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お茶を飲んだら倒れて血を吐きました

作者: 夏月 海桜

 グッ

 喉が熱い。灼けるような熱さ。淑女としても人としても有り得ないことは頭で理解しているけれど。

 それでも。


「グウェエエエ」


 吐いた。

 吐き出した。

 同時に血が口から溢れ出てくる。

 ああコレは拙いわね。どこか冷静な自分が居て。

 夫と久しぶりにお茶を飲む機会が出来たのに、こんなことになるなんて。

 そう思いながら座っていたソファーから身体が崩れ落ちる。


「なにを倒れてるんだっ! それに吐き出すなど汚いなっ」


 耳鳴りがしている私の耳に婚約者として愛情を育てて、数ヶ月前に夫として家族として愛情を育てていくはずの、その人の声が、言葉が届いた。


 ああ、やっぱり私は夫に嫌われていたのね。


 婚約した頃は優しかったその人は、いつからか素っ気なく優しさが見えなくなった。お年頃というもの、なんて母は言って照れているだけよ、と言っていたけれど。

 そうじゃないことくらい薄々気づいてた。

 だから、こんなときすら夫は私を心配しない。案じてくれない。嫌われていることの何が原因かなんとなく分かっていたから、仕方ない。

 夫には他に愛する人が居るのよ。だから、結婚した私が疎ましかったのよ。


 目が霞み、耳鳴りが大きくなってきた。


 誰かが近くに居る。ーーいえ、私の勘違いかしら。感覚が分からないわ。でも、夫はまだ居ると思うの。それともお茶会にて粗相した私を見限って居なくなったかしら。


「ーーしろ!」


 夫の声が耳元で聞こえたような気がした。

 いいえ、吐き出すなど汚い、なんて言う夫が私の側に居るわけないわ。きっと私の願望。


「あなた……やっと……自由にして、あげられる」


 そう言ったつもりだけど、きちんと言えたかしら。ああもう、意識までも霞むわ……。



***



 フウッと目が開いた。

 身体がやけに軽い。

 喉の灼けるような熱さも無くて、あら、夢だったかしら。周りを見渡す前に。


「なんで、なんでこんなっ」


 どこからか夫の声がして、探してみる。

 夫は私のベッドにて涙を流して……あら、私の身体を抱きしめてるわ。私、ここよね? でも身体はそこにある。どういうこと?

 首を捻り、頬に手を当てようとして手の向こうが透けて見えることに気づいた。


「あら? 私、透明?」


「マリス?」


 私が呟いた声に夫が反応する。夫は抱きしめている私の身体から少し身体を離して私の顔を見た。


「目を覚ましてない。今のは幻聴か」


 私の声が聞こえたと思ったけれど、違ったのね。というか、随分と夫は泣いているみたい。


「エルゼ、あなたそんなに泣いて。目が溶けてしまうわよ」


 聞こえないとは分かっているけれど、婚約した頃のことを思い出して、つい口にする。

 夫がまた私の顔を見て、それからキョロキョロしている。


「エルゼ、どうかしたの?」


「マリス? 君の声が聞こえる」


 あら? 聞こえないって思っていたけれど、聞こえているの?


「エルゼ、私の声が聞こえるの?」


「マリスっ。マリス、君っ、どこにいる?」


「えっ、あなたの隣よ」


 慌てて周囲を見ている夫。でも、落ち込んだように頭を落とした。


「見え、ない」


「そうなのね。多分、私、自分の身体から心だか魂だか、そんなのが抜けたのだと思うわ」


「ちょっと待って。それ、死んじゃうやつでは」


 慌てふためく夫に、私は首を傾げた。

 ホワホワした金髪はクセが強くて、雨の日はクセ毛で髪がボサボサになるのを嫌がっていた、小さな頃の夫を思い出しながら、彼を見る。

 そうして、結婚したというのに、とても久しぶりに彼の顔を真っ直ぐ見た気がした。


「あら、エルゼの顔をなんだか久しぶりに見た気がするわ。ずっと見ていたはずなのに。あなた、無精髭が生えているし、私が大好きな太陽のようなオレンジの目の下に随分とクッキリした隈が出来ているわよ。それに頬もだいぶ痩せこけて。

