島での生活が始まる。
——— 『自然を自らの教師としなさい』 ウィリアム・ワーズワース
秋になると思い出すのだ。天満宮に参拝して稲荷神社に落ち着く日々、そして緑の草むらに横たわった時間を。
その夏は例年どおり、太陽に晒される猛暑に見舞われた。作物の出来は悪く、魚を口にすることもままならない。
涼しい風鈴の音色や虫たちの鳴き声に耳を傾け、数々の神社を駆け巡る。時には海辺にたたずみ、時には時を読み、時には調べを聞く。
一匹のこぎつねが事もあろうか、おおかみになろうと化けたのだ。その一部始終をここに記そう。
何者かに依頼された訳ではない。私たち一族は1200年の歴史を持つ稲荷神の時代から、この一体を統べる狐として道案内を生業にしている一族である。
「久美の末裔よ、私の姿を観たからには後戻りはできぬぞ。」オオカミはそう私に告げると森の中へ姿を消した。
途方にくれた私は、山を下り閑散とした山里まで下った。地蔵たちに見送られながら夜の闇に紛れ気がつけば、木漏れ日の林の中にいた。喉を潤すため、水場に立ち寄ると一匹のイモリと出会う。
「なあ、きつね。お前は一匹のこぎつねなのだから、私のように素早く動こうとするな。命あっての勤めであるからな。」
「ありがとう。肝に命じておくよ。」
私は湧き水で喉を潤して、横たわる。
「お前が、肉を喰らうと腹を壊すきつねでよかった。色々と教えてやろう。ここの虫はな…。」
またかよ。もう聞き飽きたって、食わないって!静かに寝かせてくれ。仲間外れのイモリの話など聞きたくない。辺りの滝の音を遠くに聞きながら、眠りに落ちた。
「おい、起きんか!稲荷のきつねよ。」
天から声がした。
「我は水を司る神である。」
「ああ、龍神様ですね。」
「ちゃうわ。わしは天水分神と云う。あんな乱暴な龍神と一緒にするな!」
別にどうでもいいけど何故関西弁なのだろう。
「なんのご用でございましょう。」
「名をなんと云う。」
「西野小狐丸と申します。あなた様は何とお呼びすれば良いでしょうか?」
「わしは、東野泉である。お前に話すべき事がある。先ずこの水質についてじゃが、良質な…」
また、始まったか…。まぁ良い。ここで文句を云うものなら折角乾いた毛もずぶ濡れになりかねない。
「では、二つ目じゃが、二里程先まで人が来ておるんじゃ。気をつけよ。」
一気に毛が逆立った。それ先だろ。急ぎ泥で身を汚し、茂みの中に分け入った。人はきつねを喰わぬが、毛皮を剥ぎ越冬をするのだ。
「肝心な事は、先に言って下さい!」
戦慄が走り、人が過ぎ去るのを待った。言いたい事を言って満足した神は既に去っていた。人が来る。しかも大勢で。
「ここは四国。きつねはあってはならぬ存在。わかっておるな。決して知られぬ存在として生きろ。そしてヒトから身を隠しながら災いから土地をを守れよ。」
きつねの頭では、思慮深さはあっても無計画なので、過ちを犯してしまう。私は尾を広げ安芸国の社へと赴いた。
「何ごとかと思えば、いつものこぎつねではないか。今回も旅の案内役の相談であるな。」
「はい、いかにも。実は、速秋津比売神ゆかりの人を案内致したく存じます。」
「地鎮の策は、この姫に伝えておる。お前は忘れっぽいので、この者と旅をすれば良い。」
「いつもご配慮を頂き有難う御座います。」
こうして道祖神は巫女姿に化身した一人の娘を託した。
「名は、蓮華と云う、お前に合った名であろう?では死なせぬ様に丁重に扱うが良い。」
ふざけているのか天然なのかよくわからないが、その姫と旅をすることになった。少しおとなしく、何処か一風はかなげな姫である。道中、根を上げて帰らなければ良いのだが。
「蓮華姫様、では私の背にお乗り下さい。愛媛の伊予の国の一の宮までご挨拶に参ります。」
「…。」
「どうされました?」
「蓮華で結構です。私もあなたをきつねさんと呼びますので。」
「そうですね。蓮華さん、お忘れモノはないですか?」
「大丈夫。この信玄袋は、私の倉に通じております故、ご心配にはお呼びません。」
「きつねさん、身なりはこれで良いので良いでしょうか?」
「そうですね。デニムのバンツにシャツをお召し下さい。そのままだと誤解されます。姫さまだと関係者と間違えられはなりません。私も同様に化けますので。」
蓮華姫は嬉しそうに微笑んで袋の中から洋服を取り出し。身に着けた。
大楠の御神木の横に降り立つと私たちは、木陰で一人の神様を待つことになった。こちらの様子に気づいたのは木之花姫である。
「あら、あんたここで何してるの?久しぶりやね。」
「いやまぁ、よそ者を入れるのでご挨拶にと。」
「古風なこと。勝手に入ったところで誰も文句など言いませんよ。で、こちらのお嬢さんは?」
蓮華姫は、うつむき加減で名を名乗る。
「はじめまして。安芸の宮島から参りました蓮華と申します。この度はお邪魔致します。」
「あら、いいのよ。かしこならなくても。麦茶を入れるので、お風呂に入って待っていてちょうだかい。」
木之花姫は、私を見て一言。「あんた汚い、何その土くさい臭い。」
しまった。すっかり忘れていた。土を被ったままで来てしまった。
「花さん、ごめん。人に見つかりそうだったんで。匂いを消すために。」
「仕方ない子だねぇ。酒風呂に入ってゆっくりしなさい。」
私たちは全国の酒蔵から集められた逸品の入浴剤の入った風呂に浸かり、疲れた身体を癒すと月を見上げた。もうすぐ中秋の名月。早く秋の訪れがあるといいが…。
縁側に腰かけ、むぎ茶を飲みながらりんりんと鳴く鈴虫の声に癒される。
しかし夜が明ける頃には、また煩い蝉の声の中旅を続けなくてはならないのだろう。
「花おばちゃん、むぎ茶おかわり。」
「誰がおばちゃんや。ちょっと待ち。」
また神様に叱られた。
これもまたいつもの事なので特に気にする事はないのだが、何やら暗い視線を感じて、後ろを振り向くと襖の間からメモが落ちていた。
青年の姿に化けていた私は、すばやくポケットにそのメモを入れ、木之花姫を待つ事にする。
メモにはこう記されていた『ご神木の前まで一人で来てください 宮司』
木之花姫は、ノートを持って帰ってくると、じっくり話込みはじめ、鹿島神社の参拝者の様子を事細かに書き出した。女同士の会話に入ってもロクな事にならないので、私はそっとその場を抜け出しメモに記された場所へ向かう。ご神木の前でしばらく待っていると宮司さんがやって来てこう言った。
「実はな、この神社は男の参拝者が多くて、木之花姫は話に飢えていたんだよ。出立は急がず暫くの間、蓮華姫に木之花姫の話し相手をさせてやってはくれんかね。」
「構いませんよ。急ぐ必要のある要件はありませんので、のんびりとさせてやりましょう。」
そう答えると、宮司さんは嬉しそうな顔で、社務所に帰って行った。
私は穏やかな潮騒を聞きながら、雀と追いかけっこをして退屈を紛らわせ、木之花姫が気の済むまで待つ事となった。
「木之花姫、お前は話を聞いて何をしようとしているんだい?まさかうちの神社の書物に加えようとしているんではないだろうね。」
宮司は頭を抱えながら姫に語りかけてみた。大胆な性格なのでそこが心配でたまらなかったのだ。
「宮司さんは何考えてんのよ。いくら私でもそんなイタズラする訳ないじゃない。こんな話、人に見せる訳ないわよ。忘れないようにノートに書いているだけ。それより秋祭りの準備は大丈夫なの?下らない事考えてないで仕事しないと大恥かくわよ。」
「…なら、構わないんだが、お前には色々と悩まされたからなぁ。蓮華姫も旅の途中でお疲れなんだから、程々にしとけよ。」
後日、大山祇神社の記録に、「今回の宮司は女心の判らないうつけものである」と追記されたそうだ。
木之花姫との話は、三日間もかかった。周囲の雀も疲れ果て、脱水症状で飛べなくなってしまっていた。
私は、満点の星空を見ながら、夏の大三角形を仰ぎ、まぶたを閉じて朝が来るのを待ったのだ。
翌日の朝を迎え、宮司さんに呼んで頂いたタクシーに乗ると運転手に行き先を伝えた。
「伊予の国の正一位稲荷神社へ。」
伊予稲荷神社に帰るとひとりの男が待っていた。名前は「朔太郎」。
「大山祇神社から連絡は届いておる。この女性がお前の旅相手だな。いきなりだが、お前ら二人に人間として暫しの間、人の子の姿で旅を続けてもらいたい。」
「名前を付けてやろう。お前は「小川哲也」その娘は「小川洋子」だ。従来の様に神社ばかり参拝しなくて良い。様々な人たちと触れ合い楽しく生きるがいい。」
一方的にそう話すと、朔太郎は山へ消えて行った。
哲也と洋子か、どこにでもある名前。これなら人に怪しまれずに済む。旅先でも問題ないだろう。
「これから、あなたを『洋子さん』と呼ぶので私のことは『哲也』と呼んでください。良いでしょうか?」
「もちろんです。一般的で嬉しいですね。」
この近くのコンビニがあるので食事を取りながら話をしよう。軽乗用車があるので連れて行くよ。
その時だ、小さな揺れが起こったのである。何?今のは、なんだ?
とてつもない災いが感じとれる。…天孫降臨の地『天の高千穂』の気配か…。
昔も今も天災だけはどうにもならない仕方ないのだ。気をやむだけ無駄だった。
「洋子さん、取りあえすコンビニでコーヒーをでも飲みながら今後について話しあおうか。我々は人として生きる。その目的の為に何と世に残すべきが考えなければならない。」
私たちはゆっくりと車を走らせコーヒーを荷みながら、弁当を食べ始めた。人の姿でいる時は、肉や魚を食べても、さほど気にはならない。というか、とても美味しく感じるのが、不思議だ。旅の途中で腹が減ってはいけないので、特大の爆弾おにぎりと水を買い。テーブルに腰掛ける。
「洋子さん、人として生きるってどうゆう風にしたらいいのだろう?」
「え?働いて、お金を溜めて、規則正しい生活をする。それだけよ。まぁ、私たちはお金の心配はしなくていいので、良い行いをして、自然の恵みに感謝しながら寝るの。」
「それは、まぁそうなんだけど、なんかそれだけだと生きる意味ではなく、普通に生活しているだけだろ?」
「これ、結構この時代には困難な事なの。哲也さんが思っているほど単純じゃないのよ。このおにぎりだって農家さんが一生懸命育てているから食べられるのよ。」
んーっ、と背伸びをして。当たり前の事を再確認した。まぁ、秋祭りに五穀豊穣の祭りを行っているので、解ってはいた。しかし当たり前な事こそ見落としがちで意識から遠ざかるのだ。
車の中には、数冊の本とCDコレクション。そして釣道具のセットが積まれている。それを持ってい『いよ下灘駅』へと向かった。この辺りではやたらと有名である。
到着すると、駅の前のパンジーの花が私たちを出迎えてくれた。
私たちは、駅舎に人がいないか確認すると、中に入り夕暮れの中に沈む夕陽を観ていた。
ご旅行ですか?と、ホームで私たちに声をかける女性がひとり。彼女は、物憂げにコンクリートのホームに視線を落とし茫漠とした時間の流れの中に取り残されている様だった。
軽快なリズムで一台のベスパが駅の入り口付近で止まった。
「哲也じゃない、どうしたのこんなところで黄昏て。何か雰囲気がいいわね。」
聞き覚えのある声がした。彼女は、この付近に住む「小町ハル」と云う女の子で、パーカー姿にショートパンツがよく似合う大学生だ。どうやら『哲也』という名前は既に私の知人の記憶の中で変更されている様だ。
「いや別に。暑くて疲れていたので、ここで休憩していただけだよ。日が暮れたらこの子を連れてホタルを観に行こうとしていたんだ。久しぶりなんで案内してくれるかい?」
「うん、いいよ。バイクの後ろについて来て。」
洋子さんと色々話しをしたかったが、それは後で、車の中でもできることだ。お尻についたコンクリートの汚れを叩き、車に乗り込むと、彼女のバイクの後ろについて行くことにした。
消防署を右折し川沿いを上がるとかなり涼しい場所に行き着く。周囲はすっかり暗くなっていた。
私たちは道路で大の字になり、夏の大三角形を眺めながらこの夏の出来事を振り返る。
強い日差しと喉の乾き、またそれを癒してくれる泉から湧き出でる水や木々の木漏れ日。それら自然の恵みの優しさに触れながら夏を過ごし『今』があるのだ。
やがて、水面から一匹、また一匹と蛍が飛び、星を消すかのごとく周囲を照らす。
「これで夏が終わるのかしら?」洋子さんは一言そう呟くと、潤んだ瞳をこちらへ向ける。「あ、おりゃ。」ハルの右フックで、ホタルが墜落。
蚊に刺された額から、血が流れた。
一夜明け、私たちは釣りの準備を始め、車内から海岸を眺めた。
そこにはアーチ状に釣られた鐘があり沖合いに亀の様な、小島がある。地元では誰でも知っている場所だ。
洋子さんにこの旅について話すことにした。
「実は、急にこういった話になったので、旅の目的などないんだよ、趣味の釣りを愉しみながら、佐田岬半島のとある場所に行きたいんだ。そこは随分前に訪れたので、よく覚えていないのだが、海辺に風見鶏があって方向を示し続けている。それをもう一度見つけたいんだ。」
「付き合うわよ。勤めのない旅ほど楽しいことはないわ。面倒事から離れて移動しましょう。」と心良い返事が返ってきた。
ハルが言った。「そうだね、君はいつも忙しくて会えないから、私も行くわよ。バイクで佐田岬は通り慣れているし、まぁ、この道なら迷う事もないだろうけど、若い男女二人なんてやらしいわね。監視が必要でしょ?私がやるわ。」
「いいよ、大丈夫。大きなお世話だ。」(こいつ絶体、大学でも相手にされない迷惑女だろうな)。
「ハル、ホタル三匹を右フックでノックアウト♪」
ご機嫌でよございました。
私は二人に釣道具の使い方を教えた。まぁ二人とも海育ちなので、海での釣りは十分経験があり、ライフジャケットの着用など心得ているようだ。気になるのは釣竿の先端やしなり具合で、真剣な趣きで確認しては喧嘩もなく準備を終えたのだが…。
腹が減ったので、みんなで食事を摂りに行く事にした。漁吉という店だ。そこで定食を食べながら話し合う。ここから先は、謎の多い土地だ。戻るなら今なのだ。
「どうする皆んな。戻るなら今だぞ。」私は彼女たちにそういった。
「そうね、あの道はトイレの休憩箇所も少ないし、ふりだしに戻ろうよ!」二人の決断は早かった。とても早かった。
