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1章 SideL 1-3

「地獄絵図だな、こりゃ」

 

 まるで他人事の様にぼやく俺を抱えて、ミルフィは人の波と反対方向に走り出す。

 すれ違う老若男女はみな逃げる事に必死な様子で、彼女の姿を横目で見るだけで声すらかけやしない。

 なんとも薄情な奴らだ、とはならなかった。自分の身が危ういとなれば、至極当たり前の反応である。むしろミルフィを捕えて生贄として差し出したりしないだけ、人格者の集まりの様にも思えた。

 ――俺が、今の立場でなければ確実にそうしている。

 

「マナポートはどうなってるんだ!!」

「それが……誰かに壊されてたんだよ、畜生が!!」

 

 正面から逃げて来る、壮年の二人組の会話が聞こえた。

 ≪マナポート≫……各村に置かれた魔力供給装置から発せられる障壁によって、村は魔族の侵入から守られている筈であるが、どうやらそのマナポートが何者かによって破壊されていたらしい。

 陰謀めいたものを感じて、抑えられなくなる好奇心は――悪い癖だな。と、自分を戒めている所に、どすんと何かが衝突した。

 

「ご隠居さま!!」

「おお、ミルフィ君か……。早く逃げなさい」

 

 倒れかかった老紳士――ご隠居と呼ばれた白髪のおきなを、ミルフィが肩で支えている。

 古い紙束の香りが服に染み付いているのと、相当年配であるにも関わらずハキハキとした声色が、濃い知性を感じさせる老人である。

 

「いえ……あの――」

 

 うろたえながら周囲を見渡し、彼を預けられる人を探すミルフィ。

 その邪魔にならぬよう、ぴょこんと飛びのいた俺の毛が、着地と同時に逆立った。

 

 ――“暑”い。

 

 周囲の気温が突然吹き上がり、肌から水が抜けていくのを感じる。

 

『オ゛ォォォ……』

 

 地面を揺らす、ドウマルの唸り声。

 強大なマナの滾りを知覚し、叫ぶ。

 

「かがめ!! ミルフィ!!!」

 

 咄嗟に、ジャケットのフードを引き下ろした。

 ぶわぁっと吹き抜ける怒涛の熱風が、桃色の髪を痛めつける。

 周囲の建物の表面が削れ、吹き飛ばされた壁や、熱で溶けかけたガラスが、俺の隣を転がっていた。

 ――ドラゴンだから火を吐くなんて芸の無い攻撃だ。などと、笑っていられる状況ではなかった。

 

「あ……ああっ……!! はたけが、みんなの、家が……」

 

 奥歯を鳴らす、ミルフィの顔が青ざめている。

 ――村の半分、これから収穫期を迎える筈だった田畑が、まるまる消し炭と化していた。

 空色の瞳に滲む、熱い涙。

 強張る舌の隙間からは、堪えきれない悲憤の息遣いが漏れ出している。

 

「く、ぅぅう゛う゛う゛うう!!!!!!」

 

 拳を握り、ご隠居の制止を振り切って、彼女は乱暴に走り出した。それに半歩遅れて、俺が後ろから陽炎を纏った背を追う。

 くそっ、脚が短い。

 余りにも緊張感の無い絵面だが、俺は彼女に追いつく事を優先し、耳を振り回して飛んだ。

 

 来た通り――今は焦げた獣道と化してしまったソコを抜け、村の入り口。

 俺と彼女が出会ったあの木の焼け跡に、やっとの思いで辿り着く。

 肩で息をする俺の前に、ミルフィの背中が見える。そして彼女が歯を食いしばって見上げる先には。

 

(はは、ヤベぇな…こいつは)

 

 ――予想通り、“白い壁”が蠢いていた。

 

挿絵(By みてみん)


 俺の全長よりはるかに大きな四本の爪を持つ、異常に発達した前脚。

 

