枷
王城にある執務室で執務机に腰掛けたグレンは、憂鬱そうな表情で艶めかしい吐息を溢す。伏せられた睫毛が、滑らかな頬に影を落としている。グレンの性格を知らない人が見れば、間違いなく頬を染めて熱い吐息をつくだろう。そんな彼は、窓の外を見ていた。
「鳥になりたい」
「ここから、飛びますか?」
書類の確認をしていたナルサスが、書面から顔を上げて答える。
「そんな事したら、私は死んでしまうよ」
「鳥になりたいんじゃないんですか?」
「心が自由になりたいと訴えるけど、決して、物理的にでは無いんだよ。死ぬよ?私、死んじゃうよ?ここから地上まで、どれ位あるか知ってるかい?」
「いつも飛んでるじゃないですか。意識だけが、何処かに」
「日常的にはしてないよ!」
「黙ってて下さい。今、確認してるんですから」
また、書類の確認に戻るナルサス。それを不満に思い、グレンは座っている椅子を前後に揺らし始めた。
ーギィ、ガタン
ーギィ、ガタン
ーギィ、ガタン
「…」
ーギィ、ガタン
ーギィ、ガタン
ーギィ、ガタン
「……」
ーギィ、ガタン
ーギィ、ガタン
ーギィ、ガタン
「陛下」
ーギィ、ガタン
「なんだい?黙ってるよ?」
ーギィ、ガタン
「それ、止めていただけませんか?」
ーギィ、ガタン
「なんでだい?」
ーギィ、ガタン
「苛つくんです。いつも言ってるじゃないですか」
ーギィ、ガタン
「神経質だね」
ーギィ、ガタン
「私は、止めてくださいと言いましたよ」
ーギィ、ミシ、ガタン
「えぇ~」
ーギィ、ミシ、ガタン、ミシミシ
「そろそろですかね?」
「何がだい?」
ーギィ、ミシ――バキンッ――ガターン
「ぎゃっ!!」
グレンの座る椅子が根元から折れ、そのまま後方に椅子ごと床に落ちた。
「壊れた!?」
「私が、切り込みを入れておいたのです」
「なんでだい!?」
「気に障るから」
「いじめッ子め!」
「はいはい、その『いじめッ子』からの苛めですよ。この書類のこことここが変です。直してください」
「鬼!鬼畜!美形!」
「最後のは、違うと思いますが?そうですか、私は『鬼』『鬼畜』ですか。では、鬼で鬼畜な私は、暫く取っていなかった休暇を貰いますね。そうですね…三ヶ月位休みますので、その間頑張って下さい」
「すみませんでした」
お手本のように綺麗な土下座を披露したグレンをナルサスは赦すと、また書類の確認に戻り、グレンも真面目に書類を片付けていた。
「私は、国のトップの王様なのにな。ナルサスの方が王様に向いている気がするよ」
「私は、王様になれるのだとしても、お断りしますね。王は、貴方しか有り得ません」
「ナルサス…それって…」
いつもは小言が多く、なかなか褒めてくれないナルサスが自分を持ち上げるような発言をしている。とても嬉しくなって続きを促して後悔した。
「これ程扱いやすいのは、なかなかいない」
ナルサスによって膨らんだ期待という風船はナルサスによって一気に叩き潰された。残ったのは空気の抜けた風船だけだった。
「やっぱりね!!」
二人の言動が気安いのは、幼馴染みであるからだ。まだ、二人が幼かった当時に親同士が大変仲が良く、遊び相手に丁度良かった為、二人を引き合わせた。すると、グレンはナルサスを気に入り、彼の周りを衛星の様に付き纏った。幼いながらも達観していたナルサスは、そんなグレンを疎ましそうにしていたが、王族と言うこともあり、ぞんざいに扱いながらも相手をしていた。
その当時から二人の関係は、あまり変わっていない。
「陛下、その言葉遣いをどうにかして下さい。威厳ある言動をとは、言いませんが、直してください」
