56.違和感に特効薬
そう思ったのは、偶然だったけれど。結果として違和感をそのままにしなかったことは良かったのだと、強く思った。
「魔王様、何かありましたか?」
「……何かってなんだ?」
魔王様の本日の予定は、午後から来客との会談だ。魔王様の執務室に招くことはめったにないが、そのぶん相手を重要視していると思わせられる。護衛すらいない部屋で、王が出迎えるという画は、信頼を得やすいそうだ。
実際のところ、執務室だったら下手に手を出すことが出来ないという思惑もあるのだが。すぐ隣には仮眠を貪る用途に変わってしまった待機室もあるが、それを知っている者はほとんどいない。
魔王様がそんな予定だったので、自分は早めに執務室から文官たちのいる政務室に向かい、それなりの時間をそこで過ごしてから戻ってきた。
もちろん、書類の整理やお互いの認識の確認など、仕事をして過ごしたわけだけれど。その会話の中で見つけた問題を、魔王様に共有しなければならないのに。
執務室で椅子に背を預けて外を眺めていた魔王様の顔には、先ほどまでの来客に対応していただけでは説明できない、何かがあった。
「いえ、何かとしか言えないのですが……」
「グランバルド」
何か、そう。違和感はある。けれど、それをどう言葉にすれば自分が感じたものが正しく魔王様に伝わるのか。その言葉選びが分からない。
言葉に詰まっていたら、少しだけ語気を強めた魔王様が、自分を呼んだ。窓からの光で、その表情を読み取ることは出来ない。
「憶測でものを言うのも構わないが、裏を取るという事も必要だからな?」
「魔王様」
なだめるような咎めるような言葉に、自分の違和感は確信に変わった。注意して聞いてみるといいですよ、なんて教えられたのはつい最近だったが、こうも早く使う機会が巡ってこようとは。
「やはり、何かありましたね。自分が政務室に行っている間、こちらに来客がありましたから、その関係でしょうか」
「……隠せると思ったんだがなあ」
きゅっと口をすぼめて視線を彷徨わせた魔王様は、体から力を抜いた。もはや椅子にもたれているという姿勢を取った魔王様の金色の瞳は、少しだけ不服そうだ。
おおかたこの場はどうにかやり過ごして、自分が離れたタイミングを見て感情の整理をつけるつもりだったのだろう。
他人に当たってスッキリするような魔王様ではないと分かっているしそれが自慢でもあるけれど、少しくらい頼ってくださってもいいのに。そんな想いすら抱いてしまう。
「魔王様が隠そうとするときには、口数が多くなるんです。それに、言葉を短く切って会話を切り上げようとする。
教えてくれたのはヴェルメリオですよ」
「あいつもかあ……」
情報源の名を告げれば、今度こそ魔王様は机に突っ伏した。自分だけだったらまだともかく、ヴェルメリオにまで知られていたらどう頑張ってもごまかすことなど出来やしないと悟ったのだろう。
「さっきまで来てた貴族はな、先代からこの城で働いてるって言ってたんだが。俺が王になってからここまで、顔を見せたこともなかったんだよ」
魔王が代替わりしてからというもの、理由をつけて登城しない貴族などたくさんいる。それで領地が上手く運営できているのなら、自分も魔王様も定期的な報告書が送られてくることを条件にして、城に顔を出さなくても良いとしている。
実際、遠い領地にいる貴族で魔力が少なかったりすると転移魔法も使えないから、移動だけでかなりの時間を取られてしまうから。報告書だけならば、各地に転移用の魔法陣を設置しているのでそれほど魔力を消費せずにやり取りが出来る。
「そんで、呼び出して話を聞いてたんだがな。これがまあ笑えるくらい自己保身の言葉しか吐かなかったうえに、献上品って持ってきたのがまた」
「これが、そうですか」
今回の貴族は、その報告書すらまともに送ってこない、要請を出しても無視、転移魔法を使える者と文官を領地に送っても同行しない、と段階を踏んでも拒否されたので、魔王様直々の命令として呼び出したというわけだ。それでも、城に来るのに想定よりもかなり長く待たされたのだが。
これ、と言われて執務室に入ってからずっと気にはなっていた茶色と白がまだらになった物体に、視線を送る。
「そう。俺が甘いもの好きだって誰かから聞いたんだろ。だけど、どんなものが好きかまでは調べなかった。その程度でいいと思ってるのが良く分かるよなあ」
「ええ。さすがに、甘いものと言っても、あれは……」
これは最近になって我が国でも流通し始めた、人族が甘味料として使っている砂糖、というものだ。魔族の甘味は基本、魔蜂に分けてもらう蜜だから液体。このように固形になっているものはあまり見かけることがないので、今はまだ物珍しさがあり少量でしか流通させていない。
自分を含めてこの城で働いている者たちは、魔王様の甘味好きが高じてよく目にする機会があるので、珍しいとも思わないが。
「あいつがいる前で口にしなかったから、さすがにやらかしたと分かったんじゃないか。元々、部屋に入って来た時から顔色悪かったから比べられはしないけどな」
顔色が悪かったのは、単純に魔王様の魔力の圧に当てられたのだろう。きっと不機嫌を隠すことなくいただろうし、今でもまだそれを引きずっている。自分が違和感だと思ったのは、ここからだったか。最近では魔王様の魔力の揺らぎなどほとんどなく、城の者たちもだいぶ慣れてきたと思っていたのに。
「そのせいですか。文官たちが少し怯えていたんですよ」
「あ~、それは悪いことをしたなあ。お詫びでこれ、持っていくか?」
「甘いものは欲しているでしょうが、これは文官たちもどうしていいか分からなくなると思いますよ」
悪いとは思っているのだろう。けれど、その詫びがこの塊では、どうしようもない。ましてや城で見る砂糖は白と茶が混じったまだらではなく、きれいに精製されているのだから。
飾っていたところで、そのうち虫たちの餌になるだけだ。それは、執務室に置いておいても同じこと。
「だよなあ。そんじゃ、厨房でどうにかしてもらうか」
「それでは魔王様」
「ん?」
それはそれは深い溜息を吐いた魔王様に、にやりと笑ってひとつの提案を。
「気分転換に、散歩に行きませんか。ゴールは厨房。そしてご褒美はコック長お手製のデザートプレートです」
貴族の手土産がこんな砂糖の塊だとは思いもしなかったけれど。
あれだけ要請を無視していた相手を呼び出したのだから、疲れるに違いないと政務室から戻って来る途中で寄り道した厨房。来客があることは城全体に告知していたから、コックたちも自分のお願いを快く引き受けてくれたのだ。
「全く、いつの間にそんなの準備してたんだ?」
「さて、いつでしょうね。それで魔王様?」
「行くよ。行くしかないだろ。そんなご褒美ぶら下げられたらな」
砂糖の塊は、魔王様の口に入るだろう。そして気に入るはずだ。
けれど、それは砂糖が気に入ったのではなく、コックたちの努力の結晶であるスイーツとして、魔王様の前に出された時だけだ。
そんなことも分からない貴族など、領地を取り上げられても文句など言えないだろうな。
ひとつ増えた仕事を誰に振るか考えながら、気分が浮上したらしい魔王様と共に厨房に向かった。




