1章 SideN 3-5
それから階を上がるたび、ギリエの奴は様々な災難に襲われた。
ケーキ工場ではなぜか頭上のサクランボが爆発し、クッキー工房の焼き窯から吹き出した火にさらされて、水飴に擬態したスライムに襲われるわ人形焼の型取りをされるわ散々な有様であった。
ちなみに、ギリエがめでたく人形焼の型にされた後、サリィがこっちを見つめて何やら思いついたような顔をしていたが――うん。その時は全力で逃げよう。
日頃の行いのせいだろうか。とにかく本日のギリエはものすっごく運が悪く、最上階の社長室に着く頃には既に顔面蒼白といった様子であった。
中型会議室ほどの広い部屋に、クロスの敷かれた大きなデスク。
床には巨大なロゴが描かれ、天井には各商品のマスコットキャラクターが宗教画を模した構図で描かれている。
左右に幾つもの本棚――それも全部お菓子関係のモノと、向かいの壁には賞状やらカップやらがずらりと並べられていて。
ガッシャーン!!
で、そんなモノを見てるうちに、ワタシ達はまんまと彼の仕掛けた入り口の罠にかかり、こうして動物園のサルの如く檻に閉じ込められたというわけだ。
やれやれ、困った困った。
「ふん。お粗末な仕掛けだな」
そう言って、ぽてぽてとデュオが歩み出る。
確かに彼のサイズなら、隙間から抜け出る事が可能だろう。
太っちょとはいえ猫だし、こういう事は得意なはず。
彼は丸っこい腕を伸ばし、鉄の格子に手をかける。
瞬間。
「痛っッア゛!!!」
ばちり、と肉球に火花が飛んで、モフモフの体に電流が走る。
ゴムボールの如く床を跳ね転がる猫ちゃんは、聞いたことも無いような汚い言葉を幾つも発してギリエの丸顔を睨みつけた。
これだけ元気なら大丈夫だろうと、ワタシはデュオを冷たい目で見下ろして、すぐに正面を向き直った。
「なぜこんな事をするのです」
一応、真面目な口調で聞いてみる。
サリィが居るからこんな単純な仕掛けから抜け出す事など簡単なのだろうが、下手に反感を買うようなのはスマートじゃない。
落ち着いた様子のワタシに苛立ったのか、ギリエはミートボールの如き体をぷるぷると震わせ、厚ぼったい口を開いた。
「どうして……ですと?」
白い垂れ幕が天井から下りてきて、マナ灯により生成された画像が浮かび上がる。
「御覧なさい! この我が社の売上グラフを!」
怒りを孕んだ力強い喋りに合わせ、何本もの線が左の端から伸び始めた。
グラフの読み方はわからないが、確かに数日前のあたりから、赤い折れ線がガクッと下がっているのが分かる。
「ブラン様が裸ケーキなるものをやったせいで、材料の需要が伸びたのと反対に出来合い品の売上は下がる一方だ!!」
なるほど。そういうワケか。
確かに《モガ》は、ケーキ屋チェーンとしても非常に有名で、《重い月》内部でもその支店がいくつも散見できるほどである。
一過性のブームとはいえ、同時に全店で売上が下がるというのは相当痛手……なのだろう。たぶん、大きい会社になればなるほど被害も大きくなるのだ。理由はわからんけどな。
そこで、自分が会長をやってる食品ナンチャラカンチャラを口実に、文句をふっかけてきたわけか。
…………逆恨みじゃないか!!!
そもそもワタシ自身好きでクリームまみれになったワケじゃないんだぞう!
こいつ等が勝手にやった事だ。文句ならうちのバカ二人に直接言ってくれ!!
くそっ、世が世なら、余が余なら打ち首だぞコイツ(皇族ジョーク)!
