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1章 SideN 2-6

 その日の夜。

 俺は鉄檻の中で傷心に浸って寝転んでいた。

 煙を吸えない口元に一抹の寂しさを感じつつ、体を休めて頭を回す。

 ――ちなみに、ガレットピアにおいて煙草のたぐいは禁制品扱い。吸っていても捕まる事は無いし、昨日の会議でも葉巻をポケットに忍ばせていた議員は何人も居たのだが……やはり、好まれるシュミでは無いようだ。

 特に最近はイメージも相まって女性からのウケが悪いらしく、まったく何処へ行っても愛煙家の肩身は狭い――っと。


「……何の用だ」


 明日の進退、そして喫煙者の未来について考えていた最中、眼の前に焦げ茶色の靴先が並んで、透き通ったサントノーレの声が氷柱のように降ってきた。


「辞表を、受け取りに参りました」

「おいおい、自分から渡しに行くこともさせてくれないのかよ。情けないにも程があるぜそれは」


 あまりにも容赦のないクビ勧告に、俺は体を小さく丸めて項垂うなだれる。

 ――さっきまでしたためていた退職届をそっとおなかにしまい込み、しぶしぶ檻から這い出た俺を、サントノーレは摘むようにして持ち上げた。

 

「正式な書類手続きは管理室にて受理しますので、こちらへ」

「はいはい」


 彼女の導くまま、広い回廊を下り、八畳ほどのやや広い部屋に入室する。

 正面の壁に小さな窓と、右手には書類棚。部屋の奥に一人用の机がぽつんと設置してある、オーソドックスな書斎であった。

 ブランの容体について聞きたいが、俺から聞くのは厚かましい気がして、口に出すことが出来ず。

 向かい合うようにスラリと立つサントノーレとの間に微妙な空気が流れる。

  

「……これで、満足か」


 達筆な字で『退職願』と書かれた封筒を不服そうに差し出す。

 見抜かれている状態で提出する辞表がこんなに恥ずかしいものとは、正直思ってもみなかった。

 

 サントノーレはその文字を見て、表情一つ変えぬまま完治した右手を添える。

 ガラスケースに閉じ込めて飾りたくなるほど綺麗な手先だ。

 紙の端を親指と中指で掴み、俺の肉球からそれを引き抜こうとした所で、彼女の腕の動きが固まった。


「待ってくれ。最後に一つだけ、聞きたいことが有るんだ」


 俺は彼女に封を渡すのを拒んで、口を開く。


「何でしょう」

「俺の名前……“デュオ”って、誰なんだ」


 封筒にシワがつくほど強く、サントノーレの指先がこわばった。

 彼女はぱっとその手を離し、一歩下がって瞼を閉じる。

 俺は初めて、瞬いた彼女の瞳を正面から見つめて――それに答えるように、銀髪の給仕は小さくうつむいた。

 

「デュオ“様”の本名は……『デュオ・レジナルド』。ブラン様の『お兄様』で、わたくしの――――主人になる筈のお方でした」 


 ――予想の範疇で有ったがゆえに、さして驚くつもりはなかった。

 しかし、彼女の口からこうも簡単に――辞表と引き換えではあるのだが――その名が浮かんだ事に、俺はほんの少しだけ心を揺さぶられる。

 サントノーレはやけに饒舌になって、溜まっていた思い出を語りだした。

 

「彼……デュオ様は、アッシュを統べる《混沌の帝》たるべき器を持った、公明正大な方でいらっしゃいました。魔術も実技も飲み込みが早く、才能に関してはおそらく、私以上」


 ――謙遜、といった雰囲気ではない。

 

「性格も明るく、幼少の頃から頻繁に陛下を連れて城の外でお遊びなされておりました。二人はそれはそれは仲がよく、本当の、兄妹のような……」

「そうか」


 徐々に声を落とすサントノーレを遮って、相槌をうつ。

 

 ――アッシュの皇族には、二人以上の子が別々の女の腹から生まれた時、血の分散を避けるためどちらか一方の家系を皆殺しにしなければならない法が存在する。

 それを決める方法とは、子を生んだ母同士の一対一の殺し合いによるもので、おそらく、その兄さんは――――

 

「デュオ様が崩御なさってからというもの、唯一の遊び相手を失ったショックで陛下は何事にも無気力になってしまわれました。教育面や政治に関しても優秀だった兄と比較され上手くいかないご様子で――」

「ありがちな話だな」

「お部屋に引きこもっては一日中寝ていたり、娯楽書を読んだり、ぬいぐるみと喋ったり、人間の子供向け番組を見てばかりで皇族として最低限の事すらロクになさらず、挙げ句の果てに《混沌の皇女》を辞退しようかなどと言い出す体たらく」


 ――サントノーレの喋りにしてはやたら語気が強い。あのワガママ姫様のせいで随分と苦労したのだろう。

 

 息継ぎをするのと同時。近づく彼女の両手が、俺のぽてっとした脇腹を揉み込むように掴んだ。

 冷ややかな雰囲気を再び醸す、縫い針のような視線が、大きな俺の瞳の中に潜り込み。

 

「ですから、使いやすそうな貴方を道連れにしようと思って」


 などと、のたまいやがった。

 なんとも可愛げのない照れ隠しである。


「大事なプロポーズは、もっとはっきり言うモンだぜ……」

 

