1章 SideMix8 (第一部 最終話)
「ぐ……が、ァっ!!」
喉から、上顎を擦るような破れ声が漏れていた。
ブランの尖った爪先が、ミルフィの白い喉に濃い影を作っている。
二人は、膝を地面に付けたまま重なり合っていた。
ブランは上から体重をかけ、ミルフィは正座から脛を外に逃がした状態で、それに耐えている。
ミルフィはどうにか自分の首から手を離させようと、ブランの腕を拳で殴った。
が、びくともしない。
動かないどころか、より、力が増したようにも感じる。
パンチ力の衰え以上に、ブランの意地が強すぎるのだ。
自分の姿だけを映す、死に物狂いの紅い瞳が、猛烈なプレッシャーを放ち迫ってくる。
――やっぱり、似てるよ。
ミルフィは重い両腕をゆっくりと持ち上げ、下から、ブランの喉を両手で締め上げた。
「ぐう!」
唸り声が、指の骨を通って震えとなって聞こえてくる。
首骨がへし折れても構わないつもりで力を込めた。
顎下の柔らかな骨が、驚くほど深く沈んだ。
ひくひくと、喉奥の肉が小刻みに上下している。
ミルフィは背筋を膨らませ、上体を持ち上げた。
膝立ちでの対峙――。
かっ開かれた二色の眼光が、輝きを奪い合う。
「ひ……ッ、ぅぅ――あ゛っ、ひぐっ、ひく――」
「ィ――かはッ。ひぃひぃ――う゛っ――ぐぅぅぅ!!」
二人の喉が、空気を求めて痙攣を始める。
唇から血の気が引き、風の冷たさが直に染みてきた。
目の前が歪む。
霞んだ視界の先で、相手の顔は赤黒くなり始めているように見えた。
掴み上げる、首筋の脈動が、二人、同じ時を刻んでいる。
――殺すつもり、だったのかもしれない。
ミルフィの頭に、ふっとそんな光景が過った。
疑問系なのは、それを確認できるだけの、感覚が残っていなかったからだ。
脳の大半が、苦しい、苦しいと悲鳴をあげて、残ったほんの数%が、ブランの事を考えていた。
このまま、どちらかの意識が消えるまで、なんて未来が、良いのか悪いのか。
その判断をつける前に、喉元に食いつくピアニストのような指が一瞬強張った。
直後、電気でも流れたかの如く、二人の体がぱっと離れる。
「ぶはぁっ……!!はぁ、はぁっ……ああっ!」
「う、ゲホッ!! は、ぁ゛、はぁはぁ!!」
――限界だった。
ミルフィとブランは揃って、何度も喀血のような荒い息を吐いた。
腰を捻り、下を向く、口の端からあぶくが溢れている。
どくどくどくどく。
心臓が、爆発前の恒星の如く拍動を繰り返している。
その拍動に力を吸い取られ、ミルフィはだらりと上体を地面につけた。
――脳と体が、引き離されてしまったみたいだ。
限界だと思っていた疲労を一段超えて、その先の限界に到達しているような感覚である。
全身の肉が、悲鳴を上げている。
特に関節は、もう殆ど動かないと言っても良かった。
視界に映るブランは、自分と同じ様に何度もうめき声を上げ、芋虫の様に体を這わせている。
魔族の少女は傷だらけの両腕を地面につき、体の筋肉をすべて使って、膝を立てていた。
一瞬ふらつき、足の位置がずれる。
曲げた膝を、手で押すようにして、立ち上がる。
ぐっ。と、金色の髪が、星空に登っていくのが見えた。
力強い。
ここまで来て、まだ、これほどの生命力を魅せてくれるのかと、感動する程であった。
だから、自分もそれに答えようと思った。
ミルフィは、小さく雄叫びを上げ、軋む体を気合で起こす。
なんとか、両足が体を支えてくれる。
靴が無ければ、倒れていたかもしれない――それくらいの、極限状態である。
ミルフィとブランは立ち上がり、向かい合っていた。
