58.弱点あるいは役立て方
「……失礼します。ご要望のありました資料をお持ちいたしました」
その文官が入ってきたのは、ちょうど自分が魔王様の執務室の一番奥の本棚で資料を探しているときで。部屋に入って最初に目にする人物は、魔王様だった。
文官たちもこの部屋にやって来ることが増えていたし、だんだんと魔王様と直接話しても硬直することが減ってきているタイミングだったから、こちらも気を抜いていたのだろう。
「ああ、こちらだ。手間をかけたな。重かっただろう?」
「い、いいえっ! それでは御前失礼致します!」
自分が振り返った時に見えたのは、顔色を青くしていることに気づいてまずいと思っていながらもどうすることもできないという表情の文官が、執務室を出ようとしている姿。
直後に思い切りドアを閉じる音が響き、しんとした空気が執務室に満ちる。探していた資料を見つけたので取り出すために伸ばした自分の動きひとつひとつが立てる小さな音すら、ひどく大きく響いているような気がするほどに、静まり返った執務室。
このような空気になるのも、久しぶりだ。
「魔王様」
「俺は何もしていないぞ? お守りだってつけてるし、昨日魔石の補充だってしてる」
自分はずっと傍にいるからか、魔王様の魔力について何かを感じることはない。だから魔王様の自己申告を信じるしかないのだが、確かに腕には魔力が外に漏れだすのを防ぐための魔道具が輝いているし、魔石の補充に行っていることも知っている。
だからこそ、魔王様の魔力が必要以上に高まっているとは思っていなかったのだが、あの文官の反応はまさに初期の頃のそれで。
「新人ではないのにあのような態度を取るだなんて。彼の部署は……」
「まあまあグランバルド。慣れるまでの時間は人それぞれだから、あんま怒ってやるな。な?」
「他ならぬ魔王様に言われてしまったら、自分は何も言えないではありませんか」
注意は出来るが、魔王様がそれを許してしまうのならば側近である自分は何も言えない。今、この城で働いている者たちが、本能的に怯えてしまうのをどうにかしようと努力していることを知っているから、余計に。もちろん魔王様側からの歩み寄りもあっての現在だけれど。
「しばらくは目を瞑りますが、それは彼のためにならないと……」
「もちろん、分かっているさ。まあそのうち何とかなるだろ」
「魔王様が、そう仰るのであれば」
それから、魔王様は彼に積極的にかかわるようになった。もちろん、それは彼本人には伏せて、だ。
この城には魔王様以外にも高い魔力を持っている者がいるから、彼らにも協力してもらってわざと出会うように仕向けて。
そうしているうちに、面白いことに気が付いたと話していたのは少し前の話。そして、今日はそれが目に見える形で現れたのだと魔王様に誘われ、普段あまり立ち寄ることのない研究者たちの集まる部署へとやって来たのだ。
「驚きました」
そうして出来上がったものを目の前に差し出されて説明を受けてから、まず最初に思ったのは。
「グランバルドもか?」
「ええ。彼の魔力探知はとても敏感だとは思っていましたが、まさかここまでとは」
自分たちのいる場所を中心として、ある程度の距離の範囲内にある魔力反応を探知する装置。それは魔力探知が得意な者ならば頭の中に展開できるものだ。残念ながら自分は頭の中に一度も思い描けたことがないそれを、今魔王様と二人で見上げている。
実現させるためにはかなりの時間がかかりそうだと、魔王様の魔力を抑える魔道具を作った時には聞いていたのに。
「本人も悩んでいたらしいからなあ。勝手に体が反応するからって困ってたそうだ」
「そのような事をご存じの魔王様にも、驚いていますよ。いったいいつの間に聞いたのですか」
「ついこないだ。すんごい分厚い思いが執務室に届いてな」
言われて思い出したのは、宛名もなく自分が不審に思っていたのに、魔王様は真っ先に手を取った封筒。やけに分厚いそれを、魔王様はとても嬉しそうに眺めていた。
「だからといって、それを魔力探知の魔道具として形にしてしまうまでとは思いもしませんでしたよ」
「今までだって研究していなかったわけじゃないし、物だってあったのにな」
「これほどまでに精度が高い物を作れたのは、彼の能力あってこそでしょう」
魔力探知は繊細な魔力操作が必要なうえに、集中していないと展開し続けることが出来ない。それを魔道具一つで出来るようになるのだから、研究者たちは常にどうしたらいい魔道具が出来上がるかを調べ続けていた。そうして出来た物だって自分からしたらすごいと思えるものだったのに。
比べてしまったら、確かにこれは今までの物とは出来が違う。
「それで、当の本人はどこに?」
「ああ。政務室で書類書いているんじゃないか? これを使って人族の国に不正に魔道具が渡っていないか調べるために、いち部隊を派遣するからな」
ついでに魔道具の耐久性と精密さを調査するそうだ。そんなところまで話が進められるくらい、この魔道具の出来がいいのだろう。
「研究部署に異動はしないのですか」
「本人がそう望んだからなあ。ま、これだけの能力があるなら研究側が手放しちゃくれないだろうけど」
けらけら笑っている魔王様の後ろで研究部署のみなが頷いているけれど、誰も強制的に彼をこちらへと連れてこようとは考えていなさそうだ。
次はいつ来てもらおうか、なんて声はずっと聞こえているけれど。
「本人が働きたいところで働くのが一番だ。じゃなきゃ続かないさ」
「……そうですね」
「それじゃ、俺たちも戻るか。あいつらが上手くやれるように場を整えないとな」
「ええ。参りましょう」
人族の国へ部隊を派遣するなんて話、まだ聞いていないし書類も見ていない。これから準備をして部隊を選び、任務の説明をしなければならない。
やらなければならないことは山ほどあるけれど、それが嫌だと思わないのはおそらく、自分が働きたいと思って動いているからだろう。素直に、そう思った。




