1章 SideL 3-3
俺の洗濯が終わった時、カリアは夕飯の準備をしている最中だった。
包丁がまな板を叩く小気味良い音が、隣の部屋まで響く。
庭付き一戸建てに一人暮らし。レンガ造りの壁と木製の床が、温かみを感じる、立派なお家である。
今しがたまで干し紐に吊るされていた俺は、生乾きの背を積まれたタオルに包めて、ダイニングの椅子にもたれていた。
テーブルを挟んだ正面では、空腹に飢えたミルフィの腹がガルルと咆哮を上げている。
3分ほど待ったあたりだろうか。洋風な木皿にミスマッチなアラ汁が、ことりと音を立て俺達の前に運ばれた。
隣には貝のつぼ焼きが、磯の香りの湯気を発して灰色の殻を輝かせている。
水で体が冷え切った俺に、この暖かな汁物はありがたい――が、昨日のにんじんスティックとはうって変わったメニューに、俺は思わずカリアの焼けた顔を見つめた。
「ミルフィから聞いたよ。普通の料理で良かったんだって? 昨日言ってくれれば良かったのに」
……なるほど。そういう筋か。
短い眉を、バツの悪そうに歪ませるカリアから視線を外す。
――ミルフィは、机の向こうで我関せずと貝の焼き身に齧り付いていた。
「誰かが作った飯に文句を言うのが嫌いなんだ。出てくるメニューは、その時の俺の価値が決めるものだしな」
「ふーん……あんた、意外に殊勝なウサギなんだね」
「頑固なだけさ」
「いただきます」と一言。
右手で器用に匙を持ち、旨味のたっぷり溶け込んだ汁をそっとすすった。
少し辛めの味噌の風味。
そこにあっさりとした魚の身が絡んで、新鮮な油が頬の内側をするりと抜けていく。
味は濃い目だがクセの無いスープに山椒の刺激がいい塩梅にマッチして、見せかけとは裏腹に、とても丁寧に作られたことがわかる。
「美味い……。あんた、いい嫁さんになれるぜ」
「ウサギに言われてもね……」
そりゃそうだ。
いくら一人で生計を立てないといけないとはいえ、彼女ももうそれなりの年齢。
女性は15歳から結婚が認められているこの辺りでは、20で旦那が居るなんていうのは全くおかしい事ではない。
「おかわり、お願いしまーす!!」
――などと、俺が要らぬ気苦労をしている間に、ミルフィの皿の上は綺麗さっぱり無くなっていた。
「少しは遠慮を」と諭す俺に、「良いの良いの」と山盛りの茶碗を差し出すカリアの声が届く。
「ミルフィは育ち盛りなんだから。いっぱい食べてちゃーんと働いてもらわないと」
「ふぁひ! はふふぁふひまふ!!」(はい! 頑張ります!!)
そう言って、ミルフィは白米を口に放り込む。
冒険者と宿主というよりは、田舎のばあちゃんと孫みたいな会話である。
――ばあちゃん、元気にやってるだろうか。
「どうした?」
ふっと過去を思い出したタイミングで、カリアは俺を心配するように首を傾げた。
気を使わせてしまったみたいだな。
「あ、いや。考え事をしていただけだ。ところでカリアはビッグバンについてどれ位調べてあるんだ?」
俺はつぼ焼きの最後の一口を飲み込み、尋ねた。
「それが……全然。事故で漁師仲間が何人かやられた後、討伐隊が組織されたんだけど……結果はボロボロだった。住処も見つけられず、手に入ったのはこの湖の中央あたりで毎年姿を見せるって事と、晴れている日よりは時化の方が見つかりやすいって事だけ。そもそも、一年に一回黒い頭が水面に出れば良い方って言われてるバケモンをどう捜査しろって言うんだ」
「なるほど。それなら俺が持ってきた情報は役に立ちそうだ。骨折り損にならなくて助かったぜ」
「続きは片付けの後に」と言って、俺は両耳で食器を運ぶ。
どうして彼女がそこまでマグロに固執するのか、想像つかないワケじゃないがな――
◆
食事の後、俺は今日の成果を話すため、ミルフィとカリアをリビングに呼び寄せた。
フローリングの床に置かれた四角いテーブル。俺はその天板に座って、得た情報を二人に解説しているところである。
「ビックバンをニンジンでおびき出す?」
机上に広げられた、古い湖面の地図。カリアはその真ん中あたりに有るバツ印を指でさし、怪訝な面持ちで俺に尋ねた。
