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ヴェノムの盗賊たち  作者: 倉名まさ
4/9

第四幕 鴉の羽根は爆炎に躍る

 

 ―――なんだ、これは?


 ヴェノムで盗賊をやっていれば、凄惨な場面に出くわすことも幾度もあった。

 だが、そのデミルも思わず困惑してしまうような光景がそこにはあった。


 火災があったのは、デミルが思った通りの場所であった。

 ヴェノムでも最大規模を誇る盗賊団、ドゥルガン一味のアジトである。

 敷地に一歩でも踏み迷えば命はないと市民には恐れられ、乞食や酔漢ですら、この周辺には一切寄りつかない。

 誰にも住処を知られないよう隠れ潜むデミルと違い、恐れるものなど何もないと言わんばかりの威容を誇る、大きな砦であった。

 遠征中の軍用の砦と比べても遜色ない。

 単純な建物の大きさだけでいえば、ヴェノムにもこれほど大きな建築物はそう多くない。


 その大規模な砦の半分ほどが、消し飛んでいた。

 デミルが見ている間にも、あらたな火の手があがった。

 ただの炎ではない。

 それは石造りの砦を吹き飛ばすほどの力を持ち、天に向かって爆ぜる。


 火薬が発明される以前のこの時代に、爆発という現象を知る者は、世界にほとんどいない。

 それを知るのは、たった二つの人種のみだ。

 “燃える水”の存在を知っている砂漠の民のごく一部。


 そして、魔術師だけであった。


 もちろん、デミルにも何が起こっているのかまったく分からない。

 爆音と強風、頬を焼くほどの熱気にさらされながら、呆然と立ち尽くす。


 だが、見知った顔が目に映り、我に返った。

 つい先日、デミルを囲みにやけていた盗賊の一人だ。

 その者は爆風に飛ばされ、砦の高層から地面へと叩きつけられた。


「おい!」


 デミルは声を上げ駆けよったものの、その者が即死していることにすぐ気づいた。

 盗賊の身体には腰から下が存在せず、焼けただれた上半身だけが地に横たわっていた。


「くそっ、なんなんだこれは」


 意を決して、デミルは爆風吹きすさぶ砦へとさらに近づいた。

 消滅していない部分は瓦礫が崩落しているものの、火災は思ったよりひどくない。

 煙と瓦礫をよけながら、デミルはもはや廃墟同然と化した砦に踏み込む。


 阿鼻叫喚の地獄絵図が、そこでは繰り広げられていた。

 生存者の姿は見えない。

 瓦礫と炎、そして焼死体ばかりだ。

 それもほとんどが、ただの火傷ではなく、手足や胴がちぎれとんだ、凄惨な姿であった。


「うぅ……、くそ……」


 どこからか、うめき声がデミルの耳に届いた。

 上の階だ。

 デミルは火の手をよけ、瓦礫をくぐり、声のしたと思しき砦の三階へと向かう。

 そこは、かつては荒くれ者どもが獲物を積み上げ酒盛りをしていた、宴会場であった。

 その広間の一角に、一人の男が横たわっていた。

 全身火傷に苛まれながらも、五体は無事だ。


 デミルにはそれが誰か、一目で分かった。


「おい、カドリ! しっかりしろ」


 その者の名を呼び、両腕に抱く。

 カドリは、ドゥルガンに命じられ、デミルの教育係を務めていた男だった。

 言葉も分からず獣同然だったデミルに根気よく向き合い、鞭や杖で体罰を与えながらも、どうにか盗賊団の一員として使いものになるまで、デミルを育て上げた。

 ドゥルガン一味の中でも最古参の古株だ。

 盗賊団の中では、比較的温厚な性格の男だった。


「おお、デミルか。珍しいな、お前さんがここに来るなんて」


 カドリは修羅場とは思えない、妙にぼんやりとした声を上げた。

 どうやら、半ば意識が混濁しているようだ。


「カドリ、一体何があったんだ!?」

