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新しい物語をお届けします。気軽に読んでいただけたら嬉しいです。
――俺にとって「他人」は奪い合う存在だった。
「どうした?これはお前の食料だ。奪い返してみせろ」
見下ろすあの人の声は無機質で、人間味など欠片もない。
頭を踏みつけられ、床に這わされたまま、そう思った。
叩き込まれたのは生きるための術だ。
自分とは守るべき存在で、守らなければ奪われる。
生き残れるのは強者だけ。
決して他人を信じてはいけない。
そう教えてくれた人ですら、最期まで信じることを許してはくれなかった。
俺は……その人のことを愛していたのに。
世界はなんて恐ろしく、醜いものなんだろう。
人の見た目で、中身は人ならざるものがあふれている。
もし本当に「地獄」が存在するなら。
ここがそうだったに違いない。
――だから俺は、そこを抜け出したんだ。
「この女誰に物言ってんだ!」
らしくない回想に割り込む暴言。
まだ日の高い城下町の一角に、ドスの効いた声が響き渡る。
東寄りの国文化を模した、簡素な屋台が連なる通りを物色していた俺たちは、騒がしいそれに足を止めた。
「揉め事みたいね」
相棒がさして興味もなさそうに呟いた。
周囲を行き交う人々は立ち止まらない。それどころか、視線さえ向けることなく、足早に歩き去っていく。
日常を送る賑やかな通りに、突如現れた異物を避けるように。
おそらくこの町ではこれが「普通」の反応なんだろう。
つまり、足を止めた俺たちは異常なわけだ。
「なんか良い事でもあったんだろ」
適当に答えて怒鳴り声がした方に目を向ける。
そこは活気づいた通りの中でも、ひと際広い敷地の露店だった。この辺りでは人気の店なのかもしれない。
「ここでいいか?」
「私はどこでもいい」
返事は淡泊かつ簡潔に。
頭まで目深に羽織った茶色の外套から覗く表情は、いかにもどうでも良さげだった。
愛想を旅の途中で落としてきたのか。そう見紛うほどの振る舞いだが、残念ながらコイツは元からこんな性格である。
そうでなければ全力で拾いに行かせたい。
店の前には木製の丸テーブルが三つ並び、揉めているのは一番奥の席だ。二人の大柄な男が店員に詰め寄り声を荒げている。
(黒い鎖……飾りにしては悪趣味だな)
男たちの首元で武骨に揺れる、黒い鎖がやけに目についた。
「あまり視線を向けないで。関わるのは面倒」
「そうなったらあっちが同じことを思うだろうさ」
言われるまでもなく、さほど興味があったわけじゃない。
大人しく騒ぎから視線を外し、注文を済ませて空いた席に着く。するとほとんど間を置かず料理が運ばれてきた。
「これは……食い物なのか?」
運ばれてきたのは、とんでもなく赤い物体だった。
皿の上から漂う鼻を突き刺す刺激臭と、強烈な見た目。
……店選びを間違ったかもしれない。
そんな後悔が頭をよぎる。
見慣れないそれを一口食べた瞬間。
舌がビリビリと痺れ、思わず顔が引き攣った。
「よく食えるな。お前に毒を盛るのは簡単そうだ」
相棒は同じ料理を涼しい顔で食べ進めていた。
「殺したいなら大人になって出直しなさい」
「食の好みで年齢を計るのが大人な振る舞いか」
このまま食べ続けるのはキツい。
一度舌を落ち着かせようと匙を置き、揉め事に目をやる。
(あの店員、変わった格好してるな)
「団子髪にタイトな服。東方の民族衣装ね」
相棒が謎に横から注釈を挟んできた。
コイツはその知識をどこで仕入れたのか。
「お前が心を読めるとは知らなかった」
「アンタの頭が壊れた桶と一緒なだけ」
その辛らつな言葉は聞かなかったことにしよう。
俺の繊細な心に傷がつく。
にしても大した店員だ。
厳つい男たちに凄まれても毅然と立ち向かっている。
「お二人とも大層ご立派な身体つきですが、まさか外食は初めてアルか?」
「そりゃ俺たちが貴族様にでも見えたって話か?」
……お前、鏡を見たことがないのか?
