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1章 SideL 3-5


 ――いきなり斬りつける奴があるか!!

 俺の焦りをもろともせずに、ミルフィは黒い雨を振り切り甲板を踏みしめた。


 ――《双短刀術ドプレ・ダガ


 刺身包丁の鋭い刃先が、船灯の光を纏って怪しく煌めく。

 

「が……がぼぁっ!! ばばばがあああ!!!」


 壊れた重機の如き“ノス”の悲鳴。

 下唇から歯茎までをVの字に切断され、言語を発する事すらままならない様子である。

 深い切り口からは、油の乗った赤身が覗き、その繊維の隙間からは未だ、アッシュを示す墨汁の如き血液がにじみ出ては流れている。

 

「ヴァヴァンヴォオオオオオ!!!!」


 聞き取れないマグロ語で叫んだ彼は、一気攻勢、目頭を歪ませ、こちらに向かって突っ込んできた。

 丁寧なネゴシエーションを行おうとしていたのに、話し相手でも無いやつが問答無用で斬りつけてきたのだから、逆上して当然だろう。

 

 尾びれを大きく震わせて、ビル程もある巨体を跳ね上げる。

 ぎらり、と白めく光沢の腹が、浮き輪の下から現れた。

 水を切る音に、船体が持ち上がる程の大きな波。

 腹を船へとうち当てるようなマグロの動きに、ミルフィは対抗するかの如く左足から跳んだ。

 うち放たれたアンカーが、湖底を強く噛みしめる。

 

「解体ショーにはならないかも……だけど!!」


 ミルフィの動きは、ひどく直線的なものだった。

 圧倒的な重量をもって迫る力を、圧倒的な速度をもって相殺するかの如き弾丸のような跳躍である。

 コートの内側から生足を覗かせ、右の膝を折り曲げる。

 相手の推力を殺すべく、足の裏全体で押し蹴りを放つ体勢にはいった。

 どずり。

 ――鱗がへし曲がる、鈍い音。

 肉の赤身に包まれたノスの腹部が、指を突き立てたパン生地の如くほんの一部だけ小さく歪む。

 若干の、跳ね返り。

 ミルフィはそのまま、垂直の壁に着地するように膝を折ると、逆手に持った二本の包丁を、深く“腹かみ”に突き立てた。

 

「硬ったああああ!!!!」


 広背筋を絞り、

 Xの字に肉を切り裂く。

 サイズが大きくなれば、それだけ表皮も硬質なものになる。

 ミルフィはマナを纏った体を軋ませるようにして、無理矢理両腕を振り切った。

 ずぷずぷと白い肌が裂け、内側から濃い体液が吹き出す。

 血濡れになったマグロの表皮が、船の船首にキスした瞬間、ミルフィはその腹を蹴り、とんぼ返りで甲板へと舞い戻ってきた。

 ――“始めから決まっていた”かのような躊躇いのない動きであった。

 

「はぁっ、はぁっ……」

 

 激しい喘息が、冷たい雨音に混ざって消える。

 片膝をついたミルフィの額には珠の汗が伝い、ふくらはぎの筋肉は千切れんばかりに震えていた。

 今のミルフィのマナコントロールでは、限界ギリギリの肉体強化を続けるだけでも相当な体の負担になる。

 あんな巨体の体当たりを抑えるほど強い蹴りを放って、なおかつ両腕も――かなりの無茶をやっているに違いない。

 

「ミルフィ。そこまでしてアイツを倒す必要、あるのか? 見ろよあのスクランブルエッグ見たいな目。『だずけでぐださ~い』って」


 俺はミルフィの隣へ歩き、落ち着かせるように尋ねた。

 彼女を止めようとしているわけではない。

 ただ、理由を聞きたかったのだ。


「――じゃあ、どうしろって言うんですか」

 

 船べりに波が打ち付ける。

 ミルフィはふらつく足で立ち上がり、迷いを孕んだ言葉を吐いた。

  

