クラン『アルクォーツ』の一日
まどろんでいるオレを目覚めさせるのは、いつも通りの騒がしい怒声だ。
大して驚くわけでもなく、俺はゆっくり身体を起こす。相変わらずぬいぐるみだらけのファンシーな部屋である。この部屋の主は、いつもいつもオレを攫っては抱き締めて寝るのが大好きだ。
……この姿になってから、今まで抱いていた色々な感情が失われている気がする。うん、だってオレが少女に抱き締められて手を出していないだなんて有り得ない。
ギルドランクSSにまで上り詰めた稀代の英雄とも呼ばれていたオレが、落ちぶれたものだ。
ドアのすぐ傍にある姿鏡の前に立つ。
鏡に映るオレは、人間の姿をしていない。
つぶらな瞳、全身ふわふわもこもこ生地。灰色の体毛とクチバシ。
どこからどう見ても、ペンギンだ。しかもぬいぐるみの。
キングペンギンって種類の、愛らしいぬいぐるみ。
それが今のオレのありのままの姿。こうなった経緯は色々と……というか完全にやらかしたわけだが。
かつては名高いクランに所属していたが、こんな姿で所属を続けられる訳がなく。結果としてオレはこの航海クラン“アルクォーツ”で世話になっている。
「……ねみぃ」
手、もといヒレで目元を拭う。ぬいぐるみになっても人の生活習慣は抜けないようで、クチバシを大きく開けると欠伸が漏れる。
ぴょん、と飛んでドアのレバーを掴み、全体重を掛けて下に引く。ゆっくりと開くドアから飛び降りて華麗に着地して、閉まろうとするドアに向けて全力でダッシュする。
ぬいぐるみとなったお陰で体力の制限はなくなったのは幸いというかなんというか。
いやでもやっぱり小さすぎて不便だわこれ!
ドアを抜けた先は横一直線に廊下が存在していて、左右の端には階段がある。
廊下には落下防止の手すりが設けられていて、一階のリビングが覗けるようになっている。
オレが起きる原因となった怒声の主はリビングにいた。
「だーかーらー! ボクはまだまだこれから成長するんだってばっ!」
「はっはっは。俺は知っているぞ。お前はハーフだがエルフの血を引いている。長寿の変わりに成長も遅いとなぁっ!」
「よっしゃ表でろマルコさんボコしてやる!」
「おいおい魔法使いが人形使いに挑もうってのかぁ? 面白いやってみろや!」
青髪ツインテールの少女と金髪サングラスのヤンキーが激しい口論をしていた。というかいつもの光景だった。
いつもの光景過ぎて口論の内容もとても幼稚だ。別に胸が小さくてもいいじゃないか。小さければ揉んで育てられるし小さいことを恥ずかしがって赤面するのも乙なものだ。
そう、貧乳はステータスで希少価値なんだ。むしろ誰でも経験する小さい頃をありのまま残しているんだ。それを讃えることはあっても貶してはダメだ。
「……つーか、あいつら飽きないなぁ」
「そうですね。マスターはともかくマイ様もこう毎日口論が続いて」
「いたのか、ミミ」
「はい。ペン様が部屋から出てきたところから見ていました」
「で、何故オレを抱き締めている?」
「バレましたか」
気付けば視線が高い。そして背中に感じる弾力から来るちょっとした楽園のような心地良さ。
振り返らなくてもわかる。俺は今持ち上げられつつ抱き締められている。それもここから見える青髪ツインテールよりも胸の大きな少女に。
より具体的に述べるなら巨乳でメイドで茶髪ポニーテールだ。おまけに碧眼。
ミミ・ヒエピターノ。なんというか、クールで表情もあまり変わらない奴だ。
おまけにこいつは人間ではない。そこの金髪サングラスが造った人形だ。人形の意思が宿った稀有な存在で、何故だかメイドとして生きている。
「あいつら止めなくていいのか」
「ここしばらくクエストが来ないことによる不満の爆発でしょう。そんなことよりこうしてペン様をもふってたほうがよほど建設的です」
「そうかーオレとしては五月蝿いから黙らしておいてくれると助かるんだがー」
「もふもふ」
「せめてもっと幸せそうな表情してくれませんかねぇっ!?」
まったく表情を変えることのないまま背中に頬ずりされている。見えてないけど、見えてないけどニュアンスでなんとなくわかる!