 がっくりと肩を落とし、半眼に目を閉じた。

 ――面倒な“縛り”を、受け取っちまったものだ。


「だが、そんな話聞いたら辞める訳にいかなくなっちまったよ。お前さんだって俺を下ろす気はなかったんだろう?」

「始めはそう……今は半分半分、ですかね」


 黒目がじわりと広がって、物憂げに下を向く。

 主人のことを考えているのだろうか。それとも“おねだり”なのだろうか。

 いや、どっちでもいい。今、俺が自分の気持ちに正直になるのを止める理由にはならない。

 口の奥を噛み締めて、毒の塊を飲み込んだ腹に力を入れる。


「次はもっと、上手くやってみせる。いや……これから俺はずっと、ブランの期待に答え続ける事を、約束する」


 掴む手首に肉球をあて、喉に張り付く言葉を絞り出した。

 俺の“目的”からいって、これほど大きな嘘はない。しかし今、この瞬間から、“その時“が来るまでの気持ちとしては紛れもなく――絶対として真実の言葉であった。

 精一杯の宣言にも彼女は驚く様子すらなく、くわり、と生白い首を回し。先程までの憂愁を風の戯れに見せるがごとく、薄望月の微笑みだけを浮かべている。

 

「それから」


 俺は一拍置いて。


「サントノーレ……君の期待も、超えてみせる」


 と、付け加えた。

 本心か、虚勢か、口が滑ってしまったのかわからなかったが、言った後すぐ恥ずかしくなって、ほんの少しだけ胸の奥が熱くなる。

 だがそれは同時に、ここに来てからずっと溜め込んでいた緊張感を押し流すような快感でもあった。

 ゆっくり一度(まばた)いた瞳に、サントノーレの立雛たちびなが映る。


「それは――頼もしい」


 無様な俺の強情張りに、彼女は一瞬、唇を嬉しそうに歪ませ。


「お皿洗いくらいはして頂かないと」


 と、おどけてみせた。


「任せとけ。模様が無くなるくらいピカピカに磨いてやるぜ」


 ふふ、と二人鼻で笑って、俺は大きく息をつく。

 空気が冷たくて、気持ちがいい。《重い月(インパレス)》はこの時期でも夜は冷えこむんだったな、と、今更思い出した。

 

 安心感に肩の力がぬけて、落としそうになった辞表を彼女の右手がスッと抜き取る。

 青白い小さな炎が、伸びた左手の指先に灯る。


「おっと、待った待った。燃やすのは中身を見てからでも遅くはないんじゃねえか?」


 頬をニヤつかせ、俺は封筒の確認をうながした。

 一瞬毒気を抜かれた彼女は手を横薙ぎに払って封を切り、中の用紙を開いて――――喉を鳴らす、麗しい骨の動きが俺の目にも映るくらいに、彼女は明らかな動揺を見せていた。

 昂ぶりを抑え、店員にドリンクの注文をするような軽さで、俺は柔らかな口を開く。

 

「《ルロワイエの八十七音》……318番倉庫を開けるために必要な最後のピース。ロトマゴの書が眠っていた部屋の象形文字を解読した結果がそれだ。サントノーレ――――先々代《混沌の帝(プログマグニ)》の直弟子であるキミには、ソイツが必要なんじゃないかと思ってな」


 丁寧に折り畳まれた紙を両手で仕舞い込むサントノーレは、肯定ではなく疑問の視線を俺に向けた。

 

「ご機嫌取りには十分だろう?」

「……私に媚を売っても何も出ませんよ」

「素直に喜べばいいのに。そういう所似てるぜ、ブランとお前さんは」


 と、言った途端、サントノーレの薄白い頬が、ぽっと上品な赤らみを浮かべた。

 照れるポイントそこなのか!?

 なんて無粋なツッコミより、貴重な彼女の表情を、俺はずっと見ていたくて。

 ――取り乱し、生娘の如く顔を背けるプラチナの髪が、薫風くんぷうにそよぐ鈴蘭よろしく震えていた。

 

 こほん、と小さく喉を鳴らす。

 

「兎に角、貴方のクビは撤回という事で。明日からは本格的に執事としてのレッスンを受けて頂きますから」


 数瞬のうちに元の調子を取り戻したサントノーレは、俺にちゃんとした寝室を与える事を約束してくれた。

 正式な雇用手続きもそのうち完了するらしく、これで何とか異世界ニートにはならずに済む。


「まだご主人様が何て言うかわからないけどな」

「陛下は貴方の事を悪く言ったりしませんよ」

「どーだか」


 両手を皿に、オーバーリアクションを取る俺を、彼女は少しだけ声を低くしてたしなめる。


「……陛下は、自分のした事にはちゃんと責任を持つ子ですから」

「……だろうな」


 ――ゆえに、サントノーレは心配なのだろう。

 あの年で、あの性格で、一国の主という大役を務めなければならないプレッシャーが、どれほどの物なのか俺にはわからない。

 しかしそれでも、ブランがこの先生きる道は薄氷はくひょうの上にしか無いのだ。

 どれほどの才能を持っているとしても、彼女はブランのサポート役でしかなくて。

 ――俺だって、多分そう。

 

「サントノーレ」

「なんでしょう」


 ドアの前に立つメイドの背中に、俺は短く呼びかけた。

 丸い人差し指を口先に当て、離す。


「まずは一本」

「調子に乗らないで下さいよ――『けだま』」


 念を押す、彼女の声音こわねは変わらない。

 が、それでも。俺を指す口ぶりは初日に比べて随分と――暖かいものに、感じられた。


挿絵(By みてみん)

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