63.祝いの夜に
「しかし、豊穣の祝いはすごかったなあ」
「街の賑わいもすごかったですね」
城にこれだけの感謝の印が届くのだから、と街の様子を窺おうという話が出るのは自然な流れだっただろう。けれど、魔王様が嬉しそうに言いだしたそれを、叶えることは出来なかった。
「さすがに降りれなかったけどな」
「あのなかに魔王様がいらっしゃったら今頃、ここでお茶は飲めていませんよ。護衛達もおそらく戻って来れないでしょうね」
城の下町から通ってきている文官のひとりに、それとなく話を聞いたのだ。今日、豊穣の日で街中がお祝いムードになっているなかに魔王様が紛れても大丈夫なものか、と。
そうしたら、顔を引きつらせながらも答えてくれた。たった一言、“冗談でしょう?”と。
短い一言だったけれど、それで状況を察せないはずがない。事前に話を聞いていて各所に警備のように護衛を配置できるならともかく、今すぐに少数だけで街に出るなどただいたずらに魔王様の身を危険に晒すだけだと。
攻撃の類だったら、魔王様が自身の身を守れるけれど、今日の街の賑わいはそうではない。酔った住人、豊かに実った作物を運んだ農夫たち、それらの人々が魔王様を取り囲んでしまえば、もう逃げ場はない。
そうなると理解しているのだろうヴェルメリオが、お茶を片手にふふと小さく笑みを漏らす。
「ヴェルメリオ、それは」
「ふふ。グランバルド。言わなくていいこともあるんですよ」
前半こそ魔王様を嗜めるような物言いだったけれど、後半。護衛達についてはヴェルメリオとヘンドリック様が中心で指導しているのではなかったのだろうか。その選抜された護衛達が戻って来れないというのは、魔王様の動きについていけずに撒かれることを指しているのか、それともそうなってしまった後を指しているのか。
先を聞こうと思った問いかけはヴェルメリオによって遮られてしまったので、答えを得る機会はなさそうだけれど。
「デメテル……だったか。これは、根付いているんだな」
「そうですよ。ほんの少し、しまい込んでいただけです。魔族だってそれなりに祝いの風習はあるんですから」
執務室の窓に頬杖をついて街を眺めている魔王様は、すっと目を細めた。それは、この祝いの空気を楽しんでいるようにも、そのような習慣を知らない自身に呆れているようにも、見えた。
だから、ついついと自分の口は余計な言葉を滑らせてしまったらしい。
「……人族では、どうなのでしょうね」
「おやおや、それを聞く相手は私ではないでしょう? ねえ魔王様」
「俺に聞いたって相手が違うぞ。そんな日付を正確に記憶するような生活、してないんだから」
本当になんでもないと思っているのは分かる。何も思っていないからこのように簡単に言葉に出来る、魔王様の過去。まずいと思ったのは自分だけで、その本人である魔王様は事実を口にしただけだからとけろりとしている。
ヴェルメリオがこちらに向けてくる碧眼に、咎めるような意味を感じるのは自分が魔王様の過去の話にある種の同情を抱いているからだろうか。あのような話を聞いていれば、お労しいと思う気持ちがあっても仕方ないと思うのだけれど。
「つまり、この場で人族の事を知れる術はないのです。ないものを考えてもしょうがないでしょう?」
「そうだな。これから、そんでもって今を見ていかないとな」
ヴェルメリオだけでなく、魔王様にまで慰めるような言葉をかけてもらうほど、自分は落ち込んで見えたのだろうか。確かに気持ちは落ち込んでいるが、それでも顔には出さないように気を配っていたはずだったのに。
そう思ったらなんだか気恥ずかしくなって、余計に二人の顔を見ることが出来ずに視線は自然と下を向く。
こんな子供みたいな行動をしたら、落ち込んでいるのだと認めるようなものだというのに。ところが、次にかけられたヴェルメリオの言葉で思わずふっと顔を上げた。
「つけてきた足跡を見るのも悪くはありませんが、下ばかり見ていたらこのような景色を見逃してしまいますからね。もったいないと思いませんか」
そこには、窓からはみ出るような大輪の花が咲いていた。
「おお~!」
感嘆の声を上げたのは魔王様。窓のすぐそばにいたのだから、視界いっぱいにこの花が咲き誇っただろう。
時間は夜。まだ盛り上がりを見せる街の空に咲いた、光の花はとても鮮やかにその存在を主張する。
音もなく前触れもなく、様々な形と色の花が咲いては消えていく。目の前の光景に、しばし目を奪われた。
「こんなの、準備してたのか?」
「いえ、これは本日の護衛のシフトを代わってほしいと願い出た兵から聞いた、街の住人たちによるパフォーマンスですよ」
「ヴェルメリオ、言葉に隠そうともしていない棘がありますが」
あまりのタイミングの良さに、魔王様はヴェルメリオに振り返った。すぐ後ろで窓からの景色を眺めていたヴェルメリオは、緩く首を振る。
魔王様も自分も知らない情報を、どうしてと思ったのには、それなりに鋭い棘つきの答えが返ってきたけれど。
「前々から決まっていたシフトを、前日の夜に調整して欲しいと願い出てこられたのです。少しばかり吐き出させてもらっても、今日の賑わいなら溶けてなくなるでしょう」
「ああ……それは……」
魔王様の護衛は、出来る人員が限られている。少しずつ増やしているし、休みがないわけではないが、カツカツの状況が続いている。そんな中で急な申し出があったのだったら、棘の一つや二つ、致し方ないだろう。
とはいえ、この賑わいだ。夜空に花が開くたびに上がる歓声に、その棘は埋もれて消えてゆくだろう。
報告としてではなく、こうして話したのはヴェルメリオなりの心遣いだ。公の記録として残すつもりはない、けれど責任者には話さなければならないことだから。
「わざわざシフト代わってもらってまで、見たかったんだろ? ちょっとだけ気持ちは分かるな」
「このパフォーマンス、どうやら意中の人と共に見るとこれからも深い絆で結ばれると言われているそうですよ」
「はははっ! なるほどそういうことか!」
早口で言い切ったその言葉には、どうやら急なシフトの変更にはその人物の将来がかかっているのだという意味が込められていて。
なるほど、おまじないといえども、魔法の使える魔族では、それが単なる言葉遊びで済まない場合がある。そのような話が流れているのであれば、久しぶりの豊穣の日である本日、あやかろうとする人は多いのだろう。
「……この場合、どうなるんですかね」
「グランバルドとヴェルメリオと俺、か。これからどうなるか、試してみるか?」
「自分は、魔王様のおそばを離れるつもりはございません!」
「私もですよ。こんなにも楽しい場所を手放したいとは思いませんから」
「じゃあ、そういうことだろ。これからもよろしくな、二人とも」
そのおまじないが現実になるかどうか、それを試されているような気がしたけれど。
本当に効くのだなと実感したのは、豊穣の日からしばらくして結婚届が山を作った日だった。




