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7 法廷って舞台と同じね


「時間ですから、そろそろ参りましょう」


 岡田裁判長はそう言うと部屋から出た。


 私たちは、岡田裁判長を先頭にして一般人が立ち入れない裁判官専用の通路を歩いた。エレベーターも専用のものだった。


(劇場と一緒ね)


 小さいライブハウスだと、舞台と観客席は一緒だ。舞台に上がるのにも客席のフロアから行かないとならない。しかし、劇場だと、控室から舞台までは専用の通路やエレベーターがあり観客に会うことはない。


「この扉の向こうが法廷です」


 ちょっとした打ち合わせができるテーブルと椅子が置いてある小部屋があり、その部屋の奥に大きな両開きの扉があった。


(こういうところも劇場と一緒ね)


 岡田裁判長が扉を大きく開いた。


 眼の前に法廷が広がった。


 傍聴席は満員だった。


「起立」


 張りのある声が法廷に響いた。


 全員が起立して私たちを迎えた。


 視線が一斉に集まった。


 座席は一段高い壇の上にあり本当に舞台のようだった。


 席に着くと裁判が始まった。


「これより審理を始めます。被告人は前へ」


 岡田裁判長が重々しい声で言った。


 被告人が前に立った。


「名前は」


「久保孝司です」


「本籍は」


「東京港区南麻布七丁目六番です」


「住所は」


「東京港区南麻布七丁目六番八号です」


「職業は」


「無職です」


 そんなやり取りが続いた。聞いていて私は被告人に違和感を覚えた。イメージしていたあゆみちゃんを殺した犯人像と違っていたからだ。


 突然、張り付くような視線を感じた。


(誰なの?)


 法廷を見渡した。


 視線の主は見つからなかった。なぜなら、傍聴人はみんな裁判員のことを見ていたからだ。裁判員は劇場で役を演じる役者と同じだ。法廷内のすべての人から見られている存在だった。


「では検察官、起訴状を朗読してください」


 若宮検事が立ち上がった。黒のスーツ姿がよく似合っていて海外ドラマの女性捜査官のようだった。


「公訴事実。被告人は――」


 コンサートの後に出口でファンを見送っているあゆみちゃんを被告人が隠し持っていた包丁で何度も刺したという犯罪事実を若宮検事が読み上げた。


 その後、岡田裁判長は、法廷での被告人の発言はそのまま証拠として有利にも不利にもなり、また言いたくないことは言わなくてもいいという黙秘権があると説明をした。


「では被告人、さきほど検察官が朗読した公訴事実に間違いはありませんか」


 被告人はすぐに答えなかった。


 張り詰めた空気が法廷に満ちた。


 被告人は顔を上げると壇上の裁判官と裁判員をゆっくりと見回した。


 そして意を決したように言った。


「間違いありません」


 隣の裁判員が安堵のため息をもらした。


 岡田裁判長が弁護人の方を向いた。


「弁護人はいかがですか」


「被告人と同様です」


「では、証拠調べの手続きに入ります。まずは検察官、冒頭陳述をしてください」


「はい」


 若宮検事が立ち上がった。


 私が座っている机の上に設置されているモニターに画像が映し出された。モニターの画面には大きな字で「冒頭陳述」というタイトルが映し出された。 


 若宮検事は自席を離れると法壇の近くまでゆっくりと歩いて来た。


 そして、裁判員を見ながら語り始めた。


「被害者は高校在学中から芸能活動を初め、その後、『仮面舞踏会』というアイドルグループに属し、歌やダンスなどの芸能活動をしていました。被害者は事件当日、ライブコンサートの後に観客を見送るために出口付近に立っていたところを突然被告人に刺されたのです。すぐに救急搬送されて懸命の救命措置を受けましたが、そのかいもなく同日22時34分に息を引き取りました。被害者には何の落ち度もなく、事件のあったその日までアイドルとして多くの人に好かれ、活躍していました。それが、被告人の理不尽な行為により、まだ21歳という若さでその命を奪われたのです」


 凜とした法廷に響く声だった。

 

 私は、あゆみちゃんのことを思い出していた。





「亜紀、これどういうつもり」


 あゆみちゃんがスマホの画面を突き出した。


「これ、私のことでしょ!」


 私は、あゆみが加工した自分の写真をばらまいていることについてSNSで「友達が私の変な顔の写真を知り合いに見せているの。私はとてもそれが嫌なのに。でも彼女はそれを分かってくれない」とだけ投稿した。


