四十四話 駿河領反攻戦へ、なんです
ちょっぴり短めです。
※お知らせ
『三十二話 変わり始める運命なんです』の内容を改変しました。
伊勢方面の守備がガラ空きになる為、畠山具教の降伏後の扱いを変更しています。
尚、具教さんが今後物語に絡んでくる予定は今の所無いので、あまり気にしないでください。
1570年、九月。
姉川の戦いは織田・徳川軍の勝利に終わった。浅井・朝倉軍は真柄直隆・遠藤直経と名だたる猛将を失った上、佐和山城に撤退した重臣・磯野員昌を分断され無力化されるという大打撃を受け、浅井軍は本拠・小谷城へ、朝倉軍も越前へ逃げ帰って行った。
織田家の家臣の面々は浅井・朝倉軍に対しての追撃戦を進言したが、信長はこれを受け入れずに慎重策を選んだ。
確かに姉川の戦いは勝利に終わったが、金ヶ崎から続く連戦と姉川の戦いによる損失で、織田軍の士気と兵力は低下していた。
その上、織田軍の将達は焦っていた。磯野員昌一人に散々にやられ、信長本陣まであと一歩のところまでの突破を許した。織田信忠と蒲生氏郷の迅速な援軍が無ければどうなっていたかわからないという失態だ。坂井・柴田・池田といった重臣達のプライドはボロボロで、なんとか失敗を取り返さねばと功を焦っている心情を信長は見抜いていたのだ。
それに不安要素はそれだけではない。将軍・足利義昭の要請を受けた石山本願寺が、対信長に向けて決起しようとしているとの情報を信長は掴んでおり、更に甲斐の武田信玄の動きも気になる。
まさに四面楚歌の状況下で万が一にも京という退路を失う訳にはいかない織田信長は、姉川の戦いで攻略した横山城に木下秀吉、琵琶湖南端(現在の大津市付近)に新設した宇佐山城に森可成を配置し、南近江の守りを徹底的に固めて一度京に戻り、その後岐阜に帰った。南近江は京と岐阜を繋ぐ、現在の織田家にとっての大動脈なのである。
しかし、乱世はそう簡単に信長を休ませてはくれない。
浅井・朝倉との戦いで織田軍が消耗したと聞くや否や、先ずは阿波国の三好家が動いた。
摂津国に渡ってきた三好家は、元管領・細川晴元の息子である細川昭元の勢力や、紀伊国の雑賀衆、美濃国を信長に追われた斎藤龍興などの反信長勢力をかき集め、その数は一万三千にも及んだ。
対する信長は、奈良・信貴山城を守護していた松永久秀を出陣させて三好勢に備えた。
しかし寄せ集めの軍勢とは言えど一万三千の大勢力に、雑賀衆の鉄砲という脅威を併せ持つ三好勢の攻撃により、河内国・古橋城は落城。
危機感を覚えた信長は、八月二十日に岐阜城を出陣。各地の味方を集めて六日後の二十六日には野田城・福島城の南方に位置する天王寺に本陣を敷き、約四万の大勢力で三好勢を包囲した。
これが世にいう『野田・福島の戦い』である。
◇◇◇
信長様が三好勢討伐に向け出陣する中、俺達はというと、金ヶ崎の戦い以前に拠点としていた大垣城に戻っていた。
岐阜の西方に位置するこの大垣城は、北近江・伊勢紀伊・尾張遠江の各方面に対応できる位置であり、遊軍としての立ち位置すっかり定着した信忠軍の本拠地となっている。
俺、信忠・氏郷のいつもの三人組に、姉川の戦いで功績を上げて正式に信忠軍所属となった長可らを加えた信忠軍は、どこで不測の事態が起きてもいいように、軍を編制して待機していた。
そこへ、とある人物が大垣城を訪れたのであった……。
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「なんと……。武田が動いたというのか……」
予想はしていたがなんとも間の悪い報告に信忠は表情を歪ませる。
浅井・朝倉に上杉、そして三好と、東西に奔走させられている織田軍にとって、新たなる脅威の登場はなんとも悩ましいことである。
