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1章 SideL 1-1 君の旅立ちに“けだま”のぬくもりを捧ぐ

 実験台の上で目を覚ますと、俺は毛玉になっていた。

 鎖で繋がれた体を何やら弄ろうとする白衣共の前で、「改造するならキュートなぬいぐるみにしてくれよ」などと冗談を吹いた結果がこれである。

 関節の存在しない、短く丸まった手足。

 なめし革の水袋の様にたぷたぷと膨らんだお腹。

 一度触れたら病みつきになるほど肌触りの良い毛並み。

 そして、鏡に映った自分をも魅了する、黒水晶の如き大きな瞳。

 確かに、注文通りだ。きっと向こうの研究員の中に、こういうのが好きな奴が居るのだろう。

 いいセンスをしているな。と呟くが、内心冷や汗が止まらない。

 ――本当にやるヤツがあるか。

 

 幾つかの疑問が、脳内でひしめく。

 だが、その殆どに、奴らは答えようとはしない。

 与えられた命令を確認した後は、新しい体の説明書を読み上げるのみであった。

 『元の身体』を人質に、“俺が完成させる筈だった”空間転移装置へと、放り込まれる。

 かくして、僅か50センチの体に不釣り合いな使命を負わされた俺は、飽きた玩具オモチャがゴミ置き場に投げ捨てられるかの如く、現実から、望む大地へと摘まみ出されたのだった。

 

        ◆


「“ダイヤは自らの手で掴むからこそ美しく輝く”……ってワケでもないか」

 

 高くそびえる木の根元に、膨らむ背を預け、≪ガレットピア≫の青空を見上げる。

 喜びと葛藤が混ざり合い、眩んだ頭を休ませる為、俺、『藤宮寿人ふじみやひさと』は溜息と共に瞳を閉じた。

 晩夏の生温かな風が、全身を覆うモフモフを慰めるようにくすぐる。

 気持ちが良い。体に触れる光の一つ一つが真っ白な肌を焼いて、布地と綿で作られた俺に生きている実感を与えてくれる。

 

 ――あれから、12年か。

 他界した祖父の研究室から異次元世界研究の資料を引継ぎ、ひたすらこの世界に思いを馳せた青春時代。

 IQ125の頭脳を生かし、遂に≪ガレットピア≫との移動理論を完成させたのが、ちょうど四年前。

 そこから、この世界の文化、歴史、生態系、地理、それに政治や金融。魔術や戦闘理論についての考察を行っていざ、出発の筈だったのに。

 

 どうして、こんな事に巻き込まれてしまったのだろう。

 

「――ぬいぐるみ、かな」

 

 聞こえてくる、朗らかな少女の声。

 明らかに俺を指したその言葉に、思わず背中が震える。

 反射が起きるというのは、改造された体が馴染んでいる証拠だろうとポジティブに受け止めて、俺は両手をぐぅと天に向け、伸ばした。

 

「うわわっ、動いた。生きてる……? 魔族……? うさぎ……?」

 

 雨上がりの泥を踏みしめる足音が、虫網を振りかざす小学生の様な速度で近づいてくる。

 寝ている相手を刺激させないよう声を抑えてるみたいだが、生憎今の俺は耳が長くて大きいため、全て筒抜けである。

 便利な事もあるものだなと、少しだけ、この姿を好きになった。

 

 閉じたばかりの丸い目を再び開き、音のする方へと寝返りをうつ。

 どうせ誰かに声をかけなければならないのだ。それなら、女の子の方が良いに決まっている。

 

「なぁ、お嬢さ――ん」

 

 語り掛けたその瞬間。

 

「えっ? え゛ええぇぇぇぇえぇえぇえええええええ!!!!!!」

 

 木漏れ日を引き裂くような悲鳴が、森の入り口に響いた。

 この身体になって初めて聞く大きな音に、思わず両耳をターバンの如く頭に巻き付け、縮こまってしまう。

 前言撤回だ。この感度の良すぎるモコモコは不便な事この上ない。

 アンバランスな頭部を丸々覆う、長い耳の内側が、カラシでも塗られたみたいに熱くなっていた。

 よく考えずとも、ほわほわとしたウサギに近いヘンテコ生物が突然目の前で喋り出したらそりゃぁ驚くなんてこと、簡単に予測出来たはずなのに。未体験の空間という事象はここまで人を麻痺させる物か。

