ドラゴン様の衣食住・上
「契約も終わりました所で、私メフィストから従者様の基本教育へと移らせて頂きたく思うのデスが、如何デス?」
「お願いします」
握手を交わす二人の視線に頭を割り込ませるメフィストに、ラティーシャが柔らかい表情で返した。
「基本教育?」
「イエス。マシロ様に従者の仕事。世界のシステム。一般常識をレッツレクチャーデス。と、その前に」
メフィストがマシロの足元を叩くと、紫色の煙がぼわんと巻き上がり、彼の体を包み込む。
戸惑いが文句へと変わる間も無いほどすぐに消え去った紫煙の後には、一つの変化が起こっていた。
マシロの着ていたホームレスの服。仙人の装束のようなボロ衣が、メフィストと同じタキシードへと。
「……………何の真似だ?」
「良いデスカ。従者たる者、主人の品位を貶めない格好をせねばならないのデス。ナニ、これはサービスデスから気にする事は無」
「チェンジ」
メフィストの言葉半ばに囁くマシロ。
固まるメフィストに、襟を指でなぞって再度「チェンジ」と眼に不満を従えて言葉を響かせた。
「ホワイッ!? 私とお揃いのタキシードに何の不満があるのデス!?」
「それだ。何でお前とペアルックなんだ。俺を手品の相方にでもするつもりか?」
「ノンッ! 誰が手品師デスか!」
口喧嘩を始めた二人の声がまるで耳に届かない調子のラティーシャが「良く似合っています。流石は我が従者です」と、腕を組んでうんうん頷く。
「むっ……」
その顔がなんとも満足気で、なんとなく風の悪くなるマシロ。
「ニャー」
「ホラホラ、ミーアも『これ以上無い最高のチョイスデスね。舞踏会の際は、是非貴方にエスコートをお願いしマス』と言ってるデス」
「にゃッ!?」
限り無く嘘臭いメフィストの訳。だがマシロは、
「折角ゴシュジンサマが誉めて下さったんだ。有り難く着させてもらうよ」と。
「そうデスよ。タキシードのお陰で貴方の貧相な仏頂面も少しはマシに見える筈デス」
「お前、女子供だからって殴られないと思ってるなら大間違いだぞ」
「ドウゾドウゾ。出来るのなら。デスがネ」
神経を逆撫でるように肩を竦めて、欧米人の引き笑いで挑発するメフィスト。
迷わず振り上がるマシロの拳。しかし、メフィストは煙に消える。
「立ち話もなんデスシ、こちらへドウゾ」
声に振り返ると、三人掛けのテーブルでニヤニヤ笑いながらカップにお茶を注ぐメフィストの姿があった。
「おのれ、手品師め」
「メフィストはあれで高位の悪魔ですから、触れる事も難しいと思いますよ」
「実力を伴う性悪……なんて忌々しい」
マシロが睨みを効かせながらも渋々着席する。
だが、当の睨まれているメフィストは、本当に楽しそうにお茶を淹れており、その無邪気な顔にマシロは毒気を抜かれてしまった。
その後のメフィストの話を要約すると、衣食住を世話せよとの事であった。
炊事、洗濯、掃除。所謂家事。
それに加えて、竜の従者には別の意味もあるとの事を。
「衣とは即ちドレスコーディネート! デスが、マシロ様の仙人スタイルを見る限りそこには触れぬが吉デス」
好きで仙人染みた格好をしていた訳では無いが、確かに女の服には疎いからとマシロも自ら自粛した。
続けて、ドラゴンは食が生命線であり、食事の質が悪かったり量が少ないと、精神に異常を来すと言う。
特にラティーシャは成長期の幼体らしく、その食事は膨大且つ栄養のある物が必要だ……と。
「それは俺が料理をすれば良いのか?」
「イエス。但し、一人で賄えるのならデスガ。私としては、専門職を用意してそれらを管理する事がオススメデス」
「……そんなに食うのか?」
「はぃ……それなりには……ふぁ……」
言葉尻に欠伸を添えるラティーシャは、薄く開いた瞼から半目を覗かせて、うつらうつらと頭を振り出した。
様子の変化を尋ねると、ドラゴンの幼体はまだ竜の力を制御出来ない為、ドラゴンの姿になった反動で休眠状態になるとの事だった。
「私はちょっと……ふぁ……失礼します」
そう言いながら、頭を揺らすラティーシャは覚束ない足取りで去っていった。
それはドラゴンの生態としては至って普通のことであるらしい。
ラティーシャが去った後、メフィストは「その生態を踏まえて、竜の従者として最も重要な役割」と前置きを挟み、衣食に続く住へと話を接げる。
メフィスト曰く、ドラゴンは最強の種ではあるが、未だ幼体のラティーシャには休眠状態を始め、弱点も多いとのこと。
「その無防備の間、巣を駆使して敵を撃退するのが従者の仕事デス」
「巣?」と眉間に皺を寄せるマシロに、「巣デス」と天を指して飄々と答えるメフィスト。
現在マシロ達がいる建物がドラゴンであるラティーシャの巣で、この建物は百年前に魔王が遺した砦の一つだと言う。
そして、この砦はメフィストの商社と賃貸契約で成り立っているとの事。
世俗臭いドラゴンの巣に、マシロは微妙な顔を浮かべた。
そして、ドラゴンの巣はドラゴンを害と見る領主や魔物。腕自慢の武芸者や、討伐の名誉を欲する騎士。蓄えた財を狙う盗賊に冒険者等々、様々な敵がいると述べた。
「だが、俺は弱いぞ?」
「イエス。ゴブリン以下デス。が、そんなマシロ様の為に私がいるのデスよ」