佐田岬半島はやたら細長く、休憩するにもそれらしい場所がなく疲れるだけだ。この近辺だけでも夏の気分は味わえる。何も知らない人がやたらドライブしたがるが、遠出をした所で意味はなく、夏場なら、大洲経由で引き返す程度がちょうど良い。ひまわりでもを見た方がいい。
私たちは、とりあえず伊予稲荷神社に戻り、釣り道具を片付け眠りに就くことにした。
今年見た蛍はとても美しくもはかなく命を奪われ、三人揃って我が家の寝室にそれぞれが布団を準備し、寝りに着いたのである。
深い眠りから醒めるともう、梅の香りが漂う二月になっていた。あれたけ煩かった蝉の声もなくなり、暖かな日差しが降り注ぐ少し肌寒い。季節の移ろいは日常の風景を一変させる。
私は、朝食を摂りながら洋子さんに提案する「興居島へ一週間程滞在しませんか?」。
「勿論いいですよ。一度も行ったことはないので楽しみです。」
私たちは、宮司の息子が乗っていた軽自動車を借り、着替えなど旅支度を済ませると、国道沿いを走る事にした。天候は良いのだが、まだ寒さを感じる。
コートの下にセーターを着込み予約した民宿へと向かう事にする。古くから利用させて頂いている民宿で、いつも通りの笑顔で出迎えてくれた。
宿帳に名前を記入すると、宿屋の女将さんは驚いた顔でこちらを見る。
「あんた、結婚したのかい?あれまぁ、可愛い娘を連れてくるなんて。」
「違いますよ。こいつは親戚で、洋子という従姉妹です。なので、部屋は別々でお願いします。」
「あら、残念。でもまぁ、折角来てくれたのだし、お湯にでも入って部屋でゆっくりなさいな。眺めもいいのでゆっくりしておくといい。後で、夕食は何時ころがいいかねぇ。」
私は時間を伝えるとクローゼットにある浴衣を着て宿の温泉に浸かる事にした。事前に洋子さんには夕食の時間帯を伝えてあるので、おそらく彼女も同じ様な行動をしているだろう。
「人間として生きる。お金さえあれば、田舎暮らしも悪くない。」
幸い、旅費など生活に至っては、大金という訳ではないが、私の貯蓄と洋子さんの巾着にいる金運の神様が出すお金で不自由がないだろう。まぁ、暫くの間はここに居て次の旅の事でも考える事にしよう。
とりあえず興居島といえば、中厳前神社の三姫に挨拶しておこうと決めた。洋子さんの話し相手がいると何かと便利なのだ。女性は会話がないと感情的になりがちなので、会わせておいた方がいい。
私たちは入浴後、テーブルで夕食を食べながら今日見て感じたことを話し、お互いの部屋へ帰る事にした。
「おやすみなさい」
「良い夢を」
翌日の朝に浜辺を通り、中厳前神社に向かうと田心姫、湍津姫、市杵島姫の三柱の姫様が、枝垂れ梅の前にたたずみ、私たちを出迎えてくれた。
田心姫はしっかり者の性格で、市杵島姫は、おとなしめの性格、湍津姫はやんちゃな性格と性格が異なるが、仲睦まじく社の管理をしている。
三姫は、私たちを見て驚き目を丸くした。
「たぎつちゃん、先に言っておくけど、この娘さんは、洋子さんといって従姉妹で今日観光に来ただけで変に考えないでね。」
「あ、うん。」
「私は、いちきと申します。洋子さん、何処かでお会いしませんでした?初対面の様な気がしませんが。」
「私たち一族は、何処か似たような雰囲気があるので、気のせいでしょう。狭い瀬戸内です。身内の誰かと会合でお会いしたかも知れません。」
私は、この会話も「まぁ、あり得る話だな。」と思っていたが、一つだけ気になるのは、後ろを向き肩を振るわせ必死に笑いを堪えている田心姫の姿だった。
おおかた、洋子さんの正体に気がついたのだろう。田心姫は、名代代理として神無月に出雲の国に出向き、八百万の神たちの世界を知っているからだ。
私は、ひとつの和歌を詠んでみた。
「遅く疾くつひに咲きける梅の花 誰が植ゑおきし種にかあるらん」
まぁ、遅い早いと言っても梅の花は咲く、誰が蒔いた梅か知らんが、三人の巫女を彩る梅の樹はそれは見事に役割を果たしていると云う事だ。
まぁ、急ぐ用件がある訳ではない。挨拶も済んだ事だし、この場を立ち去り宿へ一旦戻って…ん?
ひつきが急いで、箪笥の引き出しから、小倉百人一首、トランプ、花札、人生ゲームと様々な遊び道具を出してきた。
「きつね、前回は勝ち逃げしたでしょ。今回は絶対、私が勝つまで島の外へ出さないからね。」
「まぁ。いいけどさ、そのきつねと呼ぶの止めてね。今は、「小川哲也」って名前があって、偉い神様のお許しが出るまで人間で天寿を全うしろって話だからさ。「哲也お兄ちゃん」とか呼んでくれない?」
「お兄ちゃんだけは嫌。馬鹿じゃないの?」
「だよね。アニメじゃあるまいし、他人を「お兄ちゃん」なんて呼べないよね。で、何て呼んでくれるの?」
「哲太。」
「…。違うよ、名前。」
もう、手は抜かない。今回もこの末っ子を泣くまでコテンパンに叩きのめすまでゲームは止めない。そう心に誓う私だった。
「じゃ、折角これだけの人数がいるのでトランプしよう。ポーカーをしよう。お金賭けるのは犯罪だから、賽銭箱から五円玉を持ってきて。先に持ち金10枚の五円玉がなくなったら、罰ゲームをしようよ。」
三人の姫は、顔を見合わせてうなづいた。
早速、和室でポーカーが始まる。今回、洋子さんはルールが判らないとの事で、反則がないか見守るとの事。
4人で死闘が始まるかと思っていたが、言い出しっぺのひつきが一時間ほどで五円玉10枚がなくなり早くも脱落。洋子さんとひつきは、このゲームが終了するまでに罰ゲームを考えることになった。
たごりさん、いちきさんとの勝負でもう一時間が経過して、「知っている和歌のツッコミ」と云う意味不明な罰ゲームが決定。
まぁ、ポーカーなんて運だけのゲームなので開始して三時間もすると飽きがくる。空が茜色に染まる頃には、トランプを片付けて畳の上で寝転がり、誰かのスマートフォンから流れる音楽に耳を傾け、皆で天井を見ていた。
私たちは、三姉妹の巫女の自宅の玄関でこんな話をした。
「洋子さん、貴女は百人一首はどう思いますか?」
「まぁ、和歌としては簡略化されたお遊びですね。あの三姫が詠うとは思えません。カラオケで発散したい友人とお話ししたいでしょうし、哲也さんの趣味のひとつとして嗜むのが宜しいでしょう。梅を観て詠み、桜が咲く季節に詠み、それとなく樹の下で口から出てくるものかと思います。」
「そうですね。宿に戻り、冷えた体を湯で温めて眠りますか。今日は浜辺に咲くネモフィラが綺麗に咲いていますね。後で、三姫姉妹にLINEで送っておきます。彼女たち本当に、木花咲耶姫に憧れていて花が好きなのですね。」
「それほど好いているのであれば、歳を重ねれば、石長比売の良さも判るでしょうね。姉妹関係が良い様なので。ここ瀬戸内で、片方だけ好きなんて云うと他の神々が呆れますから。石長比売は欠けてはならない存在ですからね。」
「宿の居心地はどうでしょう。一ヶ月ほどこの島に滞在する予定ですが、洋子さんの居心地が悪い様だと変更してもいいですよ。」
「居心地はすごく良いのですが、長期滞在なら、古民家と云う程お洒落になっていなくても、ちょっとした平屋建ての家はどうでしょうか?折角美しい島に滞在するのなら、美しい星を眺めながら料理をして過ごしたいのです。」
「ここに障りとなる現象は発生しますかね。」
「間違いなくここだと思います。規模は小さいですが、待ちましょう。貴方もこの島に滞在することで、何か先々の方向性が見えてくる様です。出会いを通じてお互い、学ぶ必要がある。そんな気がしてなりません。
白い息をしながら二人でゆっくりと宿に戻ると、私は宿の主人に相談をして、滞在する家屋に心当たりがあれば探して貰う事にした。
翌朝、宿の主人から声を掛けられ「空き家はいくらでもあるので、好きに使ってもらって結構だが、掃除だけしてもらえれば何ら問題ない。」との事だった。
私たちは、いつでも空き家に移動できるように準備をして、朝食を頂いた。
一度、散歩がてら丘の中腹にある場所まで二人で歩き海の眺めを楽しんだ後に、中厳前神社の三姫に会いに行く。彼女たちは、神社に常駐しているため、話に飢えているだろう。洋子さんを女性どうしで話をすれば退屈しのぎになるし、情報交換にもなる筈だ。丘を降る途中で、桜草を見かけた。花言葉は「少年時代を忘れない」「自然の美しさ」。まぁ、良くある品種だが、春を待ちわびる私たちには、有難いピンク色でとても可愛い。
とりあえず、ひつきのLINEに「今からそちらに向かうよ」と云うメッセージと一緒に送った。
「ところで、洋子さんは、和歌についてどれくらいご存じですか?」
「そうですね。基礎的なところだとやまとうたの成り立ちについてですね。古今和歌集に「あらかねの池にしては、須佐之男命よりぞおこりける。神代のには、歌の文字も定まらず、すなほにしてことのなりて、須佐之命よりぞ三十文字はよみける。かくしてぞ花をめで、鳥をうらやみ、霞をあわれび、露をかなしぶ心言葉多く、さまざになりにける。」と云うのを知っています。」
「よく覚えてらっしゃいますね。「其地より雲立ち騰りき。ここに御歌を作みまき、その歌は」が冒頭にあって、あの有名な「八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を。」
「そうそう、これが和歌と云うか言葉のはじめと云われていますよね。紀貫之が古今和歌集の冒頭に詠んだ「やまとうたは人の心を種として、よろづの言の葉とぞなりにける。」と云う歌が印象深く思えます。」
二人との和かな雰囲気になり、その気持ちを持ちながら中厳前神社ヘ辿りついた。
玄関でひつきが待っていた。
「今は、哲也だっけ。相変わらず寒いのによく草花を見つけるね。海外沿いのネモフィラは気づいていたけど、もう桜草が咲いているんだね。気づかなかったよ。
「まぁ、目についたからね。この辺りは福寿草は咲かないだろ。ピンク色の桜草はよく目立つんだよ。ところで今年は、梅の花は遅いと聞いていたけど日当たりの良いせいか、綺麗に咲いているね。」
「花が好きなので、手入れはしているんだよ。剪定していれば、好きな方向に枝が伸びていくので面白い。」
「なるほどね。大きな盆栽感覚で観てあげているんだ。」
私はひとつの和歌を呟いた。
「色よりも青こそあはれと思ほゆれ誰が袖触れし宿の梅もぞ」
「哲也。あなた宿を追い出されたの?ウチに泊まる?」
「いや、当分この島で生活しようと思っているので、平屋の一軒家を借りるつもりで準備しているんだよ。」
「ふうん、まぁ神社の眷属なので、変な事はしないと思うけど、まぁいいんじゃない。歓迎するよ。」
「そりゃどうも。ここで三姫に反対されると、生活出来ないので助かるよ。顔馴染みという事でこの神社にも遊びに来るから、落ち着いたらウチにも遊びに来るといいよ。」
「ありがとね。ところで今日は、何か用なの?」
「いやまぁ、洋子さんと仲良くしてもらって色々と話をしてもらえばいいかなあと。ほら、お喋りは、女の子同士だと盛り上がるでしょ。」
「ああ、そういう事?是非是非。上がって上がって。」
昨日同様に、畳の間に通された私たちは、テーブルの前に置かれたオレンジジュースとポテトチップスを頂き、テレビを観ながら待っていた。洋子さんが話しかけてくる。
「私、あまり話上手ではないけれど大丈夫かしら。女子トーク。」
「まぁ、ここは田舎だから世間話でもなんでも喜ぶよ。あの三姫もお正月は忙しいけど、祭事以外は暇でしょうがないだろうから。」
そんな感じで話をしていると、障子戸が開かれ三姫がやって来た。
「昨日は、どうも。暫くこの島に滞在するんだって?いろいろとお話しできそうで嬉しいわ。気になる事があるんだけど、もしかして厳島神社の巫女さんじゃないかしら?」市杵島姫が話しかけてきた。
「あ、そうです。厳島神社の巫女の洋子です。今は哲也さんに付いていて色々と見聞を広めようと一緒に旅をしています。まだ旅の始まりなので、大したお話しはできないかもしれませんが、よろしくお願いします。」
三姫との会話はそうやって始まった。
私は、それを見届けるとひつきに釣り道具があるか尋ね、いそいそと準備を始める。このところ落ち着いて釣りもしていないので、どうも落ち着かない。
「私は、久しぶりに釣りをのんびりと楽しみたいので、ちょっと席を外すよ。」
「わかった。釣果は期待していないけど、のんびりしてきなさいな。」
田心姫はにっこりと笑顔をこちらに向けるといらない一言を付け加えた。
私は堤防に向かい、仕掛けを作り釣りの準備をする。持参したルアーがいくつかあるのでそれを準備した。
昔は、80センチ位のスズキを釣ったが、それは期待せず、岩に潜むメバルやアイナメを狙う事にする。青いクーラーボックスには、喉が乾かない様に氷を入れて缶ジュースが数本入れていた。
厄介なのは、草ふぐと云う魚だ。最近は大量に発生して釣りの邪魔をする、ラバー製の擬似餌どころか、針まで折られる始末。このところ釣果は芳しくない。さて、今回はどうだろうか。
潮汐は、中潮で波は凪。大潮で釣れた事のない私にはまぁ上々のコンディションで私は釣り竿を振る。糸から伝わる振動に竿先が反応して私の指に海底の様子を教えてくれる。まずは手探りで状況を把握して、場所を変える。ポイントを探すのだ。
必要なのは両脚でてくてくと歩みを進めること。場所が定まる筈なのだが…。
「あれ?玉ジャリだらけで、岩場が少ない。ちょっと難易度が高い場所だなぁ。昔はそうじゃなくてもっと…。護岸工事でもしたのかな?」
そんなひとりごとを呟くと、近所の釣り師が声をかけてきた。
「釣れますかな?」
「いえ、まだ始めたばかりで、何も…。」
「ここ数年、潮流が変わりましてな、いろいろ穴場はあったのですが以前と変わってしまって、地元漁師の不漁も続いておって困っておるのです。我々地元の釣り人もあまり楽しい思いはしとらんですわ。餌をつけウキを立てておっても、魚が寄り付くのは稀でしてな。まぁ、擬似餌とならばあなたは腕に自信のある方とお見受けいたしますが、のんびりと待ち、魚のご機嫌を伺いながら楽しむが良いでしょうなぁ。」
釣り師は、見たところ八十歳は過ぎたであろう声をしていて、日の光に浴びた褐色の肌に大きな麦わら帽子を被り、アドバイスをしてくれた。
釣り人と云うのは、釣り場ではこの「釣れますか?」で会話が始まるもので、「これくらいの大きいのを」と両手を出せば徐々に幅が大きくなるホラ吹きであるが。しかしこの老人はなかなか釣り道楽が長いらしく、聞けば色々と面白い経験談があるだろう。まだ初対面なので今日は挨拶程度にしておいて、またご縁があれば伺おうを決めた。