「そうだ」
真剣な表情の俺とカリアに、横でぽかんとアイスティをすするミルフィ。まぁ、コイツは着いていって出番が来たら暴れ回るだけだから変なこと考えなくても良いだろう。
「奴の生活中心点はここ。湖の中心から東に約2000mの地点だ。そこから好物であるニンジンをぶら下げたカーテンを作り、流し網の要領でターゲットを誘導する。目標ポイントに近づいたら一本釣り、戦闘の末捕獲……っていうのが妥当なセンになると思う」
まずビックバンの本体を、回遊ルートから外すことで混乱させ、そこを捕らえる作戦であった。
情報が少ないゆえに、カリアはガセで元々といった態度。意欲があって且つ従順な協力者というのは非常にやりやすい。
「そもそも、なんで水中に居るヤツが、ニンジンなんて地上の野菜を知ってるんだ」
彼女は地べたにあぐらをかいて、その両膝を押しつつ聞いた。
ショートパンツから覗く生の太腿が、健康的な美しさを放っている。
「釣り人の道楽と考えるのが普通だろうな。もしくは――別の魔族の入れ知恵か」
ゆっくり首を捻る俺に、横槍を刺すかの如くミルフィの声が飛んでくる。
「ニンジンが美味しいぞ! なんてわざわざ言う奴居るんですか?」
「可能性の話だよ。実際、《インチュア湖》は強力な魔族の移動を阻害するマナポートの守護範囲外だ。野菜が好きな魚が居たっておかしくない」
「喋るぬいぐるみが居るくらいですしね」
「……ま、そうだな」
何事にも、イレギュラーは存在する。
ビックバンマグロだって、そもそもマグロの突然変異体にほかならないのだから、その異常さがどれだけの効果をもたらしているかについては、考えうる範囲でなるだけ広く推察する必要があった。
「と、だいたいこんな感じだ。出港はいつになる?」
「予想では、2日後の朝になると思う。だいたい人数は10人くらい」
「了解だ。ビックバンは紳士的な男らしいから、こっちもちゃんとした装備で行った方が良さそうだな」
「どこからの情報なんだそれは……」
「風の噂みたいなモンだよ」
カリアは苦笑しつつも頷き、ぱたりと床に背中をつけた。
今日も仕事に出ずっぱりで、俺達にも気を使っているのだ。疲れて当然だろう。
「あの……」
からり、と氷の音を立て、ミルフィは俯き口を開く。
彼女にしては随分と遠慮がちな態度。続く言葉は、俺にも予想出来ていた。
「どうしてマグロに拘るんですか?」
……話も一段落ついた所だ。“聞くなら”タイミングとしては間違っていない。
俺達はハードボイルドな仕事人ではなく旅の冒険者。行きずりに業を背負うのも、――勇者を目指すなら――箔がつくというモノだろう。
カリアは床に両肘をつき、体を起こして目を閉じた。
紅梅色の唇が、息継ぎと共にふっと緩む。
辛さを誤魔化すためというよりは、喋り慣れた雰囲気であった。悲しみを遠い過去に置いてきてしまった……そんな表情である。
「巨大マグロが出現して、沢山の漁師が命を失った……」
明瞭だった声をすこしくぐもらせて、カリアは語りだした。
その漁師の中に彼女の父親が居たんだろうな、と予想していた所に、彼女は続きを被せてくる。
「すると、収穫不足で海産物の値段がぐっと上がった。海産物の値段が上がると寿司の値段が上がるだろう?」
――ん?話が変わって来たぞ。
「寿司の値段が上がると、接待の店で使われ辛くなるじゃないか」
確かに、ただでさえ値段が水物となる寿司屋は、そうなると敬遠されるかもしれないが……。
「そうすると、代わりに密会の場として料亭が繁盛するだろう。だからアタシの母さんは金に物を言わせた料亭の主人に靡いたんだ。おかげで両親は離婚。――父はそのショックで自ら命を断ったんだ……」
全然マグロ関係無いじゃねえかあああああああああ!!!!!!
いや、ある。あるけど、恨む相手が違うだろ!!!
「くううううう!!!マグロ、許すまじです!!」
どうしてお前は賛同してるんだミルフィ!!
あれか。同じ父を失った苦しみを……みたいなそういうシンクロナイズか!