 

「よしっ」

 

 俺が耳を戻すため、首を振るのと同時。

 近くで靴音が一つ、大きく跳ねた。

 巨大な影が、身体を包む。

 腰を落とした少女の顔が急速に近づいて、ふわりと鼻を掠めるハチミツの様な香りに、俺は呆然と固まっていた。

 

 ―――空色の、瞳をしていた。


 挿絵(By みてみん)


 絹で織られた様な細い指先が、柔らかな体を掴み上げる。

 しゃがみ込んだ時にむちっと膨れ上がる、スパッツに包まれた健康的な太腿が、眩しい。

 汗を浮き上がらせる腹と、そう太さの変わらない平坦な胸をすり抜けて、背中まで伸びた桃色の髪が風でたなびくのを瞳の中に捕らえた。

 電飾を巻いた向日葵みたいな、明るすぎる少女であった。

 

「本当に、喋ってる……超☆柔らかい……!かわいい、かわいい可愛いカワイイっ!」

 

 驚いた表情で、俺の腹をブニブニと揉む少女の青い目が輝いている。

 わかる。自分でもその感触の気持ちよさは理解できている。

 しかし、見ず知らずの他人から地肌を触られるというのは、流石に気恥ずかしい。

 そもそも裸一貫にネクタイ一本という今の俺のコーディネート自体がかなり羞恥的なのだが……ま、いいか。気に入られてるみたいだし。

 

「あ、ありがとうな、お嬢さん。悪いけど手を――」

「でも声がイメージと違いますね」

「失礼だな君は」

 

 愛らしい見た目に、やや低目のボイスという組み合わせ。個人的にはチャームポイントとして捕らえていた部分を、突然言葉の槍で貫かれた気分だ。

 少なくとも初対面の人間に……いや、今の俺はウサギのぬいぐるみだったか。にしたって、幾ら畜生相手でも矜持きょうじというものがあると俺は考える。

 アサガオだって褒めた方が綺麗に咲くのと同じで、ぬいぐるみにだって優しい言葉をかけた方が可愛くなるに違いないのだ。

 そんな思考を浮かべている間に、彼女は俺の事を完全にオモチャだと認識したらしい。

 今度はその両手で体を抱きしめ、揺らし、ふさふさと俺の頭を撫で始めた。

 

「よーちよーち、良い子良い子~ばぶばぶ」

 

 ――ああ、ナメられているな。これは。

 

「お嬢ちゃん。悪いが俺は君の素敵なオママゴトに付き合ってあげる程暇じゃないんだ。それに、俺は君より年上だ」

「つまり、わたしが赤ちゃんという事ですか……!?」


 ――どうしてそうなる!!

 

「うぐぐ……そうなると、目上の人ですから呼び捨ては良く無いですよね……。えっと、うさぎ……ウサ……」

 

 そうだ。しっかり考えてくれたまえ。

 使いやすい敬称が有るならこれからも流用できるかもしれないし――

 

「『デブうさぎさん』で!」


 屈託のない笑顔だ。


「……ええと、それは、“fat”と“rabbit”で韻を踏むとかいう高度なギャグかい?」

「いえ、普通にデブのうさぎだからです」

「ただの暴言じゃないか!!」

 

 何だったんだあの無駄な思考時間は!? 

 確かに『デブ猫』みたいな、そういった可愛げは有るのかもしれないが、言われる側は結構なダメージだぞ、これは。

 TVに映ったりする太った猫が大体ふてくされた顔をしているのは、きっとこのせいだ。俺はまた一つ真理に辿り着いてしまった。

 

「じゃぁ……『ピザうさぎさん』で」

「何ちょっと“譲歩しました”みたいになってるんだ。他人の身体的特徴を悪く言うのは6000年も前からご法度だぞ」


 そう言いつつ、俺は彼女の平坦な胸部に視線を移す。

 添わせた水滴が自由落下しそうな垂直さに空虚なモノを感じて、俺は思わず真顔になってしまった。


「……『ブタうさぎさん』に変更しました」

 

 なっ、自分の気にしてる所突かれるのは嫌だろう?

