1章 SideN 3-7
――冷たい階段だ。
従業員がいち早く避難したことで、工場の中は思った以上に静まり返っていた。
時々外から地鳴りのような音がして、灰色の床を駆ける脚を蹴躓かせる。
目の前をフワフワ飛ぶデブ猫と、二人きり。
ワタシは黙っているのがもどかしくて、とりあえず声をかけてみた。
「デュオ」
「何だ」
彼は小さく振り向き返事を返す。
「あの触手――まずいのか?」
「いや、ブランの思ってるマズさとは違う。あのケーキはでかいだけで、それほど危険性は無いからな」
ふむふむ。さぞかし恐ろしい力を持っているのかと思ったが、そうではなかったようだ。
デュオは少しの時間考えたのち、解説口調になって喋りだした。
「アレは『カピラリィ』と呼ばれる、肉体の一部だけで自立可能な寄生型“装置”だ。そのうち議会で協議に上がるかもしれないから名前だけ覚えておいた方が良い」
「寄生とか……めっちゃ危ない気がするんだが」
「ただの脚の生えたケーキだ。強いて言うなら歩き回って、町中がクリームまみれになるのが被害だな」
町中がクリーム……。確かに被害といえば被害だが、雨でも降れば解決する程度の物だ。
だとしたら、そんな物になぜ、コイツが躍起になった。
本当はもっと、裏がある装置だったり――やめよう。考えたって想像の出来るものではないし、今のワタシはそれ以上にコイツに言いたい事があるのだ。
どうせ聞いても答えてくれないだろうしな。と、ワタシは気持ちを逸らし、階段の途中で立ち止まった。
靴音がやみ、正面の猫も歩みを止める。
「デュオ」
「どうした、突然立ち止まって。もうお疲れか?」
「その……手間をかけたな」
「執事だからな。手間が仕事だ」
彼はニヒルに笑って答える。
が、私が望んでいるのはそんな、泰然とした回答ではない。
もっとこう……私に言いたい事が有るはずだ。《混沌の皇女》にまでなって、こんな体たらくな私に、咎めたいことが山程ある筈なのだ。
「ワタシは、もっと変わらなきゃいけないのか」
曖昧な聞き方をしてみた。
これで何か言ってくれれば、それに合わせて考えようと思っていたのに。
彼は太い首をかしげて、マグカップの底のような目をこちらに向けたままである。
「ワタシが未熟だから」
呟く。
自分を、否定してみる。
「振る舞いをわかっていないから。力の使い方をわかっていないから、だからあんなヤツに増長されるのか? だからお前やサリィは、ずっとワタシの為に気を張ってなきゃいけないのか?」
何となく、思われてそうなことを口にした。
だが、これは紛れもない事実で、自己分析の結果であった。
本当はもっと悪い所がいっぱい有るのかもしれないが、少なくとも、今、私が口にした事ぐらいはわかっているんだと、アピール……違う。表明したかったのだ。
明かりが落ち、薄暗くなった階段。
その影に顔を半分隠したデュオは、眉をひそめ、読み聞かせの最初の一文字を発声するかの如く、のっそりと口を開いた。
「嫌か?」
「嫌だ」
デュオの逆質問に、私はノータイムで答える。
口先ではなく、腹の奥底から、引きずり出すように声を出す。
「ずっと今日みたいな事が続くのならば、ワタシはいずれ最低の皇女になってしまう。ワタシが目指すのはもっとこう……優雅で、強くて、慕われて、皆を幸せに出来て、ついでに自分も幸せになるような――そんな感じなんだ。」
ワタシの言っている事は夢物語だろう。
多分、実現はできなくて、でも、目指す事に意味がある――そういうタイプの“良い妄言”だ。
「だから、その為には。もっともっと、形振りだけでも立派にならなきゃ駄目だと――今思った。弱くても、偽りでも行動すれば、本当の自分は後から付いてきてくれるって、ワタシは信じてる。信じなくちゃいけないんだって思う」
じんじんと体の奥から湧き出てくる思いを、そのまま吐き出すようにして、ワタシは言った。
今考えたんじゃない。ずっと考えて、捨てて、別の考えが浮かんで、そうやってきた中で一回か二回辿り着いた結論が、たまたま丁度良く口から飛び出ただけだった。
それでも、自分の言葉は自分を納得させるだけの力を持って、目の前の猫を頷かせる。
彼はもごもごと口を動かし、大きな大きな黒の瞳を一度だけ瞑って。それを開かぬままに答えた。