「それで、こんな檻の中に閉じ込めてまで脅迫ですか」
「ああ、そうでございますよ! 本当はもっと早い段階で言質を頂くつもりだったんですがね」
ギリエは苦々しく歯をきしませ、デスクの中から一枚の紙とペンを取り出す。
私達の手が届かないところからそれを檻内へ投げ入れて、彼はむくりと顔を持ち上げた。
太く、整えられた眉毛が、訝しそうに折れ曲がる。
「さて、ブラン・レジナルド様」
強い、語調であった。
他人の子を叱る親のような、取ってつけたような敬称と、何かを抑え込むような声。
「契約書にサインを。出られるなんて思わないで下さいよ。その檻は我が社の技術の粋を結集させて作らせた特別製ですので。シュガーチュロスが100本束になっても敵いませんぞ」
その例えはよくわからないが、ようはめちゃくちゃ硬い檻という事だろう。
渡された契約書なる物を眺めると、名前を書く欄の下に以下の条件を云々、長ったらしい前説が書かれていた。
少しの余白を空け、羅列された条項は。
1.食品を無下に扱った事に対する国民への謝罪
2.『メディアの食品利用に関するガイドライン』の立案及び承認
3.以後50年間の《モガ・インターナショナル》と皇宮との直接提携契約
4.『ギリエ・ダニエル』への国民栄誉勲章及び爵位の授与
何か色々盛られてる――!!
1と2は最初の手紙に書いてあったからまだわかる。この3と4は何だ!!
相手より優位に立てると思った矢先に書きたい放題かコイツ。
ぐぐぐ……皇宮の運営費は議会が決める事だし、爵位なんてホイホイやれるもんじゃないぞ。
ゆっくりと、背後のサリィに視線を向ける。
助けを求めようと思ったのだが、彼女はその場で両目を閉じたまま、しっとりとした佇まいを崩すことは無かった。
ただ、余裕に満ちた表情で、『命令したければどうぞ』みたいな雰囲気だけを醸している。
――いつもそうだ、お前は。
サリィはワタシのメイドだが、姉代わりでもあり、お祖父様から言い遣った教育係でもあった。
ワタシを立派な《混沌の皇女》に育て上げるのが彼女の努めで、それが彼女の……《モノノグ》としての存在理由。
貴族に仕える為に進化した種族――その歴史の中で、彼女は間違いなく最高傑作だった。
サリィはいつも優秀で、天才で、誇りで。きっと、そう言われる為に、ワタシが受けた授業や訓練なんかとは比べ物にならないくらい苦しい修行をお祖父様から受けていた筈だ。
どうすれば主人が立派に育つか。どうすれば主人から信頼されるか。
彼女の全身を駆け巡る血液の全てに、自らの役割をまっとうする為の、使命の毒が流れ込んでいる。
ゆえに彼女は時々こうして、ワタシ自身の力で解決することを望み、どうしようもなくなるまでは自ら手を貸す素振りすら見せないのだ。
『自分が居るから、陛下は安心してやりたいようにやって下さい』とでも言いたげな、絶対的な安心感。
メイドとしてこれ以上無いほど頼もしくて、無礼で、強くて、バカで、綺麗で、すごく厳しくて、すごくすごく優しくて。
だから。
だからワタシは少しだけ。ほんの小さじ1杯分だけ。
――こいつの事がキライなのだ。
「貴方がたのお考えは理解いたしました」
すん。と小さく鼻から息を漏らす。
ワタシは契約書を握りしめたまま、小さな足を一歩踏み出した。
「私は《│混沌の皇女》としてまだ未熟です。自らの行動がどれほどの影響を与えうるか……それを想像しきれていなかった」
何か言葉を喋るだけでも、誰かに会いに行くだけでも、大事として取り上げられてしまう。
こんな生活したくなかったから、今までサボってきた筈なのに。
私はやるせなさと、それから後悔を胸に、どうにか誠意を伝えるため、頭に浮かんだ言葉をそのまま口に出した。
『命有る者は平等に扱え。そうでなければ多種多様なアッシュの頂点に立つ資格は無い』。
――父が私に何かを伝える時、いつも口にしていた台詞。
目の前に居る生き物が獣であれ鳥であれ人であれ、それを敬い慈しむ精神こそが《混沌の皇女》にとって最も大切なモノだと、傲慢なワタシを戒めてくれる言葉であった。
こいつも、そうだ。
「ワタシの軽薄さが貴方がたの経営に被害を与えてしまった事は、認めます。それから、食品に対する接し方も、……種の代表として不適切であったと思います」
――なんでこんな幼稚園児みたいな事言わなきゃいけないんだ!
