第6章:祈りの器
「……お姉ちゃんの部屋、まだそのままなんだ」
少女・雨野みのりがぽつりと呟いた。
放課後の誰もいない校舎のような、静けさだけが充満した家だった。
玄関には古びた鈴の飾り。茶色く焼けた家族写真。
「ごめんね。急に来てもらって」
「いや……こっちが無理言った」
蓮は昨日、神楽殿で見せられた“帳面”の名前を思い出しながら、緊張した喉で言葉を繋いだ。
「……みのり、君のお姉さんの名前って、“つかさ”っていうのか?」
「うん」
「——そのお姉さんが、5年前に失踪したって……」
「そう。あの年の夏の終わりだった」
「どこかに行くって言ったの?」
「ううん。夜に、町の“水の儀式”に参加するって……それが最後」
彼女は、姉の遺影が置かれた棚の前で膝をついた。
蝋燭に火を灯し、静かに手を合わせる。
「わたしね、知ってたの。町の子は、何年かに一度“神様に選ばれる”ってこと」
「それは“生贄”って意味だ」
「そう。でも、誰もそれを言わない。
それが“信仰”って言葉で包まれてるだけって……わかってる」
蓮は、棚の上に置かれたあるものに目を留めた。
木彫りの小箱。
「これ……なんだ?」
「お姉ちゃんの“器”。神様に選ばれた子には、渡されるの。
儀式の前に、自分の名前を書いて収める“箱”なんだって」
「中、開けていいか?」
「……うん」
蓮がそっと蓋を開けると、中には黄ばんだ和紙が一枚。
そこには滲んだ文字でこう書かれていた。
——雨野つかさ 我、御神の依り代となる
「……気持ち悪いな。これ、完全に……洗脳だ」
みのりは目を伏せたまま、静かに言った。
「だから、怖いの。あの人たちは“善意の顔”をして、人を殺すの。
しかも、誰も怒らない。誰も止めない。
この町では、“選ばれた”って言われたら、もう……終わりなの」
「俺が止める。絶対に、あんなやつらの好きにはさせない」
「でも……神様の怒りは、もっと怖いって……みんな、信じてるの」
「本当に神様が怒ってるなら、まず俺が受け止めてやるよ」
その時、窓の外で、ゴロゴロ……と鈍い雷鳴が鳴った。
夕立の前触れ。
空の気配が変わった。
街が、何かを動かしはじめていた。
お読みいただきありがとうございました。
この章では、少女・みのりの過去、そして姉の失踪と“器”の存在が明かされます。
静かに、けれど確実に用意されていた“選ばれし者”の道。
信仰とは何か、犠牲とは何か。