1章 SideL 1-5
Sideミルフィ
――暗い。
目は開いているのに、真っ暗で、何も見えない。
「って、当たり前か……」
そう言って目元に巻かれた白布を取ると、教会備え付けのベッドの上に、私は横になっていた。
どうしてこんな監禁者みたいな恰好をしなければならないのか、というと、教会の掟によって、術を行う際は必ず目に覆いをする事が義務付けられているからである。
『聖職者以外に治療の魔法陣を見られてはならない』という理由らしいけど、正直、よくわからない。
体を起こし、首を回すついでに、視線を泳がせる。
柔らかなベッドに、清潔な仕切りのカーテン。服は……誰かが着替えさせたのだろう。昼間に来ていたお気に入りの冒険着から、風通しの良い病衣に変わっている。
空気が、少し冷たい。
あれから結構な時間、気を失っていたのだろう。窓の外では日が沈み、星空が広がっていた。
「本当に……傷も、全部治ってる」
ドウマルさんとの闘いで体についた細かい傷は全てきれいさっぱり消えていて、腕を動かしても、――少しだるいけど、あの時みたいな焼けるような痛みは感じない。
「起きたの!? ミルフィ!!」
しゃっ、と勢いよくカーテンが開いて、ランプの光がもろに差し込んで来た。
眩しい。
一瞬手で仕切りを作って、ゆっくり離すと、そこにはセントおばさん――今、私に家を貸してくれているレストランの店長さんが、目を真っ赤に腫らして抱き着く準備をしていた。
脂肪たっぷりの太い両腕が、背中まで絡みつく。
いつも色んな食材の匂いでいっぱいの彼女から、今日はそういう感じがしなくて、すごく、申し訳ない気分になった。
「心配、したのよ。ごめんね……大事な時に店空けてて……でも、本当に良かった。良かったわぁ」
肩口で切り揃えられたさらさらの赤髪。頬に押し付けられて顔は良く見えないが、背中は小刻みに震えている。
「ごめんなさい。おばさん」
私はそう言って彼女の体を抱き返し、向こうから離れるのを確認してから、ゆっくりとベッドを降りた。
「何してるの……? 駄目よ、まだ動いちゃ!!」
「――ごめんなさい。行かなきゃいけない所があるんです」
足を地面についた瞬間、踵に痺れるような痛みが走った。
少しよろけて、両手を地面につく。
大丈夫。歩き慣れてないだけで、すぐにハッキリしてくる。
大きく息を吐いて、立ち上がる。
「――行って、きます」
「ミルフィ!?」
私を止めようとする手が、遠慮で空気を掻いた。
それと同時に膝を曲げ、踏ん張る体勢を整える。
――駆け出せ。
裸足のまま、木製の床を蹴り出した。
横開きのドアをこじ開け、音の鳴りにくい廊下を走る。
壁にいくつも掛けられた、宗教画の天使達が私を見送っている。
階段を駆け下りて、書斎の前でほんの少しだけ減速して、礼拝堂まで辿り着く。
出口が、見えた。
ベンチとベンチの間を抜けるのが、じれったい。
頭に浮かんでいるのは、あの荘厳な扉の向こうに居る、一匹の獣の事だけだった。
神聖な場所だとか、身体の痛みとかそんな事、どうでもよくなっていた。
動け。
ふらつく頭を左右にふって、礼拝堂の一番真ん中まで、やっとの思いで辿り着いて、最後の直線にかかる。
動け。
治りきっていない体が、熱を発してよろめかせる。
動け!!