ワタシは出自への呪いを心の内側に抑え込むようにして言葉を接いだ。
誠意は無いかもしれないが、口に出す事が誠意になってくれると信じていたからだ。
「ですが、この契約書にサインするわけにはいきません。このような不正なやり方で地位を手にする者が出れば、似たような事を企む者が現れるでしょう。その可能性を見過ごす事は、私には出来ません」
ぐい、と両手を握りしめる。
冷たい床に立っているデュオが、軽くワタシの脛を叩いた。
見やったその先で、小さなけだまがフルフルと頭を左右に振り、警告を出している。
が、彼の瞳に力はなく、眉はやや垂れ下がっていて、止めても無駄だという事をわかった上でやっているように思えた。
一瞬。まばたきで答える。
正面に向き直ったワタシはそこで。
「――申し訳、ありませんでした」
深々と、頭を下げた。
今、自身の力で切れるカードが、もうこれしか無かったからだ。
最上階に漂っていた甘い空気が、ヌガーの如く体にへばりついてくる。
ぐっと閉じられた瞼の裏に瞬く光の文様が、本心を偽るストレスを誤魔化していた。
《混沌の皇女》は、国民から言わせれば“神”に近い存在だ。
ゆえに皇族が臣下に対し、謝罪の形で頭を垂れるというのは、とてつもない問題になりかねない。
この瞬間を番記者に撮られたりでもしたら、また議会で槍玉に上げられてしまう。
それも嫌だが、こいつの言いなりになる方が余程嫌だ。
少し、泣きそうな表情で顔を上げる。
同情を、誘うためだ。
怒っている相手をなだめる為にはコレが一番効くと、ワタシの経験が物語っている。
檻の向こうの二人は突然の事に慌て、キョドった顔を見合わせた。
よし。手応えは有る。
「代替案にはならないかもしれませんが、今度屋敷で菓子をメインにした過去最大規模のティーパーティを開かせて頂きます。よろしければその時に、スポンサー兼参加者として出品資格を供与するというのはいかがでしょう」
ここに来る前に考えていた案を口にしてみる。
とりあえずこちらから誠意を見せれば、向こうも渋々呑んでくれると、ワタシはそう考えていた。
私はまだ若い。未熟だ。それを認めて謝れば、相手はちゃんと許してくれる。
ごつり、ごつり、と重たい革靴の音が近づいてきて、ヤツの珍妙な丸顔が――険しく、歪んだ。
「陛下。貴女は勘違いをしていらっしゃる」
――私が聞きたかった言葉ではない。
語調がゆっくりだからか、男性にしては高めの声も、腹に響いて怖く聞こえる。
「私が欲しいのは謝罪でもなければ誠意でも無い。サインです陛下。もっと言えば、マネー。そのためにこんな仕事をしていると言っても良い」
――それが出来ないからこうして頭まで下げてやっているのではないか!!阿呆かコイツは!!
ワタシはあまりの理不尽さに頭がグラタンになりそうだった。
「お父上ならまだしも、貴女のような未熟者の礼儀など何の価値もない。その上、無料で商品を提供しろだと? あの、宮廷お抱えのパティシエ共が腕によりをかけた高級スイーツの中に、ウチの駄菓子を飾れと? 陛下は私に恥を晒せと申すのですか」
自分の作った商品に自信が無いのか。それでよく提携契約がどうのなんて言えたなコイツ。
それにお父様なら“まだしも”だと……?
