1章 SideN 2-5
“二度目”の発動では、意識を失わずに済んだ。
そのかわり、体を変な形に引き伸ばされる感覚に、宿酔の如き目眩を覚える。
朦朧とする意識を覚醒させ、床に転がった氷を姿見にして、直後。ブランは驚嘆のつぶやきを漏らした。
「これは……そうか」
納得したように頷き、立ち上がる。
随分しっくりきた様子だ。
俺が変形した姿は黒い猫耳と腰までのマント。
例によって例のごとく膨らみ上がったブランの胸が、明るめな服とアンバランスに艶めくぬらめきを魅せていた。
「セクシーにキメるぞ、ブラン」
「任せておけ。準備は出来てる」
ズン。
巨大な甲竜が地に降りて、俺達の前に正対する。
潰れた瞳が怪しくひかり威嚇するが、恐怖の水疱は湧いてこない。
むしろ体の内側からみるみる万能感が込み上げてきて、自然に口角が持ち上がる。
「いくぞ」
ブランが呟いた瞬間、ネコミミカチューシャがぐにゃりと蠢き形を変えた。
斜め左右に巨大な鎌を型どって、地面に突き刺さる。
ちょうど、ブランを中央に擁した四足の蜘蛛のような状態。
彼女は自らの脚を一歩も動かす事無く、突撃してくる鋼の巨体を、刃先で地面を蹴るように横っ飛び、躱した。
「体が軽い……!」
ザクザクザクザク!!!
四本の先細い“脚”が、地面を壁を突き刺し走る。
金髪が風に靡いて輝いていた。
「来たか!」
高速で動くブランの前に、二基のドリルが唸って迫る。
瞬間、俺は巨大な黒鋏に姿を変え、一度の斬撃でソレをさばいた。
ごろり、と四つに割れた鉄の塊が地面に転がる。
――どうやら、今の俺の形状はブランの思い通りに変化するらしい。
「あっははは!!! これは凄いぞデュオ!」
一刀、二刀。
高笑いと同時に、迫りくるドリルを羊羹みたいに斬り刻む。
発射された酸液も、マントが吸い込み異次元に飛ばすため通用しない。
圧倒的な力の差。
にもかかわらず、ブランは中々とどめを刺そうとしなかった。
ひょいひょいと攻撃を躱しては立ち止まり、分身が巻き添えで何体か消滅していく。
「どうしたブラン! さっさとキメちまえ!!」
「まあ待て。今、必殺技の名前を考えてるところだ」
ふざけてる場合か、とキレたくなったが、割と大事な事なので黙っておく。
……30秒ほど逃げ回ったあたりだろうか。
ブランは「よし」と呟いて、再び扉の前に立った。
ニヤつく少女の周囲に、ぐわり、と漆黒のマナが立ち込める。
「『該枚刃』」
呟き。
瞬時に髪飾りが肥大化する。
処理することを諦める程精密な、形質の変異。
左右“五千京”枚の黒い薄刃が、《ザオ・ベヒーモス》の巨体を閉じ込め。
「――――『刈釵の抱擁』」
さざめきが、交錯する。
あまりの切れ味に音もなく、生肉の部位が散り散りに――否、細胞単位で分解される。
例えるなら、超高濃度の熱量の壁。
逃げ場無く組み込まれた恒河沙数の墨色が、硬い肌を、内蔵を、動力炉までをも蒸発させていた。
魔神目の頂点、皇族の娘のポテンシャルの高さに、思わず絶句する。
――あと、ネーミングセンスのイタさにも。
◆
「はぁぁぁぁ……勝って、しまった」
ボロボロの手を見つめるブランが、感無量の溜息をつく。
ペースト状に潰れた魔造兵器の残骸が少しずつ光のマナへと変化していき、俺と彼女の本体しか残っていない部屋の中央に大きな明かりの柱を作った。
「ご感想は?」
意地悪い感じでもの問う俺に、ブランは心臓の猛りを抑えて答える。
「……大したこと、無いヤツだったな」
「はぁ……素直じゃないんだから」
やや照れた様子で光の柱に近づくと、目の前にふわりと一つのオーブが浮き上がってきた。
テニスボール程の大きさのそれに、恐る恐る腕を伸ばし、掴む。
すると、細い線となって光の柱が消え、黄色の水晶だけが彼女の手の中に残った。
「カギ、で良いんだよな」
