64.過ぎ来りて繋がる
「舞台、だって?」
「ええ。興行させて欲しいと申請が来ています」
街の住人にも歌や踊りを楽しむ余裕が出てきたのだ、と感じられるようになったからだろう。祭りの時にはそこらで魔法を使ったパフォーマンスがあったけれど、興行としてではなかった。
その手の芸事を生業としている者たちにとっては、ひとつの土地に定住するということはあまりないらしく、今回の申請も期間を定めてのものだった。
まあ、定住したとしても常に舞台での芸を披露できるような建物がない、というのも理由にあるだろうけれど。
何代か前の魔王様は芸術に明るかったようだが、戦を好む魔王様の代でその辺りの仕事はかなり窮屈な思いをしたからだろうか、今では表舞台に上がることはほとんどない。
「ほう。申請出してくるなんて、ずいぶんと律儀じゃないか」
「歌や踊りを生業としている魔族でも、届け出が必要な事を知らぬ者もいますからね」
「先代の頃に途絶えてしまった部分もあるからなあ。こうして、声が上がるようになったのはいい傾向だろう」
少しずつ、小さな一歩だろうともこのように楽しめるような事を増やしたいと思っている魔王様だから、申請の書類を見て笑みをこぼした。
各地を巡りながら芸をして生活している一座があることは知っているけれど、きちんと見たことはないかもしれない。自分が下働きとして城に来た時には、芸術関係の仕事はかなり肩身の狭い思いをしていたはずだし、城には誰もいなかった。
魔王様が代替わりしてから、街にやってきた団のパフォーマンスを見て、魔法はこのようにも使えるのか、と思ったくらいなのだから。
「ヴェルメリオはなんでそんな渋い顔をしているんだ」
「……遠征先で少しトラブルになりかけたことを思い出しまして」
護衛らしくドアの前に立っていたヴェルメリオの表情の変化を見て、魔王様が手招きをしている。
魔法の実力をしっかりつけた魔王様だから、護衛はいらないのかもしれないが形式上というか万が一という事もある。
けれど、そのような事情を抜きにしてもヴェルメリオは、そのドアの前から動くことをあまりよく思っていないようだ。いつもよりも動きが鈍い。
「そんな報告、聞いていたか?」
「申し訳ありません、自分は覚えがなく……」
魔王様が戴冠してすぐの時から、軍にはたくさん遠征を頼んでいる。それは土砂崩れの起きやすい土地の補強だったり、測量のためだったりと理由は様々だが。
その分、遠征での報告はたくさん聞いているけれど、トラブルがあったという覚えはない。それは魔王様も同じだったようで、緩く首を振っている。
「魔王様とグランバルドが知らないのも当たり前ですよ。先代の頃の話ですから」
「むしろ、それは」
「届け出たほうが面倒だったんじゃないか?」
自分の記憶違いではなかったことに安心したが、ヴェルメリオの言葉の続きは全く安心できないものだった。
先代魔王様は人族の国を手当たり次第に襲っては、魔族の領地を拡大していたようなお方だ。遠征だって、おそらくは人族の国の視察や奇襲のためのものだろう。そんな先で、言ってしまえば戦いの役には立たない歌や踊りをして生計を立てている一座と鉢合わせたのだとしたら、運がなかったとしか言える言葉がない。
届け出なかったのは、彼らなりの生き延びるための知恵だったのだろう。
「ええ。おそらくは。ですが、軍としては黙認している部隊とそうでない部隊で意見が割れておりました。出会ったのは、歌や踊りは役に立たないと思っている隊長が率いる部隊だったんですよ」
「騒ぎになるのが目に見えてるな。それで、どうやって切り抜けたんだ?」
「その一団が機転を利かせてくれたのですよ。魔王様の素晴らしさを後世に残すために、話を聞かせて欲しいとね」
当時の事を思い出したのか、ヴェルメリオの口は少しだけ弧を描いている。その時のヴェルメリオでは思いつかないような一案だったのだろう。自分がその場にいたとしても、そのような機転の利いた言葉が出てくるかどうか。
「なるほど。歌や演劇は民間にも伝わりやすい。それなら部隊長も無下に出来ないでしょうね」
「それでしばらくの間、行動を共にしたのですよ。魔王様の話を聞きたいと言った以上、その申し出は断れないでしょうし」
町から町へと旅をしている一座が、軍の遠征についていけたという事実に驚いたけれど、考えたら彼らも衣装や道具などの荷物を持っての移動になる。体力勝負の仕事なのだから、そこでついていけなくては魔王様の話を聞くなんて大口を叩けなかったのだろう。
道中は部隊長が魔王様の素晴らしさをこれでもかと語りまくり、一座の顔は少しどころでなくかなり強張っていたようだけれど。部隊長はその顔に一度も気が付かないまま別れたそうだ。
「そういう事なら、ヴェルメリオが書類渡しに行くか?」
当時の一座ではない可能性のほうが高いだろう。それでも、魔王様はヴェルメリオの顔を見てそう告げた。昔の話に花を咲かせるつもりではないだろうが、その後を多少は気にしているはずだ。そうでなければ、ヴェルメリオがこのような話をするはずがない。
「興行の許可は出すのですか?」
「まあ、断る理由もないからなあ。そういう話が出るっているのは、いいことだと思うし」
「いえ、ですが……」
珍しい。素直にそう思った。興味のないことはバッサリと切り捨てるのがいつものヴェルメリオだ。やはり、気にしていたのだと確信を持つには充分すぎる言動。
にやり、と魔王様が笑う。こうなったら是が非でもヴェルメリオを引っ張り出したいのだろう。おせっかいだと分かっているけれど、外堀を埋めさせてもらおうか。
「その時とは違う人たちかもしれませんし。そのような申請の書類を渡すのは文官です。文官には昔の知り合いだと言っておけばいいでしょう」
「なんなら、着替えるか? 文官たちの制服、まだ予備あったよな?」
「ええ。志願者も順調に増えているので、サイズもございますよ」
ちなみに、これは本当。志願者が増えているけれど、全員を採用するわけにもいかないから文官の数自体はあまり増やしていないけれど。だけど、いろんな体格の人が来るので、それに合わせるようにして服のサイズは増えていっている。
余談だが、一番大きなサイズの服は、ラドがすっぽりと隠れてしまうほどだ。それを見たクリフォードが腹を抱えて笑い、ラドの機嫌を損ねたのは少し前の話。
「分かりました。行きますよ。ですが、あの時と今回の申請を出してきた団が同じとは決まっていませんからね?」
「もちろんだ。魔族は長寿とはいえ、体力的な衰えがないわけではないからな。体が資本の仕事なんだから、入れ替わってることだって当然あるだろうさ」
「それでは、書類の不備がないかを確認しましょう。なるべく早く、渡してあげたいですね」
「そうだな。それじゃ、しっかり確認しないとな」
諦めたヴェルメリオは、わざとらしく大きなため息を吐いているがその表情はとても優しいものだった。
魔王様の手に書類を渡し、自分も記入漏れがないことを確認する。せっかくヴェルメリオが出るのだ、二度手間になどさせるつもりはないからな。
旅から旅へと各地を巡っていた一座が、この街を拠点とするのはしばらく先。
魔王の物語を知りたければこの一座の舞台を見ればいいと言われるようになるのは、さらに先の話。