「ご教授いただきありがとうございます。ではしばらくは待ちの一手で釣れるも良し、また釣れなくてもそれはそれで一興と云う事で楽しんでみます。」
とは、答えたものの缶コーヒーを飲み干した後で寒さがきて納竿。三姫の居る部屋へ様子を見に行く事にする。
部屋は暖かい。先程の浜辺の寒さが嘘のように感じた。白い梅が咲いたところで誰も関心しないし、当たり前の様に、桜が咲く季節には酒を持った連中が広場で騒ぎ立てるだろう。
ストーブの炎が綺麗に灯り、冷え切った手をかざすと潮気のある顔を洗いに洗面台のある場所へと向かう。
田心姫、湍津姫、市杵島姫の三姫は呆れた顔で私を見つめこう云いました。
いちき「哲也あなたねぇ、洋子さん放っておいて釣りはいいけれど、待たせ過ぎでしょう?」
たぎつ「見知らぬ土地でこれはないです。」
たごり「…。」
「あの、ごめんなさい。本当に。」
そう話すと、私は出されたお茶を暖かくいただき、気を緩めた。
「哲也さん、お話しと云うか力を貸して欲しいので聞いてくださる。」
田心姫はそう小さな声で話しかける。
「浜の人通りの少ない場所で、不気味な所があってね。場所的に今まで何もない事故も事件性もない場所だけど、不吉な気配だけ『そこに在る』の。たぶん妖か何かかもしれない。人に害を起こさない様にする必要があるか、あなたの目で感じてもらえないかしら。」
「まぁ、いいですよ。でも私は以前は一介の眷属だっただけで、陰陽道の真似事くらいはできますが…。例えば相手が大物の禍事なら、諦めるしかありません。呪文も筆で事前に書いておいて強い神事ができる者を呼んでいただき、無理と思えばその場から退却していただければ助かります。」
三姫は真剣な趣で顔を見合わせると、奥から古い巻物を出してきた。
「これは、この地に伝わる死に関する文献になりますが、まぁ出処も不明瞭なため信憑性はまるでありません。」
私は肯くとその巻き物に描かれている地面への扉とその仕組みや、特徴を理解する事にした。敵は只こちらを見つめ、見た者を魅了し幾重もの扉を潜らせる。無事に済めば金色のゆったりとした世界に誘い、脆弱な精神を持つものは、暗闇の中へと引き込まれる。
普段は大きな事件にはならないが、一度それが現れると集落の活気は失わわれ没落の一途を歩む。まぁ、そう云う内容だった。
「さて。」私は、そう一言発すると、その不気味な場所へと向かった。案の定、その場所は祀られた様子はまるで無く、何もない只の石ころだらけで何の変哲もない場所。私は指弾を四隅に放ち、柏手を打った。
取り敢えず、『祓い』は終了。後は、様子を伺い在るべくして発生したものであれば、そこに在る存在を認め。封じ込めるべき対象で在れば、祀り何かしらの神を石にでも降臨させれば良い。
私たちは、然るべき時に自然との調和を守ることを生業として生活してきた社の者であり、それ以上の理を乱しては本末転倒で悪行となることを知っている。
その日はそれだけ行い、家の和室で夕食を摂ることにした。人として生きろと云われたものの、その責務の鎖から解かれることはなく、自由な一般的なヒトでは決してない。
「取り敢えずまぁ、ひと段落と云うことでいいよね。大した事件性もなく片付きそうだし。」私は三姫にそう言った。
いちき「まぁ、呆気ないけどいいんじゃない。適当で。」
洋子「何処もそうなんですねぇ。ちゃちゃっと済ませて後は雑談。」
私たちはココアを飲んで一息つく事にした。手引書通りに行えば後は様子見となる。普段の日常のひとコマであり。まぁドラマやアニメで世の中は大袈裟に捉えられているが神事なんて。と皆そう思うのであった。
そこで、洋子さんがある事に気づく。
「そういや、小町ハルちゃんだけど、何も伝えずにこの島へ来たけど、放置したままで、連絡しなくていいの?」
「あ、そういや忘れていたな。一応何しているか確認してみるか。」
やたらとお札が飛んだり、紙の人形が聖獣を襲ったりと面白可笑しいシーンが多いが、ドラマやアニメはそれはそれで楽しめば…その類のストーリーも楽しめるのだ。
やれやれと思いながらスマートフォンをポケットから取り出し画面を覗いてみる。
LINEで確認しようとしたところ、その未読数にゾッとした。
(ハ)今どこ?(未読)13:11
(ハ)あたし今ね境内にいるよ。(未読)13:20
(ハ)ごはんに行ったの?(未読)13:22
(ハ)おい、どこだ!(未読)13:55
(ハ)隠れるなっ。(未読)14:30
(ハ)だ・る・ま・さ・ん・が(未読)14:45
(ハ)転んだっ(未読)14:45
(ハ)ふっふっふこの遊びで、私に負けた腹いせか?(未読)15:00
(ハ)今食事?(未読)15:20
(ハ)絶対、森の中だろ?(未読)16:00
(ハ)見つけた!(未読)16:10
(ハ)うわ、何これ(未読)16:12
(ハ)小さい宇宙人が死んでる!銀色のっ(未読)16:13
(ハ)すぐ来い連絡しろっ(未読)16:13
中略
(ハ)おっ、これは時間を遡ると言われる伝説の。(未読)08:02
(ハ)来てみろ例の組紐だ!(未読)08:03
(ハ)今すぐ来い、隕石が見える!街が崩壊するそ!(未読)09:00
(ハ)おい、来てみろ要石がここにある!(未読)09:05
(ハ)あ、イエスをブッダが参拝にきた!(未読)10:00
(ハ)すげー、本物だ。聖人だ!(未読)10:01
中略
(ハ)息子の軽四を借りたって宮司から聞いた。本当ですか?(未読)10:30
(ハ)なんで一言言ってくれないんですか?(未読)10:45
(ハ)今すぐ返事ください。(未読)10:55
(ハ)一旦家に帰ります。(未読)11:00
(ハ)親に叱られました。(未読)12:00
(ハ)廊下で転びました。(未読)13:22
(ハ)痛いです。(未読)13:30
(ハ)心はもっと痛いです。(未読)13:40
洋子「連絡した方がいいですね。」
私「う、うん。取り敢えず居場所を」
(哲)今、私たちは、興居島で楽しんでるよ♪(19:11)
(ハ)そう、じっとしててね。今助けに行くから(19:13)
洋子「え、哲也さん何かあったの?」
私「いや、あいつ人がピンチだと思い込む癖があるから。」
また、ハルが来る。桜の開花を待たずしてハルと云う名の少女がバイクに乗ってやってくる。あいつが来るとなんでもない平穏な日々も騒動が起きるだろう。私たちは宿へ帰ってみる事にした。
宿に戻ると、主人が空き家の手配をしてくれていた。
「哲也くん、決まったよ。まぁ、別荘と云う程ではないただの空き家なので期待しないでおいて欲しいが、まぁ、生活するには申し訳ないだろう。どうする?明日から移る様なら、知り合いに手伝いをさせようか?」
「あ、いえ。元々旅の途中の荷物だけだし、明日チェックアウトして移動します。忙しい中、ご配慮していただきありがとうございます。助かります。」
「そうかい?ま、何かあればここにくれば力になるからね。いつでも相談してね。」
私たちは、お茶を頂きながら今日一日何があったか話し合う事にした。
「色々あったけど、ああ云う事って最近多いですね。私もここ数年参拝客から話はよく耳にします。」
「まぁ、地形が埋め立てられて変わると、潮流に変化が起こるから海岸地域はくぼみが出来やすくてね。今までいなかった異質な雰囲気の場所ができる。土地の雰囲気が変わるとそれだけで色々な現象が起きやすくなるんだよ。」
「今日は、変な場所にいたから塩でも借りて身を清めてから眠る事にしましょう。憑かれる事はないと思うけど、ああ云うのに関わった後は気分的に寝れない日も多いので。」
私たちは小皿を借りて部屋の四隅に盛り塩を行い、少し衣類を潮で清めてからお互いの部屋で眠る事にした。
翌朝、早速私たちは民宿の近くにある空き家に向い荷物を置くと、食糧を買いに出かける。スーパーが一軒あり、徒歩で移動して食糧や最低限の生活必需品はそこで買い。青空のしたでのんびりと花や潮風を感じながら帰宅。まぁ、二時間程度だったと思う。幸い食器類や電気製品はそのまま残っていたので助かった。
家の前に座っている知った顔の女の子がいたので、声をかける。
「これは、お早いお着きで。」
「まぁ、近いからいいけど、面白そうな旅行してるじゃない。ハルに一言あっても良かったんじゃないの?」
「いや、言ってもハルは学生だから、学校があるだろ。学生を誘ってどうするんだよ。」
「最近の大学生は、そこそこ時間を持て余しているので平気なの。海外旅行じゃないんだから。それにこっちの方が大学に近いかもしれない。そういう所全く知らないんだから、言って。」
「まぁ、ごめんな。それにしてもよくここが分かったね。」
「この島は小さいんだから、そんなのそこらへんの人に聞けば直ぐにわかるわよ。この時期にこんな島に来る人間なんて、あんたらくらいよ。」
「それより、私の能力に怖気付いて逃げたのかしら?」
「ん?能力って、あんなの能力でも何でもないだろ。実生活に何にも役に立たないし、特撮映画でも撮影するのなら別だけど。」
「敵が攻めてきたら後悔するわよ、私を連れていれば良かったって。」
「今時、敵なんて見つける方が大変だよ。年末の隠し芸で見せてくれ、ここで話すのも寒いし中に入って話そうよ。」
「そうね。哲也さんもハルちゃんも中に入ってご飯にしましょう。ハルちゃんお腹すいたでしょ。美味しいもの作るからテーブルに座って待っててちょうだいね。」
部屋に入ると、エアコンをつけて料理を始める。
味噌汁にホッケの塩焼き、卵焼き。まぁ、普通の夕食だが、ご飯の量はかなり多めに炊く事にした。ハルは食べ盛りなのであまり好き嫌いもなく食べるが食事の量は多い。余ったご飯はラップに包んで冷蔵庫に入れておけば、おむすびにして自分で夜食にするだろう。
私と洋子さんはそんな満足げなハルの食事をする姿を観て、満足していた。
誰かのために料理をするということは、それなりに作る側も楽しいのだ。
その日は、米に香り米を使い、薄い出汁を使った土鍋で米を炊く。所謂京都のおばんざい料理に近い味付けにしてみた。
「美味しい?ハルちゃん。」
洋子さんも嬉しそうな顔でまるで妹ができたかの様に話しかける。
「うん、すごく美味しいし、ハル、満足してる。」
「おかわりが欲しかったらいつでも言ってね。たくさんあるからね。」
まぁ、食べること。茶碗に5杯。洋子さんは呆気に取られていたが心地よいひとときを過ごすことができた。
三人でご飯が無くなったので、炊飯ジャーをセットして。お菓子を食べる。
「ほら天気予報を見て。そろそろ桜が咲くみたい。」
「この辺りで一番綺麗な場所はどこだろうね。」
そんな他愛のない会話をした後、我々は、それぞれ寝室に戻り。照明を暗くし眠りにつく事にした。
翌朝、目が覚めると、白いカーテン越しにぼんやりとした朝日が差して私たちは目を覚ます。
「また三姫に会い、一応ハルが来たって話をしようと思うけど、時間ある?」
暇なのはお互い分かっているが、一応洋子さんに尋ね外出の支度を始めた。セーターとデニム姿に着替えて上着を羽織ると神社に向かう。
不思議なことに、昨日まであった筈の社務所兼自宅の建物は消えて無くなり、只の空き地と化していた。梅の樹ごと無くなっている。
置き手紙が一通。開けてみる。
『何も問題なさそうなので、安芸の宮島へ戻ります。あとはよろしく。』
「あれだね、神様って本当身勝手だよね。適当に話をすれば翌日には何処かに消えてしまう。このノート見て。」
『哲也くん、人はね。恋をするのだよ。春になると出会いがあるからね。たくさんの人が恋愛成就の祈願にやって来る。なので私たちの正月明けの休暇は悲しい事にすぐに去っていく、君たちも恋が芽生えるといいね。』
この三人の誰かが恋…。我々は眉間にシワを寄せでお互いの顔を見て爆笑した。
後ろを振り返ると、手を繋いだカップルが我々の後ろに並んでいた。
「あ、ここにいるなら、仕事しろって事だね。着替えますか。」
取り敢えず、宮司と巫女の姿に着替えて、それらしくフリをして、ハルは恋愛相談所と書いたテーブルを作り、何かを始めた。
「ジャンジャーン、ジャカジャカ、ジャンジャン、ジャカジャカ♪ほい。」
(コックリさんの絵)
「やめんかっ」
ハルに蹴りを入れると、見事に回転する。
小一時間程、列の参拝客のお相手をして、私たちは買い出しをする。
昼過ぎには、家に戻り、食事の支度をするのだった。
また、釣りに出かける事にした。堤防釣りと云うのは大した技術は要らない。投げる、魚が喰らいつけば、アワせる。運よく掛かれば、魚の進行方向に竿を寝かせ糸を巻く。小さい稚魚程度なら、「グッバイ」と言って、魚が弱らないうちに海へ還す。それだけを繰り返し、ただ繰り返し、カラカラを鳴るリールの音を出しながら潮騒に耳を傾けるのだ。
「アタリがないな、少し場所を変えるか。」
私は、少しづつ、場所を移動してはハードルアーを投げる。昨日はビニル製のソフトルアーを使用していたが、草フグ対策にスプーンを云う種類の金属製のルアーに変更した。しかし、この装備だと誘う事は困難なので、なかなか思う様に釣果はない。予想通り、結果は、不調のまま一時間が経過した。
「釣れますかな?」
先日の老人が声を掛けてくる。
「いえ、全く釣れませんね。あなたはどうですか?」
「カレイとアイナメが数匹。なので、今夜は煮付けにして楽しみたいと思います。」
老人は、軽く会釈をすると釣り場を去って行った。
それにしても、ここで釣りをしている人はマナーが良い。と云うのも大抵は切れた釣りの仕掛けが一つや二つゴミとして散乱しているのだが、ここにはそれが一つも無い。取れない場所の仕掛けまで気にする事はないが、目に付く場所にある仕掛けは回収する。それがマナーだ。
「もう、そろそろ帰るとするか。」
私は一言そう呟くと、帰り自宅をした。
まだ、朝食を摂っていないので、朝食を食べていない。私は納竿するとそのまま、帰宅の準備を始める。タックルボックスに全ての仕掛けを入れてそのまま、スーパーへと向かう。そこで、肉や魚、野菜を買って帰宅する事にした。
「あれ?哲也、偶然。また買い出し。私のお菓子も買ってくれる?」
「ハル、大学はどうした。まだ春休みなのか?うん、そう。退屈だから本を読んでいたの。」
