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003:第1章「魔王と勇者と修道女」③


「いってきます」

マンションの部屋を出る時、梨名は必ず声をかける。

共働きの両親は先に出てしまったから室内は無人なのだが、それでも幼い頃から「いただきます」「ごちそうさま」「いってきます」「ただいま」を忘れない。

人の目がなくても常になにかしらに感謝や配慮をしてしまう日本人の習慣を梨名は好ましく思っている。

だから、十階に到着したエレベーターに乗り込んだ時、慌ただしく迫る足音と「待ってくれ!」と聞こえた声に、思わず「開」ボタンを押してしまったのも梨名としては習慣的な行動だった。


「っと、セーフ! ありがとうご……」

ギリギリ乗り込んできたブレザー姿に明るめの茶髪の少年が感謝の言葉に詰まる。

エレベーターにいたのが隣人の梨名だと気づいたからだ。

「お、おはよう。り……み、水上」

やや緊張した声で挨拶をしてきたのは、クラスメイトの時宮航季(ときみや こうき)だった。

群青色のブレザーに紺色のタイは梨名と同じ学校の制服だ。

他にも男子は詰め襟の学ラン、女子には航季と同じブレザータイプがあって好きなものを選べるようになっている。

ちなみに、航季とは幼稚園からずっと同じ学校で、いわゆる幼馴染みというものだ。

どうして付き合いが長いのかというと、互いの母親同士が親友で、分譲マンションを隣同士で購入したくらいに仲がいいためだ。

よって、梨名も幼い頃から航季と顔を合わせることが多かったが、現在の仲は……母親たちのような仲良しとは言えない状況である。幼い頃からの愛称を互いに名字呼びへ切り替えたくらいには。


