第1章:夏の来訪
御影町に到着したのは、夏の午後だった。
JRのローカル線を乗り継ぎ、バスに揺られて三時間。ようやくたどり着いた山あいの小さな街は、セミの鳴き声とコンクリートの熱気に包まれていた。
だが、どこか“湿っている”空気に、瀬川蓮は違和感を覚えていた。
「おかしいな……晴れてるのに、雨上がりみたいな匂いがする」
取材で来ているとはいえ、観光客にしては地味な恰好。首にタオル、手には古い一眼レフ。
大学の都市伝説研究サークルで、今年のテーマが「水にまつわる地方信仰」だった。
御影町は、掲示板の投稿で「夏にだけ水が赤くなる」「井戸から声がする」と噂されていた“注目エリア”だ。
「まあ、どうせガセだろ……って思ってたんだけどな」
蓮は駅前の地図を見て、宿へ向かう路地へ足を踏み入れた。
そのときだった。
「お兄さん、よそから来たの?」
振り返ると、麦わら帽子の少女が立っていた。
「ああ……大学の課題で、ちょっとこの街を見に来てる」
「そっか。じゃあ、また今年も死んじゃうかもね」
「……え?」
少女は何でもないような顔で、にこりと笑った。
「赤い水、飲んだらダメなんだよ。神様が怒ってるから」
「……水? 神様って……」
「うん。夜にね、井戸の方から声がするの。“返せ”って」
蓮が言葉を返す前に、少女はくるりと背を向けて、細い路地の奥へと走っていった。
後に残ったのは、セミの鳴き声と、乾ききらない空気の匂いだけだった。
——返せ、って……何を?
最初の違和感が、“警告”だったことに気づくのは、もっとずっと後のことになる。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
主人公・瀬川蓮が訪れた「御影町」は、一見するとどこにでもある静かな地方の街。
けれど、その空気の湿り気や少女の言葉の端々に、すでに“歪み”が忍び込んでいます。
麦わら帽子の少女は何者なのか?
なぜ水道水は「赤い」と言われるのか?
なぜ、“誰かが死ぬ”のが毎年のことのように語られるのか?
少しずつ日常にヒビが入りはじめる中で、
次回はいよいよ、最初の“異変”が起こります。
「夏」と「水」に潜むもの——それは、神か、人か。
続きの第二章も、ぜひ読んでいただけたら嬉しいです。