1章 SideMix4
「バレてしまっては仕方がない」
服に付着した砂を払って、金髪の少女が立ち上がる。
向き合うミルフィは、未だ信じられないといった表情で、何度もその、整った顔を見返す。
「お前の思っている通り、ワタシがブラン・レジナルドだ。――なにか、騙すみたいになってしまって、すまなかったな」
「そんな――」
指先が、痺れていた。
猜疑と興奮が入り交じり、みぞおちあたりを締めつける。
この興奮は、敵対種族に対する恐怖、反抗心、そういった物だけではなく、『憧れ』。新聞の、報道の中でしか知らなかった相手が目の前に居て、さらに今の今まで楽しそうにお喋りをしていたという事実に対する昂ぶりであった。
ミルフィは足を肩幅に開き、少し躊躇ってから、自然体の相手に向かって口を開いた。
「どうして……こんな町に来たんですか」
「昼間に言っただろう。好きな絵本作家がショーに来るというから、お忍びでな」
――若干どもって訳を話すブランに、違和感を感じる。
「それにしては、ショーの間、上の空でしたよね」
「ギクッ!! そ、それはだな……少し、考え事をしてて」
「口でギクッって言う人初めて見ましたよ……」
ブランの子供めいた反応に、緊張が少しだけ溶けていく。
虚しさに満ちていたミルフィの心に、安堵の色が戻る。
(これならもしかすると、話を聞いてくれるかもしれない)
いくら皇女だとバレたところで、彼女の様子はさっきまで一緒に話していた少女の雰囲気と何も変わりはしなかった。
だとすれば、ちゃんと話し合いをした上で改心して貰って――それで、こう、もっといい感じになってくれるかもしれない。
これはチャンスだ。
ミルフィは、押し寄せる何やらよくわからない圧力のような物と戦いつつ、両手をぎゅうっと握りしめた。
「やっぱり、本当はそんな理由じゃなかったんですよね。ブラン――様ほどの人が、絵本だなんて幼稚で何の役にも立たない趣味なワケないですもん」
「故郷を毒の沼地に変えてやろうか貴様」
こめかみに血管を浮き上がらせるブランをスルーし、そのまま論を続ける。
「良いんです、隠さなくて。きっと視察とか、もっと大きな計画の為に来たんですよね。ここもジリールみたいに爆発させちゃう予定とか……」
「は?」
「そりゃ……確かにあそこの人達は、あんまり良い人ばかりじゃないですし、喜んでる人も……いっぱい居るかもしれない。でも、それでも!!」
「待て待て待て待て!! ワタシの話を聞けミルフィ」
妄想で熱くなったミルフィを、ブランの言葉が制止する。
眉をひそめて視線を動かす金髪の少女は、確かに挙動不審であったものの、両手を開いてオーバーに何かを押さえつけようとするボディランゲージから、落ち着いて会話したい意志は伝わってきた。
「ここだけの話だがな。あれは、ワタシの意志でやったものじゃないんだ」
「……どういう、意味ですか」
先生にゲーム機を奪われた少年のように、ブランは両手をせわしなく動かし。
そして何かを思いついた様子で、語り始める。
「そうだ。『エルオスの稲妻』の話を知っているか?」
「存じませんね」
「勇敢な青年エルオスくんは文化遺産であった社にノリで落書きをしてしまい、怒った神様が起こした稲妻によって友達の住んでいた村が焼け野原になってしまうのだ」
「その神様がブランちゃん……という訳ですか」
「違う。エルオスくんの方だ」
「ただの馬鹿じゃないですか」
「誰がただのバカだ!!」
――あんただよ。とは流石に言えず、ミルフィは嫌な予感を察知しつつも、言い訳に耳を傾ける。
「反省したエルオス君はそれから、罪滅ぼしの為に世界中の村の壁に素敵な絵を描いて回るんだ。偉いだろう?」
「考えによってはとんでもない迷惑ですけどね」
「芸術に目覚めたエルオスくんは様々な土地で人気者になっていくんだ。自分の居た証を、生きた証を刻む為の旅は一つの寂れた街で終焉を迎える。エルオスくんはその街で――」
「画家にでもなるんですか?」
「ヒップホッパーになるのだ。ついたあだ名が“荒野のイナズマ”」
「友人の村の話武勇伝にしちゃってる!?」
神様もびっくり。見上げたウエストサイド根性である。
「えっと……つまり、今ブランちゃんは罪滅ぼしをしようとしてる訳ですね」