「んー?」


 カドリはデミルの腕に抱かれたまま、緩慢な動作で首をめぐらし、周囲の惨状を見やる。


「分かんねえ。変な仮面つけた連中がアジトにやってきてよ。

 追い出そうとしたとたん、どかん、どかん、だ」

「仮面……? それで、ドゥルガンはどうした?」

「親分か……。さあな、生きてんだか死んでんだか、なーんも分かんねえ」


 正気と気狂いの境をさ迷っているようなうつろな目で、カドリはぶつぶつと、独りごとをつぶやくように言う。


「なあ、デミル。また昔みたいに―――」


 カドリのその言葉を最後まで聞くことはできなかった。

 デミルの鋭敏な感覚が、背後に誰かの気配を感じた。


 とっさにカドリの体をはなし、横に跳ぶ。

 一瞬のち、球体状の炎が高速で飛来し、デミルのすぐ脇を横切る。

 炎の球はカドリに飛来し、その姿を吹き飛ばした。


「……ぐっ」


 爆風と熱気に押され、デミルは床を転がる。

 ちらりと目を向けると、カドリの身体は無残な肉片と化していたが、それを悼んでいる余裕はデミルにはない。

 追撃を受けぬよう床を蹴って跳ね起き、背後を振り返る。


「ほう。これほど動ける生き残りがまだいたか」


 デミルが目にしたのは白塗りの仮面だった。

 その作りは喜劇役者の用いるものに似ているが、滑稽さよりも不気味さが引き立つ。

 その揃いの仮面をつけた者が三人。

 仮面以外の身体は、すっぽりと黒いローブで覆われていた。

 くぐもった声は男のもののようだったが、姿形だけでは男か女か、そもそも人間であるのかすら判然としなかった。


「俺はここの人間じゃねえ。通りすがりだ」


 とりあえずデミルはそう返した。


「ふん、見えすいたことを……!」

「命を奪う前にいま一度だけ問うてやろう。首飾りをどこに隠した」

「あぁ? 首飾りだ?」


 仮面の者が何を言っているのか分からず、デミルは片眉を上げた。


「とぼけるな。蒼い宝玉のはめこまれたものだ。貴様らが盗んだ荷の中にあったはずだ」


 ああ、とデミルは思い当たる。

 ドゥルガンが投げてよこし、アセナが身につけ手放そうとしなかった、あの首飾りだ。

 今度こそ本当に、デミルはとぼけてみせた。


「知らねえよ。俺はただの通りすがりだって言ってるだろ」


 仮面で表情はまったく分からないが、なんとなく彼らの雰囲気がいまいましげに苛立っているように見えた。


「おとなしく渡せば、壊滅まではさせなかったものを」

「余計な手間をかけさせる」

「あくまでしらを切るつもりなら、この砦をしらみつぶしにするまでだ」


 仮面の男達は、等間隔を取って散開した。

 そろって仁王立ちになり、胸の前で複雑に指を絡める。

 そして、揃って呪文の詠唱をはじめた。

 それは吟遊詩人の謳いにも似た独特の節を持っていたが、それよりも不気味に低くくぐもっていた。

 三人の手から火球が生まれ、デミルに向かって放たれる。


「ちぃッ!」


 舌打ち一つつき、デミルは後方へと跳んだ。

 火球は床や壁に着弾すると、風と炎を生み、四散する。

 吹きつける熱気と風に、デミルは再び床を転げるしかなかった。


 それでも、態勢を整え再び立ち上がる速さは並の人間を凌駕する獣級のものだった。

 だが、立ち上がったデミルに再び火球が撃ちこまれる。

 逃げ道を塞ぐように、三つの球は少しずつ着弾点をずらしている。

 またもデミルは火球を避けたものの、着弾時の爆発はかわしきれない。

 熱と爆風によって生傷が増える。


 それは一方的な光景だった。

 人間離れした身体能力を有するデミルも、瓦礫だらけの不安定な足場では思うように動けない。

 一方の仮面の男達はその場を動くことすらなく、捕えたねずみをいたぶる猫のごとく、炎の球を発し続けている。

