62.実りを祝う
「え、これどうしたんですか……」
昨日まで、やけに忙しかったがおかげで今日は少し時間に余裕がある。魔王様も連日の忙しさで疲れが溜まっているのは明らかだったし、お互いに今朝はいつもよりも長く睡眠をとってから仕事を始めようと取り決めをしたのは、自然な流れだった。
それなのに、今朝の目覚めは自分が用意した目覚まし時計ではなく、自室のドアをノックする音。
いつもの自分だったら起きている時間だと分かっていて、この部屋のドアをノック出来る者など、数える程度しかいない。何も構えずにドアを開けば、そこにはやはり見知った顔があった。
「それが、俺にもなにがなんだか。グランバルドに報告は入っていないのか?」
「文官から急いで執務室に、と言われただけで、まだなにも」
自室のドアを叩いたのは、ラドだ。急いで準備しろと急かされるままに着替えたのを見届けたラドは、執務室に急いでというだけで政務室に戻っていった。強制的に起こされてから数分、どのような状況なのかを飲み込めるどころか説明もないまま、こうして執務室にやって来たというわけだ。
そこには困惑する魔王様と、その姿を隠してしまいそうなほどにたくさんの箱があった。
「失礼します、魔王様にお届け物が」
「ヴェルメリオ、その手にあるのは何ですか」
「ですから、お届け物ですよ。文官だけでは手が足りないと判断しましたので、軍部からも人を出していますから」
自分が開きっぱなしだったドアから、自然な動きで入ってきたのはヴェルメリオ。この部屋の通常を知っている男は、現状を見ても目の色一つ変えず、それどころかさらに何か箱をもってやって来た。
まだ低い位置にある箱に持ってきた箱を重ねて塔を一つ積み上げたヴェルメリオは、そのまま執務室を出ていこうとする。それを止めたのは、魔王様の一言だ。
「ってことは、まだあるのか?」
「城の入り口で検めていますし、軍部から出したのは魔法を使える者だけです。安全の確認は出来ていますよ」
目を丸くした魔王様を見てわずかに首を傾げたヴェルメリオだったが、おそらくその意図を違う意味で取ったのだろう。補足するように言葉を続けたけれど、自分たちが聞きたいのはそれよりもっと、根っこの方だ。
「そうではなくて、どうしてこのようにたくさんの荷物が魔王様のところに届くのかをお聞きしても?」
「魔王様が戴冠なされて初めての豊穣の日ですからね。今の安定した治世を感謝しているという事でしょう」
「豊穣の日?」
「……デメテル、とも呼ばれますが」
「なあ、グランバルド。聞いたことあるか?」
「聞いた事だけは、ございます。それがどのような意味を持つのかまでは不勉強ですが……」
怪訝な顔をしたヴェルメリオから視線を逸らした魔王様は、そっと自分にささやくような声で問いかけた。けれど、あいにくと自分にも明確に答えられるものはない。
下働きのとき、年に一度、ちょうどこの季節頃に届く物を豊穣だと言いながら宰相様のところへ運んだ記憶はある。こんなに重い物を何往復もしなければならないのか、という苦い記憶だが。
自分にとって豊穣という言葉は、穀物や作物が豊かに実ったことという意味と結びつくことがなかったものだから、辞書を引いたときには疑問に思ったものだ。だって、箱の中身は金属で出来た武器や防具だったのだから。
「先代の時にはこのように、山を作ることはありませんでしたからねえ。それ以前に、豊穣を祝うような余裕があったとも言えませんが」
自分が知らないことについてはヴェルメリオにとってもまあ、予想できる範囲だったらしい。魔王様が知らなかったことについては、少し驚いていたようだけれど。
魔王様が戴冠してからというもの、知識を詰め込むように学んでいた姿を見ていたからだろう。きっと、魔族の慣習や祝いの言葉、その辺りも学んでいるのだと思っていただろうヴェルメリオは、知らないということを考えなかったのかもしれない。
「この場で一番詳しいのはヴェルメリオってことか。簡単でいいから教えてもらえないか?」
「簡単もなにも、そのままの意味ですよ。豊穣を祝う、そしてその実りを誰かと分け合う。独り占めしたら翌年は不作になると言われていますが、それだけです」
「それだけ、ですか」
どうやら、下働きの時の豊穣の記憶は上書きをしなければならないらしい。魔王様はなるほどな、と言いながら箱を開いて中身の確認を始めた。この部屋に届いているのは、そのまま食べられるように加工してあったり、飲み物の類ばかり。それでもこれだけの量になると、さすがに少し持て余す。
ひとまず、隣の休憩室に入れて執務室のスペースは確保しなくてはならないだろう。
ヴェルメリオの言う豊穣の日、について思うことはあってもだ。まずは動かなくては。
「言いたいことは分かりますよ、グランバルド。けれど、これはこの国の民たちが魔王様に感謝していることが目に見えるもので表された結果。素直に受け取っておきなさい」
後半は駄々をこねた子供を諭すような口調だったけれど、それはおそらく自分だけでなく魔王様にも伝えたかった言葉。
あなたがやって来たことが、こうして形あるものとして戻ってきた。それを、受け取らないという選択肢などないというように。その意図は間違いなく、魔王様にも伝わっている。嬉しいようなここまで、とでもいうような微妙な表情で、積み上がった箱を見ているのだから。
「今頃、厨房は大忙しでしょうね。しばらくしたら勝手に料理が届きますから、早く書類を終わらせた方がいいですよ?」
「ヴェルメリオ、そういうことは先に……」
「ほら、私に文句を言う前に目の前の書類を終わらせましょう? 微力ながら手を貸しますから」
ほらほら、とからかうように背中を押されたが、嫌な気持ちは全くなかった。むしろ、このようにたくさんの箱があることを疑問に思った今朝の自分に伝えたい。今の自分がとても誇らしい気持ちでいることを。
「なあ、グランバルド」
「はい魔王様」
「こう、目に見えるって……なんかいいよなあ」
魔王様も自分と同じ気持ちだったようだ。そして、言葉にはしないがヴェルメリオも。
初めて知った豊穣の日、それはとても温かくて。あの日感じた金属の重さと冷たさを、あっという間に塗り替えていった。
豊穣の女神の名をお借りいたしました。