「いや、全然。忙しいし、人間なんかにかまってる時間あんまり無いし」
――――ぷちん。
「何だったんだ今の話ィィィィイイイイイ!!!!!!!!!!!!」
ミルフィはキレた。
イライラの矛先をブランから逸らすように、天に向かって思いっきり声を張り上げる。
「ふふっ……やはりな」
肩で息をし、地面にだらりと撓垂れるピンク髪を眺めて、ブランは口元を撫でつつ微笑んだ。
ミルフィはその満足げな雰囲気に怒りゲージを溜めながらも、視線を斜め上へと持ち上げる。
「何が可笑しいんですか」
「お前は少し前、ワタシの事を『面白い』と言っただろう?」
「ええ。――今はすこぶる不愉快ですけどね」
「その言葉の意味が、やっと理解できたという事だ」
そう言って笑う少女の頬は、夕暮れの朱に染まり、輝いている。
人間のそれのようで、全く違う、不思議な雰囲気。
その独特な魅力にミルフィが見惚れていると、少女は何やら考えた様子で眉の間にシワを作り、そして、こちらへ向き直った。
「なぁ、ミルフィ。物は相談なのだが――」
一瞬の、ためらい。
その、ほんの数秒の間に、ミルフィはなぜか、ブランの発する次の台詞がわかったような気がした。
「――ワタシの、部下にならないか?」
「――ッ!!」
わかっていたのに、驚いてしまった。
小さな頃から、似たようなシチュエーションは何度か経験したことがあったのに。
“そいつら”が誤魔化して言う、『仲間』とか『友達』とかではなく、彼女が『部下』という単語を、そのまま使ったからかもしれなかった。
『魔族の部下になる』というのは、字面以上に困難を伴う。
なにせ、生身の体のままでは《重い月》にまで行くことすらままならないのだ。
ようは、特殊な技法で人間としての生を終わらせ、霊魂だけアヤカシとして復活してこいと、ブランは言っているのである。
一種の“鞍替え”であった。
現に、このやり方で魔族へと下った人間の話を、ミルフィも知っている。
そして、冗談でも口にしていい話でないことも、人間の間では、当然に周知されている。
それを、ブラン・レジナルドという女は、本人の目の前で軽く言ってのけたのだ。平然と。まるで、仔牛を買い取る牧場主の如く。
「……どうしてです?」
両の瞼を強く閉じ、開き、そして尋ねる。
――半信半疑、であった。
「相手を気に入るのに、理由が要るか?」
少女はじっとりとした目でミルフィを見つつ、さも当然とばかりに答える。
「……」
ミルフィは、黙ったままだ。
ただ、深妙な顔をして、下唇を軽く噛んでいる。
「いくらお前が人間だとしても、ワタシの“部下”としてなら、貴族連中にだって反対できる者はそうは居ない。なにせワタシはアッシュの中で一番偉いんだからな。こっちに来れば今よりずっと楽な暮らしが出来るし、父上と母上の安全も約束しよう。二種族間の架け橋として、のちの英雄にだってなれるかもしれない。決して悪い話じゃない筈だ」
――父上と母上の安全。
――アッシュの中で一番偉い。
(やれるもんなら、やってみてよ……)
まくし立てられるブランの言葉は、けっして悪意を孕んだものでは無い。
しかし同時にそれは、ミルフィにとって何の魅力を感じるものでもなかった。
意味が無いのだ。それでは。
他人から与えられて、自分が選んだだけのもの。それを信用する恐ろしさを、彼女は誰よりも理解しているつもりであった。
「良いですよ」
ミルフィは、さも快諾するような調子で答えた。
未だ幼さの残るブランの顔がぱぁっと明るくなり、その純粋さに、目を細める。
「そのかわり、『星懸かりの証』は置いていくことになりますが」
自分から、口に出した。
回答は、すぐに返ってきた。
「置いていける物なのか!?」
言った直後。何かを察したのか、ブランの顔つきが曇った。
ミルフィの意図に気付く――というより、相手の顔色を見た上で『まずいことを言ってしまった』とだけ思ったような、そんな雰囲気である。
「――やっぱり、知ってたんですね」
ミルフィは、一オクターブ低い声でそう言って、視線をブランの顔一点から、ぐっと全体を見定めるように移す。
ぶかぶかなシャツの内側で、可愛らしいお腹がピクリと動揺に震えていた。
「……そうだ、知ってはいた。お前の名を聞いた時――。いや、正確にはあのショーの前に話していたドウマルの件で思い出したのだ」
