0章 Side? 1-2
急患室の無機質な机の上で、祖父は天を向き固まっていた。
祖母は死体を抱いて泣き、母はその場で崩れ落ちて、何か言葉をぼやいている。
――実感が、湧かなかった。
物心ついてから身近な人の死というモノに初めて立ち会った俺にとって、今、何が起きているのか理解できなかったのだ。
もう爺さんに会う事が出来ない。もうお年玉を貰えない。もう、おかしな話を聞く事が出来ない。
全部わかっている筈なのに、俺の瞳が潤む事は無かった。
周りの家族が絶望に顔を暗くする、その様子が、嘘くさい何かみたいにしか思えなかった。
俺は変に思われないようにする為、やむを得ず辛そうな表情を作って、その日は一旦帰る事になった。
式はすぐに執り行われた。
交友関係が少なかったからか、参列者は10人にも満たないくらいで、読経も短いこじんまりした葬儀。
ゆえに大きな騒ぎも無く、父が顔を赤らめ母が目を腫らす程度で、平凡な通夜を迎えると俺は考えていた。
しかし、たった一枚の手紙が、俺の予想を狂わせた。
式も終盤、父が祖父の残した書置きを読み上げる段取りの中。あの爺さんにしては平凡な文の末尾に一言だけ、父が読みとばした部分を俺は横目で見てしまったのだ。
『仏壇には、《ウェルミラリア》の花を添えてくれ』
彼の残した、最後の言葉。
誰の為に書いたのかすら分からない一文から、俺は目を離す事ができなくて、通夜ぶるまい――夕食の時間まで、そのことばかりを考えていた。
◆
「アイツも馬鹿だよな」
無心で寿司をほおばる俺の手を止めたのは、酔った大叔父の一言だった。
「わけわからねぇ事ばかりやって、遺産もロクに残さず逝っちまうなんてよぅ。親族孝行ってもんができてねぇよな」
「やめなさいよあんた」
大叔父はバブル期に土地転がしをやってたバリバリの不動産屋で、妻は専業主婦。
元々兄弟仲が悪く、祖父のやる事に一々文句をつけてばかりのヤツだったが、この時ばかりは流石の俺も、不謹慎さに怒りを覚えた。
今すぐにでも立ち上がり、その団子っ鼻をミンチにしてやろうと思ったが、爺ちゃんの葬式を潰したくなくて、黙る事しかできない。
そんな時。
「出て行ってくれ」
父の低い声が、会場に響いた。
「おじさん、そういう言い方は、良くない」
流石オヤジ。常識人なだけで世を渡って来たカタギの鑑である。
当時の俺曰く、タイミングだけは外さない男。『藤宮 睦実』は、横長の眼鏡をぐいと押し上げ自分より一回り小さな大祖父に向かって凄んだ。
「子供だっているんだ。それに、そんな言い方したら母さんが悲しむ」
「何言ってんだよ。ここに居る全員、アイツが何やってたかなんて知らねえじゃねえか。ああいうのをゴクツブシって言うんだよ。なぁ?」
――知らないのはお前だけだろうと、俺は内心ほくそ笑んだ。
脂ぎった丸顔が周囲を見回す。
すぐに、ばあちゃんが口を開く。
ほらみろ。流石に嫁さんなら“あの人の努力を知っている”――
「確かに、旦那は何も教えてくれなかったけど」
――何?