 っと……まあ良い。ココは用件だけ告げて、さっさとこの先の村に居る目的の子の所まで連れて行って頂こう。

 ターゲットさえ発見できれば、こんな、話をしているだけでこちらの大脳新皮質をシャベルカーの如く削りとる娘はポイだ。

 

「俺の呼び方はともかく、実は人を探していてな。この先の村に『ミルフィ=アントルメ』って女の子が居ると思うんだけど、何か知らないか? キミと同じくらいの年だと思うんだが」

「ミルフィ……ですか」


 ふむふむ、と首を振って澄ました表情を浮かべる少女は、こうして見ると、やはり愛嬌のある顔をしている。

 モデルというよりアイドルに近いというか、若干の田舎臭さを含んでいる感じが、逆に親近感を覚えるタイプだ。

 中身はどうあれ、その可愛らしさだけは認めてやる必要があるな、と俺は目を細め、喉を鳴らした。

 

 大きく頷いた少女の、薄い桜色をした唇が、不意ににこりと持ち上がる。

 何か引っかかる物を思い出したらしい彼女に、俺が期待の目を向けると、返ってきたのは明後日の方を向いた回答であった。

 

「ねぇ、ピザうさぎさん。ちょっと……走りませんか?」

「は?」

 

 有無を言わさず、抱きしめられた。

 顔は正面、モコモコとした背中には彼女の布越しの胸が当たる形で。

 不思議とそういう気分にならないのは、やはり彼女がまだ未熟な高校生くらいだからか、はたまた貧乳だからか。

 

 きつめに身体を締め付ける、少しだけ鍛えられた両腕が、俺から逃げるという選択肢を奪っていた。

 そのまま彼女は大きく足を踏みしめると、村まで続く石造りの通りへ向けて、力強く駆け出した。

 

 太くまとまった長い耳が、風を切る少女の背中に尾を伸ばす。

 俺の元居た世界での女の子と比べて、彼女の足はかなり速い方だった。

 きっと何かスポーツ……若しくはスクールでの訓練を受けていたのだろう。5キロ近い俺を抱えてなお軸がブレない体幹の強さが、彼女の才能の豊かさを感じさせた。

 

「やるじゃないか、キミ」

 

 こういう時は素直になるのが吉だ。

 これっきりの付き合いとはいえ、褒める事の出来るタイミングで女の子を褒められないようじゃ、女児に人気のマスコットにはなれない。

 その証拠に、俺の言葉を聞いた彼女の顔は、さもご機嫌といった風に笑顔を蓄え、心なしか抱きしめる腕の力も強くなったように感じた。

 なんとも、わかりやすい娘である。

 

「ふふん。驚くのはこれからですよ!」

 

 石で造られた粗末な道路を抜けると、木々の間から道が開けて、目的の村――≪ピュロ村≫の風景が広がっていた。

 

「――で、このサビれた村のどこに驚く要素があるんだ? お嬢さん」

 

 どう見ても、ただの農村だ。

 確かに、村の中心と思しき場所にはぽつんと教会が立っていて、その周りに連なるように幾つかの商店が立ち並んでいる。

 しかし、それ以外は殆どボロっちい――とは言っても、建築にマナを用いている為それなりに丈夫な民家と、畑と田んぼ。昼夜問わず鳴いているのであろう蛙やらの声がうるさくて仕方ない。

 シティ生まれシティ育ちの俺に言わせれば、『住んでみたいと口では言うけれど、絶対に住みたくはない村』の雰囲気であった。

 

 怪訝そうにする俺を「まぁまぁ」とニヤケ顔でなだめて、ランニングを続ける少女。

 教会を目指すその方角から、バケットを抱える一人の妙齢の女性がこちらへ歩いてくる。第一村人発見、というやつだ。

 

「こんにちは!」

「あぁミルフィちゃん。いつもご苦労様ね」

 

 すれ違いざま、疲れなど一切感じさせない明るい声をかける少女に、励まされた様な顔をした女性が、バケットの中のパンを差し出す。

 彼女はそれをお辞儀一つで受け取り、さも美味そうにほうばってみせる。美しいご近所付き合い、村社会の温かみというヤツであろうか。

 ――ん?