ブランは一歩近づいて、説得するように両手を開く。
――あの時と、同じだ。
ミルフィの脳裏に、猜疑心が膨れ上がった。
自分の能力を求めて近づいてくる、教団、役人、そして魔族。
そういった連中は必ず甘い顔をして接近し、そして断ると、ミルフィ本人と引き換えに『大切なもの』を奪い去っていく。
いや、『奪っていく』のではない。
勝手に離れていくのだ。
大切な家族を、友人を、隣人を守るため、愛しい者が自分の前から消えていく。
その虚しさを、苦痛を、共感を、彼女は何度も体験してきた。
だから、戻れなくなった。
消えていった人達はみんな、ミルフィを自由にするために去っていったのだ。
今、自分が自由でなくては、失われていった記憶の人々が、あまりにも報われない。
背負っているものは、『証』だけではないのだ。
――始めに、共和国の役人が来た時、首を縦に振っておけばよかった。
今でも、そう思うことが何度もある。
思ってはいけないのに、どうしても頭の内側に、自分が居なかった世界の、愛する人々の虚像がむくむくと膨れ上がってくるのだ。
「――だが、違う。その為にお前を誘ったんじゃない」
ブランの必死な雰囲気――求めるような瞳や、強くなる語気が、忌まわしい記憶と被って見える。
「どうしたんだ突然怖い顔をして。ああ、そうか。お前は過去にも何度か『星懸かり』を狙われた事があったんだな」
その言葉も。
「だが、ワタシは連中とは違うぞ!! なにせ人畜無害の塊のような生き物だからな」
身振り手振りも。
「ちょっと怖い連中は居るが、すぐ慣れる! なぁ、友人の頼みだと思って――」
だからそんな甘言も!!
「嘘です」
――わたし、こんなに冷たい声も出せるんだ。
ミルフィは自分で言って、内心で驚いていた。
言葉に詰まった様子のブランが、ふらりと一歩分たじろぐ。
「ごめんなさい。やっぱり貴女に着いていく事は、できません」
……可能な限り表情を変えぬまま、口の先っぽで返答した。
頭も下げず、顔も伏せず、ただ正面を向いたままの事務的な言葉であった。
ブランの口から、小さく母音が漏れる。生白い顔が、みるみるうちに赤く染まって、明らかに怒っているのがわかる。
「なんだお前……突然断って。来てみないと、わからないだろうが!!」
ブランは“ずい”と近づき、口を大きく開いて怒鳴った。
彼女からすれば至極まっとうな怒り――それは、理解できる。
「こっちの生活を見た事も無いクセに、なんだその態度は。このワタシが誘ってやっているのだぞ?」
あまりにも傲慢な台詞。
しかしそれは、自分の提案が断られる事はないという自信の裏返しでもあった。
少女は冷静さを保つため大きく息を吐き。それからは、さっきまでの感情的な喋りとはうって代わって、何かを思い返すような語り口調になっていた。
「ワタシの側近にな、優秀なメイドが居るんだ。ヤツの作る料理は絶品中の絶品だ。他のやつに食べさせた事は無いが、お前なら一度くらい同じ卓に着かせてやってもいいぞ」
ブランはそう言って、胸に開いた手を当てる。
「あと最近新しい執事が出来たんだ。見た目は変な猫みたいで、可愛く――もないし、むしろ憎たらしいぐらいなんだが、それでも一見の価値はある奴だ」
「なっ?」――と、上目遣いで距離を詰めるブラン。
しかし、ミルフィが首を縦に振る事はなかった。
むしろ何も考えていないかの如く、ぼんやりとその赤い瞳を見下しながら、規則的な鼻呼吸を続けている。
「チッ……わかったよ!」
つま先で土を蹴り上げながら、ブランはミルフィに背を向けた。
「一人でドウマルを倒したと聞いていたからどんな奴かと思ったら、とんだ腰抜けのようだな。『星懸かり』と言っても所詮はタダの田舎娘か」
少女は聞こえるような大声で、誰もいない地面に悪態をつく。
「だから嫌いなのだ、貴様のような奴は。ウジウジと言い訳ばかり言って、自分の世界だけで生きてるロクでなしの弱者と同じだ。一生この掃き溜めのような場所で雑魚と馴れ合っているがいい」
勧誘に失敗したことに対する、腹いせであった。
と、同時に、『これだけボロクソに言えるほど期待していたんだぞ』という、意思表示でもあった。
しかし、彼女の面倒な性格は、ミルフィにとってコミュニケーションの弊害でしかない。