「私は迷惑なんて、これっぽっちも思ったことは無いわ」
いや、待て。そんな筈はない。確かに爺ちゃんは俺に、研究を見せてくれたんだ。
他の人……一番大事な妻にだって見せていないなんて、そんな事。
俺は焦って目を泳がせた。
父を含め親戚一同、誰一人として顔を上げている者は居ない。
何か言わなきゃいけないと、目の前の麦茶を飲み干して、汗の滾った顔を上げ。
――そこで、気が付いた。
「へっ。強がりが」
「もう辞めてくれ!!」
父は、コップをテーブルに叩きつけ、怒鳴った。
珍しく感情が入っているのか、少しだけ声が枯れている。
「あの人はアレで、幸せだったんだ……」
――違う。父さん、それは違うんだ。
俺は、心の中で父の言葉を否定した。
父さんの目が、あの時俺が祖父に向けた、憐みの瞳と同じだったからだ。
爺ちゃんは、研究が出来れば幸せなんていう、そんな自己満足で学者をしていた訳ではない。
そうでなければ、忘れ形見みたいに、俺に研究所を見せたりする筈なかったのだから。
爺ちゃんは俺に、研究を継いで貰いたくて。現実を信仰する大人の誰にも、自分の世界を見せたくなくて、だから俺だけに託したんだ。
それなのに、俺は――――
「おい、どうしたんだ寿人」
「大丈夫? ヒサちゃん」
両サイドから聞こえる、心配そうな両親の声。
気が付くと、俺の頬には涙の筋が伝っていた。
潤んだ瞳に映る、周囲の皆が唖然としている。
――あまり、感情を表に出してこなかったから、だろうか。
「いや……何でもない。大丈夫……だから……!」
俺は急に恥ずかしくなって、両手の甲で目の下を擦った。
だが、止まらない。
何度拭っても、脳天を焦がすような熱い衝動の波が、眉間から溢れて零れだしてくる。
「おかしいな……なんでだろ」
あの時俺が、素直になっていれば。
もう少しだけでも、あの人の話を笑顔で聞いてやれてれば。
瓶を覗いた時に感じた、剥き出しの熱い衝動に、もっとしっかり向き合っていれば。
後悔と自責が俺を襲って、でも、そんなもので泣かれる事を爺ちゃんは望んでなんかいなくて。
だから。俺は、自分に出来る事を、自分の意志で選んだ。
「父さん。悪い」
厚ぼったく腫れた瞳で、動揺する父を見つめる。
鼻水をすすって、痛む喉から声を出す。
「俺を、爺ちゃんの家まで送って欲しいんだ。この前ちょっとだけ忘れ物しちゃって、それを、思い出して……」
俺は、嘘をついた。
でも、父さんならわかってくれると思った。
案の定父は頷いて、式が終わるとすぐに俺を、車に乗せて走ってくれた。
本当に、ありがたかった。
――車窓から、過ぎ行く田舎の景色を見つめる。
夏風に揺れる青い稲穂が、絨毯みたいに輝いて、俺の心に少しずつ、光を分けてくれてるみたいだった。
◆
その日の夜。俺は地下への入り口を開いた。
電球の灯った硬い階段を降り、鉄の扉の前で立ち止まる。
俺は右手の人差し指を立て、指紋認証の輪を通す。
――ドアが、開いた。
ごくり。
生唾が喉を通り過ぎる。
未だ、人の熱っぽさが残る回廊を、靴音をたて歩いていく。
巨大な本の壁が、今にも襲ってきそうな雰囲気で俺を威嚇する。
それでも、踏み出す脚は止まらない。
「ここだ……」
最後の扉に、手をついた。
冷たいドアノブを力いっぱい握り、ねじる。
躊躇う気持ちを振り払い、自分の方へと引いて開くと、ほんの少しの間をおいて、小さな明りがしばたいた。
――作業台の上には、ラムネのビンと、一枚の置き手紙。
綺麗に折り畳まれたそれを開き、書かれた文字をなぞる視線が、海中に顔をつけてるみたいにじわりと歪んで。
『やーい泣き虫寿人!! 鼻水垂らしながら“ジイちゃんの後は俺が継ぐ……”とか思って走って来たんだろう!! 自惚れるなよガキ! オレは天国でも諦めねぇからな!!!』
まばたきと共に、嗚咽が漏れた。
手紙の文を伝ってわかる。今でも爺ちゃんは、笑っていると。
それでも、俺は、両手の震えを止められなくて。握った紙の端っこをぐちゃぐちゃにして、一文字一文字脳に刻んだ別れの言葉を噛み締める。
『――だから、お前は好きに生きろ。つまらない男になるなよ。寿人はオレの、自慢の孫なんだからな』
――手紙の最後の行は、そう、締められていた。
