第五幕 手がかりを求めて 前編
「おいおい、ずいぶんな格好じゃねえか、デミル」
ようやく見つけた相手に呼びかけると、そんな言葉が返ってきた。
デミルは鴉面の男達にやられた時のまま、傷の手当てどころか着替えすらしていない。
ずたぼろの衣服に火傷やすり傷だらけの姿だった。
「情報屋が行方不明じゃ、洒落にならんぞ」
デミルは憮然として返す。
ヴェノムのどこにでもあるような、中流程度の酒場。
料理の評判がいいのか、昼間でも満員で、店内は喧騒に満ちていた。
その隅の目立たない一席で、デミルは情報屋ギケルと落ちあった。
神出鬼没の情報屋ギケルに連絡をつけるには、仲介屋に頼めばいい。
仲介屋は、普段は金物屋の商店主をしているが、ギケルが街中に張り巡らせた情報網の一角を担ってもいる。
名前と要件をこの男に伝えれば、ギケルから伝言が折り返される。
その仕組みの正確なところは、デミルにも分からない。
さらに何人かの仲介を挟み、符号を用いたりもしているようだが、総体はつかめない。
というよりも、ギケルがそれを顧客に知られぬよう、巧妙に隠しているのだ。
おそらく、連絡手段も仲介に使う人間も、定期的に変えているのだろう。
どんな手段を用いているにせよ、ギケルからの返信は早い。
広間の日時計が十二分の一も動かぬうちに、待ち合わせ場所の指定をされるのが常だ。
ところがこの日、朝に仲介屋を訪ねたデミルが返事を受け取ったのは、昼を大きく回ってのことだ。
「仕方ねえだろ。あんな大事件のあとだ。こっちもクソ忙しいんだよ」
言葉通り、ギケルは気ぜわしげに頭をぼりぼり掻く。
大事件とは無論、ドゥルガン砦が壊滅した件だろう。
気が急いているのはデミルも同様だった。
適当な酒を頼んだのち、すぐに本題に入る。
「女を探している」
「おんなぁ? あんたらしくない要件だな。
もしかして、昨日奴隷市場でさらった女か?」
「ああ……」
ギケルには高級奴隷市場に行ったことは話していない。
昨日通りでばったり会ったのちも、付けられている気配はなかった。
それなのに、いつの間にか情報を仕入れていたらしい。
デミルは改めて、この男の怖ろしさの一端を知った気がした。
けれど、いまは話が早くて助かる。
「名はアセナ。銀色の髪と白い肌。琥珀色の目をしている。背は俺と同じくらいだ」
「さあ、知らねえな。アセナなんて名前の奴隷も聞いたことがねえ」
ギケルの返答はつれないものだ。
それに構わず、デミルは言葉を継ぐ。
「あんたに探し出してほしい」
「はぁ? おいおい、デミル。人の話聞いてなかったのかよ。俺は今、クソ忙しいんだ。
銀髪、白い肌の女なんて、この街にごまんといる。そいつらにいちいち『アセナさんですか』って、聞いて回れっていうのかよ!?」
声を荒げているのに、ギケルの言葉は周囲に漏れず、デミルにだけ届く。
自身の存在感を消す技術においては、ギケルの技量は一流の盗賊なみだった。
「なら、ドゥルガンの砦を襲った首謀者の居場所ならどうだ?」
「って、おい!?」
ギケルの目が驚きに見開かれる。
「例の事件絡みなのかよ。もしかして、あんたのその怪我もか」
「ああ」
うなずき、デミルはこれまでのできごとを、かいつまんで話した。
情報屋にタダで事件の話をするなど、金をドブに捨てているようなものだ。
けれど、金銭交渉をしている余裕はデミルにはない。
「ふぅむ……」
話を聞き終えたギケルの目が、獲物を捕えた鷹のように、鋭く光る。
情報屋としての仕事の顔だった。
「鴉の面に黒ずくめ、か。ずいぶんアブない野郎だな。
そいつの狙いは首飾りとやらだったんだな?」
「ああ。他のことはどうでもいい、という口振りだった」
「なら、なんでアセナ、だっけか? その奴隷娘までさらったりしたんだ」
「分からん」
デミルに心当たりがあるとすれば、アセナから首飾りを取り上げようとした時、青白い光と電流を発した不可思議なできごとくらいだ。
その時、アセナはこう言った。
―――この首飾りも自分のものになりたがっている、と。
だが、言動の全てが謎めいているアセナの発言だけあって、その真意は分からない。
都市盗賊のデミルも、情報屋のギケルも、魔術的な事柄となるとほぼ無知に等しかった。
「ま、探し物ついでに盗賊団を壊滅させちまうような奴だ。
何考えてるかなんて、まとも人間に分かりゃしねえか」
やや投げやりな調子でギケルは言う。
しかし、頭の中ではめまぐるしく情報を検討・整理していることが、表情から読み取れた。
ギケルは次の問いに移る。
「あんたが来た時にはドゥルガンはいなかったんだな?」
