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1章 SideL 1-4

「う゛ッ!!」

 

 ぐぢり。

 繊維を、押し潰す音。

 跳ね飛ばされた感覚。

 幾つもの木々が四肢に当たって、それでも勢いは収まらず、小さな体が地面の上をバウンドする。

 砂埃を伴い地に横たわり、そこでやっと理解が追い付いた。

 ドウマルは前脚を折り、サケを捕まえる熊の如く、前腕で俺達の身体を掬い飛ばしたのだ。

 

「痛い痛い痛いいだいいいいい!!! 骨っ……骨イったぁあああ!!」

 

 俺の身体に埋もれた右腕を押さえながら、フリーキックを貰うサッカー選手の如く地面をのたうち回るミルフィ。

 その瞳の端に、小さく涙が浮かぶ。

 一般人なら間違いなく肉塊になっている一撃を受け、彼女は『痛い』程度の感想で済んでいた。

 それに、少々反応がオーバーすぎるだけで、実際のところ彼女の骨はどこも折れてなどいない。

 何というか、恐ろしいフィジカルのポテンシャルであった。

 

「そんだけはしゃげるなら平気だな。立て」

「酷い! おに! デスうさぎ!!」


 ――ついに『さん』まで取れてしまったのか。


「……でも、もう喰らいません。やっと“眼”が慣れてきましたから」


 立ち上がりつつ真剣にのたまい。

 犬歯むき出しに笑顔を見せる。

 

「アツいのが胸にグっと来た……!!」

 

 バサッと上着を脱ぎ捨てる。

 直後。

 桃色の閃光が跳ねた。

 ドウマルの羽ばたきよりも速く腹部に潜り込み、蹴り上げる。

 あの、10トンを超える四肢が浮く。

 着地する頃には既に、ミルフィは次の攻撃の体制に移っている。

 ズドン。

 蹴り抜く。

 確かに衝撃は行っている筈だが、手応えが無い。


「硬い……!!」


 ドウマルの外骨格はハガネの剛強さと、ゴムのしなやかさを併せ持つ、天然の強化装甲である。

 人間程度の“軽い生き物”の打撃では、そうそう傷を付ける事は出来ない。

 むしろそれ程の物質を、攻撃をヒットさせるたび徐々に削っていく、ミルフィの方が異常であった。

 

「しゃらくさい!!」


 体表を蹴って、胴を登った。


「これでぇ!!」


 身体の捻りを最大限に使い、兜の如き頭部を蹴り飛ばす。

 荘重な巨体がぐわんと揺れ、一瞬、前腕の動きが、空気をもがくように変わった。

 ドウマルを、脳震盪に陥らせたのだ。

 地に降り立ったミルフィが追撃しようと、見上げた瞬間。

 動かない筈の前脚が、迫る。

 ミルフィの両腕が、条件反射で持ち上がる。


「受け止めるな! 地面がもたない!」

「――ッ!!」


 地を転がり、間一髪で回避に成功した。


「はぁ……はぁッ……。どうして、アレで動けるんですか……!」

「一部の竜王目には脳が2つ、ないしは3つあるんだ。上半身を動かす為の脳と、下半身を動かす為の脳が分離していて、片方が一時的に機能を停止してももう片方で思考が可能だ」

「どんだけスキ無いんですか!!」

「だからヤバい奴なんだって!!」


 暴れる両脚を躱しつつ喋る間にも、ドウマルは徐々に意識を取り戻し始めていた。

 振り下ろされる手足の精度が上がり、さばききれない爪を両腕で受けなければならなくなる。

 隙を見てこちらが攻め入ろうとすると、翼を羽ばたかせ、空へと逃げる。

 ミルフィの顔に、明確な焦りが浮かんだ。

 ヒット・アンド・アウェイの動きに攻め手を欠き、次第にこちらが防戦一方になりつつある。

 ――やはり、無理をして貰わなきゃいけないか。

 