「カリアさんはもう手ぇ出しちゃってるのに、勝てないってわかったらスゴスゴ下がって、皆さんの無念も晴らせないまま終わって良いんですか?」

「そういう判断も時には……」

「元々ぶっ倒すつもりで来たのに? もう二度と会えないかもしれないのに? 相手が良い奴っぽかったからお言葉に甘えて――なんて」


 俺の言葉を遮って、ミルフィは強く前を向く。


「そんなの、わたしは絶対イヤです」

 

 ――雨音が、やけにはっきりと聞こえた。

 

「ガロロロロロロ!!!!」


 甲高いマグロの奇声が、波を踊らせる。

 痛みに悶え、全身をぐねらせるノスは、半ば狂気に取り憑かれていた。

 眉間を丸出しに突っ込んでくる黒い塊を、ミルフィは甲板の一番前で待ち受ける。


「カリアさん。銛、構えてて下さい。最後は連携でいきます」

「あ、ああ。わかった」


 どう、と飛沫ひまつが上がった。

 死に物狂いの特攻である。

 黒血混じりの雨が、俺のビニルに粘り付き。

 

「マグロジェノサイドスラッシュ――――γ(ガンマ)!!」

 

 ミルフィは跳んだ。

 ゴム靴で地面を掻き、体に捻りを加えた跳躍が、巨大マグロの激流とぶつかる。


「ざらあああああああああああああああああっ!!!!!」

挿絵(By みてみん)


 ずじゃっっ!!!

 振り上げられた二閃の光が、銀の鱗を切り下ろす。

 ぐぢ、と一度引っかかる刃を、力で無理矢理振り抜く。

 マグロの眉間に、深く刻まれた痕。

 吹き上がる血しぶきが、ミルフィの服を黒く塗り上げる。

 

「斬れろッ!!」

 

 体を旋回させ、今度は逆、左上から斜めに斬りかかる。

 喉から唸るような声を上げ、逆手に持ったやいばが、生々しい音を立て肌を引き裂いた。

 重なりあった傷口は、鱗がめくれ肉が丸出しになり、どろどろと溢れる返り血の中心――真っ赤に潰れた目と目の間を、ミルフィは蹴って跳び降りる。

 シュートを決めたストライカーみたいな、得意さと興奮の入り混じった表情。

 その視線は、雄叫びを上げモリを振りぬく彼女の依頼主――カリアの方に向けられていて。 

 黒い輝きが、船上の雲をつんざいた。

 

        ◆

 

「ギャッ――――」

 

 紳士な巨魚の断末魔は、なんともあっけないものだった。

 正確な軌道で打ち出された銛は、マグロの額に突き刺さり、柄の中腹が見えなくなるまで深くその身を抉っている。

 動力を失った巨体が船首にぶつかり船を揺らすが、そこは腐ってもマグロ漁船。そう簡単に転覆するものでもなく、大きな揺れを何度か振り戻した後は、元の通り――少なくとも甲板は上を向いていた。

 

「はぁっ……はぁっ……。やった……」


 雲の切れ間から、光が差し込む。


「はい。やりましたね、カリアさん」

 

 仰向けに倒れるミルフィと、両手を膝に手を置くカリアは、互いに向き合い、憑き物が取れたみたいに微笑んだ。

 黒髪が、ゆらりと俯き、両腕から力が抜けていく。

 カリアの瞼が閉じた。

 感極まって頬を伝う、一筋の清い光の粒。

 唇から漏れた、小さな嘆息を引き金にして、船内が二人を称える喚声に包まれた。

 

「おい、嬢ちゃんやるじゃねぇか!!!」

「良かったなぁ、カリアさん!」

「これでアイツも報われるだろうな……」


 四十半ばの漁師たちが、みな甲板まで走り寄り、ひしめく。

 金切り声と指笛が入り交じる喧騒の中、俺はひっそりと一人、船首に座って湖面を見つめた。

 血の黒と、水の青、それから油の光が入り交じる湖面。

 そこに浮かぶ、潰れたマグロの顔。

 ぼうっと空を見上げるような、生気の消えた瞳の奥を、俺はいたたまれない気持ちで覗き込む。

 

