五十四話 命懸けの逆転策なんです
上杉軍の動きの報告を受けた信忠は、すぐさま陣を引き払い、上杉軍を追うために移動を開始した。
その際、彼は新助からある報告を同時に受けていた。そう、白頭巾の将の話だ。
「……やはり奴か、上杉謙信」
織田軍の中に上杉謙信の素顔を知る者は居ない。それは信忠も新助も同様だ。
だが確信があった。動揺する前線を一喝するだけで立て直してみせた白頭巾の将、そんな存在が謙信以外にいるかと聞かれたら、挙げられる名前など無いだろう。
「このまま進ませるわけにはいかん! 全軍、奴らを追撃し、龍の尾を掴むぞ!」
信忠も先陣に立って軍を導き、琵琶湖沿いに西へ進めた。
そして織田軍が上杉軍に追いついたのは、僅か半刻後のことだった。
◇◇◇
塩津まで軍を進めた織田軍が見たものは、塩津大川が流れ込む河口の開けた地に陣を取り、万全の状態で待ち受ける「毘」の旗印……上杉軍の本隊であった。
それに対し、余呉から急行した織田軍は、山と浜に挟まれた狭い街道を背後に、隊列を広げられない不利な状態である。即ちそれが意味することとは……。
「……釣り出されたのは、俺達であったようだな」
上杉軍を釣り出すために策を張り巡らせた信忠。だが蓋を開けてみれば、逆に誘い込まれていたのは信忠軍の方であった。
謙信は信忠が追撃してくることを予想し、あえて背後を見せることで、自らが有利な地で決戦に挑めるよう誘い出していた。
絶望的な状況に戦慄し、戦意を失う織田兵。
「弩隊は急いで整列し、上杉軍先鋒を迎撃しろ! 長槍兵隊は騎馬から弩隊を守れ! 今はひたすらに耐えるんだ!!」
だがそんな中でも信忠は、窮地に活を見出すため必死に指示を出す。
既に上杉軍の先鋒部隊・柿崎隊は動き出していた。
ここに織田信忠が生涯で最も窮地に立たされることとなる「塩津浜の戦い」が開戦したのであった。
◇◇◇
一方的に上杉軍が織田軍を蹂躙する戦況になると思われたが、予想外にも織田軍は、上杉軍の先鋒隊・柿崎隊の攻撃を凌いでみせた。柿崎隊は弩隊の反撃を受け攻めあぐねたのだ。
織田軍は弩兵と長槍兵を交互に配置し、敵騎馬隊の突撃を長槍で防ぐと同時に弩による遠距離攻撃で敵の兵力を削るという戦術を取った。
弩兵(弓兵)と長槍兵が主となるため機動力が低いという弱点があるものの、弩による射撃と長槍の攻撃によって敵を寄せ付けない鉄壁の構えを誇る。
更に、弩が上杉軍によって未知なる武器であるということも、上杉軍の攻撃を鈍らせる要因となっていた。
人というものは未知なる物をどうしても恐れてしまう。弩など結局は形の違った弓矢であり、素人でも簡単に扱えるという特徴以外はそれほど特別なことはないということを知っていれば、対して恐れるようなものではないのだ。
だが勿論、上杉の兵がそんなことを知るはずがない。学びのある武将の中にはもしかしたら弩について知っている者もいるかもしれないが、そんなことよりも遥かに『織田の滝川が見たこともない兵器を使い、高岡城を攻め落とした話』などの逸話のほうが広く知られていた。
だから、弩を前に「また滝川の新兵器が出てきた」と過剰に恐れ、攻めきるに踏み出せなかったのだ。
しかし、その戦況も長くは続かなかった。
柿崎隊が後退したかと思うと、すぐさま割り込むように続く部隊が突撃する。そういった継続戦闘により、上杉軍は徐々に織田軍を追い詰めていった。いわゆる「車懸かりの陣」というものである。
もしこの場に久助がいたのなら、「その『車懸かりの陣』はフィクションだ! 間違っている!」と大声で叫んだであろう。
上杉軍が川中島の戦いで使用したと言われ、現代では上杉軍の戦術の代名詞とも言えるほど有名であるそれは、武田家が記した書物「甲陽軍鑑」においては簡単に言えば「謙信本人が敵の大将との直接決戦に持ち込むための戦術」であるとされている。