「ビームとか撃てないんですかビーム!!!」


 やけくそにも近いミルフィの悲痛な叫びに、俺はしばし考えて答える。


「……撃てるぞ」

「……は?」


 ミルフィの声のトーンが、1オクターヴ下がった気がした。


「その為にこんな、おあつらえ向きな形になってるんだろう?」

「出来るなら……先に言って下さいよおおおお!!!!」


 右腕に嵌められた俺の頭を、左手で握り潰そうとするミルフィ。

 パペットと喧嘩というのは一見すると一人芝居の様な状態だが、コチラとしては爪が食い込んで真剣に痛いのでやめて頂きたい。


「いつつつ……先に言ったらキミは撃ちまくってマナを無駄に消費するだろう!! 自分の扱いきれない魔術を使う事の危険性を……」

「わーかーってますぅ!! ……まったく、ガミガミうさぎさんなんだから」


 子供の様に拗ねるミルフィに、親の気持ちで念を押す。


「いいか、それでも効果があるのは、恐らく体内に直接ぶちこんだ時くらいだ。それ以外はあの鎧に阻まれてロクなダメージにはならない。くれぐれも無駄打ちしたり、力を籠めすぎないように」 

「はいはい」


 ズドゥゥゥゥン!!!

 いきなり、俺の口から桃色の光が放たれ、ドウマルの外殻を焼く。

 

「うおおおお!! かっこいいいいい!!!!」 

「話聞く気無いなぁ!?」


 途端、膜の中の黒目が、ぎょろり、とこちらを向いた。

 明らかに、怒っている。

 両腕を握りしめる、予備動作。

 ――火球が来る前触れであった。

 

「跳ぶぞ、ミルフィ」

「はいっ!」


 膝を曲げた太腿の筋肉に、血液が集中する。

 捻りを加えつつ身を跳ね上げ、宙を舞った。

 つられて、ドウマルの鎌首も、持ち上がる。

 その巨体が、視界に全て収まる程の中空で、ミルフィは銃口――俺の顔面を、その頭部に向けて構えた。

 

 ――右腕に左手を添える。

 咆哮を上げる剣山の如き口内に、チラチラと火花が覗く。

 すぅ。

 ミルフィが息を呑込むのと、俺の頬を冷や汗が伝うのが同時であった。

 

 体“内”が、煌く銀に包まれる。

 ミルフィの小さな身体の中に溜まっていた、とてつもない量のマナの本流が、繊維の一本一本に、血液の如く流れ出した。

 全身を脈動させる興奮のジェットポンプが、何秒にも渡ってその勢いを増す。

 快楽に、えづく。

 この世界に降り立って――いや、この世界に取り憑かれて以後何年もの間忘れていた、あらゆる緊張と感動が、まとめて脳を壊しにかかっているみたいだ。

 自然に、口が開いた。

 黒目の先に、ドウマルの全長を遥かに超えるサイズの球体が浮かぶ。

 桃色の暖かな光が、恒星の如く輝いて。

 

「――撃ちまぁあああああああああああす!!!!」

 

挿絵(By みてみん)


 ――――何も、見えなくなった。

 

         ◆

 

 大気が、澄んでいる。

 必死に閉じていた瞳を開くと、ちりぢりと雲が浮かんだ空の一点に、らせん状の穴があいていた。

 何が起きたのか理解できず、両眼をしきりにまばたきさせて、下を見る。

 呆然と立ち尽くすドウマルの隣。広大な森の数分の一を、高熱を帯びたクレーターが抉って、もうもうと煙を上げていた。

 ―――非常識だ。

 俺は衝撃と共に、おそれを抱いた。

 彼女が放った光の効果範囲、直径100m余りに存在する、全ての有機物が消滅していた。

 

 脱力し、空中でとんぼ返りをうったミルフィは、三点で着地して、汗にまみれた髪をなびかせ正面を向く。

 薄い唇を固く結んだ、真剣な眼差しである。

 肺の中の空気を二回吐き出して、正面の龍に向かい、ゆっくりと右腕を構える。

 生身の心臓が、力強く拍動していた。

 

