1章 SideMix3
一方その頃。
ミルフィと別れた藤宮寿人は、どこぞの家の三角屋根に腰掛け、街の往来を見下ろしていた。
無論、姿はあのウサギと饅頭の融合体みたいな、メタボマスコットのままである。
(たまには一人も、静かで良いもんだな)
夕焼け雲の行き交う空。
環境音と化した、祭りの喧騒。
自分だけ、この世界から切り取られているような心地よさを感じて、ほんの少し、感傷に浸る。
葉巻を口に咥え、たっぷりと舌の上で遊ばせる。
ただでさえ丸っこい腹が更に膨らみ、橙色の夕焼けが、柔らかな毛並みを温める。
濃いタールと景色の混ざった味が、甘く、目頭をにじませた。
「……もう、おしまいか」
ちびっこくなった葉巻の先を、屋根の瓦に押し付け、大きく伸びをする。
寿人が手に入れられた葉巻は、裏路地のおっさんから拝借したこの一本だけ。
ガレットピアの煙草類は貴重で値段も高く、ブランがジリールを潰してしまったがゆえに、流通量がかなり減っている。
それでも、元の体が小さくなった寿人にとっては、思った以上に満足な数分間であった。
「さて、お嬢ちゃまを迎えに行きますか」
ショーはとっくに終わっている筈だし、存分に堪能した頃だろう。
今日泊まっている宿ではちゃんとした夕食が出るのだが、それは冒険者ゆえの特権であり――つまり、寿人が飯にありつく為にはどうしてもミルフィの同行が必要不可欠なのだ。
少し毛の剥けた尻を撫で、ぽてぽてと短い足で屋根を登り、パノラマの街を見渡す。
ミルフィはあの髪色以上に、動きが独特で目立つからすぐに見つかるだろうと思っていた。
その時。
「なんだ、ありゃ」
背後――街と反対の森の方に、水色のドームのような物が張られていた。
広さは野球場ほどだが、木々を突き抜けて盛り上がる様は、誰の目から見ても異質である。
嫌な、予感がした。
寿人は脇腹のあたりに力を入れ、ブルブルと頭をプロペラ回転させると、ドームに向かって飛行する。
何が起きているのか、確認しなければならなかった。
ぺたっ。
地面に降り立ち耳の先でドームに触れると、それは完全な壁であった。
耳の先を握りしめ殴っても、音の反響すら返ってこない、固くて冷たい壁。
地面を見る。
潜って中に入ろうと考えたが、壁の内側に大地との境界線――継ぎ目が無い。
まるでその空間全てが、半分に切ったスーパーボールの中に閉じ込められてしまっているように見えた。
(何が起きている――)
寿人は必死に自分の脳細胞をフル回転させ、目の前の現象に該当する魔術について記憶を辿った。
が、思いつかない。
障壁を張る魔術、結界術、いずれも存在するものの、今、寿人の目の前で起きている事象と全く異なる。
自然現象。マジックアイテム。夥しい量の脳内メモリを漁っても、思いつく物は無かった。
代わりに、胸を襲う強烈な動悸だけが、寿人を必要以上に焦らせる。
誰か、何か別の観点からの情報が欲しいと思っていた矢先。
ざむっ。
背後から、人の気配を感じた。
首筋を撫でるような悪寒に、条件反射で振り返る。
誰も、居ない。
気のせい――ではない。確実に人間サイズの気であった。
寿人は警戒心を強め、二度、凍えるような息をつく。
ゆっくりと、首を正面に戻す。
途端。両手の指が腰に巻き付く感覚と共に、体がひょいと浮き上がった。
「ほつれてる」
――上から覗き込む、少女の顔。
「うわぁあぁぁぁぁあああああああああああああ!!!」
寿人は驚き叫び、耳を彼女の手ごと全身へ巻きつけるように丸まった。
「うるさい、口はバッテンだよ。うさぎなんだから」
寿人と目線を合わせるように屈んだ少女は、愛嬌のある声で彼を諌めた。
――どうやら、敵意がある訳ではないらしい。
寿人はゆっくりと、警戒しつつ耳を体からほどき、体を回して向かい合うと、しゃがみこむ少女の姿をまじまじと見つめた。
クールさを感じる内巻きボブの栗毛。
濃い緑色をしたクラシカルロリータと、内腿の肌とのコントラストが美しい、生熟れの少女である。
彼女はドームの方をちらりとだけ見て、すぐに寿人の方に視線を向けた。
『何か知っているのでは』。そう思わせるような態度である。
「ふぅ。すまない。目に見えない物は苦手で、驚いてしまった。で、君は、えっと……俺のファンか?」
「……『ぬいぐるみ屋さん』」
少女は黄緑色の瞳をまばたき、自らを指して名乗った。
なんともマイペースな雰囲気である。
「それは職業だろう? 俺が聞きたいのは君のもっとパーソナルな部分なんだ。つまり名前だ」
「セクハラ?」
「これがセクハラになるなら俺は今頃懲役300億年くらいの極悪犯だよ……」
「うさぎさん極悪犯なの!?」
「違ぇよ!!」
「いやだ……うさぎに犯される……!」
「そんな事言ってると、本当にガブッっとやっちゃうぞ?」
『がぶーっ!』と、寿人が胸に飛び込もうとするのを、少女は手に持ったトートバッグを振り弾き飛ばした。
