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6 あゆみちゃんを殺した犯人を私が裁くって本当?

 


 裁判員候補者待合室に戻ると選考手続きが終わるまで、そのまま待機させられた。


 面接は私が最後だったので候補者全員が部屋にいた。


 中年男性が手を挙げた。


「なんでしょう」


 部屋にいた職員がその人の方を向いた。


「クジはいつ引くんですか」


「クジは皆さんに引いてもらうものではありません。パソコンでランダムに選ぶ仕組みです。もうすぐ結果が出ますから、今しばらくお待ちください」


 質問した男性は「なんだ、そういうことか」と言った。


 それから10分ほどして、裁判所職員が紙を手にして戻ってきた。


「皆さんから、お話をお伺いした事情を考慮した上で、最終的にくじで六名の裁判員と二名の補欠裁判員を選びましたので結果を発表します」


 そう言うと数字を印刷した紙をホワイトボードに貼った。


「この番号に該当する方はそのまま残ってください。それ以外の方は裁判員に選任されませんでしたので、お帰りになってくださって結構です」


 その紙には57番が印刷されていた。


 私は裁判員に選ばれてしまった。


(嘘でしょ。あゆみちゃんを殺した犯人を私が裁くの?)


 裁判員と補欠裁判員に選ばれた8名が部屋に残った。


 ちょうど女性4人と男性4人だった。


「これから皆さんには別室で裁判長より刑事裁判の説明を受けた上で宣誓をしてもらいます」


 私たちは上の階の部屋に連れて行かれた。


 案内されたのは明るい部屋だった。


 窓の外には日比谷公園の緑が広がっていて、その向こうに高層ビルが並んでいた。


 部屋の真ん中には大きな楕円形のテーブルがあった。


「どこに座ったらいい?」


 中年の男性が訊いた。


「ご自分の番号札のある席におかけになってください」


 私は57番の席に座った。


 ドアが開き、面接で会った3人の裁判官が部屋に入ってきた。


 裁判官は着席すると「皆さん、本日はご苦労さまです」と言って礼をした。


「裁判長の岡田といいます。皆さんは、裁判員に選ばれました。裁判員は、私たち裁判官と一緒に刑事裁

判を審理し、どのような判決を下すかを決めます。有罪無罪の判断は無論のこと、被告人にどのような刑罰を科すべきかという量刑についても皆さんが私たちと一緒に判断するのです。そこで、まず、私から刑事裁判についての原則をご説明します」


 裁判長は白髪が目立つが肌や声には色艶があり50代半ばといったところだった。


「まず被告人には無罪の推定が働きます。皆さんも『疑わしきは被告人の利益に』という言葉を聞いたことがあると思います」


 その後、裁判長は5分くらい刑事裁判の原則について説明した。


 私には難しくてよく分からなかったが、要は一般市民としての常識と良識に基づいて判断すればよいということだった。


「何かご質問はありますか」


 裁判長は裁判員の顔を見回した。


「特に無いようでしたら、宣誓の手続きをしていただきます」


 裁判所の事務官が宣誓書を配った。


「では宣誓書に署名押印してください」


 宣誓書に署名するなんて初めての経験だった。自分の名前の後ろに印鑑を押印する時に緊張のあまり手

が震えた。


「印鑑は実印でなくても大丈夫でしょうか」


 中年の女性が心配そうな顔をして訊いた。


「大丈夫ですよ」


 全員が署名押印したのを見届けると裁判長が言った。


「皆さん、起立してください」


 私は立ち上がった。


「では宣誓文を朗読してください」


「宣誓、法令に従い公平誠実に職務を行うこと誓います」


 私はセリフだと思って朗読した。


 他の裁判員は、朗読と言われたのに声をほとんど出さず、また声はそろわずにばらばらだった。


 私の声だけが部屋に響く結果となった。


(やだ。目立っちゃったじゃない)