「同情すべきかせざるべきか……」

 

 コイツはマグロだが、人間の言葉を喋ることが出来る。

 コイツをただのマグロとみなすなら、俺だってただのキュートで天才のぬいぐるみだ。

 なら、俺はこの世界の住民にとって、ただの玩具にすぎないのだろうか。

 

「どーしたんですか?」


 小さな影が俺を包む。

 両手を後で組むミルフィの愛らしい顔つきが、センチな気分を忘れせてくれる。


「お前さんと旅してると退屈しないなって」

「うわ、白々しい……」

「嘘は言ってねーよ」

 

 俺はマグロを背に立ち上がり、ぴょこんぴょこんと甲板まで跳び下りた。

 いつの間にか体に馴染んでいたビニルのカッパを脱ぎ捨てて、アルコールの香りに満ちた船の中央へ歩き出す。

 背後で鳴る、吸い付くような靴音。

 ふわ、と耳の裏地が、暖かい手に包まれて。

 ――そういや、なんでこういう時って都合よく晴れたりするんだろうなー……なんて、俺は思ってみたりした。

 

        ◆

 

 それから数時間後。 

 巨大なマグロを引っ張って、港に着いた俺達は、漁師の連中とは別行動を取ることになった。

 夜には関係者全員でパーティが開かれる予定だが、それまでは自由にしてくれと、カリア達が気遣ってくれた所以ゆえんである。

 ミルフィが初めて商会から渡された報奨は、マグロの懸賞金も上乗せされ、向こう数週間は衣食住に困らないくらいの額であった。

 今、彼女は袋の中の札束を顔を赤らめ眺めて歩き、俺は自分にもそんな時期が有ったことを思い出す。

 

「初任給……ヤバい、めっちゃ多いですね……!!」

「そのうち満足できなくなってくる」

「うるさい!! 今はこの喜びを噛み締めさせてくださいよ!!」

 

 夕暮れの街に向け伸びる、長い影がステップを踏む。

 朝も早くから動きっぱなしだったというのに、コイツは未だに体力が有り余っているようだ。

 

「初めて貰った金なんだ。お前の使いたいようにすればいいさ。隣町も近いしケチるところじゃない」

「ふっふっふ……買いたい物は決まっているのです……!」

 

 含みのある笑みを浮かべ、彼女が向かった先。

 それは俺の想像と違わぬ――街で一番大きなおもちゃ屋であった。

 

「あはぁ~!! これこれ!! “ハイグレードボンディ”のミストカイザー変身セット!! 今までバラで売りされてた127種類のパーピテイトチップがフルクオリティで全部揃った超完全版セットなんですよぉ!!」


 ミルフィは自分の両腕いっぱい程もある巨大な箱を重そうに抱え、細い通路のド真ん中で小躍りして喜色をあらわした。


「えげつねぇ商法だな」

「うぇへへへへ……」


 昭和漫画のゲスキャラの如く頬を緩ませる彼女の元に、下の棚を覗きに来た子供がたたらを踏む。


「お前さん公衆の面前でなんつー顔晒してるんだ。横のお子様がヒいてるじゃないか」

「いいだろう、ボクー! お姉さんは自分でお金が稼げるから何だって買えるんだよぉ? フハハハハ!!」

「やめろ大人げない!!」

 

 俺は調子にノリまくる彼女のフードをひっつかみ、レジまで無理矢理連れて行く。

 そういったやり取りを十回ほどやったあたりだろうか。

 辺りは暗くなり、俺と彼女がぶら下げている荷物の量的に、もう十分だろうというところで。

 

「もう一軒だけ!!」

 

