300m、敷地面積2,000,000㎡。大きさだけ俗っぽく言えば、『世界一有名なネズミのテーマパークにあべのハルカスが城壁を伴い突き刺さっている』といった感じだろうか。
光の反射角まで計算し尽くされた曲線中心の大建築が、内側から輝きを放って、俺の眼前に建っていた。
――いや、“建っていた”という表現は適切ではない。あまりにも巨大すぎて、地平線の果てまで全てが緑の壁で覆い尽くされているからだ。
それはさながら南国の海が、垂直に立ち上がったかの如き雄大さを孕み、アッシュ全盛期の栄華をまざまざと感じさせる造りであった。
「さて、それじゃ一丁、お姫様を探しに参りますか」
俺がコンタクトを取る必要のある『ブラン・レジナルド』の部屋は地上300m、あの中央の城の最上階に位置している。
この塔が全ての魔族を束ねるアッシュ統一機構のトップ、≪混沌の帝≫、及び≪混沌の皇女≫の住居を兼ねているゆえに、最も高い位置に次期当主を住まわせようとする考えも、理解できなくはない。
宮殿の内部にあるワープゲートを使えばすぐに到着するのだが、その為には魔術の発動が必要の為、俺は利用できず。また、正面から侵入しようとすれば、城の衛兵と鉢合わせになる可能性も少なくはなく、取れる手段としては。
「原始的というか何というか……世知辛いもんだなぁこの身体は」
飛んで、上から入るしかなかった。
空中で全身の毛を逆立て、むくれる。
短い首を天に向け、いそがしく小さな翼を動かすと、少しずつ地面が遠くに見えて、そのもどかしさを切に感じた。
この姿のまま俺が出せる最高飛行速度は約30㎞/h。平均的なエレベーターと同等と考えれば遅くは無いのだが、空を飛べる形状をしていながら必死こいてこの速度というのは、何とも物足りなさを禁じ得ない。
というか、雨が顔面に直で当たって目が開けられない。
――等々、紆余曲折有り、どうにかこうにか想定していた高さまで上りきる。
そのまま宮殿を覆う虹色の膜をすり抜けて、中へ。
なるべく誰にも見つからないよう建物の影を縫い、中央の塔の屋上から侵入――――。
――何か、居る。
いや、何かではない。『誰か』だ。
≪重い月≫で、今の時間は夜。見張りの可能性を疑い、身体を塔の壁に設置させ、縁から顔をせり出す様にして狭い空間を確認すると。
――幼げな少女が、天を仰いで眠っていた。
膝まで伸びた濃い金髪に、薄桃色の上気した肌。光を通す程薄い生地のネグリジェが、宝石の床ではためき、輝く。
貴族の令嬢らしい華奢な両腕となだらかな胸は、彼女の儚さを魅力的に醸し、長い睫毛と高めの鼻が、やや西洋風の優雅な雰囲気を感じさせる。
特筆すべきは、その顔立ちに似付かぬ鋭利な角。魔神目特有の権威の証であるソレが、左右の側頭部から外側に大きく張り出している事と、それから――
「がぼぼぼ……ごぼっ!!! びゅっ! じゅずずず、ごぼっ、ぐ、えへぇっ!!」
――ツッコミどころが有り過ぎる!!!
どうしてこのクソ寒いのに、そんなスケスケの服なんだ!!
口の中に水入ってどうして寝られる!?
下、水たまりになってるが良いのか!?
あれか、これが“Lock”か。多分そうだ、そうであってくれ。
理解できない現象が目の前に剥き出しのまま転がっているのを、俺は好まないタチなんだ。
そして、悲しい事実がもう一つ。このトンデモ少女に出会った瞬間、俺の悪運センサーが反応してしまった事だ。
“こいつが『ブラン・レジナルド』だ”と。心のデウス・エクス・マキナが軋みを上げて訴えてやがる。
というかツノが明らかに皇族のそれだからほぼ間違いない。頼むから運命よ予想を覆してくれと祈った瞬間。
ざぶり、と背から水滴を飛ばし。
彼女は小さく伸びをした。
突然、開く。
雨粒を通した向こう側にある、生まれたての子猫の様な、人を惹きつける大きな瞳。
喉の奥を手で掻き出されるような魅了の感覚に、俺は一瞬、凍ったみたいに動かなくなった。
彼女の、艶の有る唇が、大きく弧を描き。
小鹿の如くしっとりとした両腕が伸びる。
「――やっと、遭えた」
暖かい胸に、抱きしめられた。
ずぶ濡れになった体が絞られ、足元の水溜まりに波紋を描く。
それと引き換えに俺の中には、フローラルの香水と、少女特有の生肌の匂いが吹き抜けて――
「嗚呼、ワタシのフィアンセ!!」
――は?