そんな事に気を使えるようなら、彼女は旅になど出ていないのだ。
「――何も、知らないくせに」
ドスの利いた声が、ブランを振り返らせる。
「不幸自慢か? お前、案外面倒くさい奴なんだな」
「そうじゃない……魔族で、力を持って生まれた貴女に、私の苦しみはわからない」
「ああ、わからんね。お前は豚に、油で揚げられる苦しみを説かれて涙を流すか!? 嗤うだろう!」
呆れるようにため息をつく、ブランの瞳をじっと見据える。
「謝って下さい」
ぎり、と奥歯が擦れて音を立てる。
「強い人も居れば、弱い人も居るんです。“たまたま”強い立場になれただけの人が、上から弱者を嘲笑うようなマネ、絶対しちゃいけない」
ミルフィは瞼を大きく開き、義憤に燃えて台詞を吐いた。
心臓の鼓動が靴の中まで響いて、震えそうになる両足に、力を込める。
「無茶を言うな。自尊心、支配欲。どれも立派な生きる原動力だ。それを否定するような奴が居るから面倒事が起きるのだ。黙って従えとは言わないが……」
ブランはあしらうように答え――そして、わざとらしく頬を緩めた。
「――そうか。今、思いついた」
「何を……ですか」
訝しげに聞くミルフィの前で、ブランは「ひひひっ」と悪戯っぽく笑ってみせる。
「いやぁ、何。公約の一環として人間共と結ぶ講和条項の内容を考えていた所でな。こっちは“人間を食べなきゃ生きていけない”連中が居るから、『守ってやる代わりに生贄を出せ』と言うつもりだったんだ」
いかにもな様子で、両目を閉じ。
「その、“選考基準”が、決まったよ」
――ガツッ!
ブランの胸元が、黒いグローブに掴まれていた。
怒りに震えるミルフィをあざ笑うかの如く、布の柔らかな感触が、指先を通して伝わってくる。
ブランは、まるでこうなることが予測できていたかのように冷静で、両方の足をつま先立ちにしながら、じっとりとその視線を青い瞳の中へ沈み込ませた。
「どうしたミルフィ。貴様はワタシの政策立案に貢献したのだぞ? 誇るが良い」
「黙れ」
あからさまな挑発を――呻き、否定する。
「ワタシがジリールを滅ぼして、悪い事をする奴が減って、みんな喜んだ」
「黙れ」
「足を引っ張る奴が嫌いなのだ、皆、自分も誰かの重荷になっている事を忘れたまま――」
「そんな事!」
ミルフィが声を張り上げた瞬間、ブランの右手が、力のこもる腕を強引に振り払った。
ミストカイザーのベルトが吹き飛び、壊れた金具がカラリと音を立てる。
引き離される、二人の距離。
ふらつきながら顔を上げ、そこで、視線が衝突する。
「なら今のまま、貴様らの言う『魔族』に好きなだけやらせるか。それでもワタシは一向に構わんぞ」
背筋を伸ばす、ブランの語気が強まっていた。
先程の詰るような口調から、怒りを孕んだ誹謗へと変質する。
「そんなの、わたしが許しません」
立ち向かうミルフィの答えもまた、直線的なもので。
ブランはそのあまりの愚鈍さに、口の中で小さく舌を打った。
「では、どうするというのだ」
「まずはここで、貴女を止めます。後のことは、それから考えます」
半身に立ち、拳を握る。
ぎしぎしとグローブの擦れる音が、静かな空間を張り詰めさせる。
「――面白い」
ブランは構える事もせず、ただ、敵意を孕んだ視線でミルフィを睨みつけた。
桃色の髪を揺らめかせる、真珠を溶かしたような薄白い光。
「やれるものならやってみろ。貴様のようなヤツに止められるくらいなら――ワタシもまだ、その程度の器という事だ」
――バァンッ!!
言い終えた途端、踏み込んだ。
ミルフィの蹴りが、ブランの顔面を薙ぐ。
奇襲だ。
遠距離から魔術を食らうわけにはいかないミルフィからすれば、唯一にして最善の策であった。
ブランの体格は自分とそう変わらず、線も細い。
確実に倒せると踏んでいた。
綺麗なカーブを描き放たれた回し蹴りは、きっちりとその靴先を頬にめり込ませ――
そこで、動かなくなる。
恐怖が、油虫の如くミルフィの全身を素早く駆け回る。
放った右の足首を、五本の指が締め付けていた。
“蹴りが当たってから”掴まれたのだ。
――靴に押された頬を歪ませ、少女は嗤う。
「ほう……なかなか、楽しめそうじゃないか」
「それ、負けるヤツが言う台詞ですよ……!」