それが尾ひれを付けられたり、違った意図で捉えられたりとして語り継がれていった結果、現代のような「前線で戦う部隊と背後で待機する部隊を交互に入れ替えて戦う循環式の陣形」というものだと思われるようになったとされている。
上杉軍は柿崎隊に強引な攻勢をさせることなく後退させ、部隊を入れ替える持久戦を仕掛けながら弩隊の特徴を探った。
そして白頭巾の将が率いる部隊が前線に出ると同時に、上杉軍は遂に大攻勢に転じた。
堅守を誇った織田軍の陣形も上杉軍の攻めの前に綻びを見せ始め、戦線が崩壊するのももはや時間の問題であった。
「信忠様、ここは我々に任せてお逃げください!」
丹羽長秀は懸命に指揮を続ける信忠に対し、遂に撤退を進言した。だが、信忠は首を縦に振らない。
「だめだ。ここで逃げては父上が背後を取られる。我々に退路は無いのだ。死しても戦い抜くしかないだろう!」
「ですが! 信忠様が生きていれば、織田の血が生きていれば織田家は潰えませぬ! どうか!」
もはや勝ち目が無いことは誰が見ても明らかである。だからこそ長秀は織田家の未来のため、信忠や久助・氏郷に託して果てようという覚悟であった。だが信忠も、友に任された戦場を放棄して逃げ出すことなど考えることが出来なかった。全ては織田家のため。友のために死ぬことすら躊躇わない決意は揺るがなかった。
「……お二方、負け戦の話をするのは、負けてからにしてもらえませぬか?」
そんな平行線の口論を展開する二人に、一人の男が口を挟んだ。
信忠の刎頚の友である久助から派遣された彼の側近である将・佐治新助であった。
「こんな時のために、我が主から託された策があるのです。諦めるのは、その策が破れてからにして貰いたい」
「新助! その策とは何だ! 何故早く俺に言わなかったのだ!」
この状況まで策があることを隠していたことに怒り声を荒げる信忠を片手で制し、新助は静かに告げる。
「この策は私でなければ成し得ないものでして、その内容はその瞬間まで誰にも伝えるなと言われていたのです。どうかお許しください」
「う……わかった。それで、どうすればいいのだ」
「信忠様は、側近を率いて後退してください。そして丹羽殿が上杉軍を抑えているうちに私が仕掛けます」
「仕掛けるとは、何をだ」
「それは言えません。『只管に秘匿せよ』とのことなので」
それも策の内だと言われれば、信忠もぐぅと引き下がるしかなかった。
「……わかった。ならば俺はその策を信じよう。この場は任せたぞ、新助、長秀」
「承知しました、信忠様。この命に代えましても」
「それと……この文を」
采配を長秀に託して愛馬に跨り、側近を集める信忠に一礼する長秀と新助。そして彼が走り去る間際に、新助は一枚の文を信忠に渡した。
「ここより三里ほど駆けたところで、この文をお読みください。久助様の策を成すための指示が書かれております」
「……わかった。また後程会おう! 新助!」
「ええ、必ずや」
最後にそう言い残し走り去る信忠の背中を、新助は静かに見送った。
「では、参ろう。甲賀滝川流の名と誇りにかけて、我が最期の使命を果たさん」
そして兜と甲冑を脱ぎ捨て、一軍の将から一人の忍となった影は、ゆらりと戦場という表の舞台へと消えていった。
1570年、秋。
窮地に追い込まれた織田軍、そんな状況を打破するために、新助は久助に託されたという策を決行する。
その策の内容とは、真意とは。そして新助の覚悟とは……。
史実に無かった完全オリジナルの戦を描くのは初の試みです。
イメージが付かない以上、どうしても説明が回りくどくなったり、説明が不足して伝えきれなかったりと悪戦苦闘しながら書きました。
やー、本当に難しいっす。




