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ヴェノムの盗賊たち  作者: 倉名まさ
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第一幕 真夏の夜の凶刃

 寝苦しい、熱気に汗ばむ夏の夜だった。

 のしかかるように大きな満月が、夜闇を打ち払い、煌々と照り輝く。

 だが、そこは月明かりもろくに届かない路地裏だった。

 建物の隙間に生まれた、蛇の腹のようにうねる小路。


 その狭き道でうごめく馬車の一団があった。

 馬の前方に二名。後方に二名。御者が一人。

 それが一団の構成員全てだ。

 皆、灰色のマントとフードで全身を覆っている。

 馬にはいななきを防ぐためくつわが嵌められ、車輪にも防音のための油が塗られていた。

 夜闇に紛れ、忍びやかに一団は進む。

 前、後方を固める四人は周囲の警戒に余念がない。


「ようやく、ここまで来ましたね」


 だが、前方を行く一人がぽつりと漏らし、わずかに一団のまとう空気が緩んだ。

 まだ年若い、男の声だった。


「……ああ、ようやくだ」


 うなずき返すとなりの声は、それよりは年老いた男の、しわがれ声であった。


 一行は密輸の一団である。

 天外大陸でのみ産出される希少な貴金属を、同地の職人が細工した宝飾品。

 それをこの街の、さる貴族に届けるのが彼らの役目だった。


 運ぶ荷の価値に対して護衛の数が極端に少ないのは、ひとえに人目を忍ぶためだ。

 天外大陸での個人の宝飾品買いつけも違法なら、輸送も違法。

 なにより、税関の目をかいくぐり、この都市に貴金属を輸入することが最大の禁忌であった。

 発覚すれば斬首はまぬがれえない罪を、二重三重に犯しての大博打。


 いくら人目を忍ぶといっても、密輸の一団は今の倍、元は十人掛かりの仕事だった。

 だが、これまでの過程で、あるいは野盗に襲われ、あるいは魔獣の餌食となり、風土病におかされ、役人に捕まり、半分となった。

 だが、その過酷な旅も九十九里を越えた。

 最大の難所であった都市の税関も、一人を犠牲にして忍びこめた。

 あとは貴族の指定した場所に荷を届けるだけだ。


 一行の数が少ないということは、一人当たりの分け前の量が多いということでもある。

 残された者に約束されているのは、生涯遊んで暮らしても使いきれないほどの莫大な報酬だ。

 艱難辛苦の旅も、もうじき終わる。


 それを思えば、互いに聞きとれる程度のささやき声で会話を交わすくらいは許されるだろう。

 男達はそう思っていた。


 ―――それが、油断だった。


「これでくだらない用心棒稼業とはおさらばだ」

「そのとおりだな」


 応じた声はささやき声ではなかった。

 突如、どこからか聞こえてきた部外者の声だった。


「なっ」


 一行の間に動揺が走る。

 周囲を警戒するも、相手の姿は見えなかった。

 一瞬のち、不吉な黒い影が闇夜を背景に頭上から降ってわいた。

 護衛の者達にも似た灰色のターバンを巻き、マントをしていたが顔は隠していない。

 声音と顔立ちから判断するに、若い男のようだ。


 飛び降りた勢いそのままに、馬車の後方にいた一人に白刃を突き立てていた。

 着地と同時、懐からもう一本の短刀を取り出し、隣りの人間の首筋に刃を滑らせる。

 一連の動作には淀みが一切なく、またたく間もないできごとだった。


「……うぐぁ」


 くぐもったうめき声を残し、後方二人の男は絶命していた。

 おそらくは、自分が何をされたのかも分からぬまま……。

 男は返り血を浴びないよう、致命傷に至る最小限の薄さで脈をたち切っていた。

 その切りあとは、一流の外科医の手術を思わせる鮮やかなものだった。


 裏路地に降りきたった男は、間をおかず、短刀をひるがえし、前方に投げつける。

 投擲は狙いあやまたず、馬の首に深々と突き刺さり、これも一瞬でその命を奪う。


「もうこれで用心棒などせずに済むな」


 淡々とした中にわずかにあざけりを込めて、男は言い放った。

 残る前方の二名はさすがだった。

 襲撃者がたった一人とみるや、動揺も一瞬でおさめ、二人同時に剣を抜き放つ。

 シミターの名で知られる、刀身の歪曲した、砂漠の民達が愛用する剣である。

 人数を掛けられない密輸入の護衛。それゆえ、選ばれたのは少数精鋭の強者だった。


 二人は互いの吸息をぴたりと合わせ、一つに同化したかのごとく、剣を構える。

 連山流剣技。

 元は、集団戦法を得意とする傭兵達によって生み出された剣術である。

 互いの存在を自らの手足とし、集団で一個の刃と化す。