その情報を持ってきた人物……家康殿は、更に言葉を続けた。
「三増峠で北条軍を撃破した武田家は北条が放棄した駿河国を手に入れ、尚も侵攻の手を緩める気配はござらん。だが、儂は信長殿の援軍として共に向かわねばならん。
本当は信康らが心配故に一度浜松へ戻りたいのだが、そんな余裕も無いのだ……」
と、家康殿は言う。
家康殿は姉川の戦いの後、鳥居殿や小笠原殿など一部の重臣と兵を連れて信長様と共に京都へ戻り、忠勝や酒井殿、榊原殿などの将を本国防衛のために浜松へ返していた。その後は信長様が岐阜へ帰った後もしばらく京都へ残っていたらしいが、信長様が摂津へ出撃すると聞いて岐阜に馳せ参じたという。
家康殿がこの期間に京都で何をしていたかは実はイマイチよく知らない。戦国史の知識に自信がある俺だが、姉川から三方原の間に家康が何をしていたかの知識は無い。ていうか調べてもわからなかった記憶がある。
「それで、遊軍である我々に対して、遠江方面に出兵して欲しいということだな」
と、俺が家康殿に言うと、家康殿はコクリと頷く。
「まさにその通りだ、滝川殿。今回の対武田に対する反攻戦は北条家も武田と戦うのだが、織田家にも援軍を頼みたいと申していたのだ。北条氏政殿は滝川殿を気に入っている様子故、是非滝川殿に援軍に来て欲しいと望んでおるだろう」
つまり家康殿は、駿河に侵攻する武田に対して織田・徳川・北条の三国による包囲を仕掛けたいということである。
道理を通すのなら、わざわざ援軍の交換のような真似をせずとも、家康殿が信長様に話を通して浜松に戻ればいいのである。
そうしてまで俺達に駿河へ向かわせたいのは、「北条の力が借りたい時は必ず一益の名を出せ」と、俺に信頼を置いてくれた氏政へ報いる為なのか。それとも、そんな理由は建前で、ただ単純に織田家の中でも強力な部隊である信忠隊を派遣して欲しいだけなのか。この微妙にずる賢いタヌキの真意はわからないが……。
「どうする? 信忠、久助」
「うむ……、確かに氏政殿の要請とあらば、我々が行くべきだろう。どちらにせよ織田軍の中でも一番自由に動ける部隊は我々であるし」
「俺も異論は無いな。四面楚歌の織田軍にとって、北条家は貴重な同盟国だ。ここで信頼を失うのは下策であるし、武田の抑えになるのなら悪くない」
氏郷が俺と信忠の回答を窺うように顔を覗き込むので、俺と信忠はそれぞれの意見を述べる。ちなみに長可はこういう会議の類はダメなのか、器用にも目を見開いて背筋を伸ばしたまま寝ていた。微動だにせずとも鼻提灯だけが大小する様は、もはや芸術性する感じる見事さである。
「わかった、家康殿。我々が駿河に向かい、織田家の代表として武を振るってこよう。浜松城の安全は我々に任されよ」
「ありがとうございまする、信忠殿。こちらも信長様の援軍として、全身全霊をもって戦ってきましょうぞ」
信忠の援軍を了承する返答に、家康殿は安心した様子で笑って頷いた。
こうして、徳川家康が率いる徳川軍約五千の軍勢は翌日に大垣城を出立し、摂津を目指して南近江へ向かっていった。
その後、俺達も駿河へ向かう軍勢を整え、俺と氏郷は東へ向け、およそ四千の兵を率いて出発したのであった。
1570年、九月。
こうして、久助の戦いの舞台は再び東国、駿河の国へと移る。
そして、織田家最大の窮地、地獄のような戦いの始まりが、刻一刻と近づいているのです。
四章『暗躍、新たな力と裏切り』は次話で終わりです。
来週末に試験があるので、ここ一週間は更新が減ります。ご了承ください。
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