夢みたものは
シュントの夢は、自分の歌を多くの人に聴いてもらうことだ。
つまり、歌手。
自分の想いを表現できるのは、言葉ではなく歌、だった。言葉では、表現できない気持ちが、歌にすると自然と自分の口から発することができる。
自分の想いを、誰かに伝えたい。そして、多くの人のうちのたった一人でもいい、その人が「いい歌だった」と思ってくれるような、歌を唄えるようになりたかった。
「雨があがってよかったー」
シュントは、そう独り言を言うと、歩きだす。
昼間、降っていた雨は夕方になったら、いつの間にか止んでいた。
今は雲の隙間から、茜色の空が見えている。
目指すは、最寄駅。
そこでいつもシュントは、ギターを鳴らしながら歌っていた。
自分の想いを伝えるために。
夢に一歩、近づくために。
*
アキラは、夢を追うことをいつの間にかやめていた。
いつ、やめたかも忘れてしまった。きっと、ずっと昔のことなんだろう。
今、思うことはただ一つ。
夢なんてみるもんじゃない。
いつか、必ず裏切られる。そして、これからの未来に期待なんかできなくなる。
そんな思いをするぐらいだったら、最初っから夢なんて持たない方がいい。
夢が叶う条件は、誰もが認める才能がある、ただそれだけだ。それ以外の奴らが、いくら努力したって、夢は叶わない。ただ、時間だけが無情に過ぎ去っていくだけだ。
「アキラ!今日の帰り、カラオケ寄っていこーぜ!」
その声に振り返ると、そこにはシュントがいた。
「無理。明日、テストだろ。今日は、帰って勉強する」
アキラはいつものようにそっけない返事をした。
それでも、シュントはまだ諦めてないらしく、
「アキラは真面目だなぁ。いいだろ?勉強なんて、徹夜でもなんでもすれば思う存分できる!今日こそはカラオケに行ってもらうからな!!」
「・・・一人で行けよ」
アキラは、そう言って黙々と机の中の教科書をカバンに詰め込んだ。
「一人じゃつまんねーだろー?」
シュントは、無理やりアキラの腕を掴む。そして、アキラはシュントに引きずられるようにして、教室からでた。
*
アキラは、シュントの夢を知っていた。
そして、シュントが夢を叶えるため、ほぼ毎日、駅前で歌っているということも。
アキラは、それを、見た時がある。
シュントは、とても穏やかな表情で音を奏でているのに、通りすぎ人々はそれを見ようともしない。
まるで、そこにシュントが存在していないかのように。
まるでそこに歌が存在しないかのように。
通り過ぎる人々はみな、仕事で疲れきった顔のまま。
アキラは、その光景を見て思った。シュントは可哀そうな奴だと。
夢は叶わないも同然なのに、シュントはそれに気付いていないのだ。
*
シュントが、いつもの時刻、いつもの場所に行くとそこには一人の女子高生がいた。
彼女は、シュントがやってくると、恥ずかしそうに微笑み言う。
「今日も歌うんですよね?いつもより、早めに学校が終わったんですけど、聞きたかったので、待ってました!」
「そうなんだ!嬉しいなー」
シュントは、彼女のことを知っていた。
数週間前から、自分が歌いだすと、人が少しずつ集まってきてくれるようになった。その中の一人に、彼女がいた。
彼女は、自分から一番近い位置に立ち、シュントの歌が始まると静かに目を閉じ、歌に耳を澄ませてくれた。
彼女は、自分の歌を聴いて何を思ってくれているのだろう。
歌に乗せた、この思いを感じてくれているのだろうか。
・・・そんなことは、分からない。ただ、自分の歌を聴いてくれている誰かがいるだけで、幸せだった。
シュントは、ギターを取り出し、歌を口ずさんだ。
彼女は、穏やかな表情で音楽に耳をすませる。そして、行きかう人々もポツリポツリと立ち止まり、シュントの音楽に耳をすませていった。
*
「アキラって、生きてるのがつまんないって顔してるよな」