 地面から3mほどの位置を起点として、直立するように胴が伸び、その中腹には二本の禍々しい前腕が生えている。

 そして、俺の目をくらませるのが、≪ドウマル≫最大の特徴である、全身を覆い輝く白の外骨格。

 皮骨が変化し鎧の如く硬質化したそこから覗く、灰がかった緑の体皮がうねり。油のような濃い体液が、凹凸の深い表面を濡らしていた。

 

(こういった恐怖には、慣れてるつもりだったんだが……)

 

 心臓が、ねじ切れそうだ。

 アラスカでグリズリーと対峙した時の比ではない。

 人生で味わった事の無い強大なプレッシャーを浴び、綿が抜かれてしまったみたいに体が動かなくなる。

 地面に、へたり込んだ。

 対象が大きすぎて顔が見えないゆえに、何とか正気を保っていられるが、いつ気絶してもおかしくない――それ程の重圧が俺の全身をキリキリと締め付けていた。

 

「証を持つ者か」

 

 野太く、地を抉るような声に、吹き飛ばされそうになる。

 

「我と共に来い。この意味が判らぬほど、愚かでは無いな」

 

 有無を言わさぬ脅迫だった。

 力の強い者が弱い者を蹂躙する、弱肉強食の世界で生きて来た者の、言葉。

 腹の底が冷え上がるような恐怖に、尾っぽの先から毛が縮む。

 幾多の困難を乗り越えて来たいい大人の俺ですら、これ程までにおそれを感じているのだ。齢16の少女には耐えがたいものだろうと、固まった首を軋ませるように捻り、斜め前の少女を見やった。

 

 ――彼女は、天を睨み付けていた。

 

「なんだ……喋れるんじゃないですか」

 

 ――両足を、大きく開き、腕を腰に当て。

 

「てっきり、言葉わかんないと思ってましたよ」

 

 ――威風堂々と、もの申す。

 

「だったら……謝って下さいよ!!あれ!!」

 

 ……バカか??

 彼女がビシィと指さす先は、当然村の焼け跡だ。

 だが、そんなことはどうでもいい。この、自分より数倍は大きな敵を前にして、なぜそう…無遠慮でいられるのか、俺には理解不能であった。

 

「この村は……野菜は、稲は、みんなが一生懸命汗水たらして作ったモノなんです。もうすぐ収穫祭だねって、昨日もご隠居が話してたんです!!」

 

 ミルフィの怒号は徐々に大きく響くようになり、感情が乗って来る。

 

「それを……何ですか! 一言いえば良かったじゃないですか!! 『星懸かりの証を持ってる人は居ますかー』って! 何の為にデカい口付けてるんですか飾りですかバカですか!!!!」

 

 幼稚園で友達を虐めてしまった子に、先生がするお説教みたいな事を言いだした。

 謎の勢いに気圧されたのか、ドウマルの喉仏が大きく上下し、あらぬ方を向いていた首がしっかりと下を向いてミルフィの姿を捉える。 

 こ……怖えぇぇ……。

 骨格で作られた鉄仮面の内側に、保護膜に包まれる大きな眼がぎょろりと覗いて、耳の辺りまで裂けたわにに似る口からは、獲物を前にした肉食獣の如く大量の涎が溢れていた。


「貴様、自分の立場がわかっているのか」

「わかりませんよそんなの! でも……わたしは私の正しいと思う事をする……今の私のしている事は、間違ってなんかいない筈です!!」

「力の無い者が……」

 

 ゴウ、と翼が舞い、暴風が吹き荒れる。

 かまいたちが木々を薙ぎ、地を踏みしめるミルフィの頬に、一筋の斬り傷が生々しく刻まれた。

 それでも彼女は巨体を睨んだまま、目を離さない。

 

「力がない事は、抗っちゃいけない理由にはならない……」

 

 風が、治まった。

 ミルフィは右手の人差し指をカギの形にして、頬の血をビュッと払う。

 闘志を纏う背中が、頼もしい。

 

「では、どうするというのだ」

「それは……それは――」

 

こすった指を、そのまま顎に持ってきて、首を捻る。

 まさか何も考えて無かったのではと、いぶかしんだ瞬間。ミルフィの表情が、お花畑のようにぱぁっと明るくなった。

 アホ毛が立ち上がり、二重丸を描く。

 

「うさぎさん! ジャンプです!!」

 

 振り向いたミルフィが、両手を広げて俺に合図を出した。

 よくわからないが乗るしかないと、その胸元へ飛び込んでみせる。

 ――何か、思いついたのか?