 それは前日の晩のことだった。


 その投稿をしてからSNSは見ていなかった。


 見ると、多くのコメントが寄せられて炎上していた。


「やったのは『あゆみ』だろ」


「あのビッチがやりそうなことだ」


「あゆみちゃん。いじめは犯罪ですよ」


「あゆみのあまりの糞ぶりに笑ろた」


「ブスでダミ声のくせして、あゆみはとんでもない奴だ」


 『友達』としか書かなかったのに、フロワーたちは犯人をあゆみと断定し、あゆみに対する罵倒が並んでいた。


「それだけじゃなくて、私のアカウントにも、あなたが焚き付けた連中が、誹謗中傷や脅迫のようなコメントを書き込んでいるのよ」


 私はその場でその投稿を削除させられた。その後は事務所が間に入っての話し合いになった。


 確かに軽はずみな投稿をした私も悪いが、第三者に変な顔の私の写真を送っていたあゆみも悪いということで喧嘩両成敗になると思っていた。


「こういうことをされると、困るんだよね」


 マネージャーがサングラス越しに睨んだ。


「すみませんでした」


 私は頭を下げた。


「内輪の事を外に出しちゃって、炎上するのは最悪だ。イメージダウンもいいところだ」


「申し訳ありません」


 私は再び頭を下げた。


「運営側としては、こういうことが繰り返されないように処分をすることになるよ。減俸は覚悟しておいてくれ」


「はい」


「それから訂正だ。SNSで投稿内容とあゆみは全く無関係なことと、自分の軽はずみな投稿でファンの皆さんやグループの皆に迷惑をかけたことを謝れ」


「はい」


「話は以上だ」


 マネージャーが席を立とうとした。


「あのう」


「何だ」


「あゆみちゃんの処分はどうなるのでしょうか」


「何のことだ?」


「あゆみちゃんも私のプライベートの写真を加工して拡散させました。その処分はどうなるんですか」


「その必要はない」


「どういうことですか」


「いいか。あゆみはSNSに投稿してはいない。ここが大事だ。特定の少数に対して写真を送っただけだ」


「でも私の変顔の写真を加工して送りました」


「関係ない」


「でも……」


「いいか、あゆみが写真を送った相手は、テレビ局のプロデユーサーや広告代理店や制作会社の担当者宛だ。『仮面舞踏会』を売り出すためだ。俺があゆみにプロデユーサーにDMして、飲み会をセッティングしろと指示したんだ」


「それでも……」


「いいか、お前らのようなアイドルは掃いて捨てるほどいる。しかもお前らは20歳を越えている。アイドルとしては旬を過ぎて下り坂だ。使ってもらうには、待っているだけじゃ永遠にチャンスはこない。あゆみがしたことは会社のためだ」


「でも、勝手に私の写真を使っていいんですか」


「運営に対して名誉毀損とか肖像権とかを主張するつもりか。そっちがその気なら、弁護士でも何でも立てればいい。しかし、名誉毀損というためには不特定または多数に公表したことが要件だ。だがあゆみがしたのは特定の少数の者に写真を送ったことだ。裁判になってもお前の負けだ。それを承知でやるのなら俺は止めない」


「そんなことするつもりはありません」


「そうだろう。そんなことをしても何のメリットもない」


 視線に気がついて横を見ると、隣に座っていたあゆみが勝ち誇った様子で私のことを見ていた。


 その晩、部屋に帰ると私は布団を頭からかぶり一人で泣いた。


 スマホが反応をしていた。


 見るとメッセージが来ていた。人気アイドルならSNSでのメッセージを受信しないように設定しているが、地下アイドルの私は、そもそもメッセージ自体がそんなに来ないし、応援のメッセージを読むことは頑張るための糧になったので少ないファンを大事にするためメッセージは受け付けていた。


 メッセージを見た。


「秋奈ちゃん。大丈夫? 投稿が削除されて、訂正と謝罪があったけど。あれは本当に秋奈ちゃんの意志なの」


 私はメッセージを読んでいるうちにまた涙が出てきた。


誰かにこの気持ちを受け止めてもらいたかった。


「ありがとう。大丈夫よ」

 

 さすがに見知らぬ相手に本当のことは言えないが、自分のことを気遣ってくれる相手に好感を覚えていた。


 すぐに返事が来た。


「秋奈ちゃんの意志じゃないんだね」


 どうして、あの返事で私の気持ちが分かったのか不思議だったがもうこれ以上は揉め事を起こしたくなかったのでまた返事をした。


「もうこの件については触れないで欲しいの。明日からまた頑張るから応援してね」


 またすぐに返事が来た。


「僕はいつだって君のことを応援しているよ。推しは君だけだ。だから君を悲しませる奴は僕が許さない。僕はいつでも君のそばにいて守るから」


 なんだか文面がストーカーのような雰囲気になってきたので怖くなり、私はスマホの電源を切った。


(また、余計なことをしちゃったかしら。でもただのDMよ。私は何も語っていないし)