「ふぅん、何て本?」
『ザリガニが二匹鳴いた頃には』
「あぁ、賞を取った作品だよね。面白いの?」
「普通だよ。いつもの様に刑事が出てきて、どこかのアメリカで事件らしい事が出てきて、美味しいものが出てきて。」
「あぁ、最近のが海外小説ではよくあるパターンだね。」
「でも面白いよ。」
「ここでは、する事もあまりないからちょうどいいと思うよ。」
「その様子だとまた釣れなかったんでしょ。今日は何を買ったの?」
「シャケとシメジとバター。あと玉ねぎとさつまいも。」
「わかった、ホイル焼きでしょ。」
「当たり。じゃお菓子買っておいで。」
スーパーの出口でコートを着て待っていると暫くしてハルがやってきた。
私たちは、キラキラと輝く海を眺めながら家に戻り、「ただいま」と洋子さんに声を掛けた。
私と洋子さんとハルで今日の出来事を話し始める。まぁ、昨日と大して変わっていないが、この島で出会った人たちとのやりとりが中心の話題だった。
これと云って、島で事件やご不幸ごとなど無く、争い事も無く島の人たちは過ごしている様子で、禍事の気配も消えた。まぁ、滞在中に何事もなければ。あの件は終了するだろう。
我々は、夕ご飯の支度に取り掛かる事にした。
「そういや、ハルちゃんってゲーム機で遊んだりしないの?」
「もう、大学生だよ。一応持っているけどしないよ。」
まぁ、ゲームもせずに読書をするのはいい事だか、何か一人でもできる趣味の二つや三つでも持てばいいだろうに。
「楽器は?」
「昔は習っていたけど、もう演奏していないよ。」
「そうなんだ。まぁ、一度覚えたら少し練習すれば弾けるようになるしね。」
うすぼんやりとした夕日を照らし部屋をオレンジ色に染める。
私たちは、里芋とカボチャの煮物、シャケの切り身を焼き魚に卵焼きと味噌汁を準備し、麦飯を混ぜた白米を茶碗によそった。
「いただきます」
箸を持ち食事を頂く。若いので腹一杯食べても数時間で腹が減るが、精神的に食事は心を和やかにしてくれる。私たちは、今日食事を頂く事に感謝し、早めに寝る事にした。
白いカーテンがリビングを柔らかく揺らし、ズズメの鳴く声で眼が覚める。
私は布団から出ると、歯を磨き、顔を洗い、そして背を伸ばす。
皆で、リビングに集まり、トーストとハムエッグ、そしてコーヒーを飲んで目を覚ました。
姫と呼ばれる存在、神社の関係者、人間、小さな生き物たち、出会いと別れは河の様に複雑に存在しては去っていく。奇妙に思えるかもしれないが、相手が強く望まない限り、孤独はまとわり付く。
思考を停止する術は、美しい景観を眺めて呼吸を深くするだけで、または想像するだけで霧の様に去っていくものだ。
今日は、日々の行動を謹んで、家でのんびりと過ごす事にした。窓からガラス越しに見える風景のみを映し出し静かな部屋にさらに静寂が時間が流れる。
これからは、ごく自然の生活をしながら私は様々な困難と遭遇するだろう。
私はヒトとして役割を果たせるだろうか?また世間のお役に立てるだろうか?
まずは、思慮深く考え、行動することで何かを得ることができるのだろうと感じる。その昔、大自然の驚異と戦い続けた経験と勘がそう告げていた。
「さて…と。」
私は、そう呟くと昼食の準備を始めた。じゃがいもとわかめを使った味噌汁とご飯。昼食の準備を整えると、洋子さんと一緒に頂いた。
もう、昼過ぎ。備え付けのテレビのを点けたがワイドショーやグルメリポートばかりでつまらない。洋子さんが持っている小型のラジオのボリュームを小さな音量で流して見ていた。
情報は形骸化し一方的になり久しい。それでもスマートフォンをいじる理由は繋がりがあるからである。
それがどの様な形であれ慈しみと優しさがあれば伝わるだろう。そっと手を差し伸べる必要がある。ワインを飲まないのであれは、紅茶でも飲みながら様々な世界の息吹を感じよう。春夏秋冬、古今東西の絵や風景写真は心のままに手に入れることができた。
「私は桜並木でも観ながら近くを散歩して春の息吹を感じる事にするわ。」
「では、私はまた波止場で釣りを続けます。」
私たちは微笑んで、いつもの様に一日を過ごす事にした。
この島に来て一週間も満たないが、それなりに過ごせば安心して暮らせそうだ。小説も何冊か持ってきている。私は島から見える海岸を眺めながら釣り道具を持ちいつもの場所へ向かった。
「私はこう思います。哲也さんは至って普通の考え方をしているが、浮世離れしているのは仕方ない事なのです。」
「私の様に巫女の役割を務め続けているのは、一般的に少なく、不思議な存在で世間から遠い存在なのだろうと思うのです。」
私、洋子は、そんなひとりごとを口にしながら、島の人たちの輪に入り和やかな雰囲気に満たされながら、会話に混ざり島の人たちの暮らしぶりに満たされていた。宮島では農作業が禁じられているだが、ここではその手伝いもできるはずです。
嬉しい。ひとときかも知れないが、この場所で暮らせる日々が貴重な体験になりそう。作物や花いっぱいになるこの島で春風に吹かれながら私は笑顔に満たされながら今を過ごしていました。
近くのスーパーで献立を考えて食材を買う。そして一旦家に戻る事に。
「今日はカレーライスにしよう。」そう宣言。
じゃがいもとにんじんの皮を剥き玉ねぎを刻み一度炒める。その後湯を沸かしてカレールーを入れてかき混ぜる。特に凝らなければこれだけで終了。
俺はハルや洋子さんは、自由な様に見えてとても不自由に感じる。私から見たヒトの生活の現実を話そうとした。
「おはよう。あのさぁ、お二人さん。私は昔から人間は不自由でならないんだと思うんだよ。もちろん社会のルールは守らないをいけないのは判ってはいるんだけど、もっと人生を謳歌しないといけないと思うよ。」
「俺もねヒトになった事であと数十年の命。釣りだけ趣味ってのも何だし、恋が理解できれば、音楽が奏られれればとそう思う。ハルや洋子さんは何かやりたい事とか無いのかい?」
洋子さんは黙ったままだ。
「ハルはあるよ、まぁ彼氏に振られたばかりだけど吹奏楽で演奏していたヴァイオリンを演奏したい。ボイストレーニングをして綺麗な声でホールで歌いたい。」
「え、ハルちゃん楽器できるの?クラシックって難しそうだけど。」
「今は上手くは無いよ。コンテストも落選。でも有名になりたいのではなく楽器を楽しみたいの。別にクラッシックでなくてもいいんだ。」
「意外だな。せいぜいエレキベースで学生時代バンドやってました。って感じだけど。」
「うんまぁ、覚えれば何とかなるけどね。でも時間が勿体無いから。」
実際、バンドやクラシックなどなんでもそうだが、演奏して評価されればなんて挫折するより、細く長く自分の趣味で適当にやればいい。安い楽器を手に入れ演奏する。これ程コスパのいい趣味はない。
「私は、お役目があるので、あまり時間が取れなかったなぁ。そうよね。あっと云う間にこの年齢だし。」
洋子さんは一言そう呟くと考え込んでしまった。
「まぁ、朝ご飯にしませんか。パンとトーストとハムエッグで。」
「あぁ、そうね。じゃ私コーヒーを淹れようかしら。」
何やら、洋子さんを考え込ませてしまったようだ。好きだから自然に何かが趣味になった。それが理想的。何かをしなくてはと云った趣味で始めるとあっという間に飽きてしまう。
「そういや、蝶々とか追いかけるのさぁ、私の趣味でいいのかなぁ。」
「釣り馬鹿は放っておいて食事にしましょう。ハルちゃん一緒にテーブルまで運んでくれる?」
「あ、うん。」
朝から馬鹿扱いされながら食べると忘れてしまう。それが俺だ。
「あ、私これから大学の授業があるから。」
そう云うとそそくさと朝食を済ませて着替えて席を立つ。私は洋子さんと二人でハルを見送った。
釣り道具と云うのは不思議なものでその手入れをする時点から愉しみを与えてくれるものだ。簡明直裁に伝えるなら雨が降ろうが喜びを与えてくれる。また曇り空ならそれなりに釣果が期待できるのだ。
私は、浴室に釣り竿を持ち込み丁寧に洗うと油を刺して恍惚とした表情を浮かべた。
「今日も釣れないだろうが。」
私はひとこと言葉を漏らして波止場へ行く準備をする。
やがて、落ち着けば、洋子さんも釣りを始めるだろう。私は彼女用の釣り竿の手入れをしながら想像していた。
「雨が降らなければいいが…。」
私は、窓から見える桜を眺めながら、ポケットに入れたタックルボックスのルアーの数を数えて一つ取り出しては、シャープナーで針を研ぎしまい。またもう一つ取り出しては針を研ぎしまう。
銘竿フェンウィックは時代と共に軽量化され使う人も少なくなったが今もなおその芸術的な仕上がりは芸術的であった。
私は、手を止め、畳の上に大の字になると深呼吸して眠った。
「この島の人って、裕福なお金持ちは見かけないけど幸せな顔が絶えないわね。」
洋子の眼は輝く瀬戸内の海を捉えながら、いつもの砂浜を散歩していた。
それにしても哲也さんは何を目的にこれから生きていくのだろう。柄にもなく恋がしたいとか。
私は買い物袋に買った食材を見つめながら、これからの事に心を向けた。
「最近まで人ではなかったのでしょ。かっこいい言葉で取り繕っても哲也さんは急には変わらないわよね。先日まで虫を追っかけてばかりだったし。」
私の今までの生活は彼と比べると退屈だったと思われただろう。当然だ。十分な教育も受けないまま今日に至るのだから。
自然の摂理を尊び、遊ぶ童たちを見守り、時に人を勇気づけ、気象のあらゆる出来事に気を配り現在に至る。私欲の少ない生き方を選日ました。
「人を愉快にさせる術を私は持ち合わせていないわね。ハルさんを見習って私も人生を楽しまないと。」
一旦、家に戻るとティーパックで紅茶を入れて一息つき、冷蔵庫に貼ってあるメモに気づきます。
『洋子さん、海岸にある石ころや流木に気を留めてみてください。』
『釣りがしたい場合は、庭先の縁側にある道具をお使いください。』
相変わらず哲也さんは、距離のある物言いよね。まぁ、巫女と神の眷属と云う元聖獣。その立場の関係が崩れて心が通えば楽しいけれど。
私は細めの釣り竿を一本拝借して継ぐと振り下ろしピタリと止めました。
「なる程、この間の一瞬で何を得意としていたか見抜かれた訳か。」
準備して頂いた釣り道具を手に持ち、キッチンに戻り食材を冷蔵庫に入れ、自室に戻ったのです。
私はスマートフォンに入れた聖母マリアの姿を見ながらパイプオルガンの奏るクラシック音楽に耳を傾けました。
「実は、クリスチャンなんだけどな。私。」
私は、幼い頃カトリックの教会で育ち、小学校になると鳥居のある杜を選び樹々に囲まれて遊ぶ様になっていました。近くの滑り台やブランコに乗り夕暮れになると父と母の待つ家に帰り、その日の宿題に追われて。
事業に失敗した私の一族は、遠縁の親戚に私を預け失踪した訳だが、一族特有の類稀な美しい容姿とささやかな能力があり、あまり友達ができず孤独な半生を生きてきたと思います。
私は、倉に所蔵してあった小さな額縁に入った複製画を袋から取り出すと部屋に飾り付けることにしました。よくあるモネ、ゴッホなどの風景画です。
「容易に手に入るけど、あまり多くを飾っても仕方ないわね。」
そして携帯プレーヤーからクラシックを流すとクッキーと紅茶をキッチンから自室に持ち込み、ゆったりと時が流れるのを愉しんていたところ、
「洋子さーん。」
ハルさんの声がします。
「はーい。お帰りなさい。」
私は玄関までハルさんを迎え、満面の笑顔で帰宅するハルさんの話を聞くことに。大学での友人たちとの他愛もない会話や出来事が好きなのです。
「あ。懐かしい曲ですね。ヴィヴァルディの四季。」
「はい、クラシックは無難で落ちきます。今、紅茶を淹れますね。」
「今日、学校はどうでした?変わったことがありました?」
「いつもと同じかなぁ。昼食は学食で済ませて、友人をおしゃべりして。あとセールがあったので新しいブラウスとスカートを買った。あ、そうそう。洋子さんの分もあるよ。」
「私の分も?いいのに。今の服は動きやすいし。でもありがとう。大切に着るね。」
ハルさんの買ってきてくれた洋服は私には派手な色彩に思えたが、ペイルカラーの水色やピンクなので問題なく今の服装に合いそうです。
「スイーツの美味しいお店ができたので、一緒に行きません?」
「いいわね。最近、甘いものはプリンとバニラアイスしか口にしていないので楽しみにしている。」
大学の講義とアルバイトで忙殺されているハルちゃんのお誘いなので、有り難く参加しようと思います。新品の洋服など何年ぶりだろう。
クローゼットにシャツとスカートをしまい、美味しいお店を楽しみに。
「ねぇ、洋子さん、一枚絵画をお借りしていい?」
「いいわよ。雰囲気はどんな感じの絵が好みなの?」
「風景画が好き。広々とした感じの風景。川が流れていて広々とした。」
「じゃぁ取り敢えず、この一枚。アルヒープ・クインジの『朝のドニエブル川』。」
「へぇ、朝靄が綺麗な作品ね。素敵だと思う。ありがとう。また素敵な作品があったらお願い。」
「喜んで。」
他愛のない会話だけど話す相手と好みがあるだけで幸せになれる。今日はこの数十分の時間が素敵だった。私は眠りにつくまでずっと幸せな気持ちだろう。」
今日も三人で顔を合わせて食事をすませた後、私は星を眺めます。デネブ、アルタイル。もう夏の星座が見え始めた。まだ花冷えのある季節だが確実に夏に近づいている。私はヴィヴァルディからモーツァルトに曲を変えゆっくりと身体をベッドに沈めて眠りにつきました。
私は、一度病に侵された後、走るのをやめた人間です。その病気については後で話すが、走る楽しみは知っているがドクターストップで走れないのです。人生を奪われた様に思えましたが、周囲を観ながら歩くという行為は走るより健康的で花や樹、風の心地良さで季節の動きを感じることができるようになりました。
思っていた以上に現代社会に生きる人々はスピードの速さに気づいておらず、身近にある自然の恩恵を見過ごし、辛い一日が早く過ぎればいいと集中する時間を多くしている様です。巫女の仕事をしている時でさえそう感じていました。
聖獣として有名な狐の一族が有名になり、様々なストーリーで描かれる事で正体はあかるみにされ、相当な能力があるようにされ末裔の哲也さんも身を隠す様に怯えながら生活をしていた筈。
飛翔する度に目撃されて血を流す羽目になるのではないか?