ああでも、あなた、小さい頃と違っていつからか丸い顔がシュッと細くなってたから、そうでもないのかしら。私はどちらのあなたの顔も好きだったから、気にしないけど。それでも痩せこけているのは、ちょっと見ていて辛いわね」


 のんびりとした口調で伝える私に、夫は少し呆れた顔をしていたけれど、それからゆっくりと可笑しそうに喉をクツクツと鳴らす。


「ああ、マリスだ。そののんびりとした感じ。私が大好きなマリスの声だ。……そうか、君、私が痩せこけてしまったのが辛いのか」


 ベッドの上の私の髪を撫でながら夫が言うけれど、私は首を捻った。


「あなた、私のこと好きなの? 変ね。あなた私のこと疎ましかったのでしょう? 挨拶すらまともに返してくれない。初夜はなんとか終わらせてくれたけれど、私の顔を見なかったし、それから今まで閨は無いし。それにあなた付きの侍女がやたらと私にマウントを取ってきた上に、あなたの背中にあるホクロについても口走ったから、てっきり侍女とエルゼは男女の仲だと思っていたのだけど。だからあなたから嫌われていると思っていたのだけど。あちらを愛しているんじゃないの?」


 どういうこと?

 考え込む私に夫が「はぁ?」と怒り口調で、ベッドの上の私を見る。


「私の侍女って、ベスのこと? 私とベスが男女の仲なんて有り得ないから! 背中のホクロって私の肩をマッサージしたときか何かで見ただけだと思う。それよりも君の方が浮気していたんだろ!」


 夫の怒り口調の否定に、そうだったの、と思った矢先。私を浮気者とか言うので、それこそ「は?」と返した私は悪くない。


「知っているんだぞ! 君、十五歳の誕生日に男性と二人きりで会っていたんだってな! ベスから聞いたんだ!」


 何を言っているのかしら。十五歳の誕生日? それって四年前よね? 我が国は十八歳で成人を迎え、私たちの結婚はその一年後と決まっていたので、私たちは共に十九歳だ。ちなみに私の誕生日が先。


「四年前の誕生日に男性と二人きり? 仮にそうだとしたら、あなたの侍女がその場面を見たってどうやって?」


「否定しないってことは、やっぱりそうなんだな! 今でもその浮気相手と会っているんだろ!」


 ちょっと、夫が今にも寝てる私の肩を揺さぶって来そうで怖い。否定しないって、抑々有り得ないことなのに。


「落ち着いて。私を揺さぶっても、中身は無いわ」


 冷静に声をかけると夫は私の身体から手を離した。


「あのね。否定しない、とか言うけれど、有り得ないことだから否定も何もないの」


「有り得ないってなんでだよっ」


 なぜ、この人は毎回毎回、自分の侍女や幼馴染の言うことを疑いもせずに受け入れるのかしら。


「あなた、本当に私のことが好きなの?」


「当たり前だろ! だから浮気を怒ってる!」


「本当に好きなら、どうして私に確認しないの。どうして私よりもあなたの侍女のベスと、あなたの幼馴染であるリオを信じるの。どうして私よりも二人の言うことを鵜呑みにして、一切疑わずに私を疑うの。何度も何度も言ってきたはずだわ」


「そ、それは……」


 冷静に指摘する私の声に、夫が肩を落として沈み込む。


「昔からエルゼは私の言うことより、二人の言うことを鵜呑みにして私の言うことを直ぐに疑ってきたわ。だから、私はあなたと話し合うことを諦めた。私の説明を聞いて納得したはずなのに、あの二人のどちらかに言われると直ぐにそちらを信じるのだもの。やってられない」


「だ、だって」


「だってなに」


「マリスはいつも私を頼らず、自分でどんどん何でもやってしまって。私を頼ってくれないから、私を頼ってくれる二人の言うことの方が信じられるって」


 夫は常々、気弱で頼りないところはあった。私が自分でアレコレやってしまうのも、性分ではある。


「だけど、あなたを頼るべきは頼ってた。それは分かっているでしょう。それなのにまだ足りないとか言うわけ? それで婚約者であり妻となった私の言うことは信じられないって? そこまで愚かだとは思ってなかったわ」