 

「ああ、違う違う……。こっちじゃなくて、逆向き……」

 

 体を回された。俺のプリティなお尻がミルフィの腹の辺りをふさふさと撫でる。

 

「な……何をするつもりだ? 悪いがソッチの開発はまだだぞ!!」

「痛かったら、ごめんなさい……ね!!」

「ひう゛ッ!!」

 

 ぐに、と尾骶びていを思いきり掴まれた感覚が、俺の腹綿ハラワタを突き抜けた。

 全身の体毛が光を放ち、うずもれたお腹の中で、魔力の爆発が無数に飛び散り――。

 

 ――驚き、見開かれた空色の瞳。その光を弾く瞳孔どうこうに、俺の姿が反射して映る。

 正確にはそれは、俺の元の姿を模した、パペットの像であった。

 もっと正式に言えば、ハンド・パペット。あの、口が真っ二つに裂けてて、親指とその他四本の指でパクパクさせる、アレだ。

 生地の質感をそのままに形を変えた俺の身体からだが、すっぽりとミルフィの右手を覆って、彼女の意のままに動く形へと変形していた。 

 

「え゛ぇぇぇぇえええええええ!!!! 何だこれ!!」

 

 ……あ、喋れた。って、そんな事はどうでもいい。

 何だこの、腹の中に別の人間の手が蠢いている感覚は!! 

 

「うわっ! 本当に出来ました!!」

「『できましたぁ!』じゃない! 説明しろミルフィ……って、“お前”、それ……」

 

 喜び、跳ねたミルフィの中央で。『ぽよんっ』と、何かが揺れていた。

 いや、女の子の身体の真ん中で揺れるモノなんて一つしか無いのだが、彼女に限ってそれは、無かった筈の物であった。

 視線が、吸い寄せられる。

 違和感に気づいたのか、ミルフィの首が恐る恐る真下を覗く。

 ――足元は、見えない筈だ。

 

 スポブラに似た、薄手で黒い胸部の布地。伸縮性の高い服の内側がはち切れん程に伸びきって、繊維と繊維の隙間から、うら若き生肌が透けている。

 体を揺らす度、一つのまとまりとなって震える双丘は、確かに、ミルフィのなだらかな鎖骨から、同じ皮膚をつたって膨らんでいた。

 押し詰められた乳の中央部では、肉の渓谷がひしめき合い。まろやかな果実の頂点では、小生意気な突起がぷっくりと張り出して、そのいじらしさを主張している。

 とどのつまり、ミルフィちゃんは巨乳になっていたのだ。

 

 野暮な事を言うが、この現象は『こっち世界』では有り得ない事ではない。

 ガレットピアに存在する《マナ》――大雑把に言えば『魔術の材料』は、生命力の最も密集した部分、即ち人間であれば胸部に密集する性質がある。

 個々人で異なるマナの最大貯蔵量に近ければ近い程、その胸は大きく膨らみ、何らかの方法で消耗すれば、一時的に縮むという現象が起きるのである。

 つまり今回のケースは、俺の意識が介在された事によって一時的にミルフィの体内でマナの上限が解放され、貯蔵タンクである乳が膨らんだ…という事になる。

 などと、大真面目に考察してはみたものの、当の本人は。

 

挿絵(By みてみん)


「おっぱ…おぱぱ、おぱ、ぱいおっぱぱ…」

 