「貴方では“今の”わたしには勝てません」

 

 どろり。

 光線が掠った熱量で、片翼の外殻が溶け落ちた。

 

「退いて、下さい」

 

 芯の太い、明瞭な発音で、ドウマルを追い詰める。

 数秒の間。

 睨み合う視線の圧に、堂々とした巨体が半歩分、下がった。

 

「……人間の娘に、情けをかけられるとはな」

 

 地を震わせる声色の中に、ほんの少しだけ温かみを感じる。

 恐怖ではなく、自尊心を傷つけるに足る相手と認めるような、何かを堪能したかの如き落ち着いた喋りであった。

 

「『すまなかった』と、伝えておいてくれ」

 

 そう言い残し、ドウマルは大きな翼を広げ、羽ばたいた。

 砂埃が舞い、大きな瞳を焼く。

 それでも俺は、傷を庇う事無く雄々しく飛び立つ彼の背を、見つめ続ける。

 ――目をつぶってしまうのが、惜しかった。

 

 翼の形を保った影が、少しずつ小さな黒点へと変わり、遂に見えなくなった時。

 がくり、とミルフィの身体が崩れ落ちた。

 

「ぷはぁっ……。はぁッ、はぁぁ……あぁ……」

 

 冷たい地面に大の字になり、安堵と疲労の入り混じった深呼吸を、何度も繰り返す。

 張りつめていた汗が滲み出て、柔肌の至る所を濡らしている。

 小さく萎んでしまった胸を激しく上下させるミルフィの顔は、これ以上ない程満足げで、ほんの少しだけ、泣いている様にも見えた。

 

「凄いよ、お前は」


 俺も疲れているからだろうか。思った事を、そのまま口に出してしまった。

 目を細め、白い歯を見せ笑うミルフィの口元が、おぼろげに動く。


「へへっ。これで、すこしは、みんなの……役、に……」

 

 そのまま意識を失って、俺とミルフィの体が分離した。

 ぽてっ、と地に足を着け、目をつぶりながら、全身を震わせ泥を払う。

 腕も、足もちゃんと動く。疲労はあるが、大きな外傷は無い。俺の方は大丈夫だ。

 さて、問題はミルフィの方だが―――

 

「ぴぎぃぃいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!!」

 

 ―――やはり、か。

 

「痛い痛い痛゛い゛ッ!ひぃっ!!あ゛ッ!待って、待って、しぬ……しにゅううう!!!!!!」

 

 すぐに気絶から覚醒し、煮立った油に放り込まれたタコの如く顔を真っ赤にして地面を跳ね、もんどりうつ桃髪。

 どの脚を地面につけば良いのか分からなくなっている様子から、全身肉離れになっている事が見て取れた。

 

「あ゛あ゛っ! たしゅけて……うひゃぎさん! 何かね、これ、ブチブチって!! ねぇ!!」

「身体に無理をさせ過ぎたんだよ。教会に行って、専用の治癒魔術をかけて貰うんだな」

「『貰うんだな~』って、こんな体でどうやって行けって言うんですか!!! うわ痛ったァ!!」

 

 息を荒くし、半泣きになりつつ乞うミルフィを見て、思わず頬がつり上がる。

 ――笑えることに、安堵していた。

 本来、マジックアイテムを用いて行う魔術は、自分のマナ許容量の限界を超えられないように出来ている。

 しかし例外的に、人知を超えた力を術者に与える道具はこの世界に幾つも存在し、また、それを使った者はたいてい何らかの『リスク』を負うハメになるというのが常識であった。

 ――ドーピング剤の副作用を、想像して頂けると分かりやすい。

 その内容は、『ニキビが増える』みたいに軽いものから、『命を失う』の様な取り返しのつかないモノまで多種多様で、効果が大きくなればその分、リスクも大きくなるというのが常である。

 ゆえに、俺は、自分を媒介にしたミルフィの戦闘力の異様な向上を危惧し、最悪スプラッターシーンまで想定していたのだが……

 杞憂に済んだみたいで、本当によかった。

  