影の扉まで、手を伸ばす――――
ばたん。
もう、あと1歩の所で。
赤い絨毯が脚を絡めとり、私は地面に伏してしまった。
涙が、こみ上げてくる。
熱く熱く、拳を握る。
立ち上がろうと、腕に力を入れようとしているのに、頭と体がこんがらがって、喉に空気がつっかえて。
苦しいのに、ため息が出そうになって、真っ赤になった顔が赤ちゃんみたいにぐちゃぐちゃに崩れて。
その時。
「ほう。綺麗なステンドグラスじゃないか」
――――開いた扉の隙間から、月光を背に佇む兎が、ニヤリと私に微笑みかけた。
「うさぎ……さん……」
小さな影と共に伸びる片耳を、もふりと掴んで身体を起こす。
「うさぎさぁん……!!!」
そのまま引き寄せ、抱きしめた。
人間とは違う、濃い暖かさを近くに感じて、固まった氷が溶けるみたいに、雫が頬を伝いだす。
「おいおい。綿が濡れちまうぜ」
「ひっぐ……だって、どこか、行っちゃうかもしれないって、思って」
「俺はドコにも行かねーよ。ぬいぐるみは女の子を悲しませちゃいけないんだから」
――クサい台詞も、今ではほんの少しだけ素敵に聞こえる。
ふわふわと包み返す柔らかな耳が、私の背中を優しく撫でる。
震えが治まるまで、彼は黙って私を抱いて、呼吸が落ち着いたのを見計らったところで、小さな口を開いた。
「――ご隠居から、聞いたよ。色々と。」
そうか。うさぎさんは今までご隠居様の所に。
だったら、知られてしまった筈だ。私の今の境遇も――多分、お父さんの事も。
「なら……もう誤魔化しなんて、出来ませんね」
でっぷりと太った体を放して、立ち上がる。
お腹を冷たくしないと、脳が熱くてしょうがなかった。
大きく息を吸って、喉につかえた異物を吐き出すみたいに、切り出す。
――今、言わなきゃいけない事があった。
「わたし、強くなりたかったんです」
一歩、二歩、踏み出して、礼拝場の敷居を跨いだ。
小砂利が足の裏を刺して、すぐに元の絨毯へと翻す。
見つめる月の明りが身体を照らし、背中から黒い光を伸ばす。
「勇気じゃ誰も救えない。気持ちじゃ何も変わらない。だから、強くなきゃいけないと思って、色々やって……そのたびに、自分の無力さを知って」
出来るだけ明るい声のトーンで、考えていた事を思い出し、喋る。
「人間一人が出来る事なんて……小さい事じゃないですか。だから、弱いのに旅に出て、テキトーに人助けするより、今の村の人達が楽しく生活できるように……なんて、言い訳ですよね。結果的に、私のせいで皆が不幸になる」
――だめだ。全然、笑えてない。
「ただの、いくじなしなんです。わたし」
うつむき、影を見つめる私に、待っていたようなタイミングで、うさぎさんの言葉が飛んでくる。
「でも君は、一人でドウマルに立ち向かったじゃないか」
「だから、嫌なんです」
拳を、握り締めた。矛盾しているとわかっているのに、全部が全部ダメな自分を、認めきれなかった。
「弱いのに、どうしても人の事ほっておけなくて、それで余計に迷惑かけてばっかりで。でも、自分の事になると怖くて、旅にも出れなくて」
苦しくなって、屈みこんだ。
うさぎさんの、短い腕の下に、親指を差し込み、持ち上げる。
今の私の姿はこの大きな瞳に、どう映っているのだろうか。そう考える度に、自信が無くなって。
「それでも、うさぎさんが居れば……わたしは、もっと沢山の人を守れる。こんなわたしでも、いっぱい人を幸せに出来る」
甘えた言葉を、絞り出す。
本当はこんな風じゃなくて、もっと、カッコ良くしなきゃいけないのに。
「わたしは貴方となら……貴方とじゃなきゃ、いけないんです」
私は、すがった。
初めてうさぎさんと繋がった時の、安心感が、愛おしかったのだ。
自分の全てを解決してくれる、魔法みたいなあの幻想を、醜い私が求めているのだ。
「お願いです。わたしと一緒に――」
瞳を閉じて、祈る。
指先が、強張った。
顔を、見る事が出来ない。
最後の言葉を紡ごうと、葛藤を呑みこむ、それを。