 乱戦においては、個の力の数倍、達人同士であれば数十倍もの威力を発揮すると云われている。

 護衛の者達は、この流派の遣い手だった。

 不意打ちで後方の二人は倒れたが、四人で四方を固めれば、数十の敵相手でも抗しうる。


 一分の隙も乱れもなく、二人は同時に男に(はし)り寄る。

 だが、男は思った。


 ―――ぬるい、と。


 連携の隙をつく必要性すら感じなかった。


「いぃやぁぁッ!」


 裂帛の雄叫びとともに、左右同時に放たれる剣撃。

 必殺の間合い。

 そのはずだった。


 だが、男は重力から解き放たれたようにふわりと飛びすさり、なんなく剣閃から逃れていた。


 ―――しかし、宙に逃れたのでは、第二撃をかわす術はあるまい。


 そう護衛二人は判断した。

 が、男は細路地を囲む建物の壁を蹴り、ほとんど垂直に再び跳んだ。


「なっ」


 予想外の動きに、二人の反応がごくわずかに遅れる。

 そのわずか、が命取りだった。

 宙返りの要領で身をひるがえしつつ、男は二人の後方に降りたつ。


 慌てて二人が振り向いた時には全てが遅かった。

 男の左右に握られた短刀が閃き、二人の喉を掻き切っていた。

 それは無造作といえるほど無駄のない動きだった。


「この街じゃ、仲良し剣法なんて通用しねぇよ」


 吐き捨てるように言う。


「ち、ぢぐじょおぉ。あ、あど、すごしで、おれは―――おれはあぁぁぁ」


 二人のうち、若い声の方がかろうじて絶命をまぬがれていた。

 消え去らんとする命の灯火をかき集めるように、すさまじい声でわめく。


「ちっ」


 男はなんの感慨も抱かず、それにとどめを刺した。

 一撃で仕留めそこなったことに、わずかに苛立っただけだ。


「く、くそおっ」


 その間に、止まってしまった馬車の御者台から、残る一人の男がまろびでて、よろめきながらも一目散に逃げ去った。


 ―――賢明なことだな。


 その背を見つつ、襲撃者の男は思う。

 用があるのは、馬車の荷であって彼らの命ではない。

 逃げ去った一人を追って荷を放置する愚はおかせない。

 むしろ、莫大な財貨を捨てて、身一つで逃げた御者の潔さを褒めてやりたいくらいだった。

 男が逃げた御者に興味を失い、荷をあらためようとした、その時だった。


「ぎゃあぁ」


 逃げ去ったはずの男が、細道の向こうでつぶれた悲鳴を上げた。

 見やると、御者はだくだくと黒い血を流し、地面に横たわっていた。

 そのさまを見て、襲撃者の男は不快げに眉をひそめた。


「ナイフを置きな。デミル坊」


 御者を斬った大柄な影も、粗野なだみ声も、男には覚えのあるものだった。

 ついで、聞こえよがしに通路の両側から足音が聞こえてくる。

 あっという間に、男を取り囲むように大勢の者達が通路を塞いだ。

 どの姿も屈強であるのみならず、凶悪に歪んで見える。

 要するに、荒くれ者達の面相だった。


 男に声をかけたのは、その中でも一際大柄で猛々しい顔つきの者であった。

 血の滴る抜き身の剣をだらりと下げ、ゆっくりと男に近づく。


「見事な手並み……と言いてぇところだが、一人逃すなんざ、あいかわらず甘ちゃんだな、デミル坊」

「……そんな奴の命なんてどうでもいい」


 その返事に、大男は大仰に肩をすくめ、がははと豪快に笑った。


「肝心なのは馬車の中身だってか。なるほど、そいつはちげえねえ。

 ―――おい、荷をあらためろ」

「へい」


 大男の命令に応じ、通路を囲んでいた者達が動き出す。


「おい、それは俺の獲物だ!」

「―――あぁ?」


 にたにたと笑っていた大男の形相が一変した。

 ぎろりと目玉が動き、射殺さんばかりの眼光で睨みつける。


「ナイフを置け、と言ったはずだなぁ、デミル」

「……くっ」


 男は歯がみし、眼光をさけるようにうつむく。

 だが、抗しきれずに、やや逡巡したのち両の短刀を地に放った。

 この人数が相手では、荷を奪い、よしんば不意をつき何人か刺し殺せたとしても、逃げおおせられるものではない。


 というのが言い訳であることを、男自身も分かっていた。

 いまだあの眼光に睨まれると、身がすくむのをどうしようもできなかった。

 全身に刻まれた痛みと恐怖が克明によみがえり、意識を支配する。


「よぉし、よし、いい子じゃねえか」


 大男はなぶるように、またもにやつき笑いを浮かべはじめた。


「お頭、馬車の中身を運び出しやした」

「全部だろうな?」

「へい、銅貨一枚残さず全て」


 大男の配下の者達は、馬車にあった袋や箱を余さず並べてみせた。

 大男はあごをしゃくり、「開けろ」と目で命じる。

 それに応じて袋や箱の封が解かれ、一斉にこじあけられる。