オレをもふもふしてるミミの声に心なしか嬉しそうな感情が乗っている。いやいやこんなんで感情の発露とかどうなの!?
ちなみにだが、別にマイとマルコが騒いでいても問題はない。ここは港に近い場所に立てられているから近隣住民からクレームが来ることはない。
――航海クラン・アルクォーツ。海を渡り、他所の大陸への運送や海で暴れる魔物の討伐などをこなしていくBランクのクランだ。
所属メンバーは三人。
リビングで喧嘩しているマイ・エルストリアとマルコ・ヒエピターノ。そしてまだ姿を現していないがこのクランの団長であり船長のローラ・アルクォーツ。
オレとミミはその……まあ、ギルドに登録されていない。ある意味道具みたいな扱いだ。
「……あーっ! ミミさんボクのペンさんもふもふしてるー!」
「頂きました」
「いただかれてねえよつかお前の所有物でもねえよアイアムフリーダム!」
オレたちに気付いたマイが表情を一変させ、オレたちのもとへ跳んで来る。こいつ今リビングにいたのにいきなり二階の廊下に跳んでこなかったか……?
オレが考えている内にマイの腕にホールドされている。何故だ。このオレが気付けなかったぞ……?
マイの胸元に押し付けられるように抱き締められる。いい匂いだ。少女特有かそういう体質なのかやけに甘い匂いがする。ちくしょうこんな身体じゃなかったら押し倒してるのに!
「ペーンさんもふもふ~。もっふもふ~」
「おうおう。モテモテじゃねえか」
「こんな身体じゃなければな」
熱が引いたのか、リビングに下りたオレたちにマルコが声を掛けてくる。何とかもがいてマイの拘束から抜け出してテーブルに飛び乗る。
……ふう。一息ついた。
「マスター、マイ様。朝食は召し上がりますか?」
キッチンの入り口に付けられたゼンマイ式の振り子時計を見ると、八時を過ぎたくらいだった。
マイもマルコもミミが用意したコーヒーを飲んでいる。オレの前にも形式的に置かれているが、この身体では飲むことも出来やしない。
ま、まあ食費が浮くってのはいいことだけどさ。
「う……ブラックだった……にがぁ」
コーヒーを一口飲んだマイが舌を出しながら顔をしかめる。どうやら砂糖やミルクを入れるのを忘れてしまったようだ。
まあブラックコーヒーだからな。仕方ない仕方ない。マイが大量に砂糖とミルクを入れたコーヒーと格闘している内に、ミミが手早く朝食を用意してくれた。
朝食はシンプルにパンと目玉焼きだ。簡単に用意してもらったサラダと腸詰肉が焼かれ、非常に良い匂いが漂ってくる。
思わず涎が出そうだが、涎が出る身体ではなかった。くそう。
「そういえば、ローラはどこいったんだ?」
「姉御? 姉御なら朝一でギルドに向かったぞ」
「ふぁんでも、んぐ。もご、あひゃらひいふえすととか」
飲み込んでから喋りなさい。なんとなくはわかったけど。
新しいクエスト、か。ここ一週間はろくにクエストも受けていなかったし、頃合だろう。
というか運送系のクエストが一切無かったしこの港町の狩猟クエストはあまり稼ぎにならないからローラはあまり受けないんだよな。
マイはたまに一人でクエストをこなしていたみたいだけど。
「あ、帰ってきたみたいですね」
「みたいだけどお前人形なのにどうして人の気配とかわかるんだ?」
「メイドの嗜みです」
「そっかー嗜みかー」
メイドって凄い。そう思わせる発言だった。
壊れるんじゃないかという勢いで玄関口の扉が開かれた。
大胆不敵に愉快そうに、赤髪ショートボブのどこからどう見ても婚期を逃してしまったような具体的には二十八歳くらいの女性が羊皮紙を掲げながら叫ぶ。
「お前たち、新しいクエストを受けてきたよッ!!!」
その言葉だけで、マイもマルコも表情を変える。
まったくやれやれ。冒険者はこれだから。
と、いいつつも。オレも結構わくわくしてる。こんな身体じゃなければね!!!
こいつら大丈夫か……?(大丈夫じゃない)