「――駄目だ」
冷たい一言が、遮った。
なんとなくわかっていた筈なのに、理不尽な悔しさへの動悸がおさまらない。
「どうして、ですか」
「君はまた、無茶をやるつもりだろう」
「それの何がいけないんですか!!」
怒りに声を荒げてしまった。
直後、爪の先がお腹に食い込んでいるのに気づいて、手を放す。
ぱんぱんと身体を払ったうさぎさんは、拗ねた様子もなく、ただ背中を私に向けて、教会の太陽十字を見つめている。
一瞬、静かになって、頭が冷えた。
「……君が一番理解している筈だ」
見透かしたような事を、言われてしまった。
今日と同じことを何度もやっていたら、その末路がどうなるかなんてわかりきっていた。
それでも。だとしても。
否定の言葉をこらえて、歯を食いしばる。
たじろぐ私をよそに、目の前のうさぎは何やら小さな体をもぞもぞとさせていた。
わざとらしく耳を突き上げ、腹をぐにーっと上に伸ばし、たぽん、と下ろして小さく息を吐く。
そして彼は覗き込もうとする私の影を、狙ったみたいに振り返った。
――笑顔、だった。
「だから、さ。もっと正攻法でやってみないか」
「それじゃ……足りないんですよ」
「今日やった事が全部、君の力だったとしてもか?」
――何を、言ってるんだ。
「あれは、うさぎさんが居たから!」
「俺がやったのは、君がコントロール出来るマナの許容値を増やして、一部を身体能力に転換しただけだ」
「言っている意味が、よくわかりません」
「あの時出した力は全部、君のマナを元にしているって事だ。今は体の成長度が使えるマナの量を抑えているから、魔術もへっぽこかもしれないが、鍛えればアレぐらいの事、自分一人で必ず出来る様になる。君は広大なプールからたった一杯の水をコップにすくっただけで、そのコップが限界だと思い込んでるんだ。その証拠に、この年になっても君の……可愛らしいプリンちゃんはちっとも膨らんでいないじゃないか」
「言葉を選んだ結果がそれですか!?」
ぺたり、と触れているだけで虚しくなる自分の胸を撫でる。
スクールでも『潜在能力はある』とか言われて、結果、全然育たなかったそれを、彼は自信のこもった視線で見上げて。
「キミには才能があるんだ。他の人間とは違う、特別な。それこそ世界中で苦しんでる人達を、“おおよそ”ハッピーに出来るだけの才能が、な」
その気にさせる為の、上っ面だけの言葉ではない。
ほのぼのとした顔つきながら、目だけは真剣に、私の胸を貫く。
「俺はワケあって、この世界の事情にはかなり詳しい。魔術も、体術も、“人間の姿”で出来る事は沢山知っている」
歯切れ悪く言う声色に、後悔の念が見える。
彼もまた、何かを抱えているのだとわかって。私の身体を覆うブロンズが、その自責と混ざり、溶け落ちていく。
「今の俺ならきっと、君の“チカラ”になれる。……いや、その為に、ここに居るんだ」
そう言って彼は、信じられないくらい真面目に頭を下げた。
「頼む、ミルフィ。俺に、君のコーチをやらせてくれないか」
――伸るか反るかの打算より早く、私の身体は熱くなっていた。
「なんですか、それ」
彼の描く理想は、諦めていた夢のカタチ、そのもので。
それが、一番望んでいた姿で。
私が一番欲しかった答えで。
チャンスだとか、信頼だとか、そういう事より何よりも。
「――超☆ワクワクするじゃないですか……!!」
未来図が、流星の如く溢れ出した。
両手を広げる私に、今度は、彼の方から飛びついてくる。
背後に倒れつつ、強く、抱きしめる。
土と薬品の織り交ざった、よくわからない……でも、不思議と心地よい香りに包まれて、私達は笑った。
涙の伝う、頬と頬を、すり寄せる。
「ミルフィ。俺と一緒に、旅に出て欲しい」
「はいっ……よろしく、お願いします。わたしのうさぎさん!」
聖母の微笑みと、満月の光が二人を照らす。
私達の旅路は、今日、この瞬間をもって、始まりの時を迎えたのだ。
次回、もう一人の主人公兼ヒロインが登場……?




