1章 SideN 2-4
「いいかブラン。ミッションクリアの条件は、一辺40mの正立方体の部屋を通り抜け、奥の扉を開いてその先に有ると思われるロトマゴの書を手に入れる事だ」
「思われる……ってどういう意味だ?」
「その先は扉になっていて機械が入り込めなかったんだ。でも、構造上先に部屋が有ることはわかってるし、地下室の中に書が有るとすれば、そこ以外考えられない」
《ブライト》で辺りを照らし、埃まみれの階段を、恐る恐る下っていく。
あせた薄緑の空間は、どこまで歩いても壁の装飾が途切れる事はなく、細部まで皇族を楽しませようとする職人の心意気が見えた。
「ここから大広間まではおよそ300m。到着したら対象を目視、それに続いて第一隊50人が突入する。敵の動きを見て、遠距離から氷の魔術で脚を止める」
「え゛っ!?」
作戦を告げるなり、ブランが蛙のようなだみ声を発する。
頬を引きつらせている感じからして、恐らく……
「……7等級魔術の中でも主要5法のうちの一つ、10歳児でも出来るような魔法なんだが?」
「いやぁ、その、出せはするんだ。ただ、ちょっと特殊な練習ばかりやってきたせいで触れられるぐらいの距離が限界で……」
特殊な練習、ね。
ブランがアッシュ皇族で有ることから思い当たるフシは幾つか有るが、アテにはしないでおこう。
となると、別の策が必要になってくるな。
「そうだ! 炎、炎なら出せるぞ!! 相手はゾンビなんだからよく燃える筈だし、囲ってボォォォ……ってやれば!!」
「一酸化炭素中毒で死ぬ覚悟があるなら試しても良いが、やってみるか?」
「……」
俯いて黙り込むブラン。
この様子だと他の魔術もロクに使えるものは無いのだろう。
「しょうがない。分身だけ突っ込ませて正確な相手の情報を取った後、一旦帰ろう」
俺が諦めの台詞を呟くと、背後から「鬼!!」「人殺し!!」とワラワラ分身の怒号が飛んできた。
――うるさい。連携を取りやすいように喋れるようにしておいたが、会話機能は小隊ごと一人くらいにしておけば良かったか。
なんて考えていると、オリジナルのブランの歩幅が、少しだけ小さくなるのを感じた。
「駄目だ」
あれほど嫌がっていた彼女の返事は、あろう事か否定であった。
ゆるい前髪を垂らし、黒い鉄球を吐き出すみたいに呟く彼女に、俺は寄り添うようにして言葉を投げかける。
「どうして」
「ワタシはサリィに、『必ず書を取ってくる』と約束したんだ。こんな準備までして貰って、スゴスゴ帰れる訳がないではないか」
それは、彼女の高すぎるプライドによるものだと、俺は感じ取った。
いきなり帝の座に就いて、上手くいかなくて、悩んで。どうにか挽回しようするチャンスとして、ロトマゴの書の探索を頼りにしているのだ。
その生々しい気持ちを無下に出来るほど俺はドライな奴ではなくて。
「わかったよ。何とかやれるだけやってみる」
とだけ、答えた。
危険になったら帰るし、もし本当にヤバくなったらブランにマジックアイテムの起動術式をかけて貰えば良い。
満足そうに頷いた少女の、秀麗な唇がにこりと笑う。
元気を取り戻し、カタカタと階段を降りた先からは小さく明かりが漏れていて、俺とブラン一行はその直前で動きを止めた。
――地面に、トラップらしい物は無い。
ふわふわと羽根をパタつかせ、先人切って入り口へと身体を寄せる。
自ずから赤い光を放つ石、《ロックランタン》で造られた巨大な部屋の中央を見やると、そこには俺が写真と解説書で何度も見た、あの赤土色の巨竜がどでんと床に伏していた。
ドウマルを見た時に比べ、恐怖心が薄い。
体長的にそう違うわけではないが、恐らく理由は『呼吸』にあると俺は考えた。