「お前さんは――自分の思い通りに変わる事が出来る。そういう年齢と、力と、環境を持ってる。――紙粘土みたいなモンだ。気持ちの絵の具一つと、後は想像力、行動力。それだけできっと、『それっぽい物』にはなる筈だ。……固められちまった俺とは違ってな」
そう、彼は自嘲した後。じらすような速度でこちらに近づいて、短いおててをワタシの頬に添えた。
肌に染み込んでしまいそうな程柔らかな肉球の感触が、熱くなったワタシをしっとりと冷やす。
「お前がそれを望むなら、望むようにすればいい。少なくとも俺は――今のお前を肯定できる」
ぺちぺちと二度叩かれる、頬の感触に、ワタシは勇気を貰って。
口角が自然に持ち上がっていた。
「わかった。もう少しだけ、皆の前で立派に出来るよう、頑張ってみる」
「ああ」
「そのかわり、もう少しだけ屋敷ではワガママをやらせて貰うぞ」
「任せろ、そのための俺さ。見ろよこのフサフサ。ちっとくらいストレスでハゲても良いように、こんな毛だらけになって来たんだ」
「そうだったのか!?」
「……けだまジョークだ」
ぐらり、と地面の揺れを感じて、私達は慌てて階段を降りる。
六階、五階、四階ときて、ポテトのフロアまで到着した時、デュオは不意に何かを思い出したかの如く立ち止まった。
「悪い、ブラン。ちょっとここでオワカレだ。――用を思い出した。終わったらすぐにそっち向かうから、外のケーキを何とかしといてくれ」
「そんな無茶苦茶な!!」
「出来ないことは言わねーよ」
相変わらず適当な事を!!
空気をかきわけるように速度を上げたデュオは、ぐんと3mほど進んだ先で、突然こちらを振り向き声を発する。
「そうだ、一つだけアドバイス」
指の一本をぴんと立て、念を押すように彼は言い放つ。
「ケーキは何の為に生きる。それを考えろ」
まーたよくわからん格言か。しかも、アバウトすぎる。
ワタシは小さくため息をつき、「わかったよ」といい加減に答え、とにかく外に出るべく硬い階段を駆け下りた。
◆
「で、これは……」
薄暗い空。砂糖を煮詰めたような、甘ったるい空気。
お菓子を模した家々がクリームにいくつも包まれている光景は幻想的であるものの、逃げ惑う人々の悲鳴が、ワタシに緊張感を植え付ける。
どずん。
目の前――とはいってもかなり遠く、4~5本先の通りを、今、家の屋根を遥かに超える大きさのデコレーションケーキが通りすぎた。
巨体が民家にぶつかる度削れていくため、もはや表面はぼろぼろに、スポンジはむき出しになっていた。
あまり動きは速くなく、走ればギリギリ追いつきそうな速度である。
私は何度かケーキの触手に石をぶつけたり、大声で叫んでみたりしたが、ヤツが進路を変える事はなかった。
そんなもので止まるなら既に街の何人かが静止に成功してる筈だから、当然といえば当然だ。
様子を見るに、この巨大ケーキくんには視覚も聴覚も無いのだろう。
ただ、家を横切るのではなく、接地した道だけをお利口に走っている事から、脚の触覚だけは多分存在している筈だ。
そうこうしている間にも、ケーキは街を白塗りに変え、轢かれて重症を負う者も出始めた。
悲鳴は徐々に大きくなり、デュオも戻ってくる気配が無い。
一人の力ではどうにもならない事を悟ったワタシは、とりあえず多種族入り交じる市民と行動を共にすることにした。
時間を稼ぎ、何とか活路を見出そうと思ったのだ。
ところが。
浮き彫りになった一番の問題は“大衆の誘導”であった。
街を警備する役割を担っている、所謂ポリスの連中――
そいつらが人を何組かに分け、安全な場所へ避難させようとしては居るのだが、取り乱す人々を上手くまとめられていない。
連中もいくらか魔術の心得は有るはずだが、戦闘より市民の命が優先されるゆえに巨大ケーキとやりあう訳にもいかず、それにあのデカブツ自体の動きも読めていない様子であった。
せめて、何かヤツの動きの法則性がわかれば。
そう思っていた、矢先、ワタシの頭に浮かんだのはデュオに言われた言葉であった。
『ケーキは何のために――』
「まさか……そういう事か!?」
◆
「貴様がこの辺りの責任者か」
ワタシは周囲を見回して、一番偉そうな警備の男に声をかける。
紫のガス状の体の上に厚手の制服を着た――いや、“着た”というよりかは空中に浮いてる感が有るが、とにかくそういう風貌の男だった。
この辺りは不定目のアッシュが多いから、警官も同じ種の者を選んでいるのだろう。
眼球と真っ赤な口だけが浮かび上がっているのが、かなり不気味である。