読み終わる頃、書状は全面びしょ濡れに、文字も滲んで読めなくなっていた。
ためいきが、熱かった。
背中から地面に倒れ、宙を見上げる白熱灯の光に、祖父の姿が浮かんで見える。
「かっこつけてんじゃねぇよ……くそジジイ……!!」
頬を濡らした男の強がりは、冷えたラムネの水泡のように、空気に溶けて仄かに香った。
◆
それから俺は、異次元世界の研究を始めた。
当面の目標を『ウェルミラリアの花を持ち帰る』事に設定。爺さんが残した資料をとりあえず棚の端から読み始める。
「40年前の日付けだ……」
瓶の発見から、現在に至るまで。歴史、哲学、天文、言語、文化、科学、生態系など、あらゆる分野について爺ちゃんの手記は網羅していた。
ゆえに俺に必要だったのは、“向こうに行って危険なく生き残れる知識及び能力開発”と、“異次元世界転送装置の完成”。特に後者に関しては、資金繰りの関係もあって相当骨が折れるもんだと想定してかかった。
――実際、一人の力で完成とまでは至らなかったし、手間を取られすぎてもう一つ、課題を残したままにしちまったんだがな。
研究において、最も俺の興味をそそったのは“戦闘術”に関しての考証だった。
人間と魔族――人間側の正式な書類には『凶種』と記載される者の二種の知的生命体が、相互捕食関係として存在している故に、彼らの戦闘法は独自に進化を遂げている。
柔術が帯刀した者との戦闘を想定しているように、人間側の戦闘術は、形状の異なる多数種の魔族に対抗するため、その型や流派が高度に分化しているのだ。
逆に魔族――彼らが自分を指して言う、『アッシュ』の括りでは、自らの身体の造りに合わせ、対人間、あるいは別のアッシュを仮想敵とした動作が確立されている。中でも、人間に姿の似た魔神目の流派では、この世界でいう『ボクシング』や『合気道』とほぼ変わりの無い構えを取る所もあって、非常に面白い。
さらに、戦闘を有利にする要素として、ここに武器の有無と魔術が絡んでくるのだ。
自身も格闘技経験者である俺は、当時このあたりのページをめくる度、全身の血液を沸騰させるようにしてコズミックジークンドー5thレベルの友人と毎日特訓したものである。
その他にも魔術、特に術式についての考察は、個人的にかなりツボだった。
ガレットピアの魔術の発動には『術式』、『マナ』、『形質』の三つの要素が必要であり、魔術を構築するための幾何学模様――魔法陣のようなパターンが『術式』、魔術を発動するためのリソースが『マナ』、そして“炎”や“水”など、その魔術によって何を構築するか、というイメージが『形質』。このうち『術式』と『形質』を同時に頭の中で想起し、体内の『マナ』がその『形質』の実体化に足る量存在する時のみ、特定した魔術が発動する、という仕組みになっている。
個人的にはこの、『術式』と『形質』のすり合わせが特に厄介で、頭の中で具体的なモノと複雑な模様を同時に思い浮かべるという作業は難しく、高校のスピリチュアルコンダクターの教師に何年も弟子入りしてやっとの思いで身に付けることが出来た。
また、爺ちゃんの資料もこのあたりについてはかなり詳細に、術式の細部から歴史についてまで解説が記されていた。およそ7000種類あると言われる魔術のうち6600種までの解析ができており(これについては現代の知恵、コンピューターによる構造解析が非常に有効だと書かれていた)、血反吐を吐きながら全巻読破した事を覚えている。
――とはいえ、これで得られたものは“人間の姿”の生き物が魔術に用いる為の術式ばかり。術式の紋様は生物の身体的特徴によって異なるため、ぬいぐるみに変えられた今となってはまさに『猫に小判』となってしまった。
もう一つの課題、“異次元世界転送装置の完成”については、大学の研究施設を借りて行う事にした。
参考文献の欄に書かれていた時空研究学の権威、『山岸 健』という教授のラボに入る為、上記の研究に加えて難関国立大合格に向けての勉強を行い、無事一発補欠合格。
校内一の変態教授から選ばれた唯一のラボメンとして6年間、数字と英語とチャイ語とメカと、デンジャラスなアクシデントに囲まれた生活を送り、別れ、そして、3年が過ぎた夏の日。
俺に、人生二度目の転機が訪れたのだ。




