第五十二話 ドラゴン様の癇癪
何故、人は足を生やして生まれてくるのか。
足は歩くため、駆けるためにある。
では何故、私には翼があるのか。
同じだ。翼は空を駆けるためにある。
野戦での竜討伐は何にも勝る愚策。
しかしそれは、翼を持たぬ者の論。
同じく空に生きる私にとっては、その戦いの場が地上であろうと空であろうと変わりは無い。
先人の失敗は、翼を持たぬままに生まれたことに他ならない。
王都にドラゴン来襲の鐘が鳴る。
私の胸は不謹慎にも、同じく高鳴っていた。
ドラゴン。最強種。どの文献を読み解こうとも、その事実は変わらない。
空の覇者。それと雌雄を決するに、穴ぐらでは足りん。そこはやはり空の中であるべきなのだ。
血が騒ぐ。
柄にも無く。どうしようも無く。血が騒ぐのだ。
千年に渡り受け継がれてきた、私に流れる戦乙女の血が。
竜は光を放ちながら、ゆらりゆらりと怪しくやって来た。
しかし、交錯は一瞬。
風を追い越して駆ける竜は戯れるように外壁を掠めたかと思うと、あっと言う間に背に消える。
振り返って見た竜の姿は既に遠い。
私が見えていない。私を見てすらいない。
「待て!」
叫んでいた。
「私はヴェルキアより空を託された者! アリア・ヴィルヘルム・フォン・エスペリア!」
ここだ。この翼を見ろ。
「竜ともあろう者が私と槍を交えずして背を向けるとは何事か!」
だが、追い掛けるその背は圧倒的に速く、そして、やはり戯れるように私の目の前で王家の墓を壊して行った。
怒りを覚える筈のその光景。
しかし、私の心は微塵も揺れることは無かった。
不意に、腹の底から笑いが溢れた。
空が我が物だと言わんばかりに、一切を省みないその姿に。
覇者だ。それでこそ空の覇者だ。
やはり、私の目指した道は間違っていなかったのだ。
騎士だ。国だ。忠誠だと長年言い続けてみたものの、この心のたぎりを騙すことは出来ない。
私の翼は、空を奪い取る為にあったのだ。
しかし、夜通し探し続けたものの、ドラゴンの消息は掴めなかった。決戦は不本意ながら騎士の名を背負い、穴ぐらにて行われることとなりそうだ。
仕方なく王都へ踵を返すと、遠目に珍しいものを見つける。
サイクロプス。その巨体が人を襲っている姿があった。
その巨体が穂先より小さく見えるほどの距離。まともに向かっては間に合わない。
竜に放つことの無かった私の槍は、一先ず騎士の役目を果たす為に、巨人を貫くこととなった。
◇◇◇◇◇
少女は背の翼をふっと消すと、地面に刺さった槍を拾い上げて肩に担いだ。
「危ないところをありがとうございました」
「礼には及ばない。これが仕事なのでね」
仕事。ヴァルキリー。戦乙女ね。
知ってるよ。ちょいと調べれば名前の挙がる有名人。
我らが巣を襲おうとしてる騎士団。その中にそんな異名があった。まさか、翼が生えてるとは思っていなかったが。
少女は温度の低い眼で俺達を一瞥すると、これまた温度の低い声で言葉を放った。
「危ないところだったな。こんな山の中に似つかわしくない一団だが、君達は何処の家の者だ?」
口をへの字で結び、不審がっているのが丸わかり。しかし、敵愾心は感じられない。
家の者という言葉を考えれば、俺達を纏めて一つの集団と見ているのか。
大方、お嬢様と執事。あとはその奴隷ってところか。どうやらゴシュジンの正体には気付いていないようだ。
ならば、このまま隠し通すが吉。
体を震わせる奴隷達の代わりに答えるべく、喉の調子を整えておく。
騎士と言えば軍属。国の手下。奴隷達は、連れ戻される事を恐れているのだろう。
さて、どう騙そうか。
「私はメンデス家の執事。パルパレオスと申します」
確か巣のある場所の領主の名前が、そんなだった筈。
「メンデス家だと? 西方の家の者が何故王都直轄領にいる?」
どうやらここは王都付近らしい。
さて、なんと返してやるかと考えていると、ゴシュジンが俺の前に歩いてきて、じっと顔を覗き混んできた。
何だ?