 脇汗が出るのを感じた。


「では着席して、宣誓文を書記官に渡してください。公判は午後1時30分から始まります。それまでに

お昼をすませてこの部屋に戻ってきていただくことになります。ただ、あいにく裁判所の近くには昼食を取れるお店がありません。しかし、お店のある日比谷の方まで行かれると裁判に間に合わなくなるおそれもあります。そこで提案ですが地下の食堂からお弁当を取り寄せて皆さんと一緒にこの部屋でお食事するというのはいかがでしょうか。差し支えなければ、初日ですので、私たちもお食事をご一緒したいと思います」


「それでいいよ」


 中年の男性が答えた。


「私もそれでお願いします」


「皆さんご一緒でよろしいですか。反対の方はいらっしゃいませんか」


 誰も反対を唱えなかった。


「では、そのようにいたしましょう」


 その後、職員が弁当のメニューをもってきて、注文を取りまとめ、代金も預かった。


 弁当が来るのを待つ間に裁判官が自己紹介をした。


「裁判長の岡田昭です。本件を担当している刑事部の部長をしていいます。よろしくお願いします」


「右陪席の井上豊です。出身はさいたま市です。昨年までは高松高等裁判所にいました。よろしくお願いいたします」


 井上豊はやり手の課長という感じの風貌だった。


「左陪席の瀬戸晴美です。よろしくお願いいたします」


 瀬戸晴美は綺麗な若い女性だった。


「ところで私たちの間では裁判員の皆さんをお名前で呼んでもよろしいでしょうか」


「そんなことは当たり前だろう」


 老人の男性裁判員が言った。


「実は裁判員裁判では当たり前のことではありません。まず、法廷では皆さんのお名前をお呼びすること

はありません。裁判員の保護という観点から皆さんの個人情報を伏せるためです。そこで、こうした場でもお名前ではなくお互いを番号で呼ぶケースもあります。ただ、私は裁判員と裁判官だけでの席では番号でなく、お名前で呼んだ方がよろしいのではないかと思うのですがいかがでしょう」


 裁判長の岡田が言った。


「最近はどこも、そうだ」


 さっきの老人がため息まじりに言った。


「病院でも、役所でも、どこでも、個人情報だかなんだか知らないが番号で呼ばれる。だが、ワシは物で

も囚人でもない。高垣源太という親からもらった名前で呼んでほしいな」


「他の皆さんはどうですか」


 誰も発言しなかった。


「では皆さんからご了解をいただいたということで、私達の間ではお名前で呼び合うということで構わないですね」


 裁判員は皆頷いた。


 会議室のドアがノックされ、職員がワゴンに載せた弁当を運んできた。


「ちょうど、お弁当が届きましたから、食事にしましょうか」


 弁当が配られた。私が注文したのは幕の内弁当だった。


「いただきます」


 食べ始めると、裁判員たちは隣の席の人と雑談を始めた。


 私の隣は裁判官の瀬戸晴美だった。


「初めまして、小坂です」


 さっきの面接で会っているので、初めましてではないし、向こうは名前を知っているはずだがそう挨拶

してしまった。


「瀬戸です。よろしくお願いします」


「いえ、こちらこそ」


「小坂さんって、よく通る綺麗な声をしているのね」


「ありがとうございます」


「声のお仕事をしている方なの」


 私はどきりとした。調査票にはVチューバーであることや、地下アイドルであったことは書いていな

い。単に運営会社に勤務していることにしている。これはもちろん嘘ではない。


「声優みたいなことをしていました」


 これも嘘ではない。地下アイドルを辞めた後は、声優になろうとしていた。


「声優さん?」


 瀬戸が目を輝かせた。


「アニメとかに出たの? 私、小学生の時はプリキュアが大好きだったの」


 裁判官がアニメ好きで、しかもプリキュアとは意外だった。


「いえ、一応、事務所には属していたんですけど仕事がもらえなくて辞めました」


「どうして? そんなに綺麗な声なのに」


「私って、何をやらせても小坂節になるんです」


 私の頭に監督の声が蘇ってきた。




「何度言えば分かる。役になりきるんだ」


「やっています」


 監督はため息をついた。


「この子はだめだ」


「どうしてですか」


 事務所のマネージャーが訊いた。


「何をやらせても、この子はこの子だ。役の声が聞こえない。しかも、なまじ特徴的でよい声をしているから、声だけでこの子だと分かる。これじゃあ最初の役のイメージが次の役にも引き継がれ、どの役をやっても、そのキャラクターではなくてこの子が喋っていると認知される。確かに声はいいが、アニメの声優に向いていない」


