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七十七話 稲子合戦の結末なんです


 武田軍の本陣には不穏な空気が流れ始めていた。

 赤備え・山県隊の苦戦、未だ作戦完了の報告のない秋山隊の奇襲、そして山中に放っていた隠密部隊の未帰還。あの千代女ですらも、だ。


 百戦不敗の名将・武田信玄の頬に、一筋の汗が流れ落ちた。

 不穏な予感を拭い切れない信玄は、遂に温存していた戦力を切ることを決断する。山県・内藤隊を救援するための増援だ。

 丁度それと同刻であった。信玄の耳に、あの爆音が届いたのは。




 山県・内藤隊が取り残された主戦場と、信玄本隊が控えていた本陣を繋ぐ細い崖路は、大量の巨大な岩石によって完全に封鎖されており、とても人が進めるような状態ではなくなっていた。


「気付いた時には、全て手遅れ……なんだよねぇ」


 そんな光景を前に絶望する武田軍を、久助たちは悠々と見下ろしていた。




◇◇◇




 久助が武田軍を分断するために行った山道の爆破。それに使用したのは、現代では非常によく知られる爆弾、その名も「ダイナマイト」だ。

 ダイナマイトはニトログリセリンという爆破材を主原料とした、簡単に言えば「すごい爆弾」である。一八六〇年代にスウェーデンの化学者・アルフレッド・ノーベルによって発明され、その功績によって誕生した、彼の名前を掲げたノーベル賞が現代まで伝わることは非常に有名だろう。

 実はそんなダイナマイトであるが、これがなんと、ミケの知識によって再現することが出来てしまったのだ。

 そもそもニトログリセリンの原料であるグリセリンは人間の体内にも蓄えられているほど身近な物質であり、爆薬として以外にも、化粧品や歯磨き、タバコや石鹸になど幅広く使用されており、一般人でも手に入るような代物だ。そんなグリセリンは、植物や動物から得た油脂を加水分解することで手に入れることが出来る。

 そして残る材料の硝酸と硫酸に関しては、火炎瓶の件で解説したとおり、これもまた入手はさほど難しいものではない。そう、ニトログリセリンは使い方と作り方さえわかっていれば、実はこの時代でも用意することは不可能ではないのだ。

 そして非常に不安定で危険なニトログリセリンを安全化させるための素材・珪藻土も、これまた日本国内で採取できる代物であるのだ。珪藻土というのは、珪藻という微生物の殻の化石からなる堆積岩のことであり、海や湖沼の断層から発見できる。


 これらを正しい手順で慎重に合成していけば、めでたく試作ダイナマイトの完成なのであるが、何故ミケがダイナマイトの作り方なんて知っていたのかは不思議である。

 なにはともあれ、こうして手軽に持ち運べる、この時代には考えられないほど強力な小型爆弾によって、山道を潰すことに成功したのである。




 例えどれだけ武田軍の兵が屈強で、後詰めに多くの兵力が残されていたとはいえ、その兵力が使えなければなにも意味が無かった。

 当然、落石によって部隊が分断されたからといって、黙って指を咥えて見ている信玄ではない。それを知った信玄は、山県隊と内藤隊を救援するために、すぐさま工作部隊を落石の撤去にかからせる。

 だがそれすらも、久助にとっては予想の範疇である。落石を簡単に撤去されてしまってはなんの意味もないのだから、勿論それを妨害するための手札も用意していた。


「と、いうことで。なるべく身なりが良さそうな……指揮系統の人間からバンバン狙っちゃってください」

「……了解した」


 久助の指示にただの一言で答え、非常に長い銃身を持つ火縄銃を構える。

 そして静かに狙いを定め、引き金を引く。銃口から飛び出した弾丸がジャイロ回転(・・・・・・)を描いて宙を突き抜ける。そして四百メートルほど離れた崖下で落石撤去の工作に手を付けようとしていた工作隊の……その隊長らしき男の頭部を、寸分の狂いもなく貫いた。

 突然の銃声と共に、血飛沫をあげて崩れ落ちる男。それが狙撃だと気付き、工作隊員たちは慌てて岩陰に身を隠す。

 彼らは狙撃手である久助を探しているだろう。しかし無駄であった。何故なら、例え久助たちの姿を見つけられたところで、あれだけの距離を反撃できる兵器など武田軍には存在していないのだから……。


「凄いな、この火縄は」


 銃口から煙を上げる狙撃銃をまじまじと眺めながら、狙撃手はそう呟く。


「まだ量産も出来ていない、数本しかない特注の長距離狙撃用(ロングレンジ)ライフル銃だ。ま、それを易々と当てるお前さんも相当なもんだけど……」


 久助は肩を竦めた。


 突然だが、久助のように異世界転生を夢見るオタクにとって、銃火器を使うなら必ずと言っていいほど活用される現代技術が存在する。そう、ライフリングだ。

 熟練のなろう読者たちにはもはや解説の必要もないだろう。簡単に言えば、銃口に螺旋状の溝を刻み、弾丸にジャイロ回転を与えて軌道を安定化・射程を伸ばす技術である。

 このライフリングが施された歩兵銃をライフルと一般的に呼び、久助が用意したこの銃も広義ではライフルに該当する狙撃銃である。

 ……とは言うものの、ライフリングはわかっていてもそう簡単に実現できるものではない。

 アイデアと材料と製造方法さえあれば直ぐにでも作れる爆弾兵器なんかと違い、銃口の内部を削るだけだが、それがまぁ難しいのだ。というか、ライフリングのアイデア自体は十五世紀終わり頃には既に生まれていたと言われているため、簡単に出来るのならば既に誰かが形にしていただろう。