ある日、シュントに何気なくそう言われた。
「そんなことない・・・」
アキラは即答したが、内心ではドキリとした。
・・・確かに、自分は毎日がつまらない。そのことは、きっと生きているのがつまらないということとほぼ同じことだろうと思った。
それに比べ、シュントは毎日、楽しそうだ。なぜこんなにも楽しそうなのか、アキラには全くといいほど分からない。だって、“楽しさ”が毎日続けば、それは日常になる。そして、そこからは“楽しさ”はいつのまにか、消えてしまう。
「・・・シュントは、昔から夢を追いかけてるだろ?・・・まだ叶わないなんて辛くないのかよ?」
今度は、アキラが気になっていることを訊いてみた。
すると、シュントはニカッと笑って、言った。
「おれは、まだ、なんて思ったことない!だって、これからが勝負だ!諦めない限り、可能性はまだまだある!!」
その日の夕方。
アキラの足は、自然のあの場所に向かっていた。
そう、シュントが歌っている駅前に。
昼間、シュントが言っていた言葉を聞く限り、彼は、まだ夢を諦めるつもりはないらしい。だから、諦めさせようと思った。「歌手になんてなれるはずない。シュント以外にも、歌が上手い奴なんていくらでもいるんだから」と言ってやりたかった。
夢をみる期間が、長くなれば長くなるほど、後から辛くなることをアキラは知っている。
今、止めればまだ間に合う。
すると、シュントの歌が微かに聞えてきた。
その先を見ると、そこには人だかりができている。
「!・・・」
アキラは信じられない気持ちで、その場所へ向かって走り出した。
そして、見つけた。シュントの姿を。
シュントの歌に耳を傾けているのは、みなアキラの知らない人。
シュントは、多くの人の前で、とても楽しそうに歌っていた。
以前、ここでシュントの姿を目にしたときとは、まるで違う。
みんな、シュントの存在を認め立ち止まっている。そして、みんなシュントの歌を穏やかな表情で聞き入っていた。
アキラは、信じられなかった。
シュントはアキラの知らないところで、夢に一歩、近づいていたんだ。
「・・・」
止めようと思ったのに、止められなかった。だって、こんなにもシュントは楽しそうだ。
他に何も望まない、そんな表情を浮かべ、シュントは音を奏でている。
アキラも、いつの間にかシュントの奏でる音楽に聞き入っていた。その音は、自然とアキラの心にしみ込んでくる。
(俺も・・・──)
それは、自分があの頃大好きだったあの曲に、雰囲気が似ている気がした。
・・・シュントと同じような表情で、あの時のように音を奏でたい。
アキラはそう思ってしまった。
まだ夢を叶えられないシュントは決して、辛そうではなかった。むしろ、幸せそうだ。
(そうか・・・)
シュントは、歌うことを楽しんでいる。思いっきり歌っている。だから、諦めないんだ。
アキラは、踵をかえす。そして、走りだした。
アキラは、自宅に到着すると、自室に駆け込んだ。
(確か・・・あの時の楽譜は・・・)
クローゼットの奥にしまい込んだバッグの中に入っていたはずだ。
アキラは、クローゼットを開けるとそのバッグをすぐに見つける。そして、中身を確認した。
「・・・─」
(懐かしいな・・・)
これは自分のお気に入りだった曲。
音楽一家に生まれたアキラは、将来、ピアニストになることを夢見ていた。もちろん、親もそれに大賛成で。
しかし、試験に挑戦するも失敗の連続。自分と同じ年齢の人は、ほとんど合格してたのに。
親の期待が嫌で。本番の緊張で絡まる、自分の指が大嫌いだった。
そして、いつの間にかピアノの弾く、ということ自体も嫌いになっていた。
(・・・もう一度弾いてみよう)
あの頃のお気に入りの曲を。
上手く弾けなくてもいい。だから、頑張ることができる。
・・・そうしたら、きっとまた、大好きな曲になる。
end.