ネコミミの姿に戻った俺に、ブランが尋ねる。
俺は何の言葉も返さなかったが、本人はわかっているだろう。
すり減ってしまったヒールが音をたて、未だ血の跡が掠れる扉の前で、ブランは光の珠を掲げた。
ぼんやりと、水晶が淡い輝きを放つ。
それに呼応するように扉の文様に青い光の脈が流れた。
ゴゴ、と音を立て開く扉の奥、2畳ほどしか無い小さな間取りの中央に。
――赤い表紙の小さな本が、マナを放って浮いていた。
「これが、ロトマゴの書……」
幾何学模様や象形文字の刻まれた狭い空間を、ブランは吊橋を渡るかの如き慎重さで歩む。
普段は尊大な彼女がこれほどまでにたじろいて居るのは、ひとえに書から感じる圧倒的なプレッシャーによるモノだった。
まるで生きているかのように不規則な輝きを放つ書は、捕まえたら逃げてしまいそうな怪しさを含み、自らのマジックアイテムとしての魅力を理解しているのかと疑いたくなるような雰囲気である。
「やっと会えたな」
ブランはそう呟くと、厚い冊子を胸に収めるため、震える両腕を広げて進んだ。
冷たい床を踏みしめて、赤子を包み込むようにロトマゴの書の光を、抱きしめる。
――その瞬間。
「う゛……あぁああああぁああああああああ!!!」
地下の回廊に、甲高い悲鳴が響いた。
光を強く放ったロトマゴの書が、ブランの腹スジに、角を突き立てるように沈み込んでいる。
服を破り、白魚の如き肌が焼ける煙と同時に、俺は彼女からはじき出されて。
「ぐぷっ……か、はぁぁッ!!!」
「ブラン!!!」
マナのオーバーフローを起こした反動が、少女の弱りきった体に吐血症状を引き起こしていた。
空咳で飛ぶ生黒い血痕が、びちゃりびちゃりと地面に広がり、筋肉の断裂で小さな体が地面に潰れる。
「ぐぅぅぅうううう!!!! あ゛ぁっ!!! いだいッ!! いやぁぁぁっ!!!」
のたうち回りたいのに、体がそれを許さない。
体のあちこちに緑色の内出血が浮かび、関節の皮膚が醜く膨れ上がっている。
この間にもロトマゴの書は、ブランの腹を引き裂きずぷずぷ埋もれ込んで。
「ッ――」
激痛に、意識が途切れた。
開いたままの口先から未だ血液が噴き出したのを見て、俺はひとまず短いおててで喀血の処置を行う。
血には、慣れていた。呼吸は出来ている。
ゆえに、冷静ではあったものの、俺の背をなぞる悪寒が思考を遮る。
痛々しげな音を立て、書が完全にブランの体内に収まった瞬間。
地面に、大きな縦揺れが起こった。
「……やっぱ、こうなっちゃいますか」
崩れる天井に追いかけられるのはエジプトで墓荒らししてた時以来なんだが……
「今回はちと荷物が重いぜ……!!」
乱暴に、かつ繊細に少女を背中へ担ぎ上げた俺は、石の嵌め込みが外れる音と同時に急いで部屋を飛び出した。
「生かして返してやるから、ちょっとだけ我慢してくれよ!!!」
仰向けのまま背に腰を乗せ、尻尾で落下を抑えつつ飛ぶ。
危険な体勢なのは理解しているが、それ以上に揺れ落ちるリスクのほうが大きい。
崩れた石が地面で割れる、重たい音が迫ってくる。
俺は地表からなるべく低い位置を全力で駆け抜けて、階段へと差し掛かった。
◆
「うぉあ!!!」
崩落した鉱石が、尻尾の先を掠って落ちた。
がりんと近場で音を立て、割れた後ろから通路が潰れる。
入り口まではあと数十メートル。だが、今の速度では間に合わない。
――ブランを見捨てて一度生き埋めにさせ、サントノーレに助けを求める……なんて案が浮かぶのを俺は首を振り否定した。
大きな瞳の端に映る少女の辛そうな眉が、俺を前向きに駆り立てる。
こんな小さな女の子ですら、自分のやるべき事を成し遂げたのだ。
ぐり、と痛みの残る手を握りしめ。必死に体を大きく伸ばす。
(意地、見せたるわああああああああ!!!!!!!!!)