一歩踏み出せば拳の届く距離である。
棒立ちだ。
腰を落とすと、そのまま膝から崩れ落ちてしまいそうなほど、疲弊していた。
目が開いているのか閉じているのか、それすらわからない。
息を吐くのも忘れ、ただ、相手の存在を感じる事だけに集中する。
二人の背中に、光の筋が走っていた。
『ロトマゴの書』と『星懸かり』。
それぞれの体に刻まれた文様が浮き出て、服を突き破る強い光を放っている。
右の拳を、握りしめた。
手の内側で、骨のなる音が聞こえるほど強く、握りしめる。
ありったけの感情が乗っていた。
この拳を振るったら、終わり。
そう祈って。
――踏み出す足音が、2つ、重なった。
◆
「「――――――」」
飛沫が、飛んでいた。
赤と黒の血が混ざった飛沫が、一つずつ。
茶色い土に濃い染みを作っている。
ミルフィの拳が、ブランの頬を抉っていた。
ブランの拳が、ミルフィの頬に突き刺さっていた。
――クロス・カウンター。
二人は互いの腕を交差させたまま、氷中花の如く固まっている。
拳を通じて、体重と感情の全てを相手にぶつけたがために、本体が空っぽになってしまったような、そんな静寂があった。
空気が、路傍の石でも撫でるかのように二人の間を抜けていく。
ずるり。
そのうち、一方の体が、拳の先を滑るように崩れた。
後ろではなく、前に。
踏み出した方のつま先が地面を掻いて、相手の腹によりかかりながら、ゆっくりと――肢体を、地面に伏せる。
腰まで伸びた長い髪が、要の外れた扇のように、地面に弧を描いている。
――ミルフィの灯が、消えていた。
「……は」
ブランの口の隙間から、湯気が漏れる。
「はぁ――」
両目を、開いた。
目の前に、空間があった。
冷たい夜の気配が、未だ熱の残る拳の先を、ゆるく撫でている。
そこでやっと、何が起きたのか、理解して。
――どさっ。
拳を下ろすのと同時に、強く尻もちをついた。
「はぁっ、はぁっ……はぁ、はぁ、はぁはぁはぁはぁ、はっ、はっ、はっ――――」
呼吸が荒れていた。
力の籠もらない腕を支えに、ブランは目の前に横たわる少女の姿を眺めた。
身体じゅうに、生傷ができていた。
自分の付けた傷である。
火傷や、凍傷の痕もあった。
顔は、見ていられないほどに歪んでいた。
脚は蹴り合いで出来た青痣が、斑の膨らみを作っている。
服は、もう、ただのボロ布同然だ。
見ていると、胸の中に冷たいものが滲んできた。
その冷たいものを開け放つ為に、ブランは背中を地面につけた。
叫ぶ気力もなく、ただ、空気を求める魚のように口をぱくぱくと動す。
体にこもっていた力が、じんわりと土に溶けていく。
(勝った……のか)
頭が、そう言っていた。
いや、全く何を考えていいかわからなかった所で、状況だけを整理すると『そういう事になる』という、だけのものであった。
本質のところは、何もわからない。
勝てば、ミルフィを倒せば、もっと達成感が湧いてくると思ったのに。
殴り合っている時のほうが、よほど充実していた気がするのだ。
だから、叫ぶ言葉も思いつかない。
ただ、藍色の星空の、その奥をじっと見つめながら、体の痛みがちくちくと戻ってくるのを、少しずつ待とうと、思っていた。
その時。
――天が、暗くなった。
ブランの顔の上に、ぬぅっと、濃い影が差したのだ。
「な――」
悪寒が走る。
両腕が卸し金ですり下ろされるような、強烈な悪寒である。
ブランは小さく悲鳴を上げながら、条件反射で後ずさろうとした。
体の筋肉が軋み、少し動いた所で止まる。
――影の正体は、先程まで地に伏していた、少女であった。
(まさか!?)