 どうしても、と言うミルフィに続き、到着したのはアクセサリーショップの入り口だった。

 彼女のような若者から老人まで、幅広い年齢層に向けてネックレスや小物を取り扱ったそこそこ贅沢な店である。

 一応こういうのにも興味があったのか、と俺は内心で彼女に対する認識を改めたが……茶化すのは辞めておいた。

 

 ミルフィはあれこれ指さしながら、数分店内をぐるぐるした後、顔色を伺いつつ俺に向かって口を開く。

 

「あ、わたしちょっと時間かかるかもなんで、うさぎさん適当に回ってきてくださいよ」

「早くした方が良いぜ。もう飲み屋ではパーティが始まってる時間だ。主役の片方が居なくちゃ酒の味も落ちる」

「わかってますって」

 

 俺はやや不貞腐れた表情をつくり、バッグチャーム売り場の前で彼女と二手に分かれる事となった。

 こんなにわざとらしくやられちゃ何かプレゼントを買ってくれるって丸わかりなのだが――

 

「ミルフィだからなぁ」


 裏切られる可能性は二十分にある。

 しかし、流石に――

 

「期待しないで待っておくか」


 俺は苦笑し、彼女の向かった反対方向へと、重たい体をはためかせた。

 そして。

 

        ◆

 

「目、つぶってください」


 人通りも少なくなった道の端。

 店を出てからずっと満面の笑顔を浮かべていたミルフィは、俺を追い抜かすように一歩前に出て、振り向いた。

 からり、と大きな袋の中で、おもちゃの箱が擦れて音を立てる。

 街灯のほのかな明かりが、彼女の柔らかな頬を赤く染め上げていた。

 

「どうした。ショッピングの次はかくれんぼか?」

「いいから気を付け! 目閉じてください!!」

「わーかったよ」

 

 睨まれてしまった。

 これ以上からかうのはヤメにしよう。

 俺は彼女の言うがまま、両手の荷物を石畳に下ろして目を閉じる。

 

 袋をかき回し、手の中で小さな箱が……。

 ――ビリッ!!

 こいつ、包装紙破りやがったな。

 厚紙が擦れる雑な音がしたと思ったら、今度は前触れもなく喉元をぎゅうと掴まれた。

 

「薄目開けちゃ駄目ですからね」

「わかってるわかってる」

 

 随分待たされた後、首元が引っ張られる感覚。

 短くて長い時間の先に、ぱち、と金属の鳴る音がした。

 

「はい。もう大丈夫ですよ」


 声に続いて、俺はゆっくりと瞼を開く。

 音のしたあたり。

 首を曲げ、真っ白にたゆたう腹を覗き込む。

 すると、唯一の衣服であるネクタイの先に、街角の光をいっぱいに吸って輝く、一つの虹彩が目に入った。

 

 ――小さな翼のモチーフが付いた、シルバーのタイピンだった。

 

 俺はその、高級感のある重みを右手の肉球に乗せて、じっと見つめた。

 デザインとしては無難だが、羽先の可愛らしさと、所謂“カッコよさ”を同時に内包した、彼女らしい逸品であった。

 

「あんまり驚いてくれませんね……」


 反応が期待と違ったのだろう。

 ミルフィは俯き、唇の先で聞こえるように呟いた。

 俺はその様子を見て、彼女の元へと耳で羽ばたく。

 ――しなだれた長髪を、優しくかき上げて答えた。


「いや、凄く嬉しいよ。……最高のプレゼントだ」

 

 純粋な気持ちの贈り物なんて、本当にいつぶりだろうか。

 喉を締め付けるような幸せに、俺はほんの少しだけ自失していただけであった。

 桃色のベールから覗く、火照った頬が、灯籠の如く俺に向き直り。

 

「いや、喜んで欲しかったんじゃなくて驚いて欲しかったんですけど……」

「なんだそりゃ!!」

 

 どういう不満だよ!!

 

「ま、いいです」

 

 そう答え、彼女は両目を細めて笑う。

 盛り上がり半ばに参加したパーティで俺は、柄にもなく甘い酒ばかりをグラスに注いでいた。


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