思わず、呆気に取られる。
「『運命の人は遠き天より訪れる』……啓示を受けたあの日から、6年3月と18日。遂にワタシの前に姿を現す者が……っはぁぁぁ♡♡♡ 夢のようだ……」
両手で俺を振り回し、裸足でちゃぷちゃぷステップを踏む。
顔に雨粒が張り付くのもお構いなし。
心底幸せそうな表情をする少女の前で顔をしかめる事など出来ない俺が、何とかその社交ダンスの如き動きに付き合い。
やっと、一息ついたあたりで。
角張った中にも柔軟さの有る、マカダミアチョコの様な声色をふりかざし、彼女は俺に語り掛けた。
「どんな大物が来るかと待ち構えていたが、初めてがこんなに可愛いキティちゃんとは……まったくもって予想外だ!」
キティちゃん、か。また随分と子供扱いしてくれる。
やや表情に曇りがあるのは、俺では何か不足が有るのだろうか、などと考え。
とりあえず挨拶が基本と、俺は丁寧に頭を下げた。
「ご機嫌麗しゅう、お姫様」
「ぬわにっ!! お前、喋れるのか!?」
――喋れるぞ。こんなに可愛くてもな。
驚き、手を放す彼女の前で、身体を振って水を落とす。
――というか、お姫様、で合ってるんだよな?
「何というか、思っていたのと声が違う……って、そんな事言ってる場合じゃないか。このままでは大切なキティが風邪をひいてしまう。……全く、雨の日は濡れるから困るな」
生憎俺はぬいぐるみだから風邪をひかない――ハズ、だ。
むしろこんな格好で毎夜外に出ている彼女の方がよほど心配である。
「……傘を、お差しになればよろしいのでは?」
「それでは空が見えないではないか」
なるほど。“そういうタイプ”の子か。
どこか納得した俺は、両手で胴を鷲掴みにされ、少女と共に城内へと続く薄暗い階段を進む。
床と天井は透き通った緑、内部の壁は、そこかしこに装飾が埋め込まれ、かなり荘厳な雰囲気を放っていた。
「えっと、姫様?」
「ブランでいいぞ。敬語も必要ない。……硬い言葉は聞き飽きたからな」
「そう……か。じゃあ、ブラン。さっき言ってた『啓示』っていうのは、天占師によるアレか? 確か、オールベルン様とかいう、眼鏡の爺さんの」
「うむ。……占ってもらった人の名前はもう覚えてないが、アレは絶対に当たると言われてるからな。皇族のみに認められた、生涯一度の特権の一つだ。……現に、父も啓示通り今年失脚してしまったしな」
――先代混沌の帝、《ガトー・レジナルド》は数ヶ月前から全国慰労旅行の旅に出ていて、アッシュ統一機構の首長の座は現在空位である。
「なるほど理解した。それで、天からの『待ち人』を、文字通り待ち続けてたって訳か」
俺の言葉に、ぺたりと彼女の脚が止まった。
背中の側に流れる空気が、ほんの少しだけ冷えて、指先の力が弱まっているのを感じる。
「そうだ。……バカ、みたいだろう?」
彼女は自嘲するように声を漏らした。
――馬鹿に、された事が有るのだろうか。
「いや、そういうのもロマンチックで素敵だぜ。それに、お陰でこうして君と会えたんだからな」
振り向きもせず、言い放つ。
途端、彼女の息を呑む音に、耳がぴくりと反応した。
――王女という身分、しかも俺が名を知らなかった程度に世に出ていない彼女からすれば、一人一人の言葉というのはきっと非常に重たい物で。
脇腹を必死に掴む、ピアニストの如く細い指先が、内側の肌を擦るように、いじらしく動いていた。