 中身をのぞき見た男達はどよめいた。嬌声を上げ、笑いだす者もいる。

 大男もまた、喜色を浮かべた。


「おっほう、こいつは大したもんだ。夜中じゃなきゃあ、目がつぶれるとこだったぜ」


 その言葉に追従して「ぐへへへ」と下卑た笑声が湧き起こる。

 大男は袋の一つをがさごそと探った。


「ほらよ、分け前だ。とっておきな、デミル坊」


 そして袋の中身を一つ、無造作に放る。

 それは赤子の拳ほどもある蒼い宝玉を中心に据えた、首飾りだった。

 異国風の女神が宝玉を抱きかかえる意匠の、精緻な銀細工が施されていた。

 それ一つでも、闇市場で売りたたいたとしても、この都市で数カ月は暮らせるだろう。

 だが、なおやかな女物の首飾りは、まるで、一切抵抗できずに短刀を放った女々しさに当てつけられているようだ。

 男は屈辱に顔を赤く染めた。


「おお、なかなかお似合いじゃねえか。デミル()ちゃん」


 その羞恥を察したように、大男がすかさず言い放った。

 通りを埋める者達の間で、爆笑の渦が巻き起こる。


「さて、もうこんなとこに用はねえ。ズラカるとするか。

 ブチ殺される覚悟がある奴だけ、くすねてみせろ」


 まるで自身が一働きしたかのように大男は言い、哄笑をあげながら身をひるがえす。

 それに従い、手下達も荷を分け持ち、ぞろぞろと消え失せていった。

 その際に、男に嘲りやからかいの言葉をかける者もあった。


 あとに残るは、五人と一匹の死骸。がらんどうになった馬車。

 そして、屈辱にふるえる襲撃者の男一人のみだった。

 男は裏路地に裁断された月夜を挑みかかるように睨みつけ―――、


「グガアァァッ!」


 獣じみた咆哮を上げた。


 ―――


 中央大陸の東端に興ったオルハン帝国は、元は一部族の小国に過ぎなかった。

 しかし、建国から約二百五十年の時をかけ、徐々に周辺の部族を統合、勢力を拡大してゆく。

 そして、遠征王ハルク皇帝の治世時に、過去最大の領土を獲得した。

 中央大陸のほぼ全土と、天外大陸の北辺の一部にまたがる、世界史上に類例のない、一大版図であった。


 だが、それはあくまで地図上の塗り絵に過ぎない。

 帝都から遠く離れた属州は、帝国領土といえど、それ以前とほとんど変わりない。

 構成民族も習俗も法制度も宗教すら土着そのままのもので、支配下においているとは言いがたかった。

 相応の租税を取り立て、帝都に運ばせるくらいがせいぜいであった。


 ハルク皇帝自身、押しつけがましい統治を推し進めようとする男ではなかった。

 彼は戦の天才だったが、熱心な政治家ではない。

 税が滞りなく収められている限り、地方のことはその土地の者達の自由にさせておけばいい、というのが彼の思想だった。


 そんな帝国の片隅に、一つの都市があった。

 二つの大陸を渡す運河の河口付近にあるこの地は、帝国統治以前は漁村とも町ともつかない片田舎だった。

 しかし、帝都に運ぶ物資は全てこの地を経由せねばならず、交通の要所となって以来、急速きわみない発展を遂げた。

 そして、またたく間に帝都につぐ、帝国第二の都市へと変貌する。

 いや、物量と活気、ありとある人種を内にはらんだ人口の多さではかるなら、帝国一の都市かもしれない。都市で暮らす者の数は百万とも二百万ともつかない。


 だが、先ほど述べた通り、帝都から遠く離れたこの地では、法制度などあってないようなものだ。

 一大都市はまた、超犯罪都市としても悪名をはせていた。

 火つけ、強盗、刃傷沙汰は日常の光景であった。

 この世の栄華を味わいつくした大商人が、翌朝には冷たくなって路地裏に転がっていたとしても、この街では誰も驚きはしない。

 帝都から派遣された領主も役人も、この地ではお飾りに過ぎなかった。

 実質的に街を支配しているのは一握りの豪商と貴族、総体も知れない市民結社―――そして、盗賊団であった。


 盗賊団といっても、荒野に居を構えているような野盗程度とはわけが違う。

 都市盗賊(シティ・シーフ)は権力機構に密接に結びつき、組織的で、必要とあらばどんな残虐・残忍な手口もいとわない、後の時代のマフィアの祖となる、暴力都市の象徴たる存在だった。

 オルハン帝国は、この都市を神話の女神にちなみアタランティオと命名していた。

 だが、この地に生きる者で、その正式名称で街の名を呼ぶものは少ない。

 ありとあらゆる人間の欲望をはらみ、犯罪と暴力によって肥え太ってゆく猛毒の都市、


 ―――ヴェノム・シティ


 それが混沌の地に生きる者達が、自らの街に冠した名であった。


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