70.巡りゆきて、これからも
「王サマなら畑の相談して行ったぞ」
もはや畑と呼ぶには広すぎやしないかと思うくらいに拡張されているが。中庭だけでは足りなくなったので魔法陣を繋げて、城から少し離れた場所でも作物を育てているのだから。おかげで、城の食堂ではいつでも新鮮な野菜や果物を手に入れることが出来るようになったし、毎日の食事が目当てで働くことを希望する者が出るくらいになった。
「魔王様? さっきまでそこの資料見てましたけど」
そこ、と文官に示されたのは天井近く。見上げるほどの高さまである棚には、隙間なく資料が収納されている。文官が増えるのに比例して埋まっていく棚に、少し前に拡張したばかりなのにという思いもよぎるけれど。
それでもこの部屋の管理をしている文官たちは誰も不満を漏らしたりしないし、むしろ生き生きと動き回っている。行動ひとつでこの国の生活が向上していくのを感じれるのがなにより楽しい、と語っていたのは誰だったか。
「執務室に戻るなら、あとで資料を抜粋したものを届けるとお伝えいただけますか?」
これだけあると、探すのも一苦労でしょうとこちらを労わる言葉を土産のように、資料室を出る。自分だけでは探せなくなった資料も、彼らならあっという間に見つけ出してくれる上に必要な部分をまとめてくれるのだから、頭が上がらない。
仕事に必要なところに声をかけつつ、当初の目的である魔王様を探して城の中を歩き回る。思い当たるところは探したつもりだが、すれ違いになっている様子もない。魔王様の行かれたあとを、自分が追いかけているようにはなっているけれど。
ここにもいなかったら、おとなしく魔力の探知をするか。そう考えてやってきたのは、城の最上階。
「魔王様!」
見つけた。少し伸びた紫色の髪を風に遊ばせながら、何も視界を遮る物のない空を、そして眼下に広がる街を見ている魔王様。
そういえば、最近の魔王様はよくここに避難しているな。主に、世継ぎを望む声から逃げる時に。
自分の声で振り向いた魔王様は、いつもと変わらない笑顔を見せる。
「魔王様、誰にも言わずに城の中を動き回るのはやめてもらえ……ないですよね」
もはや言い過ぎてただの確認のようになっているし、魔王様がその通りにしてくれたことなどここまで数えられるほどしかないけれど。
今では誰もが苦笑いと共にスルーするだけの言葉になってしまっているが、一応、自分にも立場というものがあるのだから言わなくてはならない。
「さすが、分かってるじゃないか」
「どれだけあなたの傍にいると思っているのですか。魔王様」
今回もその言葉を受けて行動を見直すつもりは全くなさそうな魔王様の隣に立って、同じ景色を見ようと視線を下げる。
下働きの時には広いと思っていた荷物の出し入れをするあの部屋も、ここから見ればたったこれほどかと思うほどの大きさでしかない。けれどそこには、あの頃よりも多くの人が出入りしているし、聞こえる声にも時々笑い声が混じる。
それは、あの部屋だけではない。街では常に人の動きがあるし、生活をしている音が響く。執務室からでは聞くことのできないその音を楽しむために、魔王様はここに来ているのかもしれないと思ったのはいつだったか。
「走り回らなくても、魔力探知すれば良かったんじゃないか?」
聞こえてくる音に浸ってしばらく、からかうような魔王様の声が自分の耳に届いた。魔力がたくさん動いているから城の中ではなかなか捉えることが出来なかった魔王様の動き。それを習得できたのだと魔王様に告げたことはなかったはずだが、この方はいつの間にか自分がそれを出来ているのだと把握していたのだ。
むしろそれを把握したからこそ、どこに行くとも言わずに城の中の散歩を始めたのかもしれないけれど。
「それはそうですが、自分の目でも見たかったのですよ」
「城の中も、だいぶ様変わりしたからなあ」
「ええ。あの頃とは比べ物にならないほどに人も増えましたし」
下働きの時とも、魔王様が即位してすぐの時とも違う。あちこちにあった空き部屋は埋まり、今では増設したところが何か所かある。この城から外に作った畑もそうだ。魔法陣を繋げた先には広大な畑が広がり、中庭の責任者だったクリフォードは作物部門の統括者にまで出世した。口では文句を言っていたけれど、あれでも責任感は強いし面倒見だっていい。
たくさんの部下たちを持った今でも、土にまみれて自分で緑を育てることをとても楽しんでいる。
ラドガルだって同じように地位を得た。ゆっくりとした性格が人を育てることには向いていたようで、文官たちの教育係をやっている。ラドが教えた文官たちはどの部署に配属されても即戦力なのだと評判がいい。
「おかげで俺はかなり楽が出来るようになったよ。こうやってふらっと執務室を出ても、困ることも減ったからな」
「減った、だけですよ。まだまだ魔王様に署名を頂かなければならない書類は控えていますから」
立場が変わっていないのは、自分だけ。けれど、そんな自分でもこの期間で変わったことがある。
「相変わらず手厳しいな、バル」
「誰がそうさせていると思っているんだ。ルディウス」
「ははっ! 俺だな!」
「そう思っているなら執務室に戻れ。ライディが帰りを待っている」
魔王様――ルディウスと、名前を呼ぶようになったのは一番の変化だろう。きっかけは、本当に些細なものだったけれど。
下働きから側近となったあの時には描くことすらなかった未来。それが、今こうしてあるのだから何とも不思議な気持ちだ。
「ああ、そっか。あいつが側近見習いになるほどになったのかあ……」
穏やかに笑っている顔は、魔王ではなくただのルディウスとしてのものだ。そういう違いを分かるようになったのも、変化だ。けれど、これは悪いものではない。むしろ、年数を経たからこそ、受け入れられるだけの余裕が自分に出来た。
魔王をやっつけるのだと意気込んで城に飛び込んできた子供。それが、青年となって自分の道を定めるだけの時間を、この方と共にしたからこそ。
「自分の事を追い越すのだと意気込んでいますよ。まだまだ、この場所を譲るつもりはありませんけれどね」
「やれやれ、これじゃまだ隠居は出来そうにないなあ」
「そんなつもりもないのですから、冗談は言わないでください」
ルディウスが魔王様である限り、この場所は誰にも譲るつもりなどない。それを当然だと思っている魔王様も、自分の顔を見てにやりと笑う。
その顔を見て、不安と緊張だらけだったあの日を思い出した。下働きから魔王様の傍付きになるように命じられたあの日。
「そんじゃ、行きますか。ついてきてくれるんだろ?」
「ええ、もちろんです。魔王様の側近ですからね」
あの日の自分の選択は間違っていなかったのだと、生涯誇りに思うだろう。
これにて完結です。
お付き合いいただきましたあなたに、感謝を込めて。