ぼよん、ぼよんと、白い毛玉が転がり、木の根に当たって静止する。
寿人は頭をぐしぐし掻きながら、何らかの情報を得るべく、自らを軽蔑の視線で見る少女の装いを眺めた。
身長はミルフィに比べて少し低いが、やや大人びた情緒があり。
手下げ鞄の中には、ソーイングセットのような物と、何種もの布の切れ端が詰め込まれている。
サリィの使うどこでもポケット的な魔術がある以上、彼女がぬいぐるみを売っているのかは判別できないが、どちらかというと直す側を専門にしている風貌であった。
「なるほど。君がぬいぐるみ屋を生業にしてるって事はわかった」
「だからそう言ってる」
少女はじっとりとした視線をこちらに向け、少し怒った様子を見せた。
服の上からでもわかる、こぶりなスイカ程もある胸が、ぽよんと愛らしく震えている。
「で、その君が、ぬいぐるみの俺に近づいてきたって事は、荒手の仕入れか何かって事だよな。たいへん魅力的なおっぱい――じゃなかった、提案だが、俺の所有権は今、別の女の子の所にあるんだ。ごめんなぁ」
「ぜんぜん、ちがう」
少女は首を振り、サラサラとした栗毛を靡かせる。
「背中の所、ほつれてたから」
そう言うなり、細い両腕が寿人に向かって伸びてきた。。
『ぬいぐるみ屋さん』の右手の中指が、ぐりぐりとうさぎの尻のあたりを押し撫でる。
くすぐったさと空気の冷たさを感じるその部分は、毛が剥げて糸の継ぎ目がむき出しになっている所だった。
寿人はそのほつれを、ミルフィと寝ている間に爪か何かが引っかかったのが原因だと推測していたのだが、普通の素材では治るわけないと解っていたため、どうしたものかと頭を悩ませていたのだ。
「これは、その……特別製で」
「今、なおす」
説明する暇もなく、少女の鞄からソーイングセットが緑色のマナを纏って浮き上がる。
一本の短い針と、ブラシがふわりと飛び出して、彼女のか細い指先が、何かを確かめるように寿人の腹を撫でた。
「うん」
少女は喉を鳴らして頷き、右手の人差し指を真上に立てる。
すると、指先に蚕の繭の如き楕円体が出現し、そこから透明な糸が伸びて、空中に浮く針の穴をひとりでに通りぬけるのが見えた。
フワフワ浮かんだ針を掴み、少女はその尖った先端を、もがく寿人のほつれに押し当てる。
「動かないで」
強い光が、一瞬瞬き――そして、次の瞬間には。
「――治ってる」
寿人は短い手でお尻をさすり、毛羽立ちの無い肌触りに驚愕した。
縫った痕の感触や、多少の違和感すら感じない。
完全に元の状態――ほつれる前の姿に、戻っていた。
ゆっくり地面に下ろされて、ブラシをかける手慣れた手付きに、寿人はためすつがめす首をかしげる。
「どうして、いや、とりあえず礼は言わせて貰うが――お前さん、やっぱり何者なんだ」
「『ぬいぐるみ屋さん』」
ふんす、と彼女は得意そうな顔をして、ブラシを鞄にしまいこんだ。
寿人はその仕草を見て、若干呆れ気味になりながらも質問を続ける。
「――わかった。なら、どうして俺なんかを治してくれた。残念ながら金は殆ど持ってないぞ」
少女は顎に指を当て、小首をかしげる。
「アナタには、この青い壁が見えるんでしょ?」
「ああ」
「この壁は、私と、アナタにしか見えてないの」
「だろうな。そうでなきゃもっと人が集まってる筈だ」
二人の周囲に、未だ人の気配は無い。
突然こんなドームが町の近くに出現したら、普通は役人だの野次馬だのが飛んで来てもおかしくないのに、人っ子一人見えないという事は、“そういう事”だと推測できた。
「だから、治してあげた」
論理になっていない――ように見えて、寿人の頭の中では彼女の台詞の意図が、なんとなく解ってきていた。
要は、『この少女と自分は何か特別な関係で、ゆえに――“誰か”からの命令か、“そうしなきゃならない理由”が有って、直す必要、もしくはメリットが有った』という事である。
「話を聞く限り、お前さんはこの壁について正体を知ってるんだろう。もしかして、作った本人だったり?」
「ちがう」
「じゃあ、どうして君と俺だけに見えるんだ」
「良い質問……だから、自分で考えて。天才なんでしょう?」
「ハハハ、買い被られたモンだぜ。コショウとフライパンだけでスクランブルエッグを作れってか?」
「卵はそのうち見つかるよ」
少女は小さく笑いかけ、膝を伸ばして立ち上がる。
そしてそのまま、青いドームに向かって歩くと、まるで壁など存在しないかの如く、すぅっとその中に立ち入って行く。
寿人は少女を追って跳び、壁に顔面を打ち付ける。
「うさぎだけに、まちぼうけ」
くるり、とスカートを靡かせて、少女は振り向きおどけてみせた。
寿人は尻もちを付いたまま、頬をこすって微笑する。
「君、結構楽しい子だろう」
「ありがと」
スキップして去る背中を見つめ、寿人は再び、大きな頭を抱えるのであった。