生きている物と静止しているモノ、この違いは感覚のやり取りで戦闘をこなしてきた俺にとって、非常に大きな違いである。
一つでサッカーボール程も有る瞼が、身体を一周する形で背に並び、フジツボの殻のような素材で出来た頬の巨大噴出口は、斜め下を向き降ろされている。
そして厄介そうなのはあの角。鼻先に一つと背中に四本……打ち出されたら無限に生え変わる二メートル近い天然のドリルが上下に睨みを利かせている。
――全身が要塞みたいなバケモノだ。
「やっぱり、帰ろっかな……」
「おぉい!!」
青ざめたブランが引き下がろうとするのを、無理やり引き止める。
普段彼女が付き合っている貴族連中のほうが遥かに強いのだが、それはそれ。見た目の圧倒度はこちらの方が確かに高い。
半分ネタで言っているのだろうが、彼女自身のプレッシャーはかなりの物だろう。
怖気づき、後ろを振り向こうとするブラン。
その正面に立った無数のブラン(虚)は、なぜか本体とは違う真剣な眼差しをオリジナルに向け佇んでいた。
「な……なんだ、お前ら」
自分と同じ顔の生き物に見つめられる異様さに、たじろぐ。
すると、一番前に立っていたブランがずいと踏み出し、全員を代表するかの如く笑顔をみせて口を開いた。
「大丈夫。弱気になるなワタシ」
――激励の言葉、だった。
「ワタシなら出来る!」「見返してやれ!!」「気合だ気合!!」
続いて、後ろのブラン達が口々に本体に向かって言葉を投げる。
全く同じ声音の重なりに、俺は若干恐怖すら感じていたのだが、当のブランは目をらんらんと輝かせながら自らを鼓舞する単語に耳を傾けていた。
ガヤが大きくなるに連れ、震えと焦りが熱に包まれ溶かされていく。
ざり、と地面を踏みしめる歩幅が、少しだけ広くなり、そして。
「コッチには気を使わなくて良いぞ。ワタシ達は本物を生かすために……その為に生まれて来たのだからな」
正面の虚像が、白い歯を見せ笑った。
つられて、ブランの下瞼に光のうるみが湧き上がる。
「お前達……!!」
――何だこの茶番。
自分で自分に勇気づけられて嬉しいか……?
いや、まぁ、それでやる気を出して貰えるならそれに越したことはないが。にしても何というか、随分とおめでたい頭である。
俺が首を捻っている間にも、彼女は勇気を貰ったみたいで、今のブランの顔つきは先程までとは見違える程頼もしいものに変わっていた。
「よし、わかった。ワタシはやるぞ!!やるぞやるぞやるやるうううううう!!!!!!」
両手を握りしめ天を向く少女に、俺もなんだか緊張がほぐされた気分になってしまった。
「わかったよ。指揮は直接俺が口頭で行うから、広間に入ったら俺の指示に従うこと。こういうの初めてだから良くわかんねーけど、大船に乗った気持ちでいて良いぜ」
第一陣と共に広間に飛び込む。
瞬間。魔造生体の赤い瞳が、ギラリと光ってこちらを向いた。
◆
ズドォォォォォン!!!!!
広間に何度めかの爆風が巻き起こり、10人ほどのブランの集団が吹き飛び消える。
「やっぱり駄目ではないかぁぁぁああああああ!!!!!!」
「うるせえ! 初心者がいきなり軍師ポジなんてやって成功するワケあるかっつーの!!!」
――なんだあのバケモンは!?動きが速すぎる!!
ホバリングに近い浮遊移動と、カバに近い歩行を想定していたがゆえに、ロボットのような直線的軌道でカクカク動くザオ・ベヒーモスの動きに俺達は完全に翻弄されていた。
当初の作戦は二隊のおとり集団を用いて、ベヒーモスがそちらに気を引かれているうちに安全地帯となった中央を突破するというパーフェクトなタクティクスだったのだが……何故俺達がドでかいドリルに追われてるんだ!?