突拍子の無さに、頭が痛くなってきた。
「ごめんな、湿っぽい話して」
「いえ、いいんです。聞いたのは……わたしですから」
ミルフィは瞳を潤ませながら、惚けた目線をカリアに向ける。
一方の俺はというと……茶化すのもアレだったから、溜息をつくに留めておいた。
「それじゃ、アタシは明日の準備が有るから」
彼女はそれだけ言い残し、ダイニングから去っていく。
俺とミルフィはいたたまれぬ空気のまま、二人寄り添うようにしてその夜を過ごした……
◆
そして、マグロ船出港当日。
天候は大荒れ、波は高く、湖畔の木々も仰々しくなびいている。
風は俺の毛並みをあざ笑うかの如くうなり、灰色の空からは“雹”の如き鋭い雨粒が降り注いでいた。
俺とミルフィのいる場所は、港の一角。カリアが漁師さんたちを連れてきてくれるまで、カッパを着込んで待ちぼうけである。
濡れると体が重くなるゆえ俺はあまりこういう天気は好きでは無いのだが……
「うひょっほおおおおおおおおお!!!!」
「……どうしてお前さんはそんなハイテンションで居られるんだ」
「だってこんな土砂降りの日に、外出る事なんて中々無いじゃないですか!! うさぎさんも開き直ると気持ちいいですよ!!」
「生憎、俺は雨降っただけではしゃげるほどお気楽パンプキンな頭をしてないんでね」
俺の体格に合った雨具など有る筈がなく、ビニールの袋を加工して作られた服は、ギシギシして正直着心地最悪だった。
しかも雨が予想以上に強く、じっとりと内側が結露で蒸れる感覚は、なんとも気持ちが悪い。
「おっ、居た居たー!」
張り上げるようなカリアの声が、豪雨を突き抜け聞こえてきた。
ため息と共にそちらを見ると、10人程の船人がぞろぞろ後ろに着いてきている。
男が7人と女が3人。全員年はカリアより上くらいで、一人は“いかにも”といった見た目の大男であった。
「嬢ちゃん。冒険者成り立てなんだって? 頑張ってくれよ! オジサン、期待してっから」
その男は熊の如き体型な上、顎の角ばった、まさに豪傑といった様相であったが、話し方もフランクにミルフィの肩をポンポン叩き、真っ白な歯を見せ笑った。
「は……はい! おじさんこそ足手まといにならないで下さいよ!!」
おぉい、ミルフィ!!
初対面の、あんな見た目のヤツに向かってキサマは、命知らずか!!
「お前さん、なんつー口ぶりだ」
「だってうさぎさんってこんな感じに受け答えしません?」
「俺はTPOってモノをわきまえてるから良いんだよ」
俺達二人のやりとりに、オッサン連中はみな豪快に口を開け笑う。
なんというか、『海の男』って感じの雰囲気に、ミルフィと俺も自然に笑顔がほころんでいた。
――いや、湖の男なんだけどな。
「それじゃ、全員俺の船に乗ってくれ。沈んでも全員泳いで帰れるように、《マテオーラ》減らした分浮き輪積んできたから安心していいぞ」
なるほど。船乗りの定番ギャグみたいなものだろうか。
《マテオーラ》とは一種の『マナ燃料』。液状にしたマナを様々な物質と混ぜて安定させた……言ってしまえばガソリンである。
相手が巨大ザメとかだったら最後はこいつをぶっかけて、何故か積んであったダイナマイトでボカン、というのがお決まりのENDなのだろうが、残念ながら“主人公のペット”というポジションはそこまで生き残らせて貰えないのが常である。
「さ、アタシ達も乗ろっか」
俺達が乗る予定の船は『ドードルオーシャン号』。仰々しい名前が付いているが、全長10mほどの極めて普通の漁船である。
強いて特徴を言うなら所々歴戦の傷跡……というより酷くボロがきている所だろうか。
しかし、ここまできて怖気づくわけにもいかず、俺は諦め半分で乗船を決めた。
俺達は巨大な銛を背負うカリアの後ろに続いて、全体の最後尾手前で乗り込んだ。
ミルフィが足を踏み出す瞬間、船体が大きくぐわりと揺れて、彼女の口から「ひぃ」と小さな声が漏れる。
それでも何とか甲板までたどり着き、しんがりが全員の人数を確認してから、船着き場より最後の鎖を外した。
船体をきしませる荒波の中、いざ出港となった訳である。
◆
「で、何だ。この格好は」
船に乗り上げて数分。
俺はカリアの手によって、先日の如く巨大な釣り竿の先にぷらりと吊られた姿となっていた。
しかも今回はご丁寧にお腹にニンジンまる一本を括り付けられ、いかにも『エサです!!』といった様相である。
「いやー。ミルフィが『この方が釣れやすいですよー』って……」
「あいつ……俺の事を使い捨てか何かと勘違いしてんじゃねーか?」
俺は苦笑しつつ目を伏せるが、当の本人はというと……。
「うげぇぇぇぇええぇえええ!! うえっ、やば!! おえっ……じぬ……」
絶賛船酔い中であった。
甲板の端でしゃがみ込み、青いバケツの中に顔面を突っ込んだまま背中を痙攣させている。
「大丈夫かミルフィ……」
「おえ゛っ!! やめろ話しかけんなァ!!」
口調まで変わるレベルなのか。何にせよ重症なのは間違いない。
そもそも船に乗る事自体が少ない環境なのだから、“これも経験の一つ”と、俺は自分を納得させた。
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