最終章:渇きの街
御影町は、もう地図にない。
崩落によって行政区としての機能は完全に失われ、
報道では「長年の土壌崩壊と老朽インフラの放置が招いた人災」とされた。
でも、本当は違う。
あれは、信仰の皮をかぶった“人の罪”が崩れ落ちた音だった。
◆
私はいま、「佐倉みのり」という名前で生きている。
事件の後、県外の児童保護施設に保護され、
その後、ある夫婦のもとで養子として迎えられた。
あの夏を語ることはなかった。
誰も、本当のことを信じてはくれなかった。
けれど、ひとつだけ——
蓮くんが配信した動画は、確かに残っていた。
YouTubeのチャンネルごと削除されたあとも、誰かが保存し、別の動画サイトに転載していた。
やがて「渇きの街事件」と呼ばれ、ドキュメンタリーにもなった。
「これはフィクションではないか?」
「地方の迷信が引き起こした悲劇」
「そもそも演出では?」
様々な声があった。
でも、それでよかった。
真実は、もう私の中にしかない。
それで十分だった。
◆
そして、私はある日、一冊の本を出版した。
『渇きの街 − 御影町事件録 −』
著者名は「S.A.」
誰もが忘れたがっている記憶を、私は“物語”として書いた。
それは祈りであり、鎮魂であり、
何より——蓮くんが残した、命の証だった。
◆
出版記念のインタビューのあと、
私は小さな神社跡のそばで、
そっと目を閉じ、手を合わせた。
「ねえ、蓮くん。わたしね、生きてるよ」
「水の中に沈まなくても、人はちゃんと“祈る”ことができるんだって、教えてくれたのは、あなたでした」
ひとしきり手を合わせたあと、私は背を向けて歩き出す。
空には青が広がっていた。
雨は、もう降らない。
——だけど、足元の水たまりだけが、
ほんの一瞬だけ、微かに笑ったように見えた。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
この物語は「信仰」「恐怖」「人間の無自覚な罪」をテーマにしながら、
一人の青年と少女の小さな勇気が、どれだけ世界に痕跡を残せるかを描いたものです。
主人公・瀬川蓮の死は“救い”ではなく、
“問いかけ”として物語に刻まれました。
そして、生き残った少女・みのりが歩んでいく人生は、
もう決して過去に囚われるものではありません。
それでも時折、
何もない街角で、雨の音が、誰かの名前を呼ぶかもしれません。
『渇きの街』——ここに完結です。
お読みくださったあなたへ、
深い感謝をこめて。