「え?でも、愛する妻は、『少年みたいね』と、言っていたよ」
グレンの溺愛する王妃ソフィアは、彼の愛が重過ぎて鬱陶しがっている。だが、つれない態度に益々、グレンは王妃を溺愛していた。
「それ、子供っぽいと馬鹿にされてるんですよ」
「そうなのかい?」
「なんで、分からないんですか」
「ほら、私って若いし」
「どこまでプラス思考なんだよ!!」
「マイナスとマイナスを足せば、プラスだよ」
「マイナスだよ!!どっからマイナス出てきた!!貴方の何処にマイナス要素があるんだよ!!」
「ナルサスも言葉が乱れているよ」
「誰のせいだ!!」
書類を丸めてグレンの頭を叩いていると、扉を控えめに叩く音と来訪者の名前が聞こえた。
「どうぞ」
「お邪魔するよ」
グレンが許可を出すと顔を真っ青にさせたアナベルが執務室へと入ってきた。
「どうしたんですか、アナベル様。今日は、我が家を訪問してジルベルトと既成事実をつくる手筈になっていたのでは?」
「なぬぅ!!聞いてないぞ!!そんな、楽しそうな…」
「……ジルベルトの記憶の枷が、緩くなっているみたいなんだよ」
「なんですと!」
アナベルの言葉に驚いたナルサス。執務机に座るグレンもまた目を大きく見開き驚いている。
「経過年数もありますが、この前の卒業式での一件でしょうかね。大分、動揺してましたから」
顎に手を当てて、物思いに耽るナルサスの翠玉の瞳が細められる。
「もう、良いんじゃないかと思うんだ」
暗く寂しそうな表情のアナベルをグレンとナルサスが痛ましそうに見ている。
「それは…」
いつにない緊迫した雰囲気だったが、唐突に破られた。ナルサスの部下から連絡が来た為だ。
「失礼します」
グレンとアナベルに背を向け、耳に手を当て時折、ふむふむと頷く仕草をしている。報告は、そんなに長いものではなかったらしく、直ぐにグレンとアナベルの方へと向き直った。
「数日前、ライラ嬢が乗った馬車と兵士数名が谷に落ちたそうです。直ぐに安否確認され、御者と兵士は軽傷だったらしいのですが、ライラ嬢だけは、見付からなかったそうです」
「逃げたね」
「直ぐに捜索隊を派遣します」
人差指を顎に当て、少し考える素振りをしたアナベルが、
「彼女の虚言癖は危険だよ。妄執に囚われて、何をするか分からない」
「では…」
「焦っては、いけないよ。私が彼女であれば、国民を懐柔するよ。容姿に嫉妬して辱しめられたとか、王位を手に入れる為に兄を貶めたとか吹聴するよ。他にも考えられるけど、判断材料が少ないから、どう出るのか絞れないね。なんか無いかな?」
「確か、国境付近の山の中だったと」
「では、他国に逃れる線が濃厚かな。他の国には、まだ彼女の罪は伝播していない。それを良い事に同情心を煽って王族を取り込むだろうね」
「何故、王族なんだい?ライラ嬢は、もう貴族じゃないから、王族になんて会えないよ」
二人のやり取りを聞いていたグレンが疑問を口にする。
「ロイトとケネスとジョナサンから聞いた話なのだけど、彼女は、治癒魔法を使えるらしい」
三人が塔に幽閉されるようになってからアナベルは事情聴取をしていた。
「そこまで珍しいものでも無いでしょう?」
「それ自体はね。扱えるのが、最高ランクだとしたら、どうだろう。引く手数多だと思わないかい?」
これにはグレンとナルサスが驚きの表情を見せた。
「なんと!」
「確か、最高ランクの治癒術師は世界で三人しか確認されていませんね。隣の国には居なかった筈です」
「最初は、平民の国民からで良いんだよ。その内、兵士に知られ、そこから『優秀な治癒術師がいる』と噂されれば、騎士団に話が行く。そして、王族へと流れる」