人を化かして何か悪事を引き起こすのではないか?
そういう風に俗世の風潮に晒されながら一族は秘伝の術を守って後世に伝え続けているのでしょう。
人から生まれた私は哲也さんより先に死に、哲也さんはそれを見届ける。そんな気持ちの整理をしながら目を覚ますと壁に飾った絵画に目をやり白いカーテンの隙間から窓を開け朝の涼しい風を部屋いっぱいに取り込みました。
「なんて気持ちのいい朝。」
私はひとこと呟くと深呼吸をします。
「ここでは釣りの醍醐味なんて味わえないのに哲也さんもよく続くわよね。」
私は、久しぶりに哲也さんの準備してくれた釣り竿に手を伸ばします。
「ねぇ、ハルさん。今日暇なら釣りに行かない?」
「いいですよ。大学の授業は単位は十分足りているし、悪くないですね。ただ、哲也さんの釣り竿だと私の釣り方にマッチしないから、私はこれを使いますね。」
ハルさんは、銀色に輝く丸いリールと細いロッドを持ち出しました。
「ねぇ、洋子さん、ダブルループって知ってる?」
「さぁ、ルアーとどう違うの?」
「毛針を使います。見てみる?」
「えぇ。」
ハルさんは、準備したリールからジージーとラインを繰り出して透明の糸の先に小さな毛糸を結びつけました。
「殆どの人が渓流で岩魚を釣ったりする際に使う釣り方なんだけど、日本ではあまり人気がない釣り方なの。前後に降って糸の重さでポイントに着水させるから、狭い日本では不向きなのよ。」
「話には聞いていたけど、見た事なかったわ。面白そうね。」
「じゃ、やってみますね。」
「最初は、ある程度糸を出して2時と10時の時計の針を意識してロッドを振りながらその動作でラインを少しづつ出していくの。歩くリズムを同じ感じ。」
「チック、タック。チック、タック。チック、タック。」
私は、ハルさんのその動きに見惚れてしまいます。ラインは交互に正確な8の字ループの弧を描きそれが横へ上へと伸びると芸術的なまでに美しい動きを見せました。
「シュート。」
まるでバレリーナの様に宙を待ったラインは一直線に勢いよく飛んだかと思うとそっと地面に落ちます。
「洋子さんもやってみる?」
「ええ、そうね。道具があればやってみたくなった。」
「もちろんあるわよ。仲間を誘う時用に、道具は常にもうひとつ準備してあるの。」
「変な県民性よね愛媛県って。」
「仕事以外は暇だから、すぐ自分の趣味に誘うのよ。空き地まで歩いていきましょう。」
出会って間もないが、内気な私と元気なハルさんとは、仲よくなれそうだ。今日の夕食は、大きなパンバーグでも作ってみよう。
そんなこんなで料理をしていると、びしょ濡れの哲也さんが釣り竿を持って帰って来ました。
「どうしたの?哲也さん。」
「海に落ちた。根がかりかと思って竿を思いっきりひっぱたら、何か大物の魚らしくて落ちた。そうしたら海面にサメらしき背びれが見えたので無我夢中で飛んで帰ってきた。」
その姿はみすぼらしく、私とハルちゃんは大いに笑えます。
「釣れなかったよ。今日も。」
「いいからお風呂に入って温まってきなさい。」
Tシャツにデニム姿に着替えた哲也さんは、冷蔵庫から麦茶を持ってくると今日の出来事を話し始めます。
「まぁ、真冬の海でなくて良かったよ。寒かったけどね。」
「哲也さん、初めてじゃない?海で溺れるのって。」
「いや、以前にも潮に飲まれて沖合に浮かんでいた時があったよ。誰も助けにこないので泳いで岸に帰ったけど。」
「哲也は、変なんだよ。死なないくせに小さな不幸が多い。普通はこんな島で海に落ちることなんてないからね。」
「ハルは小さい頃のことをよく覚えているなぁ。あの時はお前のおかげで助かったけど、今回は本当に死ぬかと思ったよ。サメだから。」
「サメなんかいる訳ないでしょ。」
「いやいるんだって。」
「見てくるわ。もし本当なら、島の一大事だから。」
そう云うと、ハルさんは着替え始めた。万が一のために私も同行することに。
「あぁ、それなら一緒に…。」
私は哲也さんを止め、留守番をお願いします。
私とハルさんとで哲也さんがいつも通っている釣り場へと向かう様にしました。
途中で地元の老人とすれ違ったが、彼は焦った様子もなく逆に笑いを必死に堪えた様子で釣り場の方角から帰る最中だった。小高い丘を指差し、私たちは海が見渡せる場所を探します。
「あ、あのベンチにしましょう。あの場所ならサメがいても見つけやすいし、違っていてもお話ができるから。」
歩き慣れた道を通ると小高い場所にベンチがあり、私たちは周辺の海を見渡す。お互いのスマートフォンで写真モードにして拡大して海面を探してみました。
「いるかしら?サメ。」
「あれは…ウミガメみたいね。」
「飛んでいるのはカモメでしょ。」
「パニックになって哲也さん、密猟ダイバーをサメと見間違えたんじゃない?」
いつしか、私たちは本来の目的を忘れ、おしゃべりを始めます。
「ハルちゃんは、初恋はいつ頃?」
「高校一年の頃かなぁ、地元の友達で一緒に遊んでいた男の子。」
「ふぅん。どんな男の子?」
「バスケットボール部の同級生。すぐ背が高くて誰にでも優しかったよ。」
「別れたの?」
「うん。やっぱり子供だった。」
ハルさんは、一呼吸置いて小さく話し始めます。
「私たち親子は、自営業で何不自由のない生活をしていたんだけどね。この不景気でしょ。父親が事業に失敗してお店を辞めることになったの。まぁ、暫くは貯金でなんとかなったんだけど、全然先が見えなくなってね。ある日気がつくと悪い友達と酒浸りの日々が続いたの。そしてついにパチンコや競輪に手を出して。」
「いなくなっちゃったんだ。」
「ううん。前より金持ちになった。」
「…。」
「まぁ、働かないからどうしようもなく家庭は荒んでいくのよ。だから私は家を出る様になって学校にも行かなくなった。」
「それで、どこにいたの?」
「友達の家を渡り歩いてね。友人からお金を借りたりして。」
ハルの声が涙ぐむ。
「ある日、一人の友達に言われたの。あなたに貸した5千円返してくれないと警察に詐欺で訴えるって。」
「ハルちゃん、でもね。いくら親友だからって借りたお金は返さなくちゃならないのよ。」
「そう、だから私。通帳持ってお金下ろしてその子に1万円札を渡したの。そうしたら彼女なんて言ったと思う?」
「…。」
「ごめん、今日お釣りないから今度渡すから、それ貸してって…。」
「ハルちゃん、いくら親友だからって無闇にお金を貸しちゃダメよ。」
更に、ハルは涙ぐんだ。
「私、次の日その子が自販機でジュースを買おうとしてたのでジュース代出してあげたのね。」
「微笑ましいわね。私もそんな頃があったわ。」
「で、その日彼女が1万150円返してくれたんだけど。」
「良かったじゃない。」
「その日の年末ジャンボ宝くじで2億円になっちゃった。それ以来、妻夫木聡を尊敬している。」
「え?え?」
「で、そのお金どうしたの?お友達と分けたの?」
「それはできなかったわ。贈与税って知ってる?分けると莫大な税金がかかるの。だから都市銀行のいくつかに口座を開設して。後は貸金庫に保管してあるの。」
「じゃ何故、ハルちゃんは泣きそうなの?」
「その親友がね。ホストに貢いちゃって信じられなくなって。」
「あー、微塵もなかったわその情報。で、ハルちゃんに泣きついてきたのね。」
「うん、5千円貸した。」
「そう、5千円。」
「でもね。中学生の5千円は大金でしょ?」
「まぁ、そうね。」
「それ以来、彼女とは疎遠になって話していない。親友だと思ってたのに。」
「その後ね、家族で問題が大きくなってたの。」
「やっぱり家庭問題なんだ。」
「うん。やっぱりギャンブルで稼いだお金って逃げていくのよ。」
「で、どうなったの?お父さんとお母さん。」
「夜逃げしちゃった。何処か遠くへ。」
「中学の時に?」
「その後は市内の高校に通っていて私は家から通学していた。」
あっけらかんとしているハルさんだけど、この子は馬鹿か器の大きな人物になるでしょう。私たちは、海を泳ぐイルカの群れを眺めながら一旦家に帰ることにしました。
日が沈みそうな帰り道。私はよくわからないモノを封じた場所へと向かった。そこには悲しげな少女がきれいな洋服を着て座っています。年格好からしてかなり小さくて儚げな雰囲気を醸し出して。
「ねぇ、あなたどこから来たの?」
先に声をかけたのはハルさんです。
「私は、あなたの知らない遠くから来ました。ここにいるのはメッセージを届けるためです。」
「お名前は?」
「セシルと言います。本当はもっと長い名前だけど、発音が難しいのでセシルと呼んで下さい。」
「迷子になったの?お父さんかお母さんの居場所は判るかな?」
「わからないの。でもね、いつか気がつくよ。」
セシルちゃんか…。どうみても日本人じゃないわね。目は青いし、人形の様に素敵なドレスを着ていて髪の毛も薄いプラチナに近い。
「ここで何しているの?ここはねあまり良い場所ではないので安全な場所へ移動しない?」
私は、スマートフォンで、島の中心人物に連絡を取ると保護者を探して貰える様にお願いして一旦自宅へ連れて帰る事にしました。
「その前に、この場所でお祈りさせてね。」
セシルちゃんは、私たちに一言伝えると何か光る物を持ち出して祈り始めます。
辺りは光る霧に覆われ、やがて静か。そして、周囲の変化はなかった様に思えた時、にっこり笑うとこちらを向いて私たちに話しかけました。
「大丈夫だよ。ここにいたモノは封じられていて不満そうだったから、幸せな気持ちにさせてあげたの。」
私たちは、穢れを祓うか封じるかしか手段がないが、この少女は、安らぎや安堵といった何かを与えるらしい。
「お腹が空いたな…。」
私たちは、この子と手を繋ぎながら私たちの住む家に戻りました。
「ただいま。」
玄関のドアを開けると、哲也さんが退屈そうに出迎えてくれました。
「おかえりなさい。今日は小さなお客さんもいるんだね。夕食の準備をしよう。元気が出る料理がいいね。」
「哲也さん、あれはサメじゃなくてイルカっ。まぁ、ここまで近くに来るのは珍しいけど。まぁ正体がわかって良かったわ。この島がは夏になれば海水浴客も来るんだから。」
「あぁ、イルカだったのか。恥ずかしいな。まあ、何事もなくて良かったよ。それよりこの子どうしたの?迷子?」
「それがね、あの変な雰囲気の封じた場所にいたの。お名前言えるよね。」
「こんにちは、私セシルと言います。」
「こんにちは、僕は哲也。まぁ、ソファーに座ってテレビでも見ててね。」
「うん。わかった。」
洋子さんとハルが夕飯の準備をしている間に、何かおもちゃになるものがないか探すが見つかりません。哲也さんはウクレレを持ってきて少しだけ鳴らしてセシルの相手をしています。
しばらくすると、みんなの分の料理を食卓に並べ。
「いただきます。」
そう言って、食べ始めました。よほどお腹が空いていたのか、セシルという名の少女は、パクパクと口にバンバーグを入れて満足そうに食べています。
「セシルちゃん、迷子になっちゃったね。お父さんとお母さんが見つかったらすぐに会えるから安心してね。この島の人たちは優しいから大丈夫だから心配は要らないから。」
セシルはシャワーを浴びて安心したのか、その日は安心して眠りました。
私がリビングに戻るとハルちゃんと哲也さんが話し合っています。
私は、二人と今日あった出来事を話す事にしました。どうやらこの少女はいわゆる普通の少女ではなく、何かしらの力を持っている。祈ると何か小さいモノが光り、その場所の雰囲気をガラリと変化させるらしい。
今のところ驚異はないようですが、今までみた事のない女の子なので両親が見つかるまでこの家で生活しようか。という事になりました。
私は過去にその様な力を持った子供がいないか調べる事に。創作された物語の子供たちなら沢山存在するでしょうが、実在するケースから似通った子供を見つけるのは骨のおれる作業になるでしょう。
持ち込んだラップトップパソコンを開いて軽く検索をしてみましたが、信憑性のある情報は見つか里ません。哲也さんの様に特異な能力があるケースは滅多にないからです。
今は、島の人たちの連絡を待つ事にして眠りました。
この島には、伝承や寓話の類いは殆ど残っておらず、謎めいた事件もありませんが、こういった土地には何かしら守り手となる存在がいて、それは神でも仏でもなく意外なことが露呈することもあります。
相変わらず、哲也さんは朝から釣り三昧の様子なので、私はセシルちゃんと島のあちこちを散策することに。
島の住民たちにも事情は伝わっている様で、セシルちゃんへ差し入れと言ってはチョコレートやキャンディを渡してくれます。セシルちゃんは笑顔で「ありがとう。」と返事をするので既に島の小さなアイドルと云ってもいいでしょう。
「セシルちゃんは良い子だから、島の人たちも仲良くしてくれて良かったね。」
私は、セシルちゃんと手をつなぎ海岸沿いをゆっくりと歩きます。笑顔がかわいい。
「セシルちゃん、昨日光っていた小さいのって何?」
