八十七話 浅井・朝倉征伐の始まりなんです
今年もゆっくり書いていきます
1572年、春。
織田信長は、目の上のたん瘤であった浅井・朝倉に引導を渡すべく、遂に本格的な征伐軍を出兵することを宣言した。
史実より1年ほど早い決行であった。
史実よりも前倒しで近江・越前の攻略が行われることになったのは、当然ながら久助による快進撃の数々が要因である。
従来の歴史では、1571年秋に比叡山焼き討ち。1572年に信玄が上洛開始し年末に三方原の戦い。そして上杉との同盟締結。1573年の春に武田信玄が死去し、京の足利義昭を攻め追放。
延暦寺・上杉・武田・将軍、厄介な勢力を一つずつ排除し、万全の状態で浅井・朝倉と対峙出来る状況を作り出すのに、それだけの時間を費やしてしまったということだ。
しかしこの世界では、武田・本願寺・延暦寺といった勢力は、1570年の第一次織田包囲網で織田軍の手痛い反撃を受けた。上杉も越後から動く気配は無く、足利義昭は後ろ盾が無ければ反抗する素振りも見せない。
長嶋一向一揆も、歴史を知る久助によってあっという間に鎮圧されてしまった。いつ何処で起きるかわかっている一揆など何の脅威でもないのだ。
紀州に点々として残っていた反抗勢力も、久助たち遊撃軍によって迅速に攻略された結果、1572年の初春にして、早くも周辺に残す敵は浅井・朝倉の2勢力のみとしていたのであった。
◇◇◇
「先に攻めるのは、小谷城の浅井だ。だが、先に滅ぼすのは、浅井に非ず」
織田軍の重鎮が集い軍議を行う中、信長様はこう言い切った。
「信長様、それは一体……?」
勝家を始めとした大多数の家臣たちは、その意図が読めずに首を傾げたり、疑問の表情を浮かべている。
浅井家を先に攻めるのなら、そのまま浅井家を攻め滅ぼせばいいだろう。それが容易に出来るだけの戦力差が織田と浅井の間には存在しているし、態々浅井との決戦を後回しにするのが不思議であった。
「確かに、小谷城を取り囲んで浅井を攻め滅ぼすのは簡単だろうな。だからこそ、それを行うのは今ではないのだ。
考えてみろ、勝家。小谷に攻め込むのと、一条谷に攻め込むのの、どちらが簡単だ?」
「それは……小谷城でございます」
「そうだ。一条谷に攻め込んだとて負けるとは思っておらぬが、あれは百年の歴史を誇る朝倉家の象徴。そして背後に動向の掴めぬ上杉がいる以上、一条谷で決戦に持ち込むのは得策とは言えぬな」
そう言うと、信長は背後に控える側近に目線で合図をし、秀正はそれに従い、一同の前に地図を広げた。
信長は今、自分が拠点とする京と、信忠の東方征伐軍が拠点としている岐阜・大垣城の辺りに、白の碁石をポンポンと置く。そして、浅井の本拠地・近江小谷城と、朝倉の本拠地・越前一条谷城の辺りにも、同様に黒の碁石を置いていく。
一同は覗き込むように、それに見入る。
「現状、浅井と朝倉には、それぞれお互いしか頼れる味方が居ない。つまりだ、どちらかが先に倒れた場合、残された方は孤立無援となるわけだな」
信長は、小谷城の方の碁石を取り除いた。
「ここでだ。例えば、浅井を先に攻めたとしよう。信忠、朝倉義景はどうするだろうか?」
「……浅井を見捨てることは出来ないので、浅井家への援軍に出ると考えます」
「うむ、そうだろう。しかしな」
と、信長は黒石を取ったところに、織田軍を示す白石を置く。
「織田が先に小谷城を包囲したならば、あの小心者の朝倉義景のことだ。最早浅井を救う手立て無しと、越前へ早々に逃げ帰るだろうな」
「その光景が目に浮かびますな……」
「で、あろう? だからこそ、先に敢えて時間をかけて浅井を攻撃することで朝倉を越前から誘き出し、それを叩くのだ!」
信長の作戦を纏めると、こうだ。
まずは織田軍の一軍が浅井軍を攻める。ただし、最初から本拠地・小谷城を攻めることはせず、周辺の支城・砦から切り崩すように攻め込んでいくのだ。
およそ一年間に渡るの籠城の末に降伏した、佐和山城の磯野員昌。小谷城の西方に位置する拠点・山本山城を守り、織田家に内通を約束している阿閉貞征など、既に織田家の軍門に下った将も少なくはない。
だが、それでも健在の浅井家の砦は少なくはない。
そういった拠点をわざと時間をかけて攻略していくことで、朝倉軍が援軍の為に出陣するのを待ち伏せするというのだ。
事前の調査により、援軍に駆け付ける朝倉軍は、小谷城の後方に位置する『大嶽砦』を目指し、浅井軍と合流するものだと予想できる。
なので、残る織田軍の戦力を持って、朝倉軍よりも早く大嶽砦を占拠し、誘い出した朝倉軍を迎撃、あるいは逃げ出したところを追撃、というのが、信長の作戦の全貌だ。
やけに先を見越した具体的な作戦に仕上がっているなぁと思われるだろうが、実はこれ、殆どというか、ほぼ全て史実と同様の作戦なのだ。
これまでの歴史の動きの中で、北条や武田、上杉などは史実と大きく異なる動向を見せるなかで、浅井と朝倉は史実と異なる動きを見せることが、殆どなかったのである。
唯一の想定外は、金ヶ崎の戦いの後の撤退時であるが……、あれはこちらが裏切りと追撃を想定していたのもあるし、それ以外では姉川でも、宇佐山でも、奴らの行動はほぼ史実通りであるのだ。
勿論、ここで初めて浅井・朝倉が史実と違った動きをする可能性がないわけではない。
が、今更想定外の行動を起こされたところで、武田や上杉が動かない限りは逆転など出来るハズがないだろう。
だから俺は歴史を知る者として、信長様にこの策を発案したんだ。
「大嶽砦攻めの大将は、秀吉に任せる。山本山城の阿閉の寝返りと同時に攻め上がり、迅速に大嶽砦を奪取せよ」
「はっ!」
「小谷城の監視は信忠、そして久助ら東方軍に任せる。攻め落とす必要はない。虎御前山砦(小谷城近くの砦)にて、浅井勢を釘付けにせよ。そして万が一朝倉が動かなければ、浅井を攻める主力となる。心せよ」
「「はっ!」」
「そして柴田・佐久間・光秀らはワシと共に朝倉勢を迎え撃つ。巣穴から出た穴熊を狩る好機を逃すわけにはいかん。決して油断するでないぞ!」
「「「ははっ!!!」」」
皆は一斉に頭を下げる。
この作戦に異論を唱える者は1人もおらず、誰もがこの作戦に賛同していた。
「(順調にいけば、これで織田・北条は天下に向けて大きく前進することになる。残す敵は毛利に島津に上杉……。ふふ、あと十数年ってところかねぇ)」
そんなことを考えながら、俺は1人、頬を緩ませていたのであった。
1572年、春。
いよいよ始まる、因縁の相手・浅井と朝倉の討伐戦。
織田軍の総力を上げた戦いが、久助の知る歴史を再び塗り替えようとしているんです……。