 いずれはデミルも炎の球をかわしきれず、その身に受けるだろう。

 そうなれば一撃で黒焦げだ。

 百戦錬磨の盗賊デミルといえど、魔術師三人が相手では立ち向かう術を持たない。


 ―――否。


 そう思っているのは、仮面の男達だけであった。

 全身に傷を負いながらも、デミルはそれを蚊に刺されたほどにも気にしていなかった。

 よけかわすことに専念していたのも、ひとえに仮面の男達の油断を誘うためだった。


 ―――そろそろ頃合いか。


 もう何度目かも分からない火球が放たれる。

 デミルはそれを横にも後ろにもよけなかった。

 最小限の動きで火球同士のわずかな隙間をくぐり、前進する。


「なにっ!?」


 仮面の男達は少々驚きはしたものの、いまだ余裕はある。

 いま一度火球を生みだし、三人同時に放った。

 この距離でははずしようもない。

 だが、それと同時―――、いや、わずかにはやく、デミルも懐から短刀を取り出し、投げつけていた。

 短刀は三人の男のうちの一人、その生成した火球を直撃した。

 仮面の男の手の内で、火球が爆発する。


「ぐおおっ!?」


 自ら生んだ火球に呑まれ、男の体が吹き飛んだ。

 残る二人の火球も、近距離の爆発に影響され、手元が狂う。

 一人のものはデミルの脇を大きくそれて飛んでゆき、いま一人の術はデミルのちょうど足元辺りに炸裂した。

 直撃ではないものの、足元に落ちた火球の爆発は、デミルの体を大きく吹き飛ばした。


 いや、そうではなかった。


 デミルは自ら爆風にのり、それを利用して跳躍していたのだ。

 重力から解き放たれたようにデミルの体は宙を舞い、半ば瓦礫と化した壁を蹴る。


「シッ」


 鋭く呼気を放ち、デミルは宙から仮面の男の一人に狙いを定めた。

 半ば体当たりを仕掛けるように、すれ違いざまに、その喉を掻き切る。

 ゆっくりと男の体が崩れ落ちた。

 着地したデミルは、その勢いのまま駆ける。

 自らの火球によって吹き飛び地に横たわる男に駆け寄り、念のため、短刀でとどめを刺した。


「さて、と」


 残る一人の男を睨みつけるデミルの表情には、余裕が感じられた。


「連携だけなら、密輸屋の男達の方が、ちっとはマシだったぜ」

「馬鹿な……、選ばれし民の我らが、盗賊風情に……」

「選ばれし民。はっ」


 デミルは残る男の言葉を鼻で嗤う。

 魔術師という人種が、自分達のことをそう称するらしい。

 噂には聞いていたが、実際に耳にするのは初めてのことだ。


「てめえら、下っ端だろ」

「なっ!?」


 仮面で表情は見えぬものの、デミルの指摘に男が色をなしたのが、気配で分かった。


「ホンモノの魔術師なら、奥の手の魔術をそう無闇にぽんぽん撃ったりしねえだろ」

「黙れ!」


 激昂した男が放つ火球を、デミルはなんなくかわした。

 たしかに、魔術の射出速度は速い。

 だが、弓矢とは比べるべくもなく、ナイフの投擲よりも遅いくらいだ。

 炎が手のひらに収束するのにも一瞬間があり、落ち着いて見極めれば、デミルにかわせないものではなかった。


「どんな手品も何回も見せられりゃ見飽きるし、タネも分かるってもんだ」

「貴様……、崇高なる魔術を手品呼ばわりするか!」

「うるせえよ、雑魚が」


 デミルは一息に間を詰め、男の胸板に蹴りを放った。

 あばらの折れる感触が足の裏に伝わる。

 だが、デミルにとっては手加減もいいところだ。

 短刀を滑らせれば、一撃で絶命させるのも容易なことだった。


「てめえ一人はとりあえず生かしてやるから、色々聞かせてもらおうか」

「ぐほっ、げはっ……」

「むせてねえで、返事くらいしろよ。最初に砦を吹き飛ばしたのも別の奴なんだろ?

