第8章:封じられた井戸
神社の本殿裏手にある小屋は、今にも崩れそうなほどに古びていた。
戸には「関係者以外立入禁止」の札。
だが、その木札は風雨に晒され、半ば剥がれかけている。
「ここだ」
蓮は息を整えると、錆びた扉の取っ手に手をかけた。
ギイ……と鈍い音を立てて開いた中には、
黒い石畳の階段が、地下へと続いていた。
「……本当に、ここに行くの?」
「もう戻れないよ、みのり。あいつらは、お前を“神様に捧げる器”だと思ってる」
「うん、知ってる……でも、まだ怖い」
蓮は黙って、彼女の手を強く握った。
「俺がいる。大丈夫だ」
◆
階段を下りると、そこには重たい湿気と、
わずかに漂う鉄と腐臭の混じったにおいがあった。
「ここ……井戸なんだよね?」
みのりが言った。
「ああ。かつて町の水源だった場所だ」
壁にはおびただしい数の“名前”が彫り込まれていた。
おそらく、過去に“捧げられた者たち”だ。
「これ……全部、人の名前……」
「そして、誰も記録には残らない。
“転出”として処理されてる」
「お姉ちゃんの名前……あった……」
みのりは震える指で、ある一文字に触れた。
《雨野つかさ》
その下には、新たに刻まれかけた名前があった。
《雨野みのり》
「ふざけるな……こんなもの、誰が——」
「彫ってるの、神職じゃないよ」
「え?」
「“選ばれた町の人たち”が順番に、夜にここへ来て、
誰の名前を彫るかを相談するんだって」
「そんな狂気……よく受け入れてるな」
「“そうするしかなかった”んだって」
「あいつらは信じてるんだ。
誰かを差し出せば、町は守られるって」
「それで、子供が殺されていいはずがない」
◆
そのとき。
井戸の奥から、**ポタ、ポタ……**と水音が響いた。
蓮が懐中電灯を向けると、そこには……
うごめく何かがいた。
形を持たない水の塊。
だが、確かに人の輪郭をしていた。
目が、口が、ないのに、
その姿は“笑っている”ように見えた。
「つかさ……?」
みのりが震えた声で呼ぶと、
その“塊”は一瞬、少女の顔と同じ形に変わった。
「ダメだ、みのり! 見るな!」
蓮はみのりの顔を抱き、懐中電灯を投げた。
光が壁に反射し、“それ”はゆっくりと井戸の奥に引いていった。
「あれが……水神?」
「いや……多分、**犠牲になった人たちの残滓**だ。
祈りと苦しみだけが沈んで、水に溶けて、何かになった」
「それが……わたしの、姉……?」
その言葉に、蓮はゆっくりとうなずいた。
「もう、誰もここに沈めさせない。
この町を、終わらせる」
そのとき、地上から警報音が響いた。
大雨による、土砂崩れの緊急避難命令。
「……間に合うかもしれない。
儀式が行われる前に、町ごと崩れるかもしれない」
「なら、その前に、真実を伝えないと」
「ネットに上げよう。カメラと音声、まだ生きてる。
この井戸と、名前の彫られた壁、すべてを」
蓮は、カメラの電源を入れた。
だがそのレンズの奥で、もう一度、水面が、笑った。
お読みいただき、ありがとうございました。
この章では、ついに地下井戸へと到達し、御影町の信仰の「本質」が明かされました。
水神という名のもとに“祀られた怨念”、そして人間の罪。
生贄の仕組みは信仰ではなく、**人間によって作られ、正当化された“殺しのシステム”**でした。