「こ……皇女陛下!! どうしてこんな所に!」
声の主がワタシだとわかった瞬間、男は右手で敬礼し、かしこまる。
ワタシはそのモワモワとした額の部分を注視しながら、少しだけ手振りを付けて喋り始めた。
「そんな事はどうでもいい。いきなりですまんが、今すぐこの街の他の部隊に連絡をとって、ワタシの言う通りにして欲しい」
突然の申し出に、ガス男は一瞬、背をのけぞらせるようにして驚いた。
私はそのアクションに少しだけ目を細め、矢継ぎ早に説明を続ける。
「良いか、まず工場に一番近い部隊を、あの油のプールの後ろに配置させるんだ。それから残った市民を幾つかに分割して、街の外側に待機させる。ワタシが合図を出したら外側に待機していた市民のうち有志の者を一斉に工場に向かって走らせ、最初に配置した部隊と合流させる」
うむ。簡潔でわかりやすい作戦解説だ。
眼の前の男も私がやりたい事はわかったみたいだが、納得はいっていないようで、首を何度か捻っている。
「それで……どうなるんです?」
「奴が立派なフライドケーキになる筈だ」
「そんな馬鹿な」
訝しげにする彼の前で、ワタシは小さく頷き、すぐに口を開く。
「では貴様に問う。毎月3000ダール(お金の単位)貰える職場と4000ダール貰える職場、5000ダール貰える職場が有ったら何処へ就職する」
「それは当然5000の所でしょう」
「ではケーキならどうだ」
そこまで言った時になって、男はようやく合点がいったと眼球を引き上げた。
そうだ。ケーキの生きる意味は“食べられる為”。で、あるならば、食べてくれる人の多い方へと向かうのが道理だ。
彼はすぐ、自分の両腕のガスを幾分か切り取って宙に飛ばす。
多分、これが連絡手段なのだろう。
すぐにフライドケーキ作戦は実行が決定し、そして――
◆
合図は出した。
もうもうと茶色の煙を上げてケーキが迫る中、ワタシはたった一人、工場の壁の“上”で腕を組みつつ期を待っている。
ヤツの触手は行き先を決めるセンサー。そして、油のプールは壁の内側に有る。
つまり、放っておいたら壁にぶつかって、迂回されてしまうわけだ。
それは、避けなければならない。
鼻の先で、甘い匂いが強くなる。奴が近づいている証拠だ。
ワタシの立っている場所は地上からだいたい――4,5mくらい?
最終的にはケーキ全体の下三分の一くらいの高さになるんだろうか。
デコレーションが剥がれて表面がドロドロになったそれはあまり食欲をそそるものではなく、ウネウネと地を這う無数の触手も――ワタシは好きだが――市民にとっては恐怖の対象でしかないらしい。
「やっぱ、でかいな」
ワタシは小さく笑みを浮かべ、迫る巨体を待ち受ける。
向こうにこっちの姿は見えていないのだ。
なら、怖くない。
奴は近づく。
ただ真っ直ぐ、町で一番広い通りの街路樹をばりばりなぎ倒し。
よく、“丸太を受け止める様な物”だとか形容されるような状況だ。流石に規模は違うが――失敗しても、失敗するだけ。
「――」
眼の前がふいに暗くなる。
白い巨体の黒い影が、湿度を放ちワタシの体を包み込む。
にちゅり。
粘液が音を立て、脚の一本がこちらを向くのが見えた。
逞しく、肉質のしっかりしている、先の尖った触手である。
「来い」
ワタシは半歩踏み出し、呼んだ。
奴に聴覚は無いし、来るのはわかっていたのだが、自分の命令で動かしてる気になった方が気が楽だったからだ。
当然ケーキは突っ込んでくる。
“ワタシに投げ飛ばされる為”に、その、強靭な鞭を大きく振るう。
せり上がって来る太い触手を、抱えるように必死に掴んだ。
同時、手のひらの先を凍りつかせる。
粘性を持った脚の肉に、ワタシの手だけを貼り付けて。
引きつける。
「う゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」
前足から、左の脚に重心を移す。
腰の捻り。
体を丸め。
背中にぬめりの感触を覚える。
食い込ませた指から腕の筋肉にありったけのマナと力を注ぎ込む。
相手の力を利用し、“てこ”と反動で巨体を浮かせる。
一本背負いだ。
いびつなデコレーションケーキは、イチゴを地面に零し宙を舞う。
引っ張られた触手を支点に――ちょうど、ハンマー投げの球体を縦にしたみたいに。
「う、わああっ!!!」
張り付いた腕が剥がれた瞬間、慣性に体が引っ張られ、よろけたワタシは壁の上部に尻餅をつく。