2mをゆうに超えるハガネの錐揉みが、しゃがんで避けるブランの背中をギリギリ掠めて突き進む。
硬質な壁を少々えぐり、跳ね飛ばされた連中はおよそ5人。これで残り人数は半分切ったぐらいか。
「ひぃぃ!! 偉そうに“作戦作戦”って、勝てないものを勝てるようにするのが策だろうが!!」
扉に近づいた瞬間、目の前に巨体が落ちてきて、進路が絶たれるのはもう何度目だろう。
「普通は勝てるようになるまで事前に努力するんだよ!! 参謀なんざ所詮ヒョロガリか老害がイキる為のご都合的なポジションで、あんなん誰がやったって負ける時は負ける!!」
「全国の参謀に謝れ!! ムキムキで若者の参謀に謝れぇ!!」
ちなみに、囮作戦が完全に意味をなしていないという訳ではない。
溶解液とボディプレス、それからホーミングするドリル。確かに攻撃を散らす事には成功しているのだが、手数が多すぎて対処しきれていないのだ。
特に厄介なのが意外にも、浮遊した身体を落下させ押し潰すだけのボディプレス。
大広間の数分の一を瞬間的にキルゾーンと変えるこの単調な技を使われると、小隊がその場で瓦解してしまう。
せめてどういうルーチンで攻撃しているのかだけ分かれば……。
「デュオ!!」
「どうした、突然」
「あのドリル、さっきからしゃがむと上を通過してばっかじゃないか……?」
確かに、部屋の壁には幾つも削り跡がついているのに、床は幾つか凹みがあるだけだ。
「――そういう事か」
350年前、ザオ・ベヒーモスが制作された時期は鳥帝目や竜王目の力が強く、魔神目の作る魔法兵器はかなりの割合で対空を意識した作りになっていた筈。
コイツに備わった飛行能力と、上向きに設置されたドリルもその為。
背中に存在する目……感覚器官が物体の高度を計測し、高い位置に居る者から攻撃するように設計されているとしたら……。
「お前、何をするつもりだ!!」
「俺が空中でヤツの攻撃を引きつける。ブランは出来るだけ姿勢を低くして扉に向かってくれ」
それだけ言い残し、俺は上空へと舞い上がった。
瞬間、21個の眼球が同時に俺の身体を捉え。体長の5倍を超える金属の塊が、シュレッダーの如き音をたて迫る。
「当たってやれねぇな!!」
体重移動。
自然落下。
ぐわりと揺れる視界の端で、激しい火花を散らす鋼鉄のカミソリを捉え、躱す。
一基、二基。
壁とドリルのぶつかる音がして、煙に混ざった砂が両目を焦がした。
ブランの虚像がまた一つ、悲鳴を上げる声が聞こえる。
あれを食らったら、自分の身体はどうなってしまうのか。
恐怖心と好奇心を同時に抱えつつ避ける俺の目の前に、動きを読んでいたかの如く、突然ベヒーモスの顔面が飛び出してくる。
生ぐろい潰れた目が、まとわりつくような視線で俺を静止させ、頬の管から飛び出すうぐいす色の強酸が、避けようとした俺の左腕を掠めた。
「熱゛ッ!!」
じゅう。と焼き焦げた音がして、毛皮の腕から煙が昇る。
煮え立つ油の中に手を突っ込んだような、肌と筋肉を溶かす痛みが俺の表情を大きく歪ませた。
確かにダメージはあるものの、食らった先を見やると、毛並み一つ焦げた様子は無い。
壊れたら“利用”出来ないから、感覚はそのまま身体は丈夫に出来てるわけか。
――俗に言う生殺しってヤツだな。
「大丈夫かデュオ!」
「ああ、……ッ、良い研究材料になったぜ。そっちは?」
途切れぬ猛攻を必死で躱し、部屋の奥の方へと声だけ飛ばす。
ブランの息遣いは轟音でかき消されているが、どうやら扉まではたどり着けているらしい。
「それが」
「どうした!」
「これ……何か、鍵がかかってるみたいで……!!」
「はぁ!?」
強ばる声に向かうため、瞬時に旋回し、扉の方へと肌をなびかせる。
鍵が必要と言うことは、何らかの入手法が有る筈だ。そしてその方法は恐らく。
(このデカブツを倒さなきゃいけねえってワケか)
振り向く巨大な城壁の、中央の角がぎゅるりと音を立て、俺を目掛けて発射される。
体を気流に流すよう、サマーソルトをうって躱そうとするが、角の軌道は俺ではなく、少しズレた形で重力に任せ直進する。
背筋に不安がよぎり。
振り返るのと同時に、青ざめる。
――金属音を上げて急回転するドリルの先鋭が、一直線にブランに迫っていた。
「ブラン!!」
間に合わない体を、つんのめらせる。
彼女の細い両足は地面にしっかりと根を張り、回避出来る状態ではない。
スリップストリームが肌を撫で、先走った体が、間に合わないことを悟って止まる。
ブランの儚い唇が、遠的前の射手の如くきゅっと結ばれた。
開かれた両手が不自然な青白さを放ち、低いヒールが地を踏みしめる。
まさか、と思った時には、既に覚悟が出来ているみたいだった。
体より大きな黒鉄の螺旋が迫る。
――――少女はそれを、真正面から受け止めたのだ。
「う゛グぅ゛ぅ゛ぅ゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛!!!!!!!」
ギリ゛ギリギリギリギチィイチ゛ュイチ゛チ゛チ゛チ!!!!!