「愚かだなんて」


「だってそうでしょう? 婚約者だったときも妻になってからも、あなたは私自身の言葉を信じずに、ベスかリオを信じるのだから」


 馬鹿馬鹿しくて溜め息が出る。かなり大きなもので夫の耳にも届いたらしく、肩を竦めた。


「自信が無かったんだ。君に愛されている自信が。だから、せめて頼れる男になりたくて」


「それで肝心の私の言うことを信じないって、意味ないのだけど」


 夫は言い返せなくなったのか、しょぼくれる。


「はぁ。取り敢えず、十五歳。四年前の誕生日のことだけど、確かに男性と会っていたわね。二人きりではないけど」


「だ、誰なんだ、浮気相手は!」


「だから浮気なんて有り得ないの! あなた黙って聞きなさい! 誕生日に会った男性は、まずエルゼ。あなたと、父と弟。それから領地から出て来ていた従兄弟の四人。エルゼと二人きりも無かったけど、他の三人も二人きりは無いわよ! だってあなた一日中、私の側に居たでしょうが! 夕食まで一緒だったでしょうに。仮にその後で男が……なんて、ふざけたことを言うとは思わないけど、その後に男性と二人きりになったとして、あなたの侍女であるベスが、私の家に泊まっていたとでも言うつもり?」


「えっ、じゃあ嘘……」


「だから有り得ないって言ってるのよ! なんで私の言うことを信じないの!」


 呆然としている夫の顔を引っ叩いてやりたくて、手をあげたけれど、スカッとして当たらなかった。物には触れないみたいね。


「ベスが言うから……」


「だから、なんで婚約者で妻の私より、侍女と幼馴染を盲信するのよ、あなたは!」


「ご、ごめん……」


「その口先だけの謝りなんて要らない。何度目よ。ああ思い出したわ。あのあとからあなた、私に素っ気なくなったわね。疎ましそうにしていたわ」


「ごめん、なさい」


「口先だけの謝りは要らないのよ」


 私の浮気を疑って、私に素っ気なかったらしい。本当にこの人は、どうしようもない。私に確認もせず、自分の目で見たわけでもないのに、侍女から言われただけで信じるなんて、愚か。

 でも。

 そんなどうしようもない、この夫をまだ好きな私も本当にどうしようもない。私を信じてくれないことが腹立たしいし、悔しいし、悲しいのに。それでも婚約解消を口にしたくないほど、好きで、結婚までした。

 未だに好きな自分も大概愚かだと思う。


「うっ……ごめん。で、でも、じゃあ、浮気してなかったなら、なんで、自由にしてあげるとか」


「それはあなたが私を疎んでいたし、私を嫌いなら、私が死ねばあなたは自由だと思ったのよ」


 倒れて意識が途切れる間際に呟いた言葉は、夫の耳に届いていたらしい。


「疎んでたわけじゃない。嫌ってない。……ただ、ベスだけじゃなくてリオも他の男と一緒に居たところを見たって言うから、浮気してることが許せなくてっ」


「だからなんで私に確認しないのよ」


 はぁ、と溜め息をつく。

 夫・エルゼの幼馴染・リオは、私と婚約する前から幼馴染だったから信じてしまうのだろう。同じくベスもエルゼが小さな頃から側で仕えていたから信じてしまうのだろう。

 十歳でエルゼと婚約した時から、何度か私の言うことを信じて欲しいとお願いしたけど、その時は頷き、疑ってごめん、と言うくせに、また同じことをやる。

 これで十回目だったかな。私の言うことを信じないのは。


「ねぇエルゼ。あなたが最初に私の言ったことを疑ったときに言ったわよね。私が男性名を付けられているのは、あなたが女性名を付けられた理由と同じ。性別と反対の名前を付けることで、子が無事に成人することを親が願ったから。あなたと私は境遇が似てる。そんなことを言ったのに。あなたは周りから女の子の名前を付けられて揶揄われた過去のせいで疑心暗鬼になって、揶揄わなかった使用人のベスと幼馴染のリオを信じてしまい、私はあなたの名前を揶揄ったことが無いのに、二人が聞いた、と言っていたからって、私を責めた。私が否定しても二人を信じた。あの二人が後から私に優越感を抱いて、私に嘘だと口走ったのをあなたが聞いてなかったら、あなたはずっと信じていたと思うわ、今でも」