「……おはよう、時宮くん」

梨名は素っ気なく挨拶を返した。

エレベーター扉のガラス窓から地上へ向かって移りゆく殺風景な景色だけを目にし、斜め後ろにいる航季に顔を向けることもせずに。

「…………」

「…………」

ほんの十数秒とはいえ沈黙が続くのはとても気まずい。

早く地上へ着いてほしいと梨名は心底願ってしまう。

昔は一緒にいても尽きることなくお喋りして笑い合っていたというのに、すっかり『あの日』から変わってしまった。

今更あの時のことを蒸し返そうとは思わないけれど……。

ちらり、とほんの一瞬だけ、梨名はエレベーター奥に立つ航季の姿を盗み見る。

けれど、目を泳がせていた航季とは結局視線が合うことはなかった。

「…………」

音にはせず、小さく、ふぅとため息をもらす。

けれど、一向に落ち着かなくて、思わず左耳上の髪飾りへと手をやる。

小さな星が二つ並んだ髪飾り。

昔からお気に入りのそれに触れると、少しだけ心が呼吸を整えてくれたような気がした。




「そ、そういえば今日は現国のテストだよな。お前、勉強はしたのか?」

マンションの敷地から出ると、航季は梨名の後についてきて歩幅が違うはずの歩調を合わせた。

行き先が同じ学校なのだから向かう駅も当然同じなのだ。

「ちゃんと寝る前にしたよ。それより……今朝もサッカー部の朝練があるんでしょう? 先に行っていいよ」

梨名も早めに登校しているが、サッカー部に所属している航季とはそもそも登校時間が違うのだ。きっと今日は寝坊でもしてしまったのだろう。

「っ、ご、ごめんな! じゃ、また後で!」

図星だったようで、すぐに航季は慌てて先に駅まで駆けていく。

梨名が言い出さなければどうするつもりだったのだろう。


「……気まずいなら、無理して一緒にいようとしなくていいのに」


航季が自分を置いて立ち去る後ろ姿を見送りながら、梨名はまた無意識に髪飾りに触れる癖をしていた。

けれど、胸の奥は落ち着くことなく、むしろギュッと昔の痛みを呼び起こしているかのようだった。




◇◇◇




昼休みになって窓をガラリと開けた途端、教室のカーテンがふわりと風をはらむ。

校舎三階にある二年B組の教室は、昼休みならではの喧噪が始まりつつあった。

昼食をとり終えた者から順に席を立っては余暇潰しへと向かっていく。

限りある昼休みをどう使うか。どう充実させるか。それは学生にとって非常に重要な毎日のミッションなのだ。

そして、そんな騒がしくなりつつある教室の中、向かいに座っていた親友が見事なまでの特大ため息を吐き出した。


「梨名ぁ~。今日のテストも全然わかんなかったよー!」

情けない声をため息にしていたのは、中学からの親友・火崎光(かざき ひかる)

地味めな梨名とは違い、スラッと背が高くて目立ちやすく、快活なポニーテールの髪型はいかにもスポーツ少女という外見だ。

実際、女子バスケ部に所属し、エースとして活躍している人気者。

その上、梨名がひっそり憧れるくらいには胸元が豊満だが、それは水色のベストでしっかり隠されている。

性格は真逆だが、彼女の明るくサバサバした性格は心地いい。

人付き合いが苦手な梨名を心配してか、昔からよく気にかけてくれる優しさもある。

そんな尊敬すらしている友人だが、体育に比べて勉強の方は少しだけ苦手らしい。

「ふふっ、ひかちゃん、現国苦手だもんね」

食べ終えた弁当箱を片付けながら、友人の嘆きっぷりについ笑ってしまう。

「うぅ、梨名とちがって文系はとくにダメなんだよね。質問の意味すらわかんない」

「でも、その分ひかちゃんは運動が得意だからいいじゃない?」

「けどさー」

テストの愚痴、部活のこと、お弁当のおかず、昨日遊んだゲームの話。

友だちと喋ることは何でもいいのだ。

どんなに些細でくだらないことでも、お喋りというのは話すこと自体が楽しいのだから。

けれど、そんな親友にも、さすがに『夢』の話まではしていないけれど。




「ねーねー、火崎さんたちなら誰を選ぶ?」

「え? なになに? なんの話?」

近くにいた女子グループから声がかかる。

一人の女生徒が手にしていたタブレットを二人に突き出して画面を見せてくれたが、そこには若手芸能人がずらっと並んでいた。

どうやら、なにかのキャンペーンで人気投票をする企画サイトらしい。

「あたしはこの子がイチ推し!」

「私は年上がいいから、この人かな」

「水上さんは?」

「えっ」

振られた話題に梨名は若干萎縮する。

実は芸能人とかコスメとか流行の話題には疎いのだ。

テレビ番組も主に見るのはニュースや、せいぜい長年続いている刑事ドラマくらい。動画もほとんど目にしない。

趣味といえば、自然豊かな『夢世界』での散策だが、そんなことは口にはできるはずもない。

だから、こういう話題を振られると思わず緊張してしまうのだ。

「わ、私は、その……芸能人ってよくわからなくて……」

気の利いた受け答えができず、級友たちに申し訳ない気持ちになってしまう。

だが、隣にいた光は気後れなくストレートに答えていた。

「ん~、だよね。私も芸能人はピンとこないよ。それよりスポーツ選手の方が好みかも!」

「ははっ、火崎さんらしいね」

光のお陰で場の空気が悪くなることが避けられて梨名はひそかにホッとする。

同じ「わからない」という答えにも関わらず、光の受け答えは周囲を明るく盛り上げてくれた。

素直に感心しつつも、自分にもこんな社交性があればいいのにと思わずにはいられない。

(私って、現実でも夢の中でも……)