 

 いや、待て。

 

 そんな事。

 

 ちらり、と上方を見上げる。

 

 うまうまと頬を膨らませる、間抜けヅラが目に入る。

 

 落ち着け。その可能性、考えなかった訳ではないだろうフジミヤ・ヒサト。

 

 自分のどこかで目を背けていたのではないのかフジミヤ・ヒサト。

 

 村の総人口がおおよそ150人で、出稼ぎもしてない16歳の少女が大体何人居るなんて、一瞬も計算しなかったとは言わせないぞ俺!!

 

 冷たい汗が、固まった頬の辺りを滑り落ちる。

 

 ごくり、と、わざとらしく生唾を飲み込み、目を凝らしながら再び見上げると。

 

 ソコには、目じりと口元をいっぱいに引き上げ、顔全体で俺を嘲笑あざわらう少女――いや、ミルフィの姿があった。

 

「うぷぷ~! 驚いちゃいましたぁ?」

 

 ムカつく。

 このあどけない少女の、どこに、これほどまで憎らしい表情を作る才能が有るのかと、俺の元研究者の血を騒がせる程に腹立たしい煽り顔が、近づいてくる。

 こうなると、俺は『はい、驚きました』と言うワケにはいかない。なんせ、ちゃんとその可能性は予見していたのだから。そうだ。俺はこの女狐の言いなりになる理由などない。正しい事を言うんだから。

 決して悔しいわけではない!!!!

  

「ははは……いや、運命というモノを呪いたくなっただけさ」

「ふんっ。素直じゃないうさぎさんですね」

 

 知ったような口を利くなメスガキ!!!

 

 「ま、いいです」と、勝ち誇った微笑みを見せ、正面に向き直ったミルフィは、俺の歯ぎしりを鼻歌で掻き消し、村の通りを抜けていく。

 商店が並ぶ道まで来ると、挨拶一つでおじいちゃまおばあちゃま方が色んな物を恵んでくれて、あっという間に俺の頭の上は彼女への貢物でいっぱいになってしまった。

 ――看板娘というヤツなのだろう。

 ここ、ガレットピアでは、15、6歳にもなると、田舎から抜け出して大きな町で商売をやったり、国家資格を取得して冒険者になるのが一般的である。

 きっと、このジジババ達も皆、自分の息子や娘が村を出てしまって、その面影を彼女に投影しているのだ。

 ――俺はこんな風に、歳をとれるのかな。なんて、一瞬感慨にふけってしまった。そんな時。

 

「ふひまひふぁよ、うふぁひふぁん」(着きましたよ、うさぎさん)

 

 胡麻色をしたまんじゅうを咥えるミルフィの足が止まった。教会を抜けて少し行った、中央通りの端である。

 短い首を捻じり見上げると、このさびれた村にはあまり似付かない、レンガ造りの二階建てがぽんと建っていた。

 『レストラン・モットー』と書かれた看板は、相当年季が入っているのか、今にも崩れ落ちそうであったが、小窓から覗く内装はなかなかこじゃれている。

 

「キミの家か?」

「はい……まぁ、そんな所です」

 

 少し含みのある言い方をするなと思いつつ、彼女に続いてドアをくぐる。

 ワインレッドを基調とした店内に、5卓のテーブルと、3席のカウンター。その全てに人は座っておらず、店の端に設置された鍵盤も閉じられたままである。

 ――準備中だから当たり前なのだが。

 少し窮屈なフロアを抜けて、厨房の先の階段を上り、木製の廊下をどたどたと駆け抜けたその一番奥。

 唯一名札の無いドアを彼女は慣れた手付きで引いて、中に入るとすぐ、鍵をかけた。

 

 ――驚くほどに、簡素な内装であった。


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