「普通のビー玉だよ。おもちゃ屋さんにたくさんあるビー玉。ガラスでできていて透明なのや、青かったり色んな色があってね。光を通すと中で綺麗なの。洋子お姉ちゃんにも一つあげるよ。」
私はセシルちゃんから、ビー玉を一つ手渡され中を覗き込みました。
「ビー玉…。だね。普通のガラス製でまとめて百円くらいで売っていよね。」
「そうだよ。まだたくさん持っているから、洋子お姉さんにあげる。失くしたらいってね。」
「いつも光ってるのかなぁ。セシルちゃんはどうやって使ってるの?」
しまった。会話を急ぎすぎたかもと一瞬戸惑いましたが、セシルちゃんは、答えてくれました。
「うーん、光るのはビー玉の勝手かな?何か変な時は光って、そうでない時は普通に太陽にかざして楽しむの。すごく綺麗なんだよ。」
私もビー玉を太陽の光に当ててみます。その影は影というか楕円形を作って透明な影を作っている。私たちはしばらくの間、ビー玉を太陽に当てて眺める事にしました。
「光らそうとしてもビー玉は、光らないよ。洋子お姉ちゃんは、何か不思議な事が起こると思っているでしょ。聖獣のお兄ちゃんみたいに適当にしていれば、ビー玉は緊張せずに光るかもしれないね。」
まぁ、奇跡なんて思っていても起きることはないし、一生に一度も出会わない人の方が多い。私はビー玉を拾ってバッグに入れました。
島に来て数日が過ぎ、何事もなく時間は過ぎていくが、かわいいお客様を一人招き入れる事になり、私は少々戸惑っています。10代の少女を預かったものの、この子の勉強や両親の事を思うと気が気でなりません。私は机の上にビー玉を置いて、今までの出来事と謎の光りについて調べながら天井を見ていました。
コンコンとドアをノックする音。
「洋子さん。今、時間いいかな?」
ドアの向こうから哲也さんの声がしました。
「あ、はい。」
「リビングで、いろいろと状況を整理する知恵を借りたいんだ。」
「わかりました。私もそんな気分なので行きますね。」
私たちはリビングのソファに座り、紅茶を淹れると話し始めました。
俺は、洋子さんに相談した。
「ようやくお役目らしくない、日常生活を送れそうだったのになぁ。あの子何者か判るかい?」
「ただの迷子ではないのは、薄々感じてはいるけど…。」
「あの子も聖獣の血が流れている存在だよ。もっとも本人はその自覚がないので尋ねても無駄だと思うけど。」
「どうして?」
「あの子の両親は、もう亡くなっている。教会から連絡があったと電話があった。」
玄関のドアが空き、ハルが帰ってきた。彼女は落胆した様子で涙で目が腫れている。
家全体は柔らかな光に包まれたかと思うと、また暗闇に戻る。これから何かが起こると、俺は確信した。
「今夜は、もう寝よう。みんな疲れているだろう?眠れば、また違った思考で物事が見えて来るかもしれない。洋子さん、今夜は申し訳ないがセシルと一緒に寝てあげてくれ。」
「ハル、おかえり。お腹空いてないかい?こっちで話をしよう。」
俺はリビングを離れ、自分の部屋の布団をセシルちゃんの寝室に持ち込み眠る事にした。
「ハル。彼と何かあったの?それとも友達?」
「今は、気持ち悪い。トイレに行ってくる。」
ハルに何があったのか知らないが、この様子は変だ。そう思った。
俺は、しんとした深夜のリビングで相談に乗る訳だが、親友というより遊び相手だった。ヒトの女性の悩みを助け羅れるだろうか?こんな落ち込んだハルの姿を知らない。
トイレから帰ってきたハルは、ソファに座ったと途端。ゆっくりとため息をついた。
「寝ながら話せるかな。少し疲れたから、ここで手をつないでいてくれると助かる。」
「いいよ。無理に話さなくても。今日はゆっくり休みな。」
「今日、大学で哲也のことをしつこく訊いてくるグループがいた。」
「あぁ、急にいなくなったからね。烏という奴らだよ。」
「危害はないの?」
「うん。有名な…警備員さんかな。」
「私を守ってくれた。」
「よかった。で、その烏、俺がなんだって?」
「今は、協力できないから、この娘を娶り子孫を残して自身で身を守れだって。」
「あ、やっぱり。気にしなくていいよ。」
「哲也一緒に寝てくれる。服脱ぐから。」
「…。初対面のそんな訳のわからない話聞くなよ。」
「怖いから。ね。」
翌朝、ハルは目を覚ますと乱れた着衣を直して自室で座っていた。いまだにぬいぐるみ代りにベッドに入り込み、背中をひっつけないと眠れないという。
俺はコーヒーを淹れるため、キッチンへ向かう。そこは洋子さんとセシルの和かな世界が広がっていた。
「哲也さん。眠れました?」
私は哲也さんが疲れた表情で朝のコーヒーを準備している間、朝食の準備に取り掛かる。
「洋子さんおはよう。今日は一日ハルと一緒にいるから。」
「そうですか、はは。大変そうですね。私はセシルちゃんとお散歩に行きますので任せてくださいね。」
不憫な聖獣の末裔。呪われた宿命を背負ったまま、哲也さんはヒトと交わり子を宿して消えていくのですか。その女の体に宿す子はヒトでありながら長寿という呪いに縛られる。事前に安芸の社でお聞きしていましたが、運命とはなんとおぞましく悲惨な結末を与えるのだろう。
昨夜何かあったのかは判るが、嗣がなくても良いものを。
「さぁ、セシルちゃん。今日は島を散歩しながらあなたの思い出を話してくださいな。」
洋子さんは、悪い予感を感じ他のか、まだ得体の判らない青い目をした子を連れて家を出した。
「ハル。今朝の具合はどうだい?」
俺は、淹れたてのコーヒーを持ってリビングで何があったかハルの話を聞く事にした。
「哲也。私は楽器の奏者と言ってもね、サークルに入っていたくらいしか経験はないんだよ。楽器を手に入れては調整をしていたの。父はピアノの調律師をしていて。それを受け継いだという訳。知っての通り父はもう病気で他界してたんだけどね。昨日は妹とカフェで話していてこんな話が出たんだ。」
「妹さんと会えたのか。それで?」
「ひとつは、私の父の遺言で、私はあなたの妻となる事。それとあなたが今後も厄災と対峙する時は手助けをしてほしいという母からのお願い。」
「俺の過去を知ってしまったんだね。」
「うん。あなたが二度と獣の姿にならない様に監視をして。ヒトの姿に戻れなくなった場合は殺して欲しいと。」
「まぁ、あの場所の掟みたいなものだよ。ハルは現代を生きているんだから気にしなくていいよ。」
どこから俺の話をしたらいいのか…。まぁ、ただの幼馴染を装ってハルと仲良くしていていたのだから謝って本当の事情を話す事にした。
「俺の一族は和歌山県の山中で林業をやっていてね。まぁ、そこで杉などを伐採していたんだ。集落の殆どは狩猟や漁師、農業で生計を立てていて俺は人間としてこの世に生を受けた。」
「うん。昔話してくれたままだね。」
「何故、狐の聖獣になったかと云うと、俺の祖父がある物を手に入れた事なんだよ。管狐って知っている?」
「確か、小さなきつねが竹筒の中に入っていて持っていると家が栄えるとか。」
「そう、そしてその一族はいったん栄えはするものの、周囲に疎まれ最期には絶えてしまう。」
憑物筋の類は、一旦は財力で幸せになりそうになるが、その呪いは手放しても後世に影響してしまう。
「妹が言うには、哲也さんに我が家の大切な骨董品を預けている。なので、彼と結婚して、その骨董品を手に入れて正当な継承者として家を再建してほしい。と言うことなの。」
「管狐の竹筒は、骨董的価値はないし私は所有してないよ。しかも見ての通り俺は何かの宝物なんか持っていない。」
「ねぇ、哲也。私と結婚して協力してくれない?既成事実作ったってことは生真面目なあなたなら手伝ってくれるわよね。」
「ハルと結婚して家庭は持ちたいと思うけど、厄介ごとは嫌だなぁ。」
男女間の恋愛感情はひとかけらもないままに、哲也とハルは結婚を前提としたパートナーになったのである。残念ながら非常識にもおめでたいカップルが誕生した。
夕方になると洋子さんとセシルが帰ってきた。洋子さんはいそいそと信玄袋から何か取り出している。
私は、セシルちゃんを連れて島の様々な場所を巡ったの。
「ご両親はセシルちゃんを心配していると思うんだけど。心配じゃない?」
「うん。それは大丈夫だよ。お仕事が忙しいけど、いつもメールが届くし、私から電話をする事も多いから心配ないよ。捨てられた子供みたいな境遇じゃないから安心してね。」
「それより洋子お姉ちゃんは、彼氏とか作らないの?」
10代の子供に心をえぐられそうになる。そう、私はまともに恋人を作った事がない。私の恋心は10代のまま停滞しているのだ。
ある日私は、広島市内の高級ホテルに食材の運搬を手伝っていた。具体的にホテル名を明かすとリッツカールトンホテル。
当時、東京本社から抜擢された経営陣の中に彼がいた。たまたま搬入口で私を見かけた彼に一目惚れされたのだ。と思い込んだ。
しかし、私は臨時で手伝いをしていただけで疎遠になった。巫女の稼ぎでは生活できないと知った私は、様々なアルバイトをして家計を手伝っていた。
二度目の出会いは、コンビニエンスストアでレジ打ちのアルバイトをしていた時である。
「あれ?君は確か…。」
「お久しぶりです。お元気でしたか?」
「あ、あぁ。本当に。」
彼は私の胸の名札を見る。
「君、木村雪江さんって名前だったの。あの時は名前を聞いても教えてくれなかったから。」
リッツカールトンへの食材配達当時。私は、学校に内緒で働いてたので、名前は明かさずなるべく地味に過ごしていた。だて眼鏡に三つ編み。とても男性から声を掛けられる容姿ではなくただひたすらに働いた。仕事に没頭する事で思春期特有の悩みや嫌なことを忘れようとしていたのだ。
やがて春の嵐が過ぎ、五月に入り晴れ間が多くなった。風が強くなり桜の花びらは散った後も様々な花が咲き乱れていた。私は、咲き誇る様々な野草を摘み花瓶に生けてはその野草を心の拠り所にしていたのだ。厨房の裏手にはシェフの休憩スペースがあり、私はコップに花を飾った。
彼は、仕事に没頭している私の姿に感心したのか、よく声を掛けてくれた。私は勝手に勘違いしたのだ。彼が私に興味があるのだと。
私が、ホテルのキッチンへ食材を運ぶといつの間にか彼がやってきて厨房はランチタイムになった。
そしてささやかな、そして素敵な食事会が行われ、私は招待されるのである。
「いつも、御馳走になってばかりですみません。私どうしていいか…。」
料理長はニカっと笑うと一言私に言った。
「いいか、ここの飯なんざ、お前さんの食材がなきゃ何も作れやしねぇ。お前さんがここに来てくれるだけで、厨房はその話題で華やぐんだよ。遠慮しないで食ってまた来てくれ。これはこのお偉いにいちゃんやここの連中の楽しみなんだから。」
何気なく、忘れるためにやっていた仕事。ようやく私は報われ、学校の勉強にも身が入る事になった。
「雪江さん、コンビニのアルバイトが終わったら、公園に藤棚を観に行かないか?いい場所を見つけたんだよ。」
デートのお誘いかな?と心が踊った。私は、連絡先を彼に教えて店内で商品の棚の整理を再開した。
終業時間が来ると私は、着替えて店長と同僚に挨拶をする。
「今日もお疲れ様でした。お先に失礼します。」
私は、彼の待つ公園へ向かう途中、胸が高鳴った。なんて幸せなひと時だろう。でも彼は私を好きとは違う意味で待っているに違いない。
いろんな気持ちが入り混じる中、私は走るのだった。
彼と私は、待ち合わせ場所を間違えることなく出会えた。こんな当たり前のことでさえ、幸せに感じた。
車で15分程移動すると、その藤棚が咲いていた。夜の藤棚はまるでガラス細工の様に輝きを増してライトアップされている。
「こんな美しい場所、初めて観ました。」
「僕の一番好きな場所なんだよ。」
私の10代の思い出で忘れられない風景となった。
「お姉ちゃん、泣いてるの?」
セシルちゃんの声に私は、ハッと我に帰った。
「大丈夫だよ。昔を思い出しただけ。それにきれいな思い出だから。」
セシルちゃんは不安そうに私の瞳を覗き込む。
「洋子お姉ちゃん、辛い思いをしたんだね。」
私は、その言葉にぎくりとした。
「うぅん、辛い思い出じゃないよ。その人とは連絡をとっているし。藤はとてもきれいで花の咲く季節がやってくると電話でやりとりもしている。セシルちゃんは、人の心が読めるの?お姉ちゃん驚いちゃった。」
「私のビー玉はね、出会った人の思い出を映し出す鏡になるの。お姉ちゃんが思い出に浸っている間。私、覗いちゃったの。」
「そうなんだ。ビー玉の中を覗いて見てたのね。」
それにしても不思議な少女だ、どのくらいの人の人生を観察してきたのだろう。人生は楽しい事より辛い事の方が多い。ただ、その嫌な気持ちをうちに秘めて周囲に悟られない様に生きている様な人が殆どだ。
「ねぇ、セシルちゃんはどうしてここにきたのか判る?お父さんやお母さん、何か言ってた?」
「ここにきた理由はね、この周辺の災厄から守るために来たの。様々な不安な気持ちや犯罪を抑えるため。洋子お姉ちゃんや哲也お兄ちゃんの能力だけではどうにもならない事が起きるだろうって安芸の宮島で話し合っているんだよ。一度セシルと宮島に戻ってほしいんだよ。」
