ドラゴン様との契約・下
光の粒に変わったドラゴンは、時計が逆巻いたかの如く光景を巻き戻して少女を象った。
「……良かった。上手く制御出来ました」
「お疲れさまデス」
ふぅと息を落とす竜の少女に言うと、手品師がくるりと首を回してこちらへと振り返る。
「では、信じて頂けたところで、マシロ様。我々が貴方をこの世界に呼んだのは、黄金竜であられるラティーシャ様の従者として仕えて頂く為デス」
「従者か……最初にもそんな事を言っていたな」
「イエス。マシロ様には今まで生きた世界をさっぱり捨てて頂き、この世界で命ある限りラティーシャ様に尽くすと契約して頂きたいのデス」
衝撃が過ぎるものを見て、まだ頭が良く回らない。
だが、『世界を捨てる』。その言葉は妙に甘美に響く。
あぁ、そうか。俺の心は、あのホームレスになるしかなかった世界を望んじゃいないんだ。
あの世界には元々俺の居場所なんて無かったのか。
竜の少女に視線を向けると、緊張を孕んだ熱い目が返ってきた。
俺を求めている。この神秘的な少女が人生を半ば捨ててしまった俺を。
従者が何をするか、竜の少女が俺に何を求めているのか。
そんな事はどうでも良い。あんな無為で無感動な人生を捨ててからで良い。
「先に言っておく。俺はちっぽけな男だ。だが、お前が俺を求めるなら俺は喜んで世界を捨てよう」
眼に焼き付いて離れない偉大な竜。
久しく聞いていなかった自分の鼓動。
それだけが、十分過ぎる理由だ。
「では……良いのですね?」
「ああ、どうせ死ぬ筈だった身だ。俺はお前が求める限り、お前の従者であろうと思う」
少女の表情がぱぁっと明るくなる。
見た目に相応の少女の顔。初めて見た気がする。
「では、話も纏まったようデスので、正式に契約の儀式デス。マシロ様はラティーシャ様の言葉の後に、頭に浮かぶ言葉を続けるのデス」
手品師がそう言うと、竜の少女がこちらに手の甲を差し出した。
何だ? と、一瞬思考してから、白黒で映された古い洋画を思い出した。
……まさか……アレをやれってのか?
日本人には敷居が高過ぎるぞ。いや、外人がやるのも映画でしか見た事無いが。
何にせよ、とても素面で出来るもんじゃ無い。
手品師に視線で『勘弁してくれ』と念を送ると、ニヤニヤとした不快感を煽る笑みが返ってきた。
この女。性の根から腐っている。
「……やはり、嫌なのですか?」
少女の顔が僅かに曇った。
売れ残りの小型犬みたいな憂いを帯びた眼が突き刺さる。
的確に男の本能を突いてきやがる。自覚してやってるなら対処の仕様もあるが、十割無自覚だろうから余計タチが悪い。
「ああもう! わかったよ!」
もう良いヤケクソだ。
片膝を地に着けて、目の前に差し出されている手を取った。
一瞬だけホッとしたように顔を綻ばせた少女が、元の洗練された表情にキリリと戻して言葉を紡ぎ始めた。
「天秤の守り手よ。イグニアスの血の元に契約を告げる。此処にドラゴンの従者を選定する。今この時を始まりとし、汝の心と愛を我に捧げよ」
「………天秤の守り手よ。人の子が契約を願う。ここに我が主を選定する。今この時を始まりとし、我が心と愛を主に捧げん」
頭に浮かぶ言葉は、驚くほど滑らかに舌を滑らせる。
知っているパズルを組み立てるかのような感覚。
言い終わると同時に手の甲に唇を重ねる。
不思議と羞恥の感情は微塵も無く、手を引かれる夜道のように自然と。
そこで手品師が杖の先を地に叩きつけた。
「契約成立デースッ!」
実に楽しそうな声だ。
幾何学模様――魔法陣が俺と少女を囲むように展開したと思うと、俺の胸に熱が疾る。
「──づっ!?」
慌てて胸を押さえるが、熱は一瞬のもの。既に過ぎ去り、服を捲り上げて見てみれば、そこには魔法陣が刻まれていた。
「おい、手品師。何だこれは?」
「メフィストデス。それは従者契約の魔法陣。マシロ様をラティーシャ様及びこの世界に繋ぐ鎖のようなものデス」
鎖。つまり、これが俺と竜の少女の絆という訳か。
魔法陣に指を滑らせていると、竜の少女が手を差し出してきた。
手の向きが違う。もう一度口づけしろという訳では無いか。多分、俺の世界と同じ意味。
その手を握り返す。小さな手。偉大な竜の手。
「よろしくお願いします。我が従者よ」
そして、主の手。
「ハイよ。我がゴシュジン」
こうして、俺の新しい人生が幕を開けたのであった。
―To Be Continued―