貴様が父上の何を知っているというのだ。
「しかし、宮廷のパーティーは由緒正しく、高位の貴族方の目に止まれば――」「それが勘違いだと言っているのですよ!!」
遂に、言葉を遮ってまで、太ったアメ玉男はワタシに説教を続けてきた。
「陛下は知らんのでしょう。我々の苦労を、努力を。ワタクシはこれでも食品倫理監査協会の会長――明日の飯を食うのにも困っていた連中と何年も付き合ってきたのです。ワタシ自身だって、何度も危ない橋を渡って今の地位を手に入れたんです!!」
知らんわ。そんな事。
貧乏人の面倒くさいスイッチを押すと、こんなにも厄介なのか。
卑怯な事して他人から巻き上げた金で偉様気取っておいて、もっと金持ちのワタシの前では努力家ヅラ。
呆れて物も言えんな。
「そうだ。こんな軽薄で、自己中心的で、《混沌の皇女》としての自覚なんてこれっぽっちも無い小娘を神様みたいに崇めるなんて、皆どうかしている」
かん、と爪先で地面を蹴って、彼は背中を向け歩く。
どうやら、発散しきったらしい。
お蔭でこっちの心はボロボロだ。
頭の中でどんなに相手の言っている事を否定できていたって、悪口を言われるのは辛いのだ。
「“お飾り”の神の戯れで、私の経営の邪魔をされては堪らんのですよ! 」
ざぐり。
捨て台詞が、焼けた鋏で突き刺すかの如く、みぞおちあたりの肉をえぐり出す。
『お飾り』……か。
わかってた、理解してた筈……なんだけどな。
全身から力が抜けていく。
“しおしお”って擬音を考えた奴は天才だな。本当にやるせない今の気分を現すには、この四文字しか無い。
ため息を、つきたくなった。
我慢する。
膝から崩れおちたい。
がんばって、耐える。
せめて上を向いて――歯を、食いしばる。
その時、背後で低い低い呼びかけが聞こえた。
「……サントノーレ」
もう聞き慣れたと思っていた、あの猫ちゃんの、異様にマッチした声。それが今は酒焼けたみたいに、ぐっと1段濃く聞こえる。
「何です?」
サリィの声音は変わらない。
いつもの落ち着いたクールボイス。
だが、ワタシだけにはわかる。
彼女の返答にはほんの少しだけ、“待っていたモノが来てくれた”ような――嬉しそうな雰囲気を感じた。
「俺はキレてるぜ」
「そうですか。私もキレてますよ、手紙が届いた日からずっと」
「ひっ……おっかねえの」
ワタシの足元で、大げさに体を震わせたデュオが、半笑いのままこちらを見上げた。
「ブラン。お前さんの事をだーい好きに思ってるメイド長様がな、これ以上主人が馬鹿にされるのを見てられないんですって。ほんと堪え性が無いんだから」
「ま、けだまは怒っても見てる事しか出来ませんからね」
「言いやがったなテメェ!!」
下らない従者のやり取り。
そのあまりの平穏さに、気がつくとワタシは笑顔をこぼしていた。
がやがや続く口論を打ち切り、サリィがその深い深い黒目をワタシの方へゆっくり向ける。
「というわけで、少々お時間を頂いても?」
「ああ、良いぞ――好きにやれ」
そう言って、ワタシは一歩後ろへ下がり、その分サリィが前に出る。
幅の広いスカートを優雅に揺らし、彼女は左手を開いて、檻へと真っ直ぐ伸ばした。
「では」
耳を塞ぎ、目を閉じる。
瞬間、瞼の裏に、真っ白な閃光がフラッシュライトの如く広がった。
ほんのりと熱を帯びた熱風に、後ろ髪がなびく。
腰の骨が外れそうになるほど大きな地響きが足元をかけずり、もたげた首を――ゆっくりと、戻す。
「……さすがだ」
瞼を開いた瞬間、わかりきっていた光景に、ワタシは感嘆の声を漏らした。
檻の前面は跡形も無く消え去り、石で出来た足元は竜巻でも通ったかの如く深々とえぐれ。
残った光の傷跡は、ギリエとトラメリの間を抉って、向こうの壁にまで大きな風穴を開けていた。