私のバッグの中にあるビー玉が光を放った。
「セシルちゃん、一度家に帰ろうか。哲也さんとハルちゃんに話をして、決めたいな。」
「いいよ。急にいなくなると二人とも心配するから。お家に帰って続きも話すね。」
一旦、家に帰ると、哲也さんとハルちゃんが話をしていました。
どうやらハルちゃんが通う大学での生活のことらしいです。玄関のドアを開けると。会話が漏れ聞こえてきます。
「つまり、ハルの話では、その先輩が卒業した後に、他県から来た若造と一緒に薬を使った犯罪が増加。どうやら中国詐欺グループと組みサイバー犯罪をしているらしい。という事だね。
「うん。でも証拠が出なくて。今、Facebookでひらがなだけの日本人の名前で登録している人物を特定しながら、逃走経路をホワイトハッカーとサイバー対策室で追っているらしいの。」
「ハルが好きな彼も巻き込まれたの?」
「わかんないけど、友達の彼と仲良かったからその可能性はある。昨日は、私の彼がメンバーの重要人物じゃないかって、刑事が大学へ事情聴取に来たという訳。」
「刑事さんは、何か変な事を言ってなかった?その…。違和感のある質問とか。」
「刑事さん、かなり神経質になってて、変な事聴かれた。それが、私の生まれた地域の伝承とか、霊能力者が身内にいないかとか。取り調べとは無関係な話が多かった。ほら、普通は関係者の最近の様子やアリバイ、何か連絡がなかったか?とかが普通でしょ。」
「そうだね。普通は、そんな摩訶不思議なフィクションは、調書に書きようがないから。」
「それで、今日は、お終いってことになって、サークルの皆んなと居酒屋へ飲みに行ったの。するとサークルの一人が憑かれた様に話し始めたわけ。」
「隣国。例えば、中国やその驚異に晒されている台湾、紛争地帯からの日本への入国で様々な迷惑をかけれらているケースが増えただろ?もちろん一部の人なんだけど。旅行客をいうのは自国の文化と違いを認識するのに時間がかかるものなんだよ。気弱で倫理観の希薄な人はすぐに金に目が眩んだり、他人に対して申し訳ないと思ってても暴力に屈して麻痺していく。今は、警察も国籍を問わず神経質になっているので疑心暗鬼になっているんだよ。疑われたからといって全て鵜呑みにしない事だよ。日本は、普通に生活していれば、巻き込まれない限り安心して暮らせる。大丈夫。今は安心して協力しような。」
そばで二人の聞いていた私は、哲也さんに質問します。
「で、これから私たち四人の関係は、どうなるの?」
「今までと変わった所は、俺とハルが偽の婚約者になってさっき話していた刑事さんや一風変わったサークルに協力する。洋子さん、良いかな?」
「いいけど、私は数日の間、広島にいる知人と調べたい事があるので、セシルちゃんを連れてこの島を出るわね。車を借りて良いかしら?」
「いいよ。僕はバイクを手配してハルと一緒に行動する。小さい子に何かあったらいけないからね。その方が助かるよ。
愛媛県と広島県はとても近く、込み入った用件がなければ、日帰りで帰れる。牡蠣の養殖が盛んで、松山市同様過ごしやすい地域になっている。
以前会ったのは、随分前なので電話をすることにした。
「あ、あの、私雪江です。お久しぶりです。今、時間ありますか。」
「あぁ、雪江ちゃん懐かしいね。元気にしてた?」
「はい。実はご相談したい事があってお電話しました。広島へ行ってもいいですか?」
「広島?居ないよ。今引っ越して松前町にいる。
「松前町って何処です?」
「えっと、道後温泉がある松山市って知ってる?その隣。」
「な、何してるんですか?そんな所で。」
「会社辞めて独立したんだよ。貯金が溜まったのでちょっとした店を経営してるんだ。」
「ちょっと話をしただけだったというか、何故か逢いたい事情になったんです。迷惑ですかね。」
「僕はいいけど、恋愛絡みじゃないよね。そういうの苦手だから。」
「どちらかと云うとミステリー系かな?他にまともに取り合ってくれる人いなくて。見てほしいモノと最近お友達になった女の子のお話。現実離れした話になりそうなので聞き流してもらってもいいけど。」
「何それ、聞きたいなぁ。じゃ住所教えるね。」
私は、書き留めたメモをとってポケットに入れ、車に乗って橋を渡り彼の家に向かいました。
当初渡るはずの橋は行き先変更で数十メートルだったので眺めや休憩のドライブで気を紛らわす事もなくあっさり到着。エンジンとかけて到着まで一時間もかからない。なんてこじんまりとした土地だろう。
懐かしい知り合いなら、噂も広がらないし、気が紛れる。それにセシルを知るヒントを与えれくれるかも知れない。年上の存在にはそう云う期待が持てるものだ、と思います。
「多分、役に立つかも。僕の血筋は強いから。」彼はそう話し始めました。
「それにしても暑くなってきたね『夏の野の茂みに避ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものぞ』。」
「和歌ですか?」
「そう、梅雨を待たずに桜は消えてしまっているが、様々な他の花が君の悩みを解決してくれる筈だよ。その話詳しく聞かせてくれないか。力に慣れるかも知れないから。」
「え、ええ。勿論です。先輩はどう感じられます?この子はセシルと言って最近私の住む島にやってきたのですが。」
「規格外だよ。」
「規格外?と云うと。」
「今まで見た事がない。凄まじい力があるね。必死に隠しているが雰囲気だけでも感じとれる。普通の人なら気取られないのは、余程の人物が何か彼女に施したんだろうね。」
「私の知人で哲也さんと云う人も不思議な力を持っているのですが、彼は特に何も言ってなかったですね。」
「彼氏かい?まぁ、それはいいとして、日本特有の力ではないからね。時間が必要なの数日待っててくれないかな。分析してみるから。」
彼はそう云うと何かユリとスズランの宝飾がなされた箱を取り出し、ピンク色に様々な色が入り組んだ美しいガラスの器を取り出しました。
「雪江ちゃん、この器を透かして、セシルちゃんを見てごらん。」
「はい。」
私は薄い器を手に取り彼女をガラス越しに見てみます。
「消えた…。」
「正確には、この器に収まらない程の人物だった…かな。これでもこの器は国宝級でヨーロッパでは伝説級の高価な品なんだがね。あ、くれぐれも落とさない様にね。」
セシルが器を欲しそうな目をしていたので、彼はそそくさと器をケースに戻し、子供の手の届かない棚の上に置きます。
この子は悪い者ではないよ。むしろ頼りになる存在だろうね。詳しくは私もわからないので、その手の友人を頼って調べてみるよ。来てくれてありがとう。くれぐれも迷子や誘拐されない様に気をつけてね。
私たちは出された紅茶とケーキを頂いて。一旦島へ帰ろうとしました。
「あ、待ってこれを渡すよ。何の変哲もない掌サイズ石ころだけど。」
「これは、何に使うのです?」
「危ない時に投げたり、色々使えるよ。持ってないのかい?」
「持ち歩いたりしませんよ。」
「丁度いいサイズの石ってとっさに手に入らないので持ち歩きなさい。」
私は、邪魔になるだけだと思いながらもその石を貰い受けました。
あ、名刺渡しておくね。でも内緒にしておいて。じゃ。
セシルと私は、これがしたかった事なのが自分でも判らず彼の自宅を後にしました。
その頃、ハルさんはサークルの仲間から電話をもらい、自室でノートと地図を広げて何やら忙しそうに資料をまとめていました。
「ただいま。」
私は、セシルと一緒に帰り、普段着を準備するとシャワーを浴びる。セシルも一緒にバスルームで洗ってあげると落ち着いた様子で安堵の表情を浮かべます。
私たちは冷水で水分を補給をすると、部屋から出てきたハルちゃんに声をかけられました。
「洋子さん、そちらはどうでした?何か情報は見つかりました?」
「今は対策できそうな情報はないわね。この子が普通の女の子ではない事は判ったけど先輩にお願いして手掛かりを見つけてもらっているところ。」
セシルは困惑した表情で私に話しかけてきます。
「お姉ちゃんは、洋子お姉ちゃん?雪江お姉ちゃん?」
「?」ハルちゃんも何?と云う表情をしています。
「雪江は昔、私が使っていた偽名で洋子が今の私の名前。高校生くらいの頃かな?雪江って名前でアルバイトしてたの。大した理由はないから今までどおり洋子でいいよ。」
ハルちゃんも納得した様子。
「まぁ、人それぞれ人に言えない事情があるものよ。セシルちゃんには難しいかな?」
「ううん。セシルのお父さんやお母さんもしょっちゅう名前が変わってたので、平気。」
急に話す様になったセシルの声は透き通る様に美しく、とても響いていました。
「まぁ、哲也が帰ってきてから話そうと思ってたんだけど。サークルから数人ここへ招き入れて人海戦術でこの不可思議な現象を究明しようと思うんだ。保育士の免許を持っている奴もいるし。セシルちゃんにつきっきりって訳にもいかないでしょ。変わり者も中にはいて騒々しくなるかも知れないけど我慢してね。」
この家の借主の了承とか何とかは関係ないのでしょう。私が外出していた間のやりとりは、おおよその検討はつく。
「集合をかけて30分くらいだから、そろそろメンバーがやって来るわね。」
「警察の邪魔にならないか心配だけどハルちゃん、大丈夫なの?」
「調書に書けない真実を突き止め楽しむ。それが探偵事務所。」
「ハル先輩、謎解きにきましたよ。」
玄関から、声がした。私は、玄関の鍵を開け、ハルちゃんの後輩を招き入れた。
「よく来たな。後輩たち、事件の調査はこれからだ。食料は、島の皆さんを手伝ったり、持ち込みで頼む。今は家主が釣りに出かけているので、自己紹介は後にしよう。先ずは、食事の手配を頼む。そうだな。カツ丼にしようか。」
後輩の男の子が近くのスーパーへ出かける事に。そして道が判らないといけないので、私が同行することにした。
「セシルちゃんは私が遊び相手をするので、安心して下さいね。」
おさげ髪のサークルの後輩は、そう云うとエプロン姿で持参したお人形や積木や絵本取り出すと遊べるスペースを区切った。
「このスペースはこの子の遊び場なので皆さんよろしくお願いします。」
見た目はおとなしいが、任せても安心できそうな女性でほっとした。
私は、釣り三昧のこの家の主人に戻ってもらうため、釣り場へ向かうことにした。
私もやっと釣りに専念できる。ベクトルの違う考え脳裏を過り釣竿を持った私は、哲也さんを探すために波止へと出かけた。
「ん?セシルちゃんの方の進捗はどう?」
哲也さんが気づく方が早かった。流石は聖獣の末裔である。気配を察する能力はヒトになっても健在だ。
「先輩に頼んだばかりなので、まだ何も。」
「釣竿を持ってきたんだね。これ使ってみる?」
差し出したルアーはガラス製で鮮やかな色彩に光っている。
「こんなの高価すぎて扱えませんよ。どうしたんです?」
「作ったんだよビー玉でね。」
哲也さんは、ビー玉を両手で覆うとボソボソと何かを念じた。
「ワタツミのトヨタマ姫よ我に力を与えたまえ。」
手の中のガラス玉は手の中で魚に姿を変えてルアーになった。
「はい。試してみなよ。」
私はリールから糸を繰り出し、ルアーをセットすると釣り竿をしならせキャストした。着水した途端に様々な魚影が集まり海の青さに墨汁を落とした様に黒く染めた。やがて、竿に強烈なアタリがあり、左方向へと糸が走り出す。
「ちょっと、これ。かなりの大きさ!」
あまりの急な出来事に私は声をあげた。
「ちゃんと魚の顎に針は掛かっているよ、魚の走る方向に竿を降って体力を消耗させてから糸を少しずつ巻き取ればいい。焦らない様にね。」
やがて魚は、根負けしたのか海面近くに顔を見せると大人しく差し出した網の中に入っていった。
「洋子さん、面白いだろ。でも今日は、これで納竿にしよう。」
哲也さんのクーラーボックスには沢山の魚が入っていた。
帰り際に老人が声をかけてきた。
「釣れますかな?」
哲也さんは、子供用の小さな鯉のぼりを持って満面の笑顔で答えた。
「ぼちぼちですよ。師匠。」
哲也さんと家に帰ると、家の中は、美味しそうな夕食の香りが充満していた。
「哲也、みんな揃った様だから私の大学の後輩を紹介するよ。先ずは、その魚臭い身体を風呂で綺麗にしてきな。」
後輩の手前、ちょっと言葉がそれっぽくなるハルちゃんが可愛い。
「僕の名前は、三島新一郎です。特技は、ある程度過去を見る事ができます。当たり外れはありますが、特に眠っている時は鮮明な明晰夢で当てる事がありますが、起きて直ぐノートを取らないと忘れるのでそこが大きな欠点です。」
見た目は大人しく、少年っぽい男の子。スクエア型の眼鏡を掛けているのが印象的。
「私は、小玉春香。一応、保育士を目指して勉強中です。前世は狸だと人から言われます。特殊能力というか魔法が使えます。」
魔法使いの保育士…って、何っ?それって中二病拗らせてる子かしら?