 未来の知識を持っている久助でさえも、このライフル銃を実現させるのには中々苦労させられた。銃口を削る金具というものがこの時代では手に入らず、また専用の弾丸と、その充填機構を作るのも非常に面倒だったのだ。

 結局十年近い年月を費やして、今日までになんとか実用レベルで用意できたライフル銃は僅かに三丁。それでも、敵軍のありとあるゆる遠距離兵器の射程外から一方的に精密狙撃が可能なライフル銃は、想定より遥かに驚異的な兵器として、夜鷹が他国に恐れられる所以のひとつとなる。


 そしてもう一つ忘れてはならないのは、精密狙撃を可能とする優れた「撃ち手」だ。

 久助や新助は鉄砲手としてそこそこの腕前を持っている(ちなみにミケはからっきし)が、やはり専門職の人間には劣る。そこで実家・滝川家の故郷である甲賀の里で名の知れていた「鉄砲狙撃の名手」を雇い入れていたのだ。

 それがこの、第一射にして見事に敵部隊長を撃ち抜いてみせた男・杉谷善住坊である。

 彼は史実では織田信長を狙撃したことで知られる織田家の怨敵であるが、彼は滝川一族と同じ甲賀出身の忍びである。

 あの歴史的に有名な狙撃も、六角氏の依頼だとか様々な説があるが、「もしかしたら、先に金で引き込んでしまえばいいのではないか?」と考えた久助が交渉してみると、意外にあっさりと彼は滝川家に従うこととなった。

 余談だが、あの金ヶ崎攻めの後で狙撃事件が発生しなかったのは、実はこんなカラクリが行われていたからであった。



「……こんなに機嫌の良い銃は他には無い。コイツを撃てただけでも滝川に出向いた甲斐はあったな」


 善住坊は口の端を吊り上げ、彼の弟子と共に淡々と引き金を引く。


 反撃の手段を持たない武田兵は銃撃に怯えたのか、岩陰に隠れたっきりまるで動かない。それもそうだ。任をこなそうと立ち上がった勇敢な戦士から順に、物言わぬ骸へと変えられていく光景を目の当たりにしているのだから。次に身を晒した瞬間に死ぬのがわかっていて、もはや彼らの身を隠す盾でしかない落石をどかそうと尽力する者など、もう誰一人として残ってはいなかった。




◇◇◇




 落石撤去の任務が銃撃により続行不可能の報告を信玄が受けたのは、それより四半刻ほど経ったころだった。

 そして、信玄は決断を下す。それは残る兵力を総動員し、犠牲を覚悟で強引に落石に埋まった崖路を突破することだった。

 ここまで慎重に慎重を重ねた信玄の采配が遂に崩壊する。しかしそれでも信玄にとって、重臣である二人を見捨てることなど出来なかったのだ。

 それに敵軍の狙撃が厄介とは言えど、所詮は鉄砲。弾の数にも火薬にも必ず底があるのだから、人海戦術で攻めれば突破できないはずがないと考えたのだ。

 事実、久助率いる狙撃部隊にライフル銃は三丁しかなく、銃弾もそう沢山あるわけではなかった。そんなことを武田軍が知るわけがないのだが、信玄の予想は的を射ていた。


 竹束(竹で組まれた、矢や銃弾を防ぐ大盾)を構えながら進み、岩陰に退避していた工作兵隊と合流した武田軍は、銃弾に晒されつつも無理やり瓦礫を谷底に流れる富士川へ落としていった。何人もの兵が銃弾に撃ち抜かれて地に伏したが、数人減ったところで大差はなかった。


「うーん、残弾数も心もとないし、撃ち切ったら撤退するとしますか」


 そんな武田の様子を眺めた久助は、これ以上の妨害は無意味と判断。適当なところで戻ることに決めた。

 だがそれでも問題は無いのだ。既に十分足止めは果たしたのだから。




 漸く崖路を塞いでいた落石を撤去し終えた武田軍本隊。そんな彼らが目にしたのは、死屍累々と言うべき惨状で逃げ帰ってくる自軍の兵士たち。その中には陣羽織を血の色で染め上げつつも、瓦礫の山を背に抵抗を続けていた山県昌景の姿もあった。

 その向こうには、恐らく逃げる山県隊を追撃してきたのであろう連合軍の蒲生・本多・酒井・北条の旗印が見える。つまり殿軍となって山県隊を逃がし、彼らを足止めしていた内藤昌豊は……。


「……撤退だ」


 1553年の第一次川中島合戦以来、およそ17年ぶりに武田軍がその戦績に泥を塗った瞬間であった。

 生憎と連合軍はこれ以上の追撃の構えを見せていない。多くの犠牲を出したにも関わらず、慎重な判断を下した信玄は、決して選択を誤ることはなかった。







1570年、秋。

武田軍と連合軍の決戦は連合軍の完全勝利に終わり、武田軍は多大な被害を生み甲斐に帰還していくこととなる。

こうして織田・北条連合は反織田勢力の大攻勢を各方面で防ぎ切り、漸く窮地を乗り越えることが出来た。


そして場所は移り変わり……、後世を息子に託した一人の勇将が、その最期の刻を迎えようとしていたんです。


これにて、長かった塩津浜・宇佐山・稲子の三カ所同時決戦はようやくおしまいです。


宇佐山はまだしも、塩津浜と稲子は史実になかったオリジナル戦記なので、考えるのも非常に大変でした。

しばらくは戦闘シーンを書きたくないです……。





Q.信玄の動きが慎重過ぎるというか、鈍くない?


A.風魔衆による虚報工作によって動くに動けなかったようです。


Q.久助軍強すぎない?


A.??「滝川久助の独壇場は こ こ ま で だ 」

  第六章の相手は、久助を本格的に苦しめる予感です。

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