 そんなことを考えているうちに眠りに落ちた。





 若宮検事は被告人の身上経歴を語り始めた。


 モニターの画面に「本件犯行に至るまで(被告人の経歴等)」と映し出された。


「被告人は、東京都港区で生まれ、都内の小中高を卒業し、明慶大学経済学部を卒業して大手建設会社に就職しました。そんな一見犯罪とは無縁に見える経歴を有する被告人が被害者を殺害するに至った動機は被害者に対する偏愛でした」


 若宮検事が被告人をにらみつけるように見た。


 裁判員の視線が被告人に集まった。


 被告人はうなだれた。


「被告人は、アイドルグループの追っかけをしていました。休みになるとアイドルグループのライブに足

を運んでいました。ただ、被告人はそれだけにとどまりませんでした。被告人はアイドルであった被害者に思いを寄せ、自分のものだと思うようになり、被害者も自分のことを好きになってくれているという妄想にとらわれるようになります。ところが被害者のSNSにコメントしても、被害者からのイイネがなされなかったり、被害者に直接メッセージを送ってもブロックされたりすることに、被告人は被害者が自分を裏切ったと感じるようになり、自分のもとから去ってゆこうとする被害者を恨むようになります。そして本件犯行の前日に被告人は江東区内のホームセンターで包丁を購入します。そして本件事件当日、コンサート後に帰る観客の見送りをしていた被害者に近づき、腹部を三回、包丁で刺して逃走しました。なお、被告人の責任能力の有無については精神鑑定が行われており、十分に弁識能力があり責任能力は認められるという結果が出ています。かかる被告人が有する社会に対する危険性の高さは言うまでもありません。被害者はまだ二一歳の若さでした。被害者の家族は悲嘆にくれております。このような被告人は、厳罰に処す必要があります」


 続いては弁護側の冒頭陳述だった。


 私は弁護人を見た。


 弁護人は年配の男性で白髪は薄くなっていた。弁護人は立ち上がると眼鏡を右手で少し直すと語り始めた。


「本件において被告人が被害者を包丁で刺して死に至らしめたことは事実であります。被告人はアイドルであった被害者に憧れるだけでなく本気で恋愛感情を抱くようになり、その思いを募らせるあまり、正常な判断を失い本件犯行に至ってしまいました」


 弁護人はパワーポイントを用いずにただ文章を読み上げるだけだった。要は、被告人は反省して自首しており、寛大な処分を求めるということだった。


 弁護人の冒頭陳述が終わった。


(このあとは、どうなるのかしら)


「検察と弁護人の冒頭陳述は十分に公判前整理手続の結果を反映したものであったので、公判前整理手続の結果の陳述については、証拠調べの予定を告げるにとどまり、この後証拠調べの手続きに入ります」


 岡田裁判長が言った。


 私は岡田裁判長の言っていることの意味がよく分からなかったがこれから証拠を調べるのだということは理解した。


 法廷に目を向けると被告人とまた目が合ってしまった。


 私はすぐに目をそらした。


 若宮検事が立ち上がった。


「甲号証と乙号証の取り調べを請求します。証拠等関係カードを提出します」


「弁護人、検察官の証拠申請に対するご意見はいかがですか」


 岡田裁判長が訊ねた。


「すべて同意します」


 弁護人が答えた。


 若宮検事は席を離れると、甲号証を提出した。


 モニターに本件犯行現場の見取り図、現場写真が映し出された。


「これが犯行に使われた凶器の包丁です」


 ビニールの袋に入れられて札がつけられている包丁が提示された。


 刃の部分にサビのような赤黒いものがついていた。


(あゆみちゃんの血痕? この包丁であの被告人があゆみちゃんを殺したの?)


 さらに胸や腹を刺されて血まみれのあゆみちゃんのイメージ画像が映し出された。実際の現場の生の写真を加工したようだった。


 私は胸のあたりが苦しくなってきた。


 それを散らそうと咳を何回かした。


 その時、急に胃がひっくり返るような感じがした。


 私は突然、嘔吐した。


 吐瀉物は、昼食に食べた幕の内弁当の中身がまだ分かるような未消化なものだった。


 隣の裁判員が悲鳴を上げた。


 岡田裁判長が私を見た。


「一時、公判を休廷します」


 そう宣言した。




【作者からのお願い】


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