Dignidad
「――あぁ……トマストマストマス。君はなんて酷い顔をしているんだ」
芝居がかった仕草で片手を頭に添え首を振る男。
他の三人よりひと際目立つ、黒い正装に金縁眼鏡の金髪。
(……コイツ鼻でかいな)
ひと目で鼻持ちならない奴だと理解できる程度には不快な印象。身体からまき散らしている甘ったるい香りも、それに拍車をかけていた。
「客の前だろう?そんな顔ではいかにも我々が野蛮で、暴力的で、恐ろしい連中だと誤解されてしまうじゃないか」
「……敷央様」
血の気の失せた顔で固まっていた主人が、ぶるりと横に広い身体を震わせる。トマスとは宿の主人の名だったらしい。
客の前と言いながら、敷央という男は俺たちに欠片も関心を示していないようだった。
「トマス、私はいま君に難しい話をしたか?」
「い、いえ……滅相もございません」
店主はぎこちない笑顔を浮かべ、髪の後退した額からツー、と一筋の汗が流れ落ちる。緊張と重圧に押しつぶされそうなその様子が、過去の暴力行為への恐れを感じさせた。
どうも面倒臭い状況に立ち会ったらしい。
イヴに目をやれば、静かに目を閉じて口を噤んでいた。
関わらないよう、極力気配を殺したのだろう。
「よろしい。では次に信頼の証だ」
「それが……その」
主人の震えが一段大きくなる。
哀れで惨めなその姿は滑稽ですらない。
そんなだから「奪われる」のだというのに。
とはいえ、これが済んだ頃に出直せば宿にありつけるかもしれない。主人に金が必要なのは明白だ。疲弊したところをつついてやれば、断れない可能性が高い。
(主人が五体満足に話せる姿であればだがな)
「トマス、君は信頼を裏切るのか?――それは良くない」
眼鏡の奥で、スッと細められた青い瞳がギラリと輝く。
その数秒後。
ゴォッ!と空気が激しい音を鳴らし、店主の脇で乱雑に積まれた紙束が突然燃え上がった。
「ひぃっ!」
噴きあがる炎に店主が短い悲鳴をあげる。
火柱は周囲に漂うわずかな灰だけを残し、瞬く間に消えた。密集していた他の紙束には、焦げ目一つ存在しない。
(炎に由来する魔法か、あるいはイヴと同じ異能力者か)
「美しいだろう?我々の信頼関係もかくあるべき、そうだな?」
誇らしげに鼻を鳴らす敷央の姿に唖然としてしまった。
くだらない。こいつらは道端で芸を披露する集団だったのか。
それにしてもレベルが低すぎるが。
「申し訳ありません!どうか、どうか後一日だけ時間を」
店主が叫びながら受付から飛び出し、敷央の前にひざまずいた。
「イヴ、出直そう」
それを冷ややかに見下ろしながら声をかける。
イヴは閉じていた目をゆっくりと開き、無言で頷いた。
相変わらずの淡泊な返答を見届けて、男たちの脇を抜けようと足を向けたところで――入口の扉が開いた。
「ただいま」
「――エミィ!?駄目だ、戻りなさい!」
穏やかな声が聞こえた途端、主人が伏せていた顔をガバッと上げて叫んだ。男たちの肩越しに目を向ければ、入口には素朴だが美しい亜麻色の髪をした年ごろの娘が一人。新緑の色をしたひと繋ぎの服に前掛けをつけている。
すぐに状況を察したのだろう。
あどけない顔が、怯えるように大きく目を見開いた。
「ほう?」
振り返り乱入者を認めた敷央が、妙に湿度の高い声で頷く。
それに同調するかのように、他の三人も顔を見合わせ下卑た笑みを浮かべた。その表情が何を意味するのかは考えるまでもない。どこであろうと大差なく、クズはクズなのだ。
考えることもその所業も同じ。
こんなものは先の飯屋でも訪れかけていた展開だ。
――だが。飯屋とは違うところがある。
あの少女は『強かった』
「……ダンテ?」
イヴが足を止めた俺を訝しむ。
「ふむ、悪くないな。おい」
敷央が目くばせすると、男の一人が娘に近づいた。
「お待ちください!娘だけは!どうか娘だけは!」
「うるせぇ!」
「あ゛ぅっ!?」
小鹿のように震える店主が悲鳴をあげて縋りつき、顔をぶん殴られた。
「父さん!? 放して!」
駆け寄ろうとした娘を、男が羽交い絞めにする。
それでもなお、娘は父の安否の方が気にかかるらしい。
必死に呼びかける声が痛々しく、部屋に響きわたった。
――誰かが名前を叫んでいる。
わが身の危険も構わず、なんの打算も意味もなく。
それはいつかどこかで見た場面。
まるで焼き増しのような。
(違う。こんなのはありふれた光景だ)
そうとも。俺たちとは何の関係もない。
「いいじゃないか。誇っていいぞ、お前の娘は実に美しい」
「ひっ!いやっ」
敷央が娘に近づき顎を持ち上げた。
これで娘のところに男が二人……。
残る二人が歩き出したのを横目で追いかける。二人は受付を漁り、先ほど俺が店主に渡した金を掴んだ。
「ねぇ、アンタまさか――」
時間がゆっくりと軋むように流れていく感覚。
イヴの声も遠く。連中の動きも、周囲の空気さえもゆったりと揺蕩うように。脳内である種の物質が過剰に分泌された結果だ。
こんな感覚はいつ以来だろうか。久しぶりなことは確かだが。
ところで、俺には一つだけ守ると決めたルールがある。
「少ないな。まぁいい。今日のところはこの金と娘で許そう」
二人が金を手に戻ってくると、敷央は不満げに吐き捨てた。
「――誰か……娘を、娘を」
主人は立ち上がることさえできないらしい。
倒れ伏したまま涙を流し、うわごとのように救いの手を求め続けていた。
しかしその声は誰にも届くことはないだろう。
この場には奴らしか居ないのだ。
――俺を除けば。
「冗談でしょう?ちょっと待ちなさい」
何かを察したイヴの静かに苛立ちを滲ませた声を遮り、
「おい。お前ら」
至極当然の主張として、
「それは俺の金だ」
娘を囲む、連中の背に声をかけた。
その、奴らにとっておそらくは予想だにしない出来事に、連中の動きがピタリと止まる。
「……いま、何か言ったか?」
たっぷり数秒の間をとって、敷央はゆっくりとこちらに振り返った。余裕ぶってる割に分かりやすい顔だ。
敵意をまるで隠せちゃいない。
だがその反応は願ったり叶ったりである。
「お楽しみを邪魔されて癇に障ったか?」
「――っ。このバカ」
イヴの呆れ果てた侮蔑の言葉も気にならないほど、俺は笑っていた。
そう、この状況を楽しんでいたのだ。
なぜなら身体が求めているから。
奴のちっぽけな悪がどれほどのものかと。
身体中に染みついた「悪党」の血が騒いでいる。
俺の中の、たった一つの禁を破った悪を飲み込む喜びに。
そのルールとは「無力な者からは奪わない」だ。