「私は、教会の牧師の娘で将来はシスターになります。名前は、涼宮今日子ね。情報分析が得意で、治癒系の能力がありますね。」
これ、もう。サークルというよりRPGゲームのパーティーじゃないかしら。まぁ、このご時世だと攻撃能力なんて犯罪になっちゃうので居なくてよかったけど。
「ちなみに今日子ちゃんの治癒系って具体的に何かしら?」
「バンドエイドとかマキロンとか使えます。圧迫止血もできますので、転んだ時に重宝しますよ。」
私は、一人マトモな人間がいてホッとした。
では、ご飯が冷めてもアレだから食べましょう。
「それでは、いただきます。」
流石は大学生。大量な料理が30分足らずで胃の中に消えた。
私のスマートフォンが鳴った。松前町のあの人からだ。
「もしもし、はい。雪江です。いえいえ、今後輩と食事をしていたところです。席を外しますので。」
ノートと筆記用具を持って廊下へ出ると彼は少し驚いた様子で話し始めた。
「そうですか、はい。判りました。では早速明日にでもお伺いいたします。丁度合わせたい人物もいるのでお時間は午前中でよろしいでしょうか?」
要点をノートに書き写して。私は電話を切った。
「哲也さん。申し訳ありませんが、明日の朝一緒に出かけていただけませんか?」
「うん。大勢いるし、いいよ。ついでに伊予稲荷神社に帰り藤の花を観に行こうよ。」
そうして、明日に備えて私と哲也さん、三島君の3名は各自寝室へ移動して眠る事にした。
朝になり準備が整うと、私たちは車で国道56号線を車で移動した。
最初に伊予稲荷神社に戻り、御神花の藤に手を合わせる。
哲也さんは、宝物庫に入り久美さんに何やら話している様子で、その後、小さな箱を宮司に頼み持ち出した様に見えた。
「それを持ち出すという事は、今回は大仕事なのかね?」
宮司に質問され、哲也さんは答える。
「いや、多分、使わない。使う様な事になる前に解決できそうです。」
私たちは、車に乗って松前町の塩屋公園へ移動する。
公園に向かうと私は、哲也さんと三島君を紹介した。
「あぁ、よく来たね。このお二人が化身がヒトになった方だね。急な話だが、私はここを去らなければいけなくなった。なのでこの藤の咲く花の下で君たちに今話すべきことは、話しておくとしよう。哲也君は、血統的にレアな狐のケースだろう?でも何をするべきか決まっていない。自分の使命が腑に落ちない。」
「お察しのとおりです。まだヒトとなって間もないため、無駄に時間を浪費するだけで、力のコントロールどころか自分の存在理由が希薄になっています。」
「まぁ、今はそれでいいんだよ。無理に何かを見つけなくても。時が来れば感覚的に発動するのは神技だよ。それまではコントロールする訓練をすればいい。」
「あの、僕は何者なのでしょう?」
「新一郎君と言ったね。君は輪廻転生を信じるかい?狸だね、四国で相当な力を持った狸がいたんだがそれが背後に見えるよ。君の前前々世から狸が守り神になっていている様だね。君は運命の女性と結ばれる筈だから。恋は成就するだろう。君もまた、必要な時にその特殊な力が発揮できるから常時準備をしておくといい。」
「あなたは、一体何者なんですか?」新一郎が思わず訪ねた。
「君たちを案内したその子の昔の知り合いだよ。今は…。」
「洋子です。」
「そうなのか洋子さんか。私は、名前を明かしてはならない者なのでごめんね。このユリとスズランのケースに入ったモノは廻り廻って私の手元に来たのだが、どうやら今君たちと一緒にいるセシルちゃんの一族の所有物だったよ。まだあの子は子供なので君たちで管理してくれないか。」
私たち三人は顔を見合わせて決心した。
「わかりました。心してお受けします。」
「少し藤の花でも眺めるといい。藤には不思議な力がある。では、私はここを離れる準備をするので、失礼するよ。」
私たちは、お辞儀をして箱を預かると、彼が立ち去るのを見送り車に乗り込んだ。
帰宅後、私たちは箱を開け中身を開けると、例の器を数々の資料があるのを確認した。
その後、留守番をしている女性陣の様子を見に行く。
「哲也さん、俺ハルさんが好きなんですけど、どうしたら付き合ってもらえますかね。」
「あ、えっとね。ハルはカロリーの高い食事なら断らないと思うから誘ってみたら?」
「そうですね。でも、『みんな一緒なら』っていつも言われるんですよ。」
「大勢の方が楽しい話で盛り上がるし。」
「ハルさんとデートがしたいんですよ。」
「今の雰囲気で、欲を出したらダメだよ。相手が気になるまで待つんだ釣りと同じだよ。」
「は?あ、なるほど、釣りと同じですか。駆け引き的な。」
女性陣はおもちゃに夢中になっている様子だったので、安心した私はハルちゃんと一緒に哲也さんたちと今日の出来事について検討会をする事にした。
「ハルよ。明日は、釣りに行くので、魚を食おう。」
「え、あ、うんいいけど。」とハルちゃんが返事を返す。
冷蔵庫から出される刺身は舟盛り状態だった。
「これ何。お金出して買ったの?」
「これが俺のチート能力だ。これからの事についてじっくり話し合おうじゃないか。」
私は、預かった箱とガラスの器を取り出した。そして資料も。
『テキスト1:特殊能力の概論と基礎実技』
ここで述べる特殊能力とは、信仰や特異体質を問わず生物または、静物がもたらす科学では解明できない状態を記す。ただ写真や古文書より集めたものであって、現代では解明はなされておらず証明された事象ではない事を先に述べておく。(以下略)
とりあえず、晴香ちゃんにセシルちゃんを寝かしつけてもらって全員で見ましょうか。
事前に資料に付箋紙でポイントをマークしておく様にしてよく理解できない部分に付箋紙を貼ってわからない言葉はノートに書き出す事にした。
「ん?三島君どうしたの?ソワソワして。」
「明日から、本格的にトレーニングできるかと思うと嬉しくて。」
じゃぁ、続けるわね。次々と資料を纏めてみたものの、おまじないの類が多く医学的に未発達だった頃の民間医療や占いの類が殆どって感じ。
「みんなどう思う。役に立ちそう?」私はここにいる自称能力者3人に感想を求めた。
「能力者としては、ここに書いてある図の通りの動きを一応真似てみたいかな?試したいんだよ。ダメ元で。」
「涼宮さんはどう思う?」
「判りやすくて読みやすいわね。取り敢えずこの通りにやってみましょうよ。トライアンドエラーで万が一に備えて初級からって事で。」
「そうね。みんなそれでいいかしら。」
「OKですよ。なぁ皆んな。」
「ところでさぁ、例の詐欺や傷害や事件の探偵はどうするの?私立探偵の調査は?そのために集まったんでしょ。」小玉から集められた理由についての発言が出る。
「刑事ドラマみたいな派手なことはしない。そんな推理能力がある人なんて大学にいる訳ないじゃない。こうでも言わないとあんたたち来ないでしょ。セシルちゃんを無事にお父さんとお母さんの所へ返すの。私は大嘘つきだから。」
そう、大抵の人は嘘をつく。
愛媛の大学生の早朝。それは一定ペースのランニングから始まる…人も少なくない。
とりあえすお借りした綺麗な器を朝日の輝く日の光の下に出してみた。
「これは美しいですね。」
「でもお高いいんでしょう?」
「これは、ヨーロッパ地方で作られた名品ですの。」
「まぁ、なんて立派な。」
そう、器に向かって褒めてみたのだ。
安全チェッククリア。
涼宮が古式魔法を唱える。「ホイミ!」
皆、ちょっとだけ疲れが消えた…気がした。
数値の誤差範囲内クリア。
いよいよ三島の出番。
一枚の葉っぱを取り出し詠唱する「急急如律令」
緊張が走った。ついでに、葉っぱも素早く飛んだ。
自己記録更新クリア。
「よし、トレーニングに入りましょう。」
海岸に向い器ごしに遠くの沖合を見つめる。そこには戦舟が沢山写り込んだ。
源平合戦の姿だ。
私達はその様子を見て慄いた。
「おい、嘘だろ。誰か双眼鏡持っていないか?」
「望遠レンズのカメラに映ったのは帆が焼ける木造船と…あ、人が次々と飛び込んでは沈んでいる!」
私たちは座り込んで立てなくなっていた。
「初めて戦を見た。いつごろだ。1,185年に平家が滅亡したので、えーっと840年前頃のヒト。」
なぁ、なぜこの器はよりによってこんなものを見せるんだよ。こんな大昔の事知ったところで何になるんだよ。
途端に器は光を移さなくなり、また元の姿に戻った。
『恋しくば 尋ねて来てみよ 和泉なる 信太の森の恨み葛葉』
「つまらん作り話の和歌だよ。狐の化身を云うのはいつもそうだ。狐の恋の話は、悲恋で終わる。今まで私が詠みあげた和歌は美しいものばかりだか、こんな歌は読むに価しないよ。」
「さぁ、今日は終わりだ。この器は俺たちの誰かの深層心理に使うモンじゃないな。今日観た風景は悪夢と思い忘れよう。セシルの嬢ちゃんを助けようそれを考えるぞ。今日は終わりだ。」
「三島君、今度、約束通り釣りでもしてのんびりしようか。」
その日、島には雨が降った。勿論傘や雨具の準備は各自行っているので心配はないのだが。
私たちは島に住み初めてついて何日ぶりの雨だろう。恵の雨だ。
ハルは深妙な顔で、その器を眺めていた。
俺が見せてしまった過去がリアル過ぎて驚いているのだろう。
「なぁ、ハル。悪かったよ。俺の様な長年生きている狐の化け物はさ、色々な風景や記憶を宝具に映してしまう事もある。驚いたろ?」
「え、見慣れているから平気だよ。鎧被って刀振り回してなんて、大河ドラマで散々見てるじゃない。このご時世、時代劇でやってるし。哲也の過去の記憶なんて。」
「それよりセシルちゃんのためにこの器があるんでしょ。釣りばっかりやってないであんたもこの宝具の正しい使い方を考えなよ。」
「俺、頭冷やしてくるわ。釣りやってると冷静に物事考えられんるんだよ。いつもの所にいるから、皆んなで考えてみてくれ。」
雨の中、雨具と釣り竿を持って俺は家を出た。
私は、哲也さんに声を掛ける。
「また、釣ってきてくれるの?楽しみにしている。」
「いや。今日は作ったウキの調子をみるだけだから…。」
私は、箱に入った資料をもう一度眺める事にした。
『覚書』
リトアニア国防特使 山岸一郎
・今、フランス経由で荷物を預かった。これがあれば良いのか?あの娘はこんな物より親が必要な時期だ。調査などやめて子供と暮らして欲しい。クマのぬいぐるみでも買ってやってくれ。紛争の写真など価値はないだろう。親友よ周囲の人間を大切にしようとは思わないのか?
・化学研究所の調査が届く、あの容器はヴェネチアガラスの骨董品との事。その時代に存在しない素材で加工されており、破壊は困難。研究報告のオーパーツという一言に笑った。
・日本に帰国。セシルが失踪した。迂闊だった。
・雪江の巫女の任務を解任。一般人として生活できる様、神社庁へ依頼。
「ここのみんなに、怪しい女ですって言ってる様なモンじゃない。山岸さんって気が利かないわね。」
私はリビングへ行き、メンバーと話し合う事にした。
「要するに、セシルちゃんをずっとここに置くわけにもいかないし、かといって訳のわかんない器と一緒に誰かに返す訳にはいかない。まだこの状況になって3日も経っていないのだから、島の人間に怪しまれない様にしてちょうだい。」
降り続ける雨はなく、いつかは晴れ渡る。私は釣りに出かけた哲也さんを迎えに出かけた。
彼は、強大な力を持ちながら、この生き辛い現代で長い生涯で終わりを始めたばかりだ。
一匹のこぎつねがオオカミになり損ね。自由を奪われ今に至る。
彼は時代の流れを記憶に封印したままじっと釣り竿の先にあるウキを見ていた様に…居眠りをしていた。
「晴れたよ。もう帰らない?」
「あぁ、今日は疲れたな。」
「何を想ってた?」
「うん。皆過ぎ去っていった。それを悲しむべきが喜ぶべきか。そんな事を想ってた。」
「らしくない言葉ね。」
「笑えるだろ。」
彼は、にかっと笑顔になった。
「帰ろうか。一日は短い時間だが、一生を考えると気が遠くなりそうだ。」
この後、我々は大きな謎に巻き込まれる事となる。