 あの爆発は、てめえらの火の玉みたいにショボいもんじゃなかったぜ」


 デミルの問いに、答える声があった。

 だが、それは目の前の仮面の男のものではなかった。


「ホウ、盗賊如きにしてはナカナカ鋭いではないカ」


 デミルの背に、強烈な悪寒が走った。

 それは仮面の男達に火球を放たれた時の比ではなかった。

 全身の毛が逆立つような感覚を抱きながら、デミルは素早く声のした方を向く。

 半ば以上倒壊した広間の入口に、長身の男が立っていた。

 上背だけならドゥルガンほどもあるが、その分カカシのようにやせ細った身体が異様に映る。

 ぴっしりと肌を覆う黒のシャツの上に、これも漆黒に染められた法衣をまとっていた。

 皇族でもなければ手にできないような、豪奢な代物だ。

 だが、異様なことに、その法衣は意図的なのか、ずたずたに切り裂かれていた。

 見ようによっては、鳥の羽根のようにも見える。


 特に妖しげなのはその頭部だ。

 その者もまた、仮面を身につけていたが、火球の魔術師達のような、道化師じみた白塗りの面ではない。

 楕円にくり抜かれた金の双眸、黒塗りの面、なにより特徴的なのは、鋭くつきでた大きなくちばしであった。


「……おいおい、ピエロの次はカラスのお出ましかよ。今日は仮装祭の日だったか?」


 おどけたつもりだったが、デミルの声はかさかさに乾いていた。

 その者のまとう空気に、本能的に強い警戒心を覚える。

 あるいはそれは、恐怖といっていいかもしれない。


 男は悠然と崩れた通路に立つのみで、危害を加えてくる様子はなかった。

 それが余計に不気味だった。


「ダガ、君は一つ勘違いをしていル。尋問をするのハ君ではナク、こちらのホウダ」


 男の立ち居振る舞いは貴族然としていた。

 だが、鴉面の内から漏れ出る声は、金属がこすりあわさるような不気味なものだった。


導師(グル)! この者を尋問するのであれば、私にお任せを!

 こ奴から受けた雪辱、はらさねば気がおさまりませぬ」


 仮面の男が、折れたあばらをおさえながら、新たに現れた男の元へ駆けよった。

 その嘆願に、導師と呼ばれた男は妖しく光る金の双眸をそちらに向けた。


「……恥さらしガ」


 一言吐き捨て、片手を頭の高さの辺りまで上げる。

 そして、ぱちりと指を鳴らした。

 瞬間―――、仮面の男の全身を、青白い炎が包んだ。

 悲鳴を上げる間すらなく、一瞬で男の姿は消し炭と化した。


「なっ……」


 魔術師達の火球は見慣れたデミルも、何が起こったのか全く分からなかった。


「サテ、野望用は済んダ。首飾りをドコに隠したカ聞かせてもらえるカナ?」

「知らねえよ。俺はただの通りすがりだ」


 デミルはさらに後方へと跳ぶ。

 鴉面の男から十分な距離を取ったところで、思い切ってきびすを返し、逃走をはかった。

 だが、振り向いたデミルのすぐ目の前に、鴉の面が現れる。

 完全に物理法則を無視した瞬間移動だった。


「なに!?」


 さしものデミルも、これには即座に反応できなかった。


「フム……」


 鴉面の男はデミルへと片腕を伸ばし、頭をつかむ。

 そして、片腕だけでその体を持ち上げた。

 極細の姿からは信じられない怪力だった。


「マア、直接見ルから、問題ナイ」


 デミルの頭に激痛が走った。

 ただ、頭をつかまれているだけの痛みとは思えない。

 頭蓋をねじ切られているかのようだ。


 あまりの痛みにまぶたをつぶってしまう。

 閉じられたデミルの視界の裏に、ある情景が浮かぶ。


 満月の夜、その光もろくに届かない小路。

 その下を、音を殺して走る馬車の一団。

 それは、デミルが密輸人を襲った時の光景だった。


 劇上のできごとのように、頭に浮かぶ場面は次々と切り変わる。

 ドゥルガンが分け前と称し、デミルに首飾りを放った場面で、情景は一度静止した。


「ホホウ、道理デ見つからないワケダ」


 男が、興奮でわずかにうわずった声を上げた。


 ―――俺は……記憶を、覗かれたのか?


 掴まれた手から逃れたかったが、激痛は止まず、全身の血を抜かれているように、体に力が入らない。

 さらに脳裏に浮かぶ場面は移り変わっていく。

 とうとう、今朝のできごと、首飾りを身につけたアセナの裸身が頭に浮かぶ。


 そこで鴉面の男は、デミルを地へと放った。

 どさりと音を立て、デミルの身体は崩れ落ちる。

 為す術なく地面に横たわるなど、彼にとって久しくないことだった。


「クフフフフ、アハハハハハ!」


 鴉面の男が我を忘れたかのように、全身で哄笑を上げた。

 すさまじい不協和音が響く。

 気でも触れたかと疑いたくなる様相であった。

 隙だらけにも見えたが、デミルの体はいまだ力が戻らず、動けない。


「なんトいう僥倖! なんトいう幸運! 