 もう、最初から私たちの関係は築くものが無かったのかもしれない。


「そんなことは……」


 反論しようとするエルゼの言葉を遮るように、続ける。


「あるわよ。だって、だからこうして、あの二人が言ったからって私の浮気を疑うのでしょ。私たちの結婚は互いの家の利益のためだったから、簡単に解消出来るわけじゃなく。だから結婚にまで至ったのだけど。あなたは私を疑い、私はそれを否定する度に思っていたの。いつか、あの二人じゃなく、私の言うことを信じてくれる日が来るって。でも五回を超えた辺りで、それは無いかもしれないと思うようになったわ。十回を超えた時点で、結婚していようと、結婚する前だろうと、別れることに決めていたの。そして、今回が十回目」


 夫は何かを勘付いたのか、震える手で私の顔をなぞる。いやだ、いやだと頑是ない子どものように譫言を繰り返す。


「分かっているようで良かったわ。私が自分の身体に戻り次第、離婚しましょう。有り難いことに互いの家の利益が生ずる件については、私たちが離婚しても問題無く進むみたいだし」


 淡々と私は離婚を切り出した。


「いやだっ。離婚したくないっ」


「無理よ。あなた、ちっとも私を信じてくれないんだもの」


「信じる! 信じるからっ」


「その言葉も何回聞いたかしら」


 信じると言っていた癖に、結局信じない男。

 当初は信じてもらえるように努力したけど。

 無理だったわ。信じてもらえなかった。

 あの二人ではなく私を信じて、と訴えても。

 あの二人を排除しようとするだけで困った顔して、そんなことをしなくても信じるから、と言う夫。

 婚約者だった時は夫と私では、夫の方が身分が上だったし、幼馴染のリオも身分が上だったから排除出来なかった。侍女のベスも他家の使用人だから解雇なんて出来なかったし。

 だから、結婚して直ぐに女主人としてベスを、伯爵夫人としてリオを排除しようとしたけれど、夫から宥められて。

 その結果がコレ。


「今度こそ、今度こそ信じるからっ。マリスを好きなんだ、愛してるんだ!」


「でも私の言うことは信じないで二人の言うことは鵜呑みにするのでしょう。好きなら何をしてもいいわけじゃないの。好きだからって許されないこともあるのよ。好きなだけじゃどうにもならないの。あなたは信じてくれないから。私も疲れて信じてもらう努力を止めたし、信じることも止めた。いえ、信じていたかったわ。だから胃を痛めていたの。私が血を吐いたのはストレスだって医者から言われなかった?」


 大好きなはずの夫とのお茶会で、胃が痛み出し無理やり飲み込んだお茶を吐き出して倒れ込んで、血まで吐くほど私はもう、この状況にストレスを重ねていた。

 それで分かったの。

 もう、夫とは、大好きなエルゼとはやっていけないって。

 夫が私の浮気を疑っていることも気づいてた。だからこの機会に否定するつもりだった。ベスと男女の仲だとも思っていたから余計に胃が痛かった。

 その上、信じてくれないかもしれないって考えるだけでストレス過多。

 大好きなエルゼと一緒にいることがストレスであるのなら、もう結婚なんて続けられない。

 離婚しても両家の利益に影響が無いことは、夫人として執務を手伝う中で気づいたから。

 でも結婚前だと期間の問題で不利益が出る可能性もあったことも分かった。出来れば結婚前に解消出来れば良かった、という気持ちと、結婚すれば状況が変わるかもしれない、という期待もあったけれど。