デミルはこの時、ギケルの言葉にかすかに違和感を覚えた。
だが、その正体を確かめる前に答えを返す。
「ああ。お前はなにか情報を得てないのか」
「噂だけならヴェノムじゅう飛びまわってんよ。
見かけたって奴もいるが、金になる情報はいまのとこねえな」
ギケルが金にならないと断じるからには、信憑性は低い。
おそらくはガセネタだろう。
さらにギケルは細かな質問を重ね、情報の精度を高めていく。
デミルは段々と焦れだした。元々、気の長い男ではない。
「おい、そろそろ俺の質問に答えろ。砦を襲った奴はどこにいる?」
「さあな」
ギケルの返答はそっけない。
「根も葉もねぇ噂ばっかりだ。そん中に、事実の一かけらでも混じってんのか、分かりゃしねぇ」
「……それを調べるのがお前の仕事だろう」
デミルの声音が低く押し殺したものに変わる。
苛立っている証拠だ。
ギケルは、ちらりと周囲を見回し、答えた。
「こいつは本来ロハで教えていいことじゃねえけどな。あんたがくれた情報の礼だ」
そう前置きし、声の調子をさらに潜める。
「実は、今回の件を探り入れさせた俺の手下が何人か行方不明だ。
どうも相当ヤバい連中みたいでな。
あれだけ大胆に砦をぶっ壊してるのに、まるで尻尾がつかめねえ。
俺もうかつに手が出せねえんだよ」
領主の借金総額から、盗賊団頭領の愛妾の数まで、ヴェノムで調べられない情報はないと豪語するギケルだ。
その情報屋が、これほど弱気な発言をするのをデミルは初めて聞いた。
デミルはやや思案し、再び口を開く。
「ギケル。お前の情報で、古代ネフェルト王国の墓荒らしを俺が襲ったのは覚えているか?」
「あ?」
唐突な話題の飛躍についていけず、ギケルは眉をひそめた。
「……ああ。古王国の金貨が三十六枚だったか。鑑定を手伝ってやったから、よく覚えてんよ。
あれは大盗り物だったな」
ギケルの返事に、デミルはこくりとうなずく。
約千年前に、いまのオルハン帝国に準ずるほどの領土をもって栄えたという古代ネフェルト王国。
その遺物は、収集家達の垂涎の的だ。
無論、その墓や地下遺跡などは盗掘もあとをたたない。
だが、古王国の遺跡にはいまも正常に稼働する罠が大量にある。
生半可な盗賊では財宝に辿り着く前に命を落とすのがオチだ。
それゆえに、古王国の遺物はさらに希少価値が高まっていた。
その金貨ともなれば、一枚が小粒の宝石ほどの値もつく。
「その三十六枚、全部報酬としてお前にやる。だから、鴉野郎の居場所を調べてくれ」
「ばっ、おいっ」
ギケルは珍しく動揺を見せ、大声を上げそうになるのをかろうじてこらえた。
「デミル、そいつはあんたのほぼ全財産だろ?」
「価値がデカ過ぎてさばくのに手間取っただけだ。蓄えていたわけじゃない」
まっすぐ相手の目を見て言うデミルに、ギケルはしばし言葉を失くす。
思い出したようにテーブルの上の酒を口に含み、ため息を一つついた。
そして、ゆっくりと噛み含めるように言う。
「なあ、デミルよ。あんた、悪いことは言わねえ。
その古王国の金貨、一山いくらででも売りたたいて、そんでその金で盗賊稼業から足洗っちまえよ」
「は?」
話についていけずに眉をひそめるのは、今度はデミルの番だった。
「顔見てりゃ分かる。あんたの目は、守るもんができちまった奴の目だ」
「…………」
「いままで何人もそういう目は見てきたけどよ。この街じゃ、そいつは死相っていうんだ」
「……くだらないこと喋ってんじゃねえぞ、ギケル」
眼光鋭く睨みつけるデミルだが、ギケルは意に介さない。
「まあ、聞けよ。女一人のために必死に駆けずりまわるなんざ、あんたらしくねえよ。
たった一度のいきずりだろ? いまならまだ引き返せる。
全部忘れちまえよ」
「いつから貴様は情報屋をやめて忠告屋になったんだ、おい」
ギケルはデミルの眼光に負けじと睨みかえし、静かに諭す。
「猛毒の街はこれから荒れるぜ。
ドゥルガンは生きてんだか死んでんだか分からねえ。
どのみち、あんなことになっちまったら、一味はもうしまいだ。
女のケツ追いかけてるような甘ちゃんが生き残れる場所じゃねえ」
「ギケルッ!」
激昂したデミルは椅子を蹴倒し、立ち上がった。
そのままギケルの首へと手を伸ばし―――、
ぴたりと動きを止めた。
顔はめぐらせず、視線だけで店内を見回す。
「……もぐらせてやがるのか」
「勘は鈍りきってねえみたいだな、デミル。
ああ、情報屋ってのは、これくらい用心しねえとつとまらねえのよ」
デミルは、首筋がぴりぴりとするような殺気を感じ取った。
それも複数だ。