「ましろ。嘘はいけませんよ! 私は嘘は嫌いれす!」
「……」
予想外。味方の裏切り。
真っ正面から背中を撃たれた。
「なに? 嘘なのか?」
「はい。私はイグニアシュ家のラティーシャなのれす」
「イグニアシュ? 知らない姓だが……」
イグニアスな。ドラゴン様の家名だから、どっちにしろ絶対に知らんだろうが。
「違います! イギュニアシュ!」
「む。失礼した。イギュニアシュ家か」
「イグニアシュ!」
「どっちなのだ? 何だ? 私が何かおかしな事を言っているのか?」
酔っぱらいに絡まれた騎士少女は混乱してしまったらしい。俺に助けを求めてきた。
「あ~……お嬢様は少々お酒に酔われておりまして。真っ当な会話は難しいかと」
「む。言われてみれば酒の匂いがするな。呂律が怪しいとは思っていたが。では、ましろと言うのも……」
「それは、お嬢様が付けられた私のあだ名ですよ」
「わらしは酔ってましぇん!」
ぷんすか怒るゴシュジンだが、嘘は嫌いなのでは無かったか。いや、本人は無自覚なのだろう。
「私達はお嬢様に付き従い王都を目指していたのですが、街道で先の魔物に襲われ馬車を失いまして。この山に逃げ込んでからは、追われるままにここまで来てしまったのです」
「街道にあんな魔物が? さては人を狙った魔物か。逃がしてしまったのは痛かったな」
「私もまさか整備された道であのような魔物と出会すとは。助けて頂いただけでも幸運でした……ん?」
ペラペラと嘘を並べていると、不意に袖を引っ張られた。
また嘘を付くなと怒られるのかと視線をやると。
「ましろ。お腹が空きました」
ゴシュジン。起きたばかりで悪いが、もうちょっと眠っていてはくれんか?
俺が主人の安眠を願っていると、騎士少女の方は意外にもその言葉に微かに頬を緩ませる。
「お嬢様が空腹のようだ。先の魔物が彷徨いていないとも限らん。私が麓の村まで送ろう」
表情の変化が少ない娘だが、そんなに悪いヤツでは無いのかもしれない。残念ながら、ありがた迷惑でしかないが。
「いえいえ、あなた様のお仕事を邪魔する訳にはいきません! あの魔物も懲りた事でしょうし、戦乙女様のお手を患わせるには至りませんよ! なぁ、お前達!」
奴隷達に合わせろと視線で告げる。
俺の思惑に気付いたらしく、一人の奴隷がわたわたと口を開いた。
「は、はい! 旦那様!」
「旦那様?」
アホ。お嬢様を差し置いて執事が旦那ではおかしいだろうが。
「あだ名です」
「そうか。変わっているな。しかし、仕事と言っても……」
そこまで告げると少女は忘れ物を思い出したような顔を浮かべて、表情の色を変えて言葉を接いだ。
「そうだ。お前達、ドラゴンの行方を知らないか?」
不意打ち。
真摯に射抜く空色の瞳に身が固まる。
しかし、俺が声を返す前に傍らから声。
「ドラゴン? ドラゴンなら……」
何を言う気か考えずともわかる。ゴシュジンが何の裏も感じさせない、にへらと笑う自身の顔を指差す。
体温が急激に下がろうとする感覚を押し退けると同時。
「ここに」
「えぇ! えぇ! 見ましたとも! 昨晩は大層空を騒がせておりましたな!」
「むっ」
一歩前進。
前のめりに肩を掴み眼前に。
「あぁ。私はそれを追って……いや、顔が近過ぎないか?」
眼前に広がる少女の顔が逃げるので、更にずずいと追撃。
「と、言うことは昨晩からドラゴン様をお探しなので!? それは大変な職務ですな!」
「声も大きいな君は」
「あなた様が民衆を守ってくれているからこそ、私どもは安心して生活が出来るのです! これここに感謝の意を述べさせて頂きます!」
「そう言ってくれるのは嬉しいが……話し辛いから少し離れてくれないか」
離れてたまるか。気を逸らさねば。
ゴシュジンがドラゴン様だとバレると、えらいことになる。そう思っていたのだが。
「ぐっ!?」
「痛っ!?」
背中に重力。娘と額がぶつかり、互いに悲鳴をあげる。
その重みに心当たりがあったもんだから、振り払う訳にもいかず、ついつい支えてしまう俺。
だが、首に回された手はその思いに反してキュッと絞まり、豆鉄砲喰らった鳩のような声が喉から漏れた。
「ましろ! 私はここにいると言っています!」
子供が無理矢理おんぶをせがむようにしがみついている我が主の手をタップすると、首もとが緩まり、やっと気管が自由になった。
ああ、山の空気が美味しい。
「何すんだ!」
「知りません!」
突き放すような声。なんて理不尽。
しかし、不機嫌を表したいのはこっちである。
「元気の良いお嬢様だな」
「あぁ、申し訳ない。お怪我は?」
「なに、この程度」
その額にはうっすら朱色が差している。ごめん。
「ましろが悪いんです!」
その犯人はと言えば、人の背中で理不尽な言葉を吐いている。ドラゴン様ってのは酔うと幼児退行するのか?
「見た目よりも幼いお嬢様だな。一体どうしたのだ?」
「さぁ? 腹が減ってるらしいから、それでじゃ無いですかね」
少女は口をへの字で結んで、「む」と。
「そうだったな。早く村で食事をとらせてあげよう。すぐに出発だ」
「いや、ですが……やはりあなた様の仕事の邪魔をする訳には……」
「ここで君達を置き去りにする事の方が職務に反する。私の事を思うなら、どうか一緒に行かせてくれ」
どうにも、断れない空気である。
このままでは押し問答になりそうだ。
変に断り続けて怪しまれるよりも、街道にでも出るまで着いてきてもらって、そこでオサラバする方が上か。
「では、申し訳ありませんが」
「うむ。任された」
戦うべき相手に守られるとは、なんともおかしな気分だ。出来れば今日のところは、良好な関係でいたいものだが。