 ヒット作を連発しているアニメ監督にオーディションを兼ねてみてもらった時にそう言われた。

 



「声優の世界は分からないけど、あなたの声にはファンがつきそうだと思うのだけど」


 瀬戸晴美が私をのぞきこむようにして言った。

 

 このままこの話題を続けているとVチューバーのことがバレないかと思い、話題を変えた。


「それよりも若い女性が裁判官や検事をしているのにびっくりしました。裁判官や検事って、メガネをかけた中年男性というイメージでしたから」


「今は、女性も多いのよ」

 

「でも、瀬戸さんもあの検事さんも美人なのでびっくりしました」


 瀬戸晴美が笑った。


「お世辞はやめてよ」


 お世辞ではなかった。二人共美人な上にキャラが立っていた。瀬戸晴美は可愛い優等生タイプのキャラで、イメージカラーはピンクだ。


 これに対して、若宮検事は女子から人気になるような凛々しいショートカットヘアーの男装の麗人タイプだ。それにどことなく陰があり、声はハスキーボイスで、強さの裏に垣間見せる弱さが男の心を虜にしそうだった。イメージカラーは紫や青だ。


 二人共芸能界で十分売り出せる素材だと思った。


 瀬戸晴美は、岡田裁判長が裁判員の男性の質問に熱心に答えている様子を横目で見た。

 

 そして、私の方に顔を近づけて小声で言った。


「実は、若宮検事とは仲がいいの。ロースクールも同じだったし、司法修習も同期で、実務修習も東京第一班で一緒だったの」


 そう言われても言葉の意味がよくわからなかったが、要は同級生みたいなものだと理解した。


「彼女ね、帰国子女でドイツ語が得意なのよ。それで、日本の裁判員制度に近い参審制をとっているドイツに留学して、最近日本に帰ってきたところなの。ドイツを中心にヨーロッパの司法への市民参加の実務を研究してきたの」


「若宮検事のことに詳しいですね」


「彼女とはいつもLINEをしているの」


 そう言ってから瀬戸晴美はしまったという顔をした。そして私に顔を近づけてささやくよう言った


「でも、若宮検事とLINEをしていることは他の人には内緒にしてね。裁判官と検事が癒着していると誤解されると困るから」


 そう言って裁判長をちらりと見た。


「分かりました。でも若宮検事って、すごいんですね」


「ええ、彼女は東京地検の裁判員裁判担当部のエースよ」


(要はグループのセンターってことね)


 その後は特に会話もなく食事は済んだ。


「では開廷までまだ時間がありますのでお休みください。この部屋は控え室としてお使いくださって結構です。お茶の用意もありますのでご自由にお飲みになってください。ただし、一時二五分にはこの部屋を出て、全員で法廷に向かいますので、その時間には必ずこの部屋にいて下さい」


 岡田裁判長はそう言うと部屋を出た。


 部屋を出るときも、岡田裁判長、井上裁判官、そして最後に瀬戸晴美という順番で整然と退出して行った。


 裁判官が部屋を出ると、評議室は裁判員だけとなった。


 私は電気ポットが置いてあるテーブルに行きお茶を飲もうとした。


「お茶入れましょうか?」


 先にポットの前にいた中年の女性が人の良さそうな笑顔で言った。


「えっ、あ、いいです」


「ついでだから遠慮しないで、何にする? コービー、それとも紅茶?」


「緑茶で」


 その女性は緑茶のティーバックを袋から出すと二人分のお茶を入れた。


「ありがとうございます」


 私は席に戻ると、スマホを取り出しSNSやメッセージをチェックした。特に急ぎの連絡などは無いようだった。


 今この場で起きていることは、もちろんアップすることはできなかった。


 壁の時計を見た。


 10分後に、あゆみちゃんを殺した犯人を裁く裁判員裁判が始まろうとしていた。





【作者からのお願い】


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