ギケルの手下か、金で雇った用心棒が何人か客の中に紛れているはずだ。
誰もがこちらのことなどお構いなしに食事と談笑に夢中になっているように見える。
だが、どこからか吹き矢か投げ針か、飛び道具の気配を感じる。
デミルに殺気だけでおどしをかけられるのだから、相当なてだれのはずだ。
「ちっ」
頭に昇った血も冷め、デミルは手を引っこめた。
いまここでギケルともめたところで、何の解決にもならない。
デミルが手を上げるのを止めた瞬間、殺気も霧消し、店内のざわめきに紛れる。
ふと、先ほどの違和感の正体に、デミルは気づいた。
ギケルはあの男の名前を呼び捨てにはしていなかったはずだ。
「『この街でやれてるのはドゥルガンさんのお陰』じゃなかったのか」
「昨日まではな」
肩をすくめ、ギケルはふてぶてしく答えた。
デミルはもう怒らなかった。
ただ、微かに失望を覚えただけだ。
蹴倒した椅子を立て直し、どかりと座る。
うつむき気味に、つぶやくように言う。
「ギケル。あんたの言うとおりかもしれない。感覚がおかしくなっているのは、自分でも分かる。
盗賊を止めるなら、いまが潮時かもしれん」
「……なんだよ。バカに素直じゃねえか」
ギケルはどこか気味悪がるような目でデミルを見やる。
「だがな……」
デミルは、そこできっと顔を上げ、睨みつけんばかりの眼光でギケルを見つめた。
「それはこの件を片付けてからだ。アセナを救わなければ、奴の幻がこの先永遠についてまわる。
そんな気がしてならない」
「って言われてもなぁ……」
ギケルは弱り気味に眉尻をさげ、ぽりぽりと頬をかく。
すると、デミルはテーブルに両手をつき、頭を下げた。
「頼む。報酬が足りないなら、後日、必ず上乗せする。
この街で一番信頼できる情報屋はギケル、お前だ。
あの鴉面の……アセナの居場所をつきとめてくれ」
「おいおい、よしてくれよ」
ギケルは思わず腰を浮かせて動揺した。
深々と低頭するデミルを、幽霊を見るような目で見る。
この盗賊が、人をおどすことはあっても、頭を下げるなど天地がひっくり返ってもありえないことだと思っていた。
「頼むって言われてもよ。情で動いてたんじゃ、情報屋はつとまんねえよ」
「分かっている。だが、俺にはこうすることしかできない」
下げた頭を微動だにさせないまま、デミルは答える。
ギケルは弱りきった顔で、はーっと何かを諦めたようなため息をついた。
「前金は受け取れねえ。ドゥルガン一味壊滅の件で手に入れた情報は優先的にあんたに回す。
俺が約束できるのはそんくらいだ。
どのみち、情報屋としてあの事件についてなんも調べねえわけにはいかないからな」
「……恩に着る」
「よせよ。あまり期待されても困る。
天秤が釣り合わないと分かったら、さっさと手を引っこめる気でいるんだからよ。
こっちこそ、頼むから頭を上げてくれよ。あんたのその姿、不気味なんだよ」
「……そうかもしれんな」
面を上げたデミルは澄まし顔だった。
てっきり、屈辱に目をぎらつかせているのではないかと思っていたギケルは、意外そうにそれを見やる。
「頼んだ」
短く言い、デミルは酒代をテーブルの上に放った。
そして、揚々と席を立つ。
「あんたはこれからどうする気だよ」
「俺は俺で手掛かりを探る。お前なら俺が街のどこにいてもつかまえられるだろう」
「それもいいけどよ。手当ての一つもしていた方がいいんじゃねえのか。
よく見りゃ、ひどい怪我じゃねえか」
「……じっとしている方が苦痛だ」
それだけ言うと、デミルはきびすを返し、店の出口を目指す。
ギケルは、どこか感嘆したようなため息をもらした。
「はぁ。本気で変わっちまったな、デミル。
そのアセナっての、よっぽどいい女なんだろうな。
俺も一度会ってみたくなったぜ」
それには答えず、デミルはいまだ大勢の客でごった返す店を横切る。
その際、殺気を放っていた者にも何となく見当が付いた。
軽く睨みつけてみたが、相手はそしらぬフリで食事を続けていた。
デミルは再び、混迷続くヴェノムの雑踏へとまぎれた。
―――
ギケルに匹敵する情報網を持つツテとなると、当ては少ない。
こんな時、組織に属さない一匹狼の都市盗賊は不利だった。
ドゥルガン一味は、本人も含め生き残りもいるかもしれないが、その行方は分からない。
見つけ出したとして、デミルに協力する可能性はあまり高くないだろう。
残された選択肢は、デミルにとってあまり気の進む場所ではなかった。
だが、背に腹は代えられない。
そう覚悟を決め、デミルが向かったのは、この街のもう一つの裏の顔と呼ばれる世界―――、
娼婦街だった。