手のひらとドリルの間に、金属の削れる火花が上がる。
あの青い光は氷。触れたものを凍らせる魔術を纏わせた証であった。
歯を食いしばったブランの口の端から、獣の如き悲鳴が上がり、地を掻いた靴が扉の際でゴツリと踵の音を立てた。
「止ォ、まれえええええええええええええええええ!!!!!」
丸まった背が、石のゲートに押し付けられる。
暴力的な圧力が、色白な腕を徐々にへし曲げ。冷や汗と涙の混合物がブランの頬を伝っていく。
指先が折れ曲がる。
輝き震える両手から、黒い血潮が吹き出した。
回転するスジに沿うよう皮膚がめくれあがり、堪えきれない程の痛みが小さな少女の脳をかき乱す。
それでも、彼女の瞳の炎が燃え尽きる事は無かった。
徐々に回転速度を落とす巨大なドリルを、脚を踏ん張り持ち支え、生白い首を突き上げながら念じるような思いで力を込める。
俺にはその苦しむ彼女の姿が、自分の限界を命を賭して図っているようにすら見えた。
――ブランの気持ちが痛みに打ち勝ったのだろう。
十数秒も回り続けた鉄の切り先は、重厚な音を立てその場に転がった。
黒い血溜まりの広がる床に、濃密な汗が波紋を作る。
だらりと伸ばされた両手の指は痛々しくひしゃげ、曲げる事すらできそうにない。
「はぁっ、はぁっ……サリィの教えも、役に立つもんだな……!!」
「ブラン、お前さん……」
――今の技、魔神目の貴族階級が扱う護身術『クリミナル・コール』……。
身体の一部に物理的な魔術を纏わせるのは超基礎的な部分だが、間違いない。
「はは……やっぱり知ってるのか。初めてやってみたんだけど、結構痛いな、これ」
「そんな事言ってる場合じゃないだろ!! 手、ボロボロになって……」
無理に笑顔を作ってみせる彼女の元へ、一目散に飛んでいく。
膝から崩れ落ち、しりもちをつくブランの喉が震えている。
「――駄目、げんかい……」
頭を垂れた少女の頬を、一筋の雫が氷河を描いて伝った。
背後で吹き飛ぶ虚像の声が重なり、フロアで動く生き物の数が、減っていくのを知覚する。
「はは、不甲斐ない主人ですまないな、デュオ。やっぱりワタシは一人では、何も出来ないみたいだ」
出目金を潰したような黒に濡れていく、黄緑色のドレスの裾。
上ずった喋りに空咳が混ざる。
痛いのに、苦しいのに、それでも彼女は強情を張って。
押し固められた唇の端は、歪みながらも微笑んでいた。
「でも、意地の悪いことに期待してしまうんだ、私は。……デュオには、まだ出来る事が有るんじゃないかって」
「どうしてそう思う」
「私が書を手に入れる事を、お前が『不可能』ではなく『難しい』と言ったからだ。――ここからはワタシの願望だが、お前は何も無しにこんな言い回しをする奴じゃない、と思う。だからきっと、ワタシにはわからない何かが有って、それを頼りに此処まで連れてきたんじゃないかなって」
俺を見つめるブランの瞳には、意志の輝きと渇望の紅がせめぎ合うように混和していた。
少しでもバランスを崩したら、体ごと砕けてしまいそうな若い無謀さを、俺は正面から受け止める。
「頼む。出来ることが有るなら、全て力を貸して欲しい。お前のこと、一緒に居られる“仲間”だって思いたいんだ。せっかく自分を変えるチャンスを貰ったのに、こんな短い間で失いたくないんだよ」
“仲間”か。
俺には何年も――もしかすると、これまで一度も縁のなかった言葉かもしれない。
断る、逃げる、という選択肢は選べなかった。
その時の俺は、ただ、目の前の少女の純粋な思いを叶える為の道具になりたかったのだ。
俺は小さく息をつき、喉の奥でつっかえる不安をぐぐぐっと抑え込む。
「お前さんに何か有ったら俺がサントノーレに怒られ……殺されちまう」
頬を掻く、肉球の柔らかさで緊張を押し殺す。
「――だから、ちゃんと我慢するんだぞ」
含み声で言い、手を伸ばした。
心臓は無いはずなのに、緊張で胸が張り裂けそうだった。
ブランの愛らしい指先が、外側から、空気を包むように触れ。
――俺は再び、強大すぎる魔力の渦に頭の先から飲み込まれたのだ。