 ……余りの感激に、頭がショートしていた。

 声を上づらせ、半泣きになりながら、両手で自らの膨らみを揉みしだいている。

 そんなに嬉しかったか。嬉しいだろうなあ。男で言ったら突然身長が10センチ伸びたようなモンだもの。

 ――ちなみに、モミモミする片方の手は、パペットになった俺の口の部分だ。多くは語らないが……素晴らしい舌触りであった。

 

「って、感激している場合じゃないぞミルフィ」

「だって! おっぱいが…お゛ぉっぱいがあああ!!」

「少しは落ち着いて……――ッ来る!!」

 

 突然、空が暗くなる。

 見上げると同時、巨木の如きドウマルの前脚が、轟音を上げて迫った。

 脱力しきった身体に力を籠め、必死に後ろへ飛び去る――

 

「うわっ! あっ! とっ……!」

 

 思いもよらない風圧が、ミルフィの背を薙いだ。

 周囲の木々が一瞬にして前方へと流れ、直後、体勢を崩して宙返る。

 倒れないよう、両手を地面に着いた。

 四足の獣の如き体勢で、爪を立て土を掘り、やっとの思いで止まる。

 地を削る俺の口にもガリガリと小石がなだれ込んでいるのだが――まぁ、許そう。さっきのと相殺だ。

 向き直った時、ミルフィとドウマルとの距離は10mほどまで広がっていた。

 

「ど……どうなってるんです? これ!?」

「身体能力が格段に向上しているな。俺に何をした? ミルフィ」

「マジックアイテムの……起動の術式です」

「――なるほど理解した。偶然とはいえ天才的な発想だ。しょっぱな俺をアイテム扱いした事は非常に遺憾だがな」

 

 会話する俺達を、再び巨影が覆い隠す。

 今度は横っ飛び――行き過ぎた分、木に手をついて衝撃を抑える。

 

「えへへ、褒められちゃいましたぁ☆ ――で、何が『なるほど』なんですか!?」

「マナにおける形質操作の転移ってヤツだ。今は理解しなくていい」

「あぁ゛……一生理解しなくていいです……」

 

 明らかに嫌そうな顔をするミルフィに向け、間髪入れず、風の凶器が襲い掛かる。

 木の根が抜けるほどの防風に舞い上げられ、間合いが離された。

 効果的だが、単調な攻撃。

 ドウマル自体、人間のような矮小な生物と戦う為に進化した身体ではないゆえに、本人もやきもきしている様に見える。

 それに、ミルフィの方もコツを掴んだみたいで、既に着地までの動きはかなり安定していた。

 

(やはり、この娘のセンスはずば抜けている……が、動作は“まがい物”のそれだな。戦闘術の……真似事か)


「あの風、厄介ですね」

「ああ。体勢でどうにか出来る次元の風力じゃない」

「どうすれば良いんですか?」

「何とか力を左右に逃がすか、翼を戻す時の逆風を利用するしかないでしょ」

「……超☆了解です!」


 グォォォ……!!

 轟音を纏った羽ばたきが、空気の壁を作り出し、迫る。

 ミルフィはそれに正対し、半月立ち――少し足幅を狭めて腰を落とす。

 指先をぴんと伸ばし、上段に構えた。

 肺に空気を送り、唇を噛み締める。

 木々のざわめきが順に近づき、桃色の髪を撫でる寸前。

 マナを帯びた手刀が、短い呼吸と共に、振り下ろされた。

 

 ――風圧が、“斬”れていた。

 ミルフィの左右の土が、抉れる。

 気流の中央に、空気の道が吹き抜け、境界面が軋んで吠える。

 ――デタラメな対処法すぎて、俺は思わず笑ってしまった。


 靴で地面を押し潰し、踏み出す。

 距離を詰め、どてっぱらに蹴りを放つ算段であった。

 10m近い間合いが、一瞬にして切迫する。

 その瞬間。

 右方から、強い生肉の臭いが襲った。


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