 コレが貴女の仕業ナラ、運命の女神フォルトゥノンよ。

 我ハ貴女の信者となり、頭を垂れルもやぶさかではないゾ。

 フハハハハハ!」


 男はデミルの存在を忘れたように、天を見上げ、高々と笑い続けた。

 一方のデミルは、動かなかった手足に少しずつ力が回復するのを感じていた。


 ―――待ってろ。いま、そのイカれた脳に刃を撃ちこんでやる。


 わずかにでも手が動けば、短刀を投げつけられる。

 だが、鴉面の男はその前にぴたりと哄笑を止め、何かを思い出したように、デミルに向き直った。


「ア、そうそう。首飾りノありかを教えてくれタお礼に、最初の君の質問ニモ答えヨウ。

 ゴ明察の通り、コノ砦を爆破したのハ不肖ノ弟子ではナク、コノ我ダ」


 まるで証拠でも見せるように、男は両手をかかげ、その内に光球を作ってみせた。

 仮面の男達の火球にも似ていたが、その熱量も輝きもケタが違う。

 まるで日輪をその手に持っているようだ。


「もっとモ、万一首飾りをふっ飛ばさぬヨウ、手加減したがネ。デモ―――」


 ―――まずい、あれは絶対にヤバい!


 デミルは鴉面の男の意図を察した。

 体が動かない、などと泣きごとを言っていられる状況ではなかった。

 床から跳ね起き、一息に走る。

 そして、ためらうことなく、瓦礫の隙間から砦の外へと飛び出した。


「もうソノ必要もナイ」


 鴉面の男は、無造作にひょい、と光球を放った。

 デミルが宙に身を躍らせるのと、ほぼ同時だった。

 雷が直撃したような轟音が鳴り響く。

 同時、巨大な砦が爆ぜた。


 なかば爆風に押されながら、デミルは跳ぶ。

 不格好ながらもどうにか受身を取り、地面を転げる。


「ぐはっ……」


 全身が焼けつくように痛んだ。

 振り返ると、砦は業火に包まれ、完全に崩れ落ちていた。

 不幸中の幸いというべきか、砦の周りには他の建物がなく、すぐに消化すれば燃え広がることはないだろう。


 どのみち、火災の心配などしている余裕は、デミルにはなかった。

 黒い法衣が現れるのではないか、と周囲を警戒する。

 だが、一向に黒い影が出現する気配はなかった。

 どうやら、もうあの男はこの場を去ってしまったらしい。


 全身は傷だらけで、久しくないほどの一方的な敗北だった。

 だが、それも仕方のないことだろう。

 相手は間違いなく、人智の領域を超えた化物だ。


 ―――命があっただけ、拾い物、か。


 元より、自分はもうドゥルガンの一味ではない。

 かつては仲間と思い、共に過ごした者達を一方的に壊滅させられ、思うところがまったく何もないわけではない。

 目の前で死んだカドリの姿に、多少は胸もいたむ。

 しかし、どうせ床の上で安らかには死ねない稼業だ。

 いつかこんな日が来ることも、彼らもある程度は覚悟していたはずだ。

 盗賊団の仇を討つほどの義理はない。

 おこぼれでもらったような首飾りも、惜しいものではない。

 何故鴉面の男がそれにこだわり、手に入れてどうするつもりなのかも、どうでもいい。

 全ては事故にあったようなものだ。


 そのはずであった。


 だが、気づくとデミルは全速力で駆けだしていた。


 ―――俺は何をしている?


 自分の行動が不可解だった。

 一歩踏み出すごとに、全身を千切れそうなほどの痛みが襲い、肺に空気が入らずあえぐ。

 額から流れる脂汗は暑さのためだけではない。

 それが危険な信号であることを、経験から知っていた。

 それでもなお、足を止められない。

 ぼろぼろの体をひきずるようにして、デミルは走り続けた。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 思考もまとまらず、ヴェノムの街並みも目に入らない。

 高級奴隷市場近くの空家に戻った時は、半ば意識が白濁し、倒れる寸前だった。


「アセナ!」


 残る気力の全てをかき集めて、叫ぶ。

 だが、中から返事はなかった。

 転がるように、建物の内に入る。

 部屋は元の空家に戻ったように、がらんどうだった。

 純白の肌と琥珀色の瞳の美女の姿もなければ、首飾りもない。

 代わりに、部屋の中央に黒い何かが落ちていることにデミルは気づいた。

 拾い上げ、その正体を悟る。


 それは―――、


 一枚の鴉の羽根だった。


この世界(この時代)に魔術は存在しますが、一般的ではなく秘術扱いです。

火球を放つことしかできない仮面の男達(筆者は心の中でファイアーボール三兄弟と呼んでいます)でも、この世界では非常に特異な存在です。

その辺りも、本編でおいおい描ければと思います。

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