ドラゴン様との契約・上
白レンガが囲む、広大な空間。まるでおとぎ話の城の中。何処だろうかここは?
不思議な事に、身体の痛みが無い。
記憶が飛んでいるのか、それとも夢の中なのか。はたまたあの世に旅立ったか?
だとすれば、この少女は天使か女神か。
そう考えると、妙にしっくりときた。
目の前の金糸の髪の少女は、あまりに浮き世離れした風格を纏っているから。
小柄な体に羽織った、権力の象徴たる外套が放つ、鮮烈な赤。
その前部から覗く彼女の纏うドレスは、触れずとも上質と見てとれる。
だが、それらを以てしても、視線を惹くものは彼女自身の存在感に他ならない。
細く伸びたあまりに美しい肢体。
繊細に揺れる髪に癖は無く。
涼しげな眉とは裏腹に、こちらを射抜く翠玉の瞳からは期待に似た熱を感じる。
善し悪しでは無い。
未完成な少女でありながら、彼女の容姿は一切の無駄が無く完璧。
その全体を捉えれば神々しくさえ有り、天上の者だと言われれば「そうか」と納得してしまい、祈りまで捧げてしまいそうな雰囲気が漂っているのだ。
そんな少女の第一声。従者。
聞きなれない単語だ。今の日本なら、まだメイドの方が耳にする事が多い。
現実から離れてしまったかのような感覚に襲われながら鼻の下を撫でると、震える指に赤い液体が付いていた。
あぁ。どうやら夢では無いらしい。
少女もレンガもこの俺も。
にゃあとネコが顔を擦りつけてきて、漸く自分が少女に魅入っていた事に気が付いた。
コイツがいるってことは、やはり現実か。
「オヤオヤ? ミーアがえらく懐いているようデスネ?」
背後から聞こえた女の声に振り返る。
もう一人。そこには、おかしな女――いや、女と言うには幼過ぎる、中学生になるかどうかくらいの女の子がいた。
小さな身体に不釣り合いなタキシードを纏い、片手に奇抜な杖、頭にシルクハット、首元に真っ赤な蝶ネクタイの姿は、まんま手品師だ。
それだけでもおかしなものを、横にへたった長い耳が、紫色の髪を別けてピョンと出ている。
アクセサリーか? 中々リアリティがあって、本物の耳みたいだ。
こちらを見下ろす顔はニコニコと言うより、悪戯を浮かべる子供のようにニヤニヤとした笑いで薄ら寒いものを感じさせる。
「誰だお前は? それに、ここは何処だ?」
「良くぞ聞いてくれました人間界の御仁。私はしがない商人メフィスト。ここなるは幻想世界アルナルズに御座いますデス」
メフィスト……見た目から日本人とは思わなかったが、それにしても珍しい名だ。
手品師みたいな女の子は、身の丈に合わない胸に手を当てた慇懃な礼をすると、今度は杖をくるりと回してショーの目玉を紹介するように金糸の少女へ向けた。
「そして、この方はイグニアス家の息女であられるラティーシャ・イグニアス・フォン・プラハ・ヴァイカウント様。貴方はその従者に選ばれたのデス」
長い長い。覚えきれんぞそんな名前。
当のラティなんとかと呼ばれた少女は、その大仰な紹介を受けて尚、時を止めたようにこちらを見下ろしていた。
「で、幻想世界アルナルズルだとか言ったか?」
「ルが多いデス。アルナズル。貴方の世界では幻想と呼ばれる魔法や魔物が当たり前に存在する世界デス」
格好と仕草のせいもあってか、この女の子の言葉はとても胡散臭い。
魔法、魔物。実に子供の好きそうな言葉である。
見たところ金糸の少女は裕福そうだ。
多分、俺を何かの道楽に付き合わせようという魂胆だろう。
「信じられんな」
「それはそうデス。ならば、信じさせるまでデスが」
クルクルと回りながら少女の隣に肩を寄せる手品師風の女の子。
まるで道化師だ。
「ラティーシャ様。その方のステータスを見せて欲しいのデス」
「わかりました。“開け"」
言葉と共に少女の前に法書のように分厚い黄金色の外装をした本が現れる。
前振り無く現れたその様は、まるで魔法。
とでも言わせたいのだろうか。手品師風の女の子のお陰で、手品にしか見えん。
「種族は……やはり人族ですか。……まぁ、良いでしょう。職業は……無し…………むぅ」
「マシロ・イッシキ。ホホゥ、変わった名前デスネ」
仲良く本に顔を埋めた二人は、声を二転三転させながら矢継ぎ早に呟く。
その言葉の内に言い当てた俺の名――マシロに少しだけ反応してしまった。
二人の口ぶりからして、書かれているのは俺のプロフィールか。しかし、ヒューマンって……自分達は人間じゃ無いとでも言いたげな言葉回しだ。
あぁ、なるほど。
コイツら思春期特有の精神病か。それも、厄介な事に金持ちの。
それに付き合わす為に、俺はここに運ばれたって訳だ。
しかし、年下の少女に無職って言われるのはクルものがあるな。早く定職見つけよう。
「……うっ、ステータス悉くが低い」
「オヤオヤ、これではまだゴブリンの方がマシデス」
言葉を慎め小娘共。誰が低ステータス……低ステータスか。
職無し、家無し、根無し草。
何処にもステータスなどありゃしない。
「今ならまだ、契約破棄出来るのデスヨ?」
「……いえ、彼は私の声に答えてくれた者。私は彼にこそ従者となってもらいたい」
「おい、さっきから失礼な事を言われてる気がするんだが、その本が魔法か? そんな物手品にしか見えんし、名前や仕事なんて幾らでも調べが付く」
いい加減うんざりしてきたので、ドスを効かせて言ってやる。俺はヒマ人だが、小娘共の遊びに付き合うほどお人好しでは無い。
本に隠れていた二人の顔がこちらに向いた。
すると、手品師が本を手前にひらひらさせて、
「これも魔法の一種デスが、これだけではマシロ様は信じられない様子デスネ。では、信じざるを得ないモノをお見せしましょう。ラティーシャ様。お願いしますデス」
「………わかりました。いざという時はお願いします」
神妙な面持ちで金糸の方が応えると、少女の身体から光の粒が溢れ出す。
悪いが趣向を変えたところで、興味は無い。
「これが魔法って言いたいのか? 俺にはそれも手品にしか───!?」
言葉を呑み込んだ。
溢れ出した光が少女を包んだと思うと、その光が膨張し大きな何かを形作る。
「これも手品デスか?」
手品師の悪戯っぽい声が聞こえるが、俺に目を逸らす余裕は無い。
圧倒。形作られた光が霧散して、そこにいたモノの存在感に一瞬で呑まれた。
長い蛇のような胴に、一目に強靭な四本の手足。
座したままに遥か高みにある頭には豪壮なる双角。
そして、その巨躯と比して余りある、空を隠さんばかりの雄大な翼。
その口内に獰猛な牙を覗かせるが、禍々しさは毛ほども無く。寧ろ、全身を刃のような黄金色の鱗で覆う姿は日輪の如き神々しさを身に纏っている。
「………ドラゴン」
人間の描く最たる幻想。
紛れも無いドラゴンがそこにいた。
「まだ疑う心はお持ちデスか?」
目を奪われるとはこの事を言うのだろう。
呼吸を忘れ魅入られていた俺は、手品師の言葉に首を横に振って返すことしか出来なかった。