「あっ、何ですかその顔!! あなた時々、人生の酸いも甘いも噛み分けたような顔してますけどねぇ……こちとら人間様ですよ!!」

 

 ――俺も人間様だよ。

 と、口に出す代わりに、耳で腹筋をぺちんと叩いた。 

 

「ギョギョギョオオオ!!!!」

「あっはははは!!!!」

 

 お魚博士めいた悲鳴を上げ、転がりまわるミルフィを眺めて笑う。

 自業自得で苦しむ他人を見て愉悦を覚えてしまうのは人のさがゆえ仕方がない……とか考えていた、その時。

 背後から、黒い影が差した。

 

「な……何だ……何が起きている……!?」

 

 ちっ。様子を見に来た村人に厄介な所を見られてしまったな……

 

         ◆

 

 傷を負った様子で逃げ去ったドラゴン。目の前には奇声を上げてのたうち回る少女と、それをバリトンボイスで嘲笑うウサギみたいなバケモノ。

 ――俺が同じ状況でも、自分の正気を疑う光景だ。

 

「こんな小さな魔族が、喋っている……?? ……ミルフィちゃん……いったい何が有ったんだ!?」

 

 やはり、ミルフィとは知り合いみたいだ。

 話している所を見られてしまったのは正直痛手だが……助かる。このガタイの良い農夫のオジサンに、ミルフィを運んで頂こう。

 

「あっ! ポロマフさぁん……ソイツ、ソイツです!! そのうさぎさんが……!!」

 

 ――――は?

 なんで苦しそうな顔しながら俺を指さすんだコイツは??

 俺、何か恨まれるような事したか!?

 ……したな。10秒前に。

 

「コイツが元凶なのか!? 確かに、可愛い見た目してるクセに目の奥が笑ってないぜ。まさか、あのデカいのを呼んだのも……!!」 

 

 厚ぼったい手で耳を掴み、俺を睨み付ける髭づらのオッサン。

 こういう、汗と泥の入り混じった臭いは印象としては嫌いでは無いのだが、やはりいい物ではない。

 パンチの一発くらい覚悟しようかと、すさんだ瞳で睨み返す、その背後から。

 

「その子を放してあげなさい」

 

 聞き覚えのある声がかかった。

 獲物を仕留めた狩人みたいにぶらぶらと吊られたまま、振り返る。

 ――ご隠居だ。

 

「で……ですがご隠居、コイツが……」

「いいからいいから。その子は老いぼれに任せて、ミルフィを早く教会に連れて行ってあげなさい。――それと、今見た事は忘れること。いいね」

 

 まるで俺が喋れる事を知っているような台詞に、一瞬ぎくりとした。

 が、ドウマルの火が村を焼く時に、この人の前では声を発していたことを思い出す。

 騒ぎになると面倒だから俺は人間の言葉を喋れない設定でいくと、出会ってすぐにミルフィとは約束したのに、あの時は咄嗟の事で忘れていたのだ。

 

「はい……」

 

 苦々しい一瞥の後、放り捨てられる俺。

 両足で着地し首を回した所に、爪先の丸い靴を履いたご隠居が、ゆっくりと歩み寄って来る。

 幾らか皺の刻まれた目じりを持ち上げて、老人は屈み、同じ目線になる。

 高級そうなローブの尻を泥で濡らして、にっこりと笑いながら、ふさふさと俺の頭を撫でた。

 

「君が、ミルフィを救ってくれたのだろう?」

 

 皮が幾つも擦り剝けた、硬い手の平だった。

 柔らかく、染み入るような声に、口の中がもぞもぞとかじかむ。

 はい、とも、いいえ、とも言えないままの俺に、老人は咽びつつ、「ありがとう」とだけ言って、白髪だらけの頭をゆっくりと下げた。

 褒められ慣れていない俺は、どうしたら良いのか判らなくて。

 ちびっ子が見よう見まねでそうするみたいに、小さくお辞儀を返す事しか、出来なかった。

 


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