 私の身体が限界だったみたい。

 血を吐くくらい、ストレスで不調なら。もう楽になりたかった。

 私も、そして、私を信じると言いながら信じてくれないで他に愛する人が居ると思っていた夫も、自由になれると思えばホッとしたの。

 愛する人の件は間違いみたいだけど。


「マリス……。本当に無理なの? やり直せない? 今度こそ信じるから」


「あなたの今度こそ、にどれだけの価値があるの」


 自分でも驚くほど、冷たい音が部屋に響いた。

 夫が驚いた顔をして私の顔を見る。

 私の口から出た言葉じゃないけど、半透明の私が見えないから、そっちを見たのだろう。

 なにか言おうと口を開いたはずの夫は、でも、言葉に出来なかったのか、肩を落としたまま私の部屋を出て行く。

 ちょっとだけ悪かったかしら、と思って夫の後を追いかけようとして、スルッと扉を通り抜けた。

 あらぁ? 通り抜けちゃったわ。まぁいっか。

 夫の背中を追いかけていくと、不意に夫が立ち止まった。


「ねぇねぇ、ベス。あの女、血を吐いたって?」


 あら。リオとベスが壁の向こうで話してるのね。大きな声だからエルゼにも聞こえているんだわ。


「ええ、そうですよ。リオ様! これであの女が死ねば、エルゼ様はリオ様と再婚するはずです!」


「そうよねぇ。だってエルゼってば、あの女より私たち二人の言うことをいつも信じてるもの! それって私たちを信じているからでしょ!」


「そうです。その通りです! あの女とは所詮家同士の政略結婚。愛も信頼も無いからエルゼ様は私たちを信じてくれるのです!」


「そうよね。そうよね! ああさっさと死んでくれないかしら! そうしたら私はエルゼの妻」


「そして私はエルゼ様の愛人。その約束お忘れずに」


「もちろんよ。これからも私たちでエルゼを支えていきましょう。あなたと私とエルゼの三人で。あ、でも子どもは私だけよ。ベスに出来たら跡取り問題が出るから」


「分かっておりますとも。私はリオ様とエルゼ様を共有し、三人で愛し合うことが出来れば構いません」


「さすが! そう来なくちゃ! これがあの女だったら、エルゼを独占していたわけだもの。エルゼは私たちのもの。独り占めなんて許さないわ。だからベスと手を組んだのは正解よね!」


 うふふふふ。

 二人の笑い声が聞こえたけれど、ゾッとする。

 この国では、昔は一夫多妻制だった。でも一妻多夫制はない。男性が跡取りで、妻との間に子が出来なければ、妻が増やせたことはあっても、逆は無い。女性しか居なくても跡取り娘が子を産めばいいから。娘に子が出来なければ、親戚から養子が取れた。そして一夫一妻制になってからも、恋愛は子育てが終わってから、とでも言うように、男女共に愛人を持つことは今でもあるけれど。

 私は愛する人を他の女性と共有なんて、とてもじゃないけど出来ない。

 そしてエルゼも。


「なんなんだ、今の会話はっ! 気色悪いっ。私はお前たちのものでもないし、妻一筋だっ! リオもベスも愛人にも妻にもするわけがないっ。しかも二人に共有されるなんて真っ平だ! 二人共出て行けっ。ベスは解雇! リオとは縁を切る!」


 怒鳴りつけて二人に宣言していた。

 この家の主人であるエルゼの怒鳴り声に、執事を始めとした多くの使用人がやって来る。もちろんエルゼの宣言も聞いていたから、執事たちがベスを速攻で解雇し、エルゼ付きの護衛がリオの実家へリオを送り届けた。エルゼの絶縁宣言付きの一筆書きを持って。

 あらあら、こういうのは急転直下って言うのかしらね。あっという間に二人の件が片付いてしまったわ。


「マリス……。あの二人は、とんでもなかったよ。あんな気色悪いことを考えていたなんて、考え付きもしなかった。私が盲目に信じてしまったから、二人は大きな顔をしていたんだな。済まない……」