ブランは両目を剥いて、その姿を瞳に収めた。
ありえない。
ミルフィがこんなにすぐ起き上がって、動ける筈がない。
そう考える頭の中を、異様な恐怖が上書きしていた。
体の震えが止まらない。
服と肌の隙間から汗の雫がどろどろと腹に落ちてくる。
歯を鳴らし、顎を引き、正面を見つめるブランの視界が、少しずつ赤に染まっていく。
立ち上がる、ミルフィの体から、光が吹き出していた。
マナの光である。
その量が半端なものではない。
危険信号のようにも見える。
目は開いていない。
両手をだらりと地面に垂らし、ただ、巨大な気を発しながら、死霊のように迫ってくる。
ざり。
靴音が近づくにつれて、身体中の筋肉が縮んでいくのを感じた。
吐き気がするほど鮮やかな赤を纏って、暗闇の中で沼底のような色の瞳が揺らめく。
ずっ。
ずっ。
腰を抜かして後ずさる、ブランの後頭部が木の幹にぶつかった。
上空に映る巨大な影が、のっそりと手を伸ばし――
「――はい、カット」
とん。と軽い音が聞こえて、ミルフィの体が崩れ落ちた。
その崩れた影の向こうから、一人の女が姿を見せた。
頭の後ろを小突いたのか、人差し指を鉤状にして、ドアノブを叩くような形で手を顔の前に置いている。
その手をするりと下ろし、女は満足げに鼻を鳴らした。
夜光を蓄えた木々の葉を、すり潰した色の服を着ている。
――数刻ほど前、寿人と会話した、あの女であった。
「な……なんだ」
「なんだとは失礼だね。助けてあげたのに」
カートゥーンがかった、耳に残る声。
見下ろす黄緑色の瞳は深く、奥に鋭いものを感じる。
「ブラン・レジナルド」
女は少ししゃがんで、ぐしゃぐしゃになったブランの金髪を撫でた。
「……思ったより、酷いね」
そう言って、底の深い鞄から、ぺらりと長い工作バルーンを取り出した。
一息で、膨らます。
女は両手を動かして、ぎちぎちとゴムを軋ませながら風船を折り曲げていく。
ブランはそれを、閉口しながら眺めていた。
「これ、あげる」
完成したのは、白い兎のバルーンアートであった。
簡単な作りで、一目見ただけでは兎だか犬だかわからない。
しかし、耳が長いことと、おすわりをしていることで、なんとかウサギだと判別できた。
ブランは怖々手を伸ばし、怪しげな女からそれを受け取る。
ゴムの独特な感触が、指先から伝わってくる。
意味がわからず、まじまじと見つめた直後。
ぱん。と、うさぎ風船は弾け。
――気づくと、ブランは自室のベッドの上に居た。
◆
「ったく……やっと入れるようになったと思ったら」
寿人は、森の中を飛び回っていた。
さっきまでドームに阻まれ、侵入すらかなわなかった場所である。
待ちぼうけを食らってから、ゆうに3時間が経過していた。
月はもう、かなり高い所まで登っている。
わざとらしくため息をついてみたりもするが、寿人はかなり焦っていた。
祭りのどこを探しに戻っても、ミルフィの姿が無かったからだ。
ガレットピアの治安は、日本と比べてかなり悪い。
もしも先程のドームが人為的に生成された物で、ミルフィがその内側に居たと仮定した場合、その身に何かがあると考えるのが自然な考えである。
彼女の身にもしもの事があったら――そう考えると、額に嫌な汗が浮かんだ。
「――“向こう”もか」
寿人は呟いた。
“向こう”というのは、重い月の事である。
植物目の主席にして『歴史に根を張る木』とも呼ばれる《アレイン・デュカッセ》の下、勉強会を行っていたネコ型寿人に、宮殿の方から招集がかかったのだ。
ブランの方にも、何かあったという事だ。
「ちっ」と舌を鳴らし、目の前の枝葉を手で薙ぎ払う。
そこに、空間が広がっていた。
木々に囲まれるようにぽっかりと、草原のステージが出来上がっている。
さっきまで人が居た事を示す、独特の香りが漂っている。
中央に、少女が倒れていた。
ぐっ、と目尻に力が入る。
「ミルフィ!!」
寿人は叫び、月光を背に浴びる少女に向かって飛んだ。
「おい、ミルフィ! 聞こえるか!! ミルフィ――――」
第一部 fin
※投稿サイト移転のお知らせ
これにて第一部完結となります。
やっと話が動き出したばかりですが、私に思う所が有りまして本作の『小説家になろう』での投稿は今回までとさせて頂くつもりです。
沢山のご拝読ご感想ありがとうございました。