高度をあげようとした、その時だった。
「――陛下!!!!」
銃弾の如く鋭い声が聞こえた瞬間、俺とブランの体は柔らかな香りに包まれていた。
驚きの言葉を述べる間もなく、一陣の風が吹き抜ける。
気がつくと俺は明るみに居て、草原の上に寝かされたブランと、その隣にはサントノーレが、膝を折りたたみ座っていた。
両手をブランの痛々しい腹部に当てる彼女は、見たこともないほど真剣な眼差しをしている。
聞きたいことは山程有るが、息が詰まるほど緊迫した雰囲気に、とても話しかけられる状態ではない。
魔法陣の描かれた黒目がぎょろぎょろと高速で動いた。
まさか――でもない。彼女は今、この場で回復魔術を行おうとしているのだ。
《ガレットピア》の回復魔術は大きく分けて三種類存在する。
1つ目は、外傷を治したり臓器を作り直す『復元』の魔術。
2つ目は、傷の治りを早くする『回復力強化』の魔術。
そして3つ目は、疾患の原因を取り除く『治癒』の魔術。
それぞれ回復する部位によって魔術の術式が異なり、複数の箇所を治療する為にはその回数分術を発動する必要がある。
更に、『復元』の魔術はそれ単体では効果を成す事は出来ず、対象の血肉を取り戻す分の『触媒』が必要になる。
今のブランに対してサントノーレが行おうとしているのは当然、『復元』の術式であり、この場に肉体の代わりと成るものが無い以上その触媒とはつまり――
「…………ッ!!!」
ぷち。
と音がして、腕まくりをしたサントノーレの、肘から下の皮膚が捲れた。
白い光を纏った中で、赤黒い肉がむき出しになり、術の反動を受けて蛭の如く脈動している。
墨で引かれたような眉が弱々しく曲がり、頬には一筋の汗が伝って、しなやかな唇を強く噛む。
――彼女の今の姿全てが、ブランへの献身をまざまざと示していた。
『復元』の術式の発動は、通常、体の中央部から段階を踏んで行われる。
しかし、一刻を争う今、サントノーレはその全ての工程を同時に進行しながら、自らの腕が消滅する痛みに耐え、同時に自身の体にも『回復力強化』の術を発動していた。
……恐ろしい程の集中力。
壊れた皮膚がすぐ再生し、また捲れ上がっていく姿は、ヤギがその卸金の如き舌で傷口を舐める拷問を連想させる。
が、その一方で、横になったブランの体はみるみるうちに健康的な色を取り戻し、ものの数十秒で元の華奢な体躯へと回復していった。
――サントノーレの両手から、薄い光が消えてゆく。
銀色に輝く髪をばさりと掻き上げて、彼女は黙ったまま、未だ回復しきっていない腕でブランの体をそっと抱き上げた。
俺に一瞥も寄越さぬまま、メイドは小さな跳躍と共に姿を消し。
草原に取り残され、冷たい風が固まりきった頬を撫でて、俺はあまりの自責の念に、その場でぱたりと仰向けになった。
(どうして……)
サントノーレが入り口の障壁を破れるなら。
ブランに無茶をさせなくてもロトマゴの書を手に入れる方法が有ったとしたら。
過去の事を悔やんでも仕方がない、なんてよく言ったモノだが、俺も人間である以上、そう安穏とやっていける訳ではない。
後悔もするし、自己嫌悪もする。
それでも、誰だって気持ちを外に出さずに、息を止め、目を潰し、足音を殺して、あたかも“何もなかったかの如く”振る舞いながら、心の奥深くで時々高笑いを上げる悪鬼と孤独に闘っているのだ。
それに、自分と関係のある誰かを苦しめてなお気楽でいられるほど、俺は図太い性格というわけでもない。
タカをくくり、最善を尽くさなかった事実が、ぽってりとした喉元を強く強く締め付けて。
――サントノーレがワンドを使って『自分の分身を造り』、作業効率を上げて障壁を解除したという回答に至るまで、それから10分もかかりはしなかった。