推測を並べるアナベルの言葉に色をなくしていくグレンとナルサス。
「…今から、追っても他国へと入っている事だろう」
「そうですね」
嘆息するグレンの言葉に同意するナルサス。こんな事になるならば、護衛を増やせば良かったと今更ながらに後悔している。
「……私が一人で闇討ちでもしてこようか?」
ジルベルトには、決して見せない黒い顔をしたアナベルをグレンも黒い顔で笑い、ナルサスは、そんな二人を見て、『ああ、親子なんだな』と現実逃避する。
「…では、先ずは…」
これからの話を詰めていこうとした時、窓から差し込んでいた光が、何かの影で遮られた。三人が顔を上げて、影の主を確認する。
「何してんの?姫様」
そこには、アナベルの私兵であるアズマが、天井からぶら下がっていた。
「アズマこそ、どうしたんだい?」
「なかなか帰ってこないから様子見に来たんだけど」
黒い柳眉を器用に片方だけ上げて、天井から降りて来たアズマの黒髪がさらりと流れる。アズマは、黒い髪にアイスブルーの瞳と口許の黒子が色っぽい印象のある儚げな少年だ。
「遅くて、ごめんね。君に監視を頼んだ事がある女性が、ちょっと厄介事の種になりそうなんだよ」
「ああ、あのアバズレか?」
というのも、卒業式の時の映像を記録していた水晶を用意したのは、アズマだった。彼が、気配を殺してライラの行動を監視していたのだ。
「アバズレ!?」
「アバズレが駄目なら、クソビッチでもいいんだが?」
「いや、駄目だとは言ってないですよ。言ってませんが、ビッチ?」
呆れ半分のナルサスの言葉をどう解釈したのかアズマは、
「尻軽女って事だぞ」
「知っていますよ!」
アズマは、見目麗しいのに口が悪い。それを知っていても、やはり面喰らうナルサス。
「ビッチだろ。クズとバカとクソに平気で股…」
「わぁ!わぁ!!アナベル様!!聞いては駄目です!!」
「五月蝿いよ、ナルサス。アズ君、そんな汚い言葉を使うのは、駄目だよ。クズとバカとクソというのは、ロイトとケネスとジョナサンの事かな?まさか息子の下半身事情を聞かされるとは…」
「下半身言うな!!」
やれやれといった風のグレンの様子にナルサスだけがヒートアップする。それをアズマはチラリと横目で見てからこう言った。
「貴族の娘とは思えねぇな。『レナード』を手に入れる為の手段にカス共と寝るなんぞ。貞操観念どうなってんだ」
「辛辣だね」
申し訳なさそうにするグレンだったが、ライラの父親ではないのだからそこら辺は責任を感じなくても良いのではと思ったが、口にしなかった。
「なんならゴミの初体験からいつ、何処で何回したとか睦言の内容なんかを事細かく報告するか?」
「やめぇぇぇぇ!!!」
「ナルサス、五月蠅い!!罵る言葉が豊富だね、アズ君…あ、報告書に纏めといてね。ケネスとジョナサンの分も欲しいな。出来るかな?」
何か企んでいるのか、グレンの笑顔がキラキラと無駄に煌めいている。
「出来るけど…」
不思議そうに小首を傾げて、キョトンとしている表情は年相応に幼く可愛らしい。
「どうするんだい?そんなの?」
アズマ同様にアナベルとナルサスもキョトンとして問えば、悪戯を思いついたという風に楽しそうにグレンが答えた。
「本人の前で音読するんだよ」
「下衆だな」
「下衆ですね」
「下衆だね」
三人から白眼視されるが、グレン本人は上機嫌で執務机に座って仕事をし出した。
読んでいただき、ありがとうございます。
ライラ逃走中。
おかしいな…話がドンドン大きくなっていくぞい。