引っ込み思案だという自覚は昔からある。

夢の中で冒険へ出られないのも才能の向き不向きなんかじゃなく、単に自分に勇気がないせいだとわかっているのだ。

でも、だとしても、そう簡単には性格は変えられない。


「そういえば、スポーツっていえばさ。ほら……」

女生徒の一人が教室の前方を視線で示す。

そこには男子数名が立ったまま談笑していた。

会話ははっきりとは聞こえないが、昼休みにグラウンドに行くかどうか、声をかけてメンバーを集めているようだ。

その中心にいたのは、

「サッカー部の時宮くん、けっこー人気あるよね?」

「……!」

挙げられた名に梨名の心臓がドキリとする。

「この秋から副主将になったんだっけ? 下級生にもファンの子が多いよね」

「そうそう、グラウンドで黄色い声援がすごくてさ。この前も下級生に呼び出されてて……」

「…………」

級友たちが航季のことを語っている間、梨名は口を開くことができなかった。

子どもの頃に一緒に遊んだ幼馴染みは地道にサッカーの練習を続け、中学の頃からレギュラー入りできるまでに成長した。

あっという間に背丈が伸び、肩幅が広くなり、いつの間にかスポーツ選手らしい身体つきになって。

仲間に指示を出すMF(ミッドフィルダー)としての采配ぶりと、笑顔が似合う爽やかな印象が周囲には好ましいらしく、高校に入ってからは女性ファンが更に多くなったように思う。

(彼がモテようがどうしようが私には関係ないけれど……)

小学校一年の冬、航季と喧嘩した。

仲良しの時間はあの時に終わってしまったのだ。


「水上さんと火崎さんって時宮くんと同じ中学だったんだっけ? 彼って昔からサッカーやってたの?」

「そ、そーだね。私はあんまり詳しくは知らないけど……」

梨名の代わりに光が答える。

けれど、二人の仲が冷えきってしまっているのを知っているがゆえに、ついチラリと押し黙ったままの梨名を視界に入れた。

あまりにも気まずくて、梨名も光も早く話題が変わってほしいと願っていたところ、幸いにもタイミングよく話に割って入る男子の声が聞こえた。




「水上さん、そろそろ当番の時間だけど」

「か、風峰くん! そ……そうだったよね! 今いくよ!」

声をかけてきたのは詰め襟学ラン姿の同級生、風峰空(かざみね そら)だった。

黒髪に眼鏡の風貌をした彼は、いつも教室で一人静かに読書をしている真面目で大人しい男子生徒だ。

今まであまり親しくはなかったのだが、秋から同じ委員会になったので梨名は少し喋るようになった。

今日は昼休みにその委員会の仕事が入っていたのだが、すっかり忘れて級友たちとのお喋りに耽ってしまっていたのだ。

声をかけてくれた風峰に感謝しなくては。


「じゃ、じゃあね、みんな」

話途中で抜けてごめんね、と梨名が風峰と教室を出て行くと、光がすぐにフォローした。

「梨名、後期から図書委員になったからさ」

その当番らしいんだよ、と軽く補足しておく。

「へぇ、昼休みまで当番だなんてメンドウだね」

図書委員会って暇なのかと思っていた級友たちは考えを改めた。

「大人しい水上さんにはイメージぴったりかも。でも、風峰くんが相方だったとは知らなかったよ」

「うん。彼も物静かだから合うけど、存在感がさ、ちょっとね」

薄くて気づかなかった、と語る友人たちに光も申し訳ないと思いつつも少し頷いてしまう。

いつも彼は廊下側の席にぽつんと一人で座っている光景しか見たことがない。

読書したり、ぼーっと考え事をしていることが多くて、他の男子から声をかけられても話が弾んでいるような様子がない。

悪いやつではないだろうが、ちょっと普通とはズレているような独特な空気を纏っているのだ。

「……でも、あいつ。なんとなーく運動できそうに見えるんだよね」

光の一言に周りの女子たちはプッと噴き出す。

「え? ないない! だって、この前の体育でもバレーのレシーブ一つできてなかったよ」

「だよね。いっつも本ばっか読んでるし。インドア派な感じ」

級友たちは笑って否定してくる。

でも、光の運動部としての勘は風峰の所作からなにかを感じとったような気がしたのだ。あくまで、ただの勘だけれど。

「う~ん、そっかなぁ?」

光にとって風峰という同級生はわりと謎な人物……だった。この時点では。


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