幕間 : 楽園への階段にうつろわない
『人は空を飛べると言って、飛び降りた発明家が居た。だから私は、海に沈んだのです』
そう宣い本当に海底で学園を創ったその行動力を異形と採るか、偉業と採るか。
僕は大切な家族を助けて貰った身なので素晴らしい技術だと拍手喝采するつもりだけれど、ニュースを観る限り、世間一般の人々は眉唾な妄言だと嘲笑っていた。
校長が説いた地球温暖化だとか、環境汚染についてだとかも我関せずを貫いて、ポイ捨てされたゴミを見ない振り。
まあ当然だ。放置されたゴミを片付けたとて、それが仕事でもない限りなんら得する事はない。寧ろ捨てる奴等が減らない限りゴミは増える一方で、きりのない作業に馬鹿らしくなってしまうだろう。
誰だって損をしたくないし、楽をしたい。誰かがサボれば真似しだし、注意されれば自分だけがやっている訳ではないと逃げる。赤信号を渡るのが何人であろうと、実行した事に変わりはないのに。
「シファクティヌス。おかしいよな。僕は人間で、人間は陸に住むのが一番な筈なのに、苦しいんだ。真面目に生きてるのが馬鹿らしくなるくらい、ズルした奴だけが得しているようで。陸に居るのに、溺れているように息が出来なくなる」
「そうか」
「陸にはさ、家族が居るのに、僕は帰れない。帰りたくない。まるでノアの方舟に一人で乗ってるみたいで歯痒くなるのに」
「そうか」
「僕はどうしたら良いんだろう。家族を呼ぶにしろ、適性がなければあの子達には辛いだろうし」
「月の姫君でもあるまいし、俺に無いであろう問いの答えを求めるな」
まったくその通り。淡白な反応に苦くはあれど笑ってしまう。分厚いガラス越しに魚と会話している今の絵面を愛する家族に見られたらどう思われるだろう。
相手が絶滅種であるシファクティヌスな事に驚かれるか、つれない態度をとられている事を笑われるだろうか。まだ幼いから素直に受け入れて、僕なんかよりも仲良くなるかもしれない。
「選ぶのはお前で、人間は何処にでも行けるだろう」
「────うん。そうだ、そうだったね」
額をガラスにくっ付ける。
水面のコースティクスが揺らいで、眼下の輪郭もあやふやだ。
近くを泳ぎながら一言も聞き逃すまいとしてくれたのか彼の旋回がいつもより遅い。穏やかな優しさに感謝しながら、いつだったか学園長が語った言葉が脳内を過り、目を閉じた。
『人間は他の生物を脅かす。だから空からも、海からも拒絶された。陸だけが受け入れてくれたというのに』
(でも、貴方も人間だ。)
『一人一人の意識が変わらねば不可能、ならどうしようもない。あんな世界滅べば良い』
(だけど海だって世界の一部でしょう。)
『呼吸が苦しいのなら、どちらでも構いやしないだろう!』
(ごもっとも。)
悲痛な叫びと主張に否定する気力も失せたあの瞬間。僕の天秤は家族の住む地獄より、深海にある学校に残る選択に傾いた。確かに此処は息がしやすい。ズルをしたがるような輩はいないし、皆がルールを守り、助け合える。
笑う家族の写真を眺めて考え続けた、これから。
「決めたよ、シファクティヌス」
目を開け見上げた天井で光を浴びながら泳ぐ影へ投げた答えの後には、相変わらず静かな声色で「そうか」と響いた。