 夫が力無く私の部屋に戻ってきて、私の顔を見ながら後悔している。後悔先に立たず、とはよく言ったものよね。

 でも、やっとあの二人を排除してくれたことは評価出来るわ。今さら感満載だけど。


「マリス……。なんで私はあんな二人のことを盲目的に信じて、愛する君を信じられなかったんだろうな」


「本当ね」


 ケホケホッ


 どうやら私、身体に戻って来られたらしい。

 なんであんな体験をしたのか分からないけれど、まぁあの二人を排除する夫の姿を見られたことは良かった、のかな。

 喉はまだヒリヒリと痛む。

 ちなみに、血を吐いた時点から一日程度過ぎたところみたい。

 急に喋ったから声掠れてるし、咳き込んだ。


「マリス? えっ、目を開けた? えっ、喋った?」


 私のことがずっと大好きだったからこそ、浮気されたと怒っていた夫。でも血を吐いてぶっ倒れた私が死んでしまうのではないか、と号泣していた夫。倒れたとき「死なないでくれ! マリスしか妻は居ない! しっかりしろ!」と耳元で叫び続けた夫が、目を開けて少し身動きして喋る私を、驚いたように目を丸くしてワタワタと動き出す。

 いや、そんな無駄な動きをしてないでそこのグラスに水差しの水を頂戴よ。


「水」


「あ、ごめん」


 慌ててグラスに水を注いで渡してきたので、受け取って飲む。多少溢れたのは、起き上がれないのだからご愛嬌としておこう。


「マリス、本当にマリス? 目覚めた? 死んでしまうかと思った」


「それは確かに。私もまさか身体から魂だかなんだかが飛び出るとは思ってなかったもの」


「聖女様に治癒を頼んで良かったっ」


「は? 聖女様? 国教の教会にいらっしゃる?」


 我が国には治癒魔法というものを扱える人が稀に生まれる。男性は聖人。女性は聖女と呼ばれ、教会にて育てられ敬われる存在。慈しみを持つように育てられたその存在は、老若男女問わず貴賎も問わず、人々の怪我と病をその魔法で癒す。但し、貴族からお金を取る。あと些細な怪我まで治癒していたら大変だから、命に関わる怪我や病に限られているけれど。


「そう。妻が死にそうだと教会に知らせたら、来てくださった。その時に、ストレス過多で胃に穴が少し開いてるからって治してもらった」


 治癒魔法ってそんなことも直ぐに見抜けるのか。それはすごい。いや、それもそうだけど。


「お金、すごくかかったでしょうに」


 貴族からの依頼は結構分捕られる、もとい治療費を請求されると聞き及ぶ。


「マリスのためなら大したことじゃない」


 安心した、とグシャグシャな泣き顔で笑うところは、婚約した頃と変わらない。


「そう。ありがとう」


「うん。あの、離婚のこと、だけど」


 どうやらきちんと覚えていたらしい。

 まぁ大好きなのに信じてもらえないのだから、それも何度も信じると言って結局信じてくれなかったのだから、という私の気持ちを理解してくれたのだろう。


「うん」


「せめて、マリスの体調回復してからじゃダメ?」


「そこまで甘える気はないわ。さっきの二人を追い出すとこ、見てたわ。やっと排除したのかって気持ち以上に、今さら遅過ぎるわって気持ちだったの」


「……そっか。ごめん。あの二人があんな気色悪いことを考えていたなんて思わなかった。私はマリスだけを好きだし、仮に他の人と結婚することが今後あったとしても、その人のみだ。妻と別に愛人とか無理だっていう私の気持ちを、あの二人は気づかなかった」


「そうね。私も愛する人を誰かと共有は出来ないから、そういう考えの二人は無理だわ。エルゼ、気付けて良かったね」


「うん。……マリス、短い結婚生活だったけど、ありがとう」


「私の方こそ、ありがとう。エルゼのこと、好きだったわ。大好きだった。そのホワホワの金髪を撫でるのも、オレンジの目に映るのが私だけだったのも、嬉しかった。でも好きって気持ちだけじゃどうにもならないの。どうにもならない状況にしたのは、エルゼなのよ。愛してくれても信じてもらえないのは、本当に辛いの。だから、次の人はお互い信じられる人であることを祈ってるね」


 婚約してから心を通わせてきた使用人たちや、エルゼの両親にも申し訳ないけれど、愛があるだけでは、もう疲れてしまったから。


「マリス、幸せに」


「エルゼも幸せに」


 嫌い合って別れるわけじゃない。

 お互い、まだ愛情は残ってる。

 それでも、信じる心を砕いてきたエルゼと、長い人生を共にすることは、もう出来なかった。



(了)

お読みいただきまして、ありがとうございました。

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