思わずそうツッコみたくなった。
男の四角くゴツい顔に高貴な雰囲気など微塵もない。
「まさか、ママの世話がいるガキに見えるとは言わねえよな?」
「ご冗談を。『ガキ』であっても食べたら払うの常識くらいアルね。貴方たちはそれ以下よ」
小気味良い少女の言葉に、その場がしん、と静まり返った。
なにやら見えない地雷でも踏み抜いたらしい。
「……悪手だな」
ぼんやりと眺めていた一連のやり取りに口を突く。
少女の身体は細く、およそ筋力というものを感じさせない。あんな服では下に護身用の武器も隠せないだろう。仮に仕込んでいたとしても、男二人の対処は無理だ。
「いまのはさすがに聞き逃せねぇな」
「あぁ。この町で俺たち黒鎖宝龍に楯突きゃどうなるか、知らねぇとは言わせねぇぞ」
属している集団の威を借る小物か。
支配する側の人間にしてはずいぶん情けない。
だからこそ徒党を組んでいるのかもしれないが。
「ええ、よく知ってるよ。お前たちからすれば、私たちは飼いならされた犬と変わらないネ」
大げさにため息を吐いてみせると、少女はやれやれと肩をすくめた。
「分かってんならお利口にしておくべきだったよな?」
「雌犬だろうが、いまさら腹見せたところで手遅れだぜ?」
男たちの鋭くぎらついた眼光が、抑えきれない暴力への渇望を映し出す。その対象はもちろん目の前のか弱き小さな獲物だ。
きっとこのままなす術もなく、少女は蹂躙されるのだろう。
だが女なら男たちの目的次第で、命だけは助かるかもしれない。
それもどのみち少女にとっては、死に等しい責め苦だろうが。
この後に待っているのはおそらく、そんな見飽きた光景。
どこでも起きるありふれた流れだ。
少なくとも、男たちはその考えを疑っていないようだった。
いましがた変わった状況には気づいていないらしい。
「馬鹿ネ。良く躾けられた犬は――飼い主を間違えたりしないものよ」
少女の言葉が最後まで男たちに聞こえていたのかは知らない。
店の裏から忍び寄った背後からの襲撃は、寸分の狂いもなく。
無防備な二人の心臓を、まっすぐに貫き破壊していたからだ。
「この町はすでにお前たちのものではない」
静かで冷たい声だった。
起伏の無い淡々とした口調が、いまの行為に慣れていることを感じさせる。
異様な格好をした長身の男。白い立襟がついた丈の長い黒衣は普段着には見えない。なにより顔の上半分を覆う、獣の骨のような白い仮面が、男の異質さを際立たせていた。
「汝の招罪を祓い給え。界罪を赦し給え。これにて人界における罰を済ませたもう……」
祈るように何かを呟く男の痩躯が揺れ、両手に握った得物が引き抜かれる。同時にドサリと二つの肉塊が地面に倒れた。
二人を音もなく刺し貫いたのは細身の双剣だ。
その刀身は漆黒に塗られている。
(刺突に重きを置いた形状。軽さと取り回しを重視し、受ける事を想定しない作りか)
目にした武器と男の特徴を記憶する。
俺の視線に気づいたのか、男の糸目と視線が重なった。
感じたことの無い奇妙な感覚だ。目が合っているのに、輪郭がぼやけているような違和感。確かにそこにいるはずなのに、存在感が恐ろしく希薄に思える。
まるで幽鬼のような、得体のしれない男。
「ただ見てただけだ。何か気に障ったか?」
男が何も言ってこないので、こちらから声をかけてやることにした。
(――それなりに強いな)
直感したのはその程度。
他は見た目が少々薄気味悪いだけだ。
別段俺たちの「脅威」にはなりえない。
「……フッ」
男が視線を外して薄く笑い、剣を振って血糊を払う。
こちらに切っ先を向けるでもなく、そのまま得物を鞘に納めると、再度俺たちに視線を向けた。
「いや、こちらの不手際への静観に感謝する。しかし『死』に動じないとは大した男だ。この町では珍しい」
「そうか? 『この程度のやり取り』、よくあることだろ?」
「なるほど……だが些末なショーで『他所から来た客人』の食事を邪魔しては我々の面子が無い。新しい物を作らせよう」
この町では目をつけた相手に、贈り物をする慣習でもあるのだろうか。あるいは本当に申し訳ないとでも思っているか。
生憎だが、俺はそんなことを考えて、気後れや遠慮をするタチではない。
「なら別の一番高価な飯を」
「やめて。みっともない」
たかろうとする前に、相棒の鋭い声が割り込んだ。
そんな体裁を気にしてどうする。
こういうのは遠慮なくもらっておけばいいのに。
「豪気だな。少し驚いたよ」
「おう。もらえるもんはもらっておく主義だからな」
「ねぇ。私はいつから物乞いと一緒にいたの?」
愛らしい顔が冷ややかに俺を睨む。なぜだ。
こういう時に正直なのは良い事なのに。
(コイツ……実は手足だけじゃなく、頭まで拘束されてるんじゃないか)
「どうかね? 物乞いではなく施す側に回る気は無いか?」
「聖人に見えるとはよく言われるが、ここだけの話、見た目だけなんだ」
「それは残念だ。我々は戒律により偽ることを赦さない」
残念と言いながら、そう見えないのは偽りにならないのか。
そんなことを考えている間に、男はゆっくりと俺たちに背を向け、歩き出した。
「対応が遅くなった。通りに配置する人間を増やそう。娘、お前の忠誠も覚えておく」
簡潔に言い残し、現れた時と同じく静かに男は去っていく。
「薄気味悪い奴だ。明るい俺とは正反対……なんだよ?」
席に向き直ってみれば相棒が、ジッ、と俺を睨んでいた。
「無駄に目立つ真似はやめて。もし――」
儚い容姿に似つかわしくない、氷のような声。
その続きは聞かなくてもわかる。
どうせお決まりの言葉だろう。
「バレたりしたらその時は私、アンタを捨てるから」
「へーへー。そのクソ目立つ『拘束衣』で生きていけるならいつでもご自由に」
本当にいつでも遠慮なく行けばいい。
だがそれは俺の台詞でもあるのだ。
『どちらかが下手を打てば遠慮なく切り捨てる』
その言わずと知れた暗黙の了解の上に成り立つ、それが俺たちの関係なのだから。
「とりあえず宿でも探すか。野宿は疲れた」