内蔵を揺らすような、衝撃。
それから小爆発の如き、激しい油の弾ける音。
へたり込んだ金髪の隣に、熱い雫が、ぱらぱらと降り注ぐ。
「はぁっ、はーッ、はぁ、はぁはぁ」
――やった。
額から、喉元から、じっとりと汗が吹き出してきた。
イマジネーションと体力を一気に削られた疲労感で、激しい目眩に襲われる。
ぱちり。
跳ねた油が頬を焼く。痛いはずなのに、体から力の抜けていく感覚が痛覚を麻痺させ。
「はぁぁぁぁぁ……つかれた……」
ワタシはほんの数秒間、歓声を背に寝そべる快感を、その身全身で味わっていた。
◆
――それから丸一週間が過ぎ。
「どうしてギリエみたいなヤツ助けてやったんだ。しかも工場の買い取りまでして」
スライムベッドに寝そべりつつ、ポテトフレイルを口に放り込むワタシに、訝しげな顔をしたデュオが尋ねる。
「奴はワタシの事をお飾りの戯れと馬鹿にしたからな。戯れで救ってやるのが一番の皮肉だと思ったのだ」
結論から言えば、《モガ・インターナショナル》は一度解体を余儀なくされた。
その訳は――仮にも《混沌の皇女》であるワタシを監禁した罪と、市民の生活に危害を与えた責任。
会社を潰して社長を辞めさせるには十分過ぎる理由である。
しかしワタシは、ギリエを救ってやることにした。
裁判所に特赦を出して、皇宮の専属企業として会社を買い取り、ヤツをもう一度トップに据えてやったのだ。
これはワタシのイメージアップというか、寛大さアピール?みたいな。『捕まっちゃったけど全然平気でしたよ~』って民に知らしめる為の戦略の一つだったのだが、賛否両論有ったもののどちらかと言えば賛寄りの評価を得ることが出来た。
街の皆を謎の人工寄生装置から守ったってニュース込みの評価だがな。
それから、問題はもう一つ浮き彫りになった。
「まさかこのポテフのラッキーペッパーが、脱法ハーブを原料に使ってたとはな……どうりで辞められない訳だ」
しゃくり。小気味良い音を立て、口の中に油のうま味が広がる。
デュオがあの時二階で留まったのは、このスパイスの原料を突き止める為だったらしい。
なんでも、『猫の嗅覚はかなり良いから嗅ぎ分けできた』んだと。ウソくさい。
その後の調べで、葉っぱの密売ルートであったジリールを壊滅させられた事がワタシを狙った本当の目的だと判明したのだが、逆に納得のいく理由すぎて驚きもしなかった。
とはいえ、これだけ世に蔓延されていても体に悪い影響を与える要素がある訳ではなく、依存性もそれほど強くなかったため、『ポテトフレイル』の原材料という事は秘匿されたまま合法化法案がすぐに可決。
そのままで販売が続けられているからこそ、今、ワタシの腹にこうして収まっているわけだ。
「陛下」
「うわわわっ!! 居たのかサリィ!」
気がつくと、ベッドの隣に侍従が佇んでいた。
靴音は元よりドアを開ける音すらしなかったのだが、やっぱりこう、すうっと現れると今でもビビってしまう事が多い。
彼女は光の束の如き銀髪を軽くかき上げて、手に持った書類に視線を落とす。
「最近、巷では《モガ》の新商品、ケーキを油で揚げた『ケーキフレイル』、通称“キフレ”が大流行しているそうです」
「転んでもタダでは起きぬ連中だな……」
「その礼として、本社から――」
キュルキュルキュル……
台車に載せられ運び込まれる、ヴァイオレットのレースに包まれた2mほどの物体。
むせ返るほどの甘い匂いが、ワタシのキュートな鼻を吹き抜けていく。
嫌な、予感がする。
「なぁ、サリィ、それもしかして……」
置くものだけ置いて慌ただしく帰る二匹の《グレートダソク兵》くん。
待て、行くな。
もう形でわかるじゃん、“アレ”じゃん。
見飽きた円錐形だ。この半月、プロモーションガールだの参考資料だので吐き気がするほど各所で見せつけられたやつだ。
進み出たサリィによって、さっと引き抜かれた布の中身。その内側から出てきたブツは。
層に積まれたカラメルスポンジにこれでもかとデコレーションが乗せられた、もはや芸術品とも呼ぶべき巨大なホールケーキであった。
「タイトルは『神への感謝』……らしいです」
ぼにょん。
ベッドに倒れ込む。
甘い匂いが目に染みる。
ワタシは大きく息を吸い、刺繍にの施された天蓋に向かって――叫んだ。
「もうケーキはこりごりだああああああああああああああああああああああ!!!」




