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新米魔王と側近の活動報告  作者: 柚みつ


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54.書き手に表れるもの

「グランバルドの文字って、綺麗だよなあ」


 いつものように書類を魔王様に手渡した時に、じっと見つめられたので何か不備があったのかと思っていたのだが、返ってきたのは予想外の言葉。

 思わず握ってしまったことでくしゃりと音を立ててついたシワは、伸ばす前に魔王様に回収されてしまった。書き直そうと思ったのに魔王様がさっさと署名を入れてしまったことで、それは叶わなくなる。


「なあ、どう思うヴェルメリオ?」

「そうですね。そこらの貴族でしたら十分に通用するのではないでしょうか」


 しかも、魔王様の後ろの棚の整理をしていたヴェルメリオにまで見せるなんて。見せるのに不都合のない文字を書けているとは思っているし、魔王様に直接お渡しする書類にはいつも以上に気を配っている。

 けれど、まさかそれがヴェルメリオから見ても、通じるほどのものだったなんて。からかうような口調でもなく、ただ当たり前のことを当然のように告げるその静かな声は、すうっと自分の体に染み渡っていくような気がした。


「あ、ありがとうございます……」

「おや、そのような反応を見るに」

「文字、褒められたことないんだな。こんな綺麗に書くのに」


 その通りだ。自分の文字を見ても、綺麗だなんて思ったことはない。文官たちから仕上がってくる書類はとても丁寧だし、ラドからは文字のテストがあると聞いている。そうして努力している人たちがいるのだから、仕事で毎日書いているとはいっても自分の文字がそのような評価を得るなんて、考えもしなかった。

 だからだろうか、二人から面と向かって褒められることがなんだかとても気恥ずかしいけれど、誇らしい。あの頃の、幼かった自分の努力を、認めてもらえたような気がして。


「どこで覚えたのですか? 下働きの時にそのような時間はなかったでしょうに」

「いいえ、下働きの時に覚えましたよ。文字の読み書きが出来ないといくら下働きとはいえ、仕事になりませんでしたから」


 先代魔王様の時には昼も夜も関係なかった。気が向いたときに人族を攻撃に行くものだから、下働きには休みなどあるはずもなかった。それでも、どうにか時間を組んで休みをもらった時には、文字を教えてくれる誰かも、城の構造を叩き込んでくれる誰かもいた。そういう意味では、恵まれていた環境だったと思う。あの頃に戻りたいかと問われたら、即座に首を横に振るけれど。


「自分よりも、魔王様のほうがとても読みやすい文字をお書きになりますよ」

「これ、読みやすいんだ。他と比べることないから、あんまり分からないなあ」


 おそらく幼少期、自分とは比べるまでもなく境遇の良かった魔王様は、とても丁寧な文字を書かれる。本に出来そうなくらい模範的な、読みやすい万人受けする文字だ。その後の環境が違っていれば、今頃そちら方面でも活躍出来ていたかもしれないほどに。

 魔法で文字を写すのはかなりの魔力を使うそうだから、まだあまり普及していない。その辺りの魔道具の開発にも、力を入れているそうだけれどなかなか順調とは言えないそうだ。

 上手く出来るようになったら、もっといろんな人が活躍できる場が増えるだろうと魔王様と話したのは、そう昔の事ではない。


「それでしたら、今度届く書類と見比べてみるのはいかがですか?」


 魔王様の署名が入ったものと自分が作った書類を並べ、見比べていたヴェルメリオがちらりと視線を執務室の外に向けながら呟いた。

 魔力の流れを読むのが上手いヴェルメリオの事だ。きっと、あまり時間が経たないうちに文官の誰かがここに書類を届けに来るのだろう。


「文官たちも基準以上の手ですが、やはり比べてみると違いが分かるかと」

「比べるのは面白そうだけど、見本にするのはどれにするんだ?」

「こちらをどうぞ」


 ここには、自分が書いたものか魔王様の署名が入ったものしかない。そのためだけにわざわざ棚から書類を引っ張り出すのも、少々手間である。

 そう思っていたら、さらさらと手元の紙にペンを走らせたヴェルメリオが、書き終えたそれを差し出してくる。

 予想通り、そこにはとても綺麗な文字が並んでいる。これをかける人が、どうして自分の文字を綺麗だと言ってくれたのか分からなくなるくらいに、整った文字。それを、時間をかけるでもなく何かを見ながらでもなく、さらさらっと普段の生活の中のひとつとして書けるヴェルメリオは、やはり貴族なのだと痛感した。


「ここですっとそのようなものを出せるのが、ヴェルメリオですよね」

「ありがとうございます。これでも、貴族ですからね。叩き込まれていますよ」


 叩き込まれている、そう告げたヴェルメリオの表情がわずかに歪んだ。吐き捨てるようにも聞こえたその言葉は、もしかしたらあまり見せたくない部分だったのかもしれない。

 貴族なのだ、と壁を作ったのは自分の方だったようだ。こんな綺麗な文字をさらさら書けることが当たり前になるまで、いったいどれほどの時間がかかったのだろうか。

 ヴェルメリオの手を見た魔王様は、思わず感嘆の声を上げている。そして魔王様が書いた署名と並べて、敵わないなと大声で笑い出した。


「……いっそ、ヴェルメリオの文字を参考にするように各部署に配布するか?」

「私の文字にするかはともかく、見本があるのはいい考えではないかと」

「そうですね。書類の形式は統一するようにしてきた結果が出てきています。ならば、誰が見ても過不足なく書けるように見本を準備するのは、仕事の効率の面を見てもよい考えです」


 基本的には文官とのやり取りが多い書類だけど、厨房や軍部だって書類の提出がないわけではない。むしろ、魔王様の代からは経費の申請なども書面で残すようになっているから、どの部署にいようとも今までよりも何かを書くという行為自体は増えているはずだ。

 新人に教えていても、一度で覚えられるはずもないし、メモを見返すのも出来ないタイミングだってある。書き損じが多かったこともあって、どうしようかと思っていたのだ。

 見本を作る、というのが自分では出てこない考えだというのが分かるからこそ、この機会を逃さずに話を詰めてしまいたい。


「じゃあ、これから執務室に来た文官にその大役を任せるとするか」

「ええ。そうしましょう」


 そうしてやって来たのは、手は速いが少々雑な面が目立っていると話に聞いていた文官。魔王様直々の任務に断れるはずもなかったその文官は、他のどの業務よりも優先で見本作りを進めたそうだ。

 おかげで、彼の文字が見やすくなって文官たちの業務の効率がわずかに上がった、とラドから感謝